135 創価の戴冠式「3・16」
私は、身動きもせず、未来を見つめていた。
しかし、わが人生の師たる戸田城聖先生の衰弱の姿を見て、過去からの憂愁と危惧が破裂したように、計り知れぬ激痛が私の心のなかに走った。
この輝かしい春の日に、なぜか私には、雲が低く降りてきて、心が沈み、最小光度の光しか感じられなかった。
◇
その日は晴天であった。
四十二年前(一九五八年)の三月十六日。
あの日、白雪に光る富士の山を共々に仰ぎ見ながら、喜々として、信仰と信念と情熱に燃える、戸田城聖の若き弟子たち六千名は、堂々と集い来た。総本山大講堂前の広場である。
わき起こる新しき波のごとく、賑やかであった。皆、生き生きとしていた。
未来に向かって、若き英雄たちは、求道者らしく、また戦う戦士らしく立ち上がった。その凛々しき顔(かんばせ)には、尊い使命を、わが青春の花とした、あまりにも雄々しく、高貴な薫りが漂っていた。
微笑しながら、肩を組む同志の間には、なんの心の距離もなかった。
何ものをもってきても、この師弟不二の心と、生死を共にしゆく同志の心を、絶対に引き裂くことはできなかった。
◇
先生が創価学会第二代会長に就任されてより、激戦を続けて六年十ヶ月のことである。
生涯の願業である七十五万世帯の大折伏を完遂した師は、もはや今世の終幕の近いことを自覚されていた。
「3・16」の大儀式で、生命の最後の炎を燃やして、先生が教えられたのは、広宣流布に生き抜く闘争であった。
それは、師から真正の弟子へ、後継の若獅子たちへ、広布遂行の印綬を手渡す魂の儀式であった。
三月の上旬、時の総理大臣の参詣が十六日と決まった時、戸田先生は、私に言われた。
「将来のために広宣流布の模擬試験、予行演習となる式典をしておこうではないか!」
先生は「大梵天王・帝釈等も来下して・・・・・・」と御聖訓に仰せの、広宣流布の一つの姿を、青年に教えておきたいとのお心であった。
梵天・帝釈等の諸天善神の働きをする社会の指導者たちが、やがて御本尊に帰依する日がくることを、儀式として示そうとされたのである。
それは、「仏法の人間主義」に共鳴して、世界中の指導者が集い、友情を結び、人類の平和と幸福の実現を誓い合う姿と見ることもできる。
今や、全世界から、国家や民族の違いを超え、政治、経済、教育、文化など、あらゆる分野の指導者が、我らSGIの理念と行動に、絶大なる共感と賛同をもって、仏意の創価学会を永遠に顕彰するために訪れてくださる。
誉れある、その一つ一つの儀式は、あの「3・16」の儀式の、精神の継承といってよいだろう。
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先生のお体は、既に、歩くこともおぼつかない状態であった。しかし、先生は「断じて私が指揮をとる!」と、何度も言われていた。
私は、同志に頼んで車駕を作ってもらった。『三国志』で、病篤き諸葛孔明が、四輪の車に乗って指揮をとった故事にならったのである。
だが、完成した車駕をご覧になった先生は厳しかった。
「大きすぎる。戦闘の役に立たない!」
体は動かずとも、先生のお心は”常在戦場”であった。剣と剣が火花を散らす戦野を駆けておられた。
そして、生命の燃え尽きる瞬間まで、後世のために、全魂を注いで、私を訓練してくださった稀有の師であった。
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車駕は、幾百、幾千の青年たちの人波のなかを、ゆっくりと進んでいった。
「先生だ、戸田先生だ!」
青年たちの喜びが広がっていった。最後の最後まで、青年を愛された先生であった。
数日後のある日、先生はこうおっしゃった。
「大作、丈夫になったら、あの車駕に乗って、全国の指導にあたろう!」と。
先生は、弟子の真心を、すべてわかってくださっていた。
出席するはずだった、来賓であるべき総理大臣は来なかった。しかし、先生は、未来を頼む青年さえいれば、それでよいとの決心であられた。
そして、主賓のいない広場を埋めた、無数の若き弟子たちに向かって、「創価学会は、宗教界の王者である!」と、烈々と大師子吼された。
まさに「3・16」は、青年の頭上に「王者の宝冠」を載せ、「王者の剣」を託された、戴冠式であった。この深き意義を、我ら弟子は決して忘れてはならない。
私は、今、わが弟子である全青年部員の、広布に戦う尊き一人ひとりの頭に宝冠を捧げたい心境である。
ともあれ、戦いに勝ってこそ、栄えある後継の冠を受ける資格がある。
そのために大事なことは、第一に、生涯にわたって、仏勅のわが学会と共に生き抜いていくことだ。
生涯、わが使命を貫き、信念の大道を堂々と走り抜いた人には、なんの悔いもない。
古代中国の歴史家・司馬遷が叫んだごとく、「万(かなら)ず戮(りく)せ被(ら)ると雖も、豈に悔い有らんや」(必ず殺されようとも、どうして後悔などしようか)である。
第二に、広宣流布の全責任を担って立つことである。
「学会のなかに自分がある」のではない。「自分のなかに学会がある」という、主体者の自覚が大事なのである。
青春時代より、私も、そうしてきた。たとえ、役職が最前線の一幹部であっても、学会のことは全部、わが課題であるととらえ、どうすれば一番、広宣流布が進むのかを悩み、考え、祈った。
また、戸田先生ならどうされるだろうか、どうお考えになるだろうかと、広宣流布の大将軍である先生のお立場に立って、万事に対処していった。
それが、勇気ある広宣流布の王者の道である。
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「3・16」の儀式の司会は、私であった。
六千人の若き弟子たちは、戸田先生の師子吼を聞いて、ただただ喜んでいた。
先生の挨拶が終わると、学会歌の合唱のなかに式典は幕を閉じた。
この日、なぜか、私の心には、先生のお姿が、消えゆく炎のように映り、灰色の、悲しげなわびしさを拭うことができなかった。
これが師の人生の最後の旅となることが、惻々と、私の胸に迫った。
あの命の壮んであった時代の、師弟の歓喜の闘争も、すばらしき法悦も、今や、有終の陽光を浴びた、彼方の残照のように思えてならなかった。
私は、一人、孤独な獅子の道を決意した。
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今から百年前のローマを舞台にした革命小説『永遠の都』。
そのなかで主人公ディビッド・ロッシィは叫ぶ。
「真実に生きようとすれば、だれかが殉教者になることを求められるものです。正義と人間性(ヒューマニティ)のために一命をささげるなら(中略)――それは願ってもないりっぱな義務であり、ひとつの特権でさえあるのです! ぼくには、すでに覚悟ができています」(新庄哲夫訳)
これは、若き日より、私が胸に刻んできた信念である。
二十一世紀の全責任を担う、わが生命の宝である青年よ!
私と共に立ち上がれ!
たった一人でも、獅子となって立ち上がれ!
君のいるその場所、この瞬間から、決然と立ち上がれ!
あの地に一つ、また、この地に一つと、民衆の勝利の旗を打ち立ててゆくのだ。
「永遠の創価の都」は、君の戦う熱き胸から生まれる。