2001-01-01から1年間の記事一覧

(235)「青年訓」50年

「あなたは若いのです。戦いは必ずやってくるでしょう。人生は高貴な魂をもって前進する者には戦いを免除しません」(南大路振一訳) これは、ある老婦人が、若き日の文豪ロマン・ロランに贈った黄金の言葉である。 よく、戸田先生は言われていた。 「牧口先…

233 「原水爆禁止宣言」に思う

この九月十二日から四カ月間にわたって、「私は忘れない 人権の闘士――サイモン・ウィーゼンタール」展が開催される。 会場は、横浜・山下公園の側に立つ戸田平和記念館。 開館から二十余年、神奈川文化会館に隣接するこの記念館は、建物自体も歴史的建造物と…

228 創価の先頭・中国の同志

「私共は先頭を切ろうとすれば自分の脚で立ち一心に働かねばなりません。(中略)結局大切なものは私共自身の奮闘であると思うのであります」(井上信一訳) インドの初代首相、ネルーの言葉は、有名である。 私にとって、この叫びは、来る日も来る日も、広…

 225 日本一の民衆の都・大阪

世界の同志は皆、感嘆している。いな、驚嘆している。 東京の同志も、燃え上がる関西の同志愛の有り難さに、心から感謝している。 関西は強い! 大阪は強い! わが常勝の大関西は、百戦百勝、世界に冠たる、無敵の庶民の王国だ! 関西には、師弟がある。 私…

 224 「炎の東京大会」

徳川三百年の繁栄を開いた家康は、日本一の富士山が見える江戸に本陣を定めた。 「富士見」は「不死身」に通ずる。揺るぎなき王者の富士を仰ぎながら、難攻不落の城を築きゆかんとしたのであろうか。 その築城は忍耐強く三代にわたって続けられた。 トインビ…

223 戦う愛知の誉れ

中部は断固として勝った。 愛知は悠然として勝利をした。 長い長い間、卑劣な権力者たちに恫喝され、あらゆる陰謀のなか、策略に陥れられながら、厳然と正義のために戦い抜いて、中部は勝った。断じて勝った。 御聖訓には、「過去および現在の末法の法華経の…

222 新世紀の電源地・埼玉

「勝つ」と決めた一念ほど強いものはない。 フランスの哲人アランも、こう言っている。 「人間が道を切り拓いていくための原動力は自分自身の意志のなかにしか見つからない」(山崎庸一郎訳) ちょうど五十年前の、一九五一年(昭和二十六年)九月のことであ…

 221 神奈川 7月の深き縁

「ひじょうによい結果を得たければ、みんなが奮闘しなければなりません。みんなが奮闘してこそ、大成功をおさめることができるのです」(堀川哲男・近藤秀樹訳) かつて読んだ、この一節が、今もって私の心を捉えている。それは、中国民主革命の先駆者であり…

 205 黎明の竜の口(下)

戸田先生は、よく言われた。 「いずこであれ、御本尊ましますところこそ、最高の聖地である。 広宣流布への信心があるところが、仏の国土なのだ。そこにこそ、大聖人の魂は、おわします」と。 大事なのは、「宗祖の精神を受け継ぐ」ことであり、「御書の通り…

随筆 新・人間革命 204 黎明の竜の口(上)

「御書で学んできた『発迹顕本の地』に、ついに来ることができました。 日蓮大聖人の大闘争が、眼の前に浮かんでくるようです」 鎌倉の「竜の口」にある「SGI教学会館」を初訪問した、アフリカの同志の声である。 ヨーロッパの友も、アジア、オセアニア、北…

 (198) 熱原法難の歴史(下)

「師弟相違せばなに事も成べからず」(御書九〇〇?) 熱原法難のさなか、日興上人は、逐一、身延におられる日蓮大聖人に報告され、具体的な御指示や御指導をいただいた。 この大難に、大聖人と、「師弟一体」で立ち向かわれたのである。 ◇ 弘安元年(一二七…

 (197) 熱原法難の歴史(上)

それは、一九七九年(昭和五十四年)、二十世紀の″七つの鐘〃が鳴り終わる、その時であった。 盛大に祝賀されるべき五月の三日を、創価学会は法難の渦中で迎えた。 御聖訓に「無量無辺の僧等・集りて国主に讒言して流し失ふべし」(御書一三八九?)と説かれ…

196 信濃路を走る歓び(長野)

彼は自転車に乗って、走りに走って、同志の家に向かった。その自転車は、もう古くて寿命が近づいているように見える。 しかし、彼は走った。 広宣流布のために走った。 友の激励のために走った。 同志の結束のために走った。 ある時は自転車が動かなくなって…