337「正義の言論」の勝利


世界に赫々たり 創価の太陽

虚言を砕け! 真実を叫べ!
 戸田先生は、よく言われた。
 「卑劣なつくり話の文章には、唾を吐く思いだ」
 われわれは威風堂々として、世界平和を願っての正義の大運動をしているの
だ。
 正確な事実を全く調べもせず、ただ悪い印象を残すことのみに終始する、低
俗な雑誌の中傷は目にあまる。
 正義の人を陥れる陰謀と策略を、卑しい感情のまま興味本位に残した、これ
らの文章など、絶対に信じてはならない。決して愚か者であってはならない。
 しかし、浅はかな人びとは、その金儲けの卑しさを知ってか知らずか、悪書
に踊らされ、不潔な悩みの種を自分自身に植えてしまっているのだ。
     ◇
 幸福な人間になるには、私たちは、ためになる善書を見つけ、読んでいかね
ばならない。これは、当然の生活と生命の法則だ。
 まことしやかに流された多くの中傷批判も、時が過ぎゆくにつれ、その欺瞞
性の仮面ははがれ落ち、ただ残るのは、人権侵書という畜生の命で濁った活字
のみである。
 ともあれ、残酷な仕打ちは、いつしか歴史が裁くであろう。いな、その醜態
は必ずや暴露され、永遠に滓(かす)だけが残る。あの暗き謀略、計略、復讐
等々の扇情的な悪戯は、いつまでも続くものではない。
 人類の進歩を止めゆく、そして豊かさの深淵を塞ぎゆく悪意に満ちた人間は、
眩い太陽から、いつも目を背けて生きてゆかねばならないのだ。それにしても、
なんと多くの悪書が、世に氾濫していることか。
 「悪書は、心を曇らす精神的毒物である」とは、ドイツの哲学者ショーペン
ハウアーの有名な言葉である。
 無数の人びとが、その売文の毒に侵され、右往左往していく姿ほど、哀れに
して非人間的なことはない。
 ロシアの大文豪トルストイは叫んだ。
 「有害なる書籍が多く著され弘布されるに於ては、この害悪に対抗するには
やはり書籍に依るより外は無い」
 その通りだ。
 文化の向上のため、人間性の開花のために良書がある。特に目を楽しませ、
心を楽しませ、更に生命を満足させゆくものでなければならない。
 今、喜ばしいことに、わが青年部が企画し実現した「世界の書籍展」が、全
国の各地で大きな共感を広げている。懐かしい北海道の小樽でも、まもなく開
催される予定だ。
     ◇
 法華経にも説かれる提婆達多が、嫉妬と野心に狂い、清浄無比なる釈尊を陥
れ、教団の麗しい和合を破らんと用いた邪智の手口は、いったい、何であった
か。
 それこそ、「妄語(ウソ)」であり、「綺語(不当に飾り立てた言葉)」で
あり、「悪口」であり、「両舌(二枚舌)」であった。ここに、正法正義への
迫害の常套手段がある。
 大聖人も、「日蓮を失わんと為(し)て無かろう事を造り出さん」(御書九
九三ページ)と、喝破されている通りだ。
 御本仏さえも、「無尽の讒言(尽きることのない悪口・中傷)」によって貶
められたのである。
 仏意のままに広宣流布を続けゆく、この尊き学会にも、反逆と敵対の者たち
から、数限りない言論の暴力を浴びせられてきた。
 近年も、さも特別の情報を握っているかのように知ったかぶって、嘘八百
言々句々で人の心を撹乱し、世間を操らんとする、悪宣伝の策謀が繰り返され
た。
 それらの陰湿な文章は、なんと毒々しく、人の心を破壊することか。
 名前だけ真実で、あとは九十九パーセントが嘘という、全くのデタラメを載
せられたことも少なくない。
 御聖訓には、讒言について「そねみ候人のつくり事」(同一一五七ページ)
――つまり、"嫉んでいる人間のつくり話"と打ち破っておられる。
 学会に対する多くのつくり話も、その陰には、必ずといっていいほど、この
悪逆な嫉妬が蠢(うごめ)いている。
 かの日顕も、嫉みに狂い、かつては自分が苦々しく忌み嫌っていた「提婆達
多みたいな人間」と結託した。
 そして、無惨にも「不知恩の畜生」と化して、正義の学会を見境なく弾圧し
始めたのであった。
 そのやることなすこと、中傷批判のはったりと、デマの言論の凶悪と、すべ
ての団結を破壊しゆく陰謀、また画策の動きだけであった。
 これは、その魔性を知る多くの人の結論だ。
 しかし、正義の学会は、断じて負けなかった。ありとあらゆる誹謗の雑誌を
使い、政治権力を使っての彼らの暴虐も、ことごとく叩き割ったのである。
 裁判でも、邪悪はみな、峻厳に断罪されている。
 インドのマハトマ・ガンジーは語った。
 「嵐の海でわれわれを導き、山を動かし、大洋を跳び越えるのは信仰である」
 学会は、まさしく信仰の真髄の力で、すべてを乗り越え、勝ち越えたのであ
る。
     ◇
 昨年の夏のことだったと思う。秋谷会長が本部幹部会で発表した一文を、私
たちは忘れることはできない。
 ――以前、反逆者の事実無根の捏造の話を、ある著名な週刊誌が掲載したこ
とがあった。
 この時、学会からの抗議に対し、その週刊誌は、連載を打ち切ったが、頑(か
たく)なに謝罪はしなかった。
 しかし、その週刊誌を統括する元編集幹部が、その反逆者の極悪の本性を知
って、こう語ったのである。
 当時、気づかなかったこととはいえ、「取材もせずに原稿を載せたというこ
とは、よくなかったことは、わかっています」。編集に携わった者として、「前々
から言っている通り、私個人としては、名誉会長及び関係者の皆様にお詫びし
ます」と――。
 このように良心を持っている人がまだいるということが、私は嬉しかった。
     ◇
 思えば三十年前、大歴史家のトインビー博士と対談した時、博士は私に言わ
れた。「あなたに、多くのいわれのない批判があることも知っています。
 しかし、そのような皮相な論難は、なんら本質と関わりはありません」と。
 そして、その証拠として、「あなたは、将来、必ず、世界中の大学から、名
誉博士の栄誉を受けられるでしょう」と励ましてくださったのであった。
 その博士の温かい激励の通り、私は今、全同志を代表して、世界の大学・学
術機関から、百四十三の名誉博士・名誉教授の称号を拝受している。
 「此の経の広宣流布することは普賢菩薩の守護なるべき」(同七八○ページ〉
と、御義口伝には説かれている。
 いかに、卑劣な退転者が結合して、学会を壊滅させようとしても、世界中の
「普く賢き」知性が厳然と支持し、擁護してくださっているのだ。
 仏法の人間主義を掲げた我がSGIは、今や百八十六の国々や地域に広がり、
世界中で、私どもに対する大きな賞讃と期待が高まっている。
 それ自体が、あらゆる偏見と讒言を打ち砕いた、創価の正義と勝利の厳然た
る証である。学会は、断固として勝ちに勝ったのだ。
 ゲーテは綴った。
 「罵詈の矢は、それを放った当人にはね返ってゆきます」。これが道理であ
る。
 学会を悪口罵詈した者たちの陰惨な末路が、「還著於本人(還って本人に著
きなん)」という厳しき法理を如実に示しているのは、ご存じの通りだ。
     ◇
 私たちの信念の運動が、多くの面で、世界から注目されていることを、最大
の誇りとしたい。
 時として、思想を異にして、互いに関係の薄い、多くの人びとや団体のなか
には、表面的に学会を見て、誤解を抱くことがあるかもしれない。
 しかし、豊富な知識と理路整然たる思考に裏打ちされた、善意の方々の正視
眼は、的確に学会の実像に迫る。
 悪意に満ちた、先入観に基づく邪見とは、歴然とした違いがあるものだ。我
らは、あくまでも、仏法という人間主義の哲学、生命尊厳の哲学をもって、あ
らゆる民衆のために、平和な社会の建設をめざして、具体的に行動している。
 この崇高な精神性を失ったら、政治も、教育も、経済も、文化も、現実の人
間の幸福に貢献することはできないからだ。
 宗教を単に個人の内面に閉じ込めるのではなく、人間一人ひとりが、自他共
の幸福と平和へ尽くしていく。ここに、「立正安国」の宗教たる日蓮仏法の使
命があると断言したい。
 その使命を果たしゆくゆえの迫害は、無上の誉れであると、私は常に思って
きた。
 かのガンジーは訴えた。
 「私にとっては、宗教を離れた政治は全く汚いものであって、常に忌避すべ
きものだ」
 ローマクラブの創立者であるペッチェイ博士と、私は幾度となくお会いし、
対談集を発刊した。
 ファシズムと戦い抜いた不屈の闘士であった博士が、最後に私の目を見つめ
ながら語った言葉を、思い起こす。
 「低次元の非難や中傷など、問題ではありません。
 どういうことがあろうと、私たちは、より深い友情でいきましょう!」
 そしてまた博士は、私の手を固く握り締めて言った。
 「才知ある畜生に、人びとを騙させては、断じてなりません。絶対に負けな
いでください。共に真実の人間として!」
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ショーペンハウアーの引用は北御門二郎訳、トルストイ八杉貞利訳、ガンジ
ーは古賀勝郎訳、ゲーテは小栗浩訳。

2003年(平成15年)8月12日 掲載