18 ―― 法悟空 フレッシュマンに贈る



――職場は人間修行のわが道場――

 希望ある人には、輝きがある。

 希望ある人には、無限の心の青空が広がる。  

 今日から、各職場で、フレッシュマンとして、人生の新しいスタートを切る若人も多いにちがいない。

 「おめでとう! 未来は君たちの腕にあり」と、私は励ましを送りたい。

 戸田先生の経営する出版社に入社して5カ月後の、1949年(昭和24年)6月3日の日記に、私はこう記した。当時、二十一歳である。

 「毎日、忙しい。だが自分に、与えられた課題に、真正面から取り組むことだ。なれば、意義ある仕事になる。苦しくとも、実に楽しい。

 先生の会社を、日本一の会社にしたい。日本一の雑誌を作り上げねばならぬ」

 いかなる立場であれ、ひとたび入社したからには、その会社を自分が担いゆこうとの気概をもつことから、仕事の第一歩は始まると私は思う。

 何事も、受け身では喜びはない。「能動」の心で、主体者の自覚をもつところに、労働の喜びも意欲も生まれる。

 私が若き日に心がけてきたことの一つは、”朝に勝つ”ことであった。

 毎朝、三十分ほど前には出勤し、職場の掃除をした。職場は「われらが城」である。誰に言われたわけでもない。皆が気持ちよく仕事に励めるように、清掃しようと決めたのである。

 そして、元気なあいさつで、先輩たちを迎えた。

 職場の先輩には、さまざまな人がいた。懸命に働く人もいれば、与えられた仕事だけを適当にこなす人や、手抜きをして、要領よく振る舞う人もいた。

 いい加減な先輩に歩調を合わせ、浅きに流れ、自分をだめにしていく青年もいる。志なく、哲学なきゆえである。

 環境に支配されるのか、自分が環境を支配していくのか――そこに人間の戦いがある。

 私は、自らが模範になろうと思った。

 やがて、職場の雰囲気が目に見えて変わっていったことが、嬉しかった。

 どんな会社に就職しても、常に自分の好きな仕事ができるとは限らない。

 あるいは、実際に仕事をしてみると、当初、描いていたイメージとは異なり、落胆することもあるかもしれない。

 私も、戸田先生の事業が窮地に立たされた時には、雑誌が廃刊となり、編集から、金融の仕事に変わることになった。最も嫌いな仕事であった。

 しかし、私は決意した。

 ”今が正念場だ。最高の働きをしよう。これは新しい力をつけるチャンスだ!”

 胸を病みながら、必死に働き抜いた。顧客のために、昼となく、夜となく、足を運び、どこまでも誠実に対応した。

 それによって、先生の事業が好転し、危機を脱するに至ったことが、私の誇りである。

 また、以前、印刷会社に勤め、夜学に通っていた時には、よく大八車を引いて、銀座や神田の出版社などに印刷物を運ぶことがあった。

 単純で汗まみれの作業である。さげすむような視線を浴びせる、同世代の学生もいた。

 だが、私の心は晴れやかであった。

 苦労は人生の最大の財産である。すべての経験が、必ず生きる時がくる――と、確信していたからである。

 誰よりも丁寧で、迅速な運搬をしようと、工夫に工夫も重ねた。

 事実、それらの体験が、私のかけがえのない力となり、財産となっている。

 御聖訓には「御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ」(御書1295p)と仰せである。

 「信心は一人前、仕事は人の三人前働きなさい」というのが、戸田先生の指導であった。

 仕事に勝ち、職場の第一人者になることが、信心の実証である。

 単に賃金のために働くのであれば、金の奴隷であろう。職場は、自身を磨き、鍛える、人間修行のわが道場である。

 「フレッシュマン」とは、「挑戦の人」「精進の人」の異名といえよう。

1998年4月1日(水)掲載