記念代表協議会〔上〕


◆◆◆ 師弟に徹すれば『必勝の力』が!



【名誉会長のスピーチ】
 一、ご多忙のところ、万障繰り合わせて、ご参集くださり、心より御礼申し上げます。
 きょうは、常日ごろから、陰に陽に、創価学会を護(まも)り、支え、広宣流布を推進
してくださっている大切な功労者の代表にお集まりいただきました。本当にありがとう
ございます。
 また、学会のため、同志のため、暑い中、懸命に動いてくださる役員の皆さま方にも
深く感謝申し上げます(大拍手)。

◆信心で勝て 執念で勝て
 一、尊き同志の奮闘のおかげで、創価学会は、ますます勢いを増し、隆々(りゅうり
ゅう)と、また堂々と、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の広宣流布を全世界に広げてい
る。
 全国の同志の皆さま、毎日の折伏・弘教の大闘争、本当にご苦労さまです(大拍
手)。
 折伏は難事中の難事である。なかなか思うような結果が出ず、苦労している人もい
るであろう。
 しかし、大変だからこそ、成長できる。人間革命できる。実ったときの「喜びも大き
い。
 「一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)とは御本仏の仰せで
ある。妙法を語った功徳は無量無辺なのである。
 どうか、「地涌の菩薩」の使命に燃えて、互いに祈り合い、励まし合い、喜び合いな
がら、縁するすべての人々に、希望と勝利と幸福の種をまいていっていただきたい。
 最後は「信心」で勝つのである。「執念」で勝つのである。「団結」で勝つのである。
 「創価学会、万歳!」
 「尊き全同志、万歳!」と天高く叫びつつ、最大の感謝を込めて、記念のスピーチを
残させていただきたい(大拍手)。

◆妙法とともに希望の一日を
 一、「太陽と歩調を合わせる活発でしなやかな思考の持ちぬしにとって、一日はいつ
までも朝なのだ」(酒本雅之訳『ウオールデン』ちくま学芸文庫
 これは、私が若き日から親しんできたアメリカ・ルネサンスの思想家ソローの名著
『ウォールデン(森の生活)』の一節である。
 いわんや、妙法とともに生きゆく人生は、わが生命に、常に、久遠元初の旭日(きょ
くじつ)を昇らせながら、永遠に、常楽我浄(じょうらくがじょう)の希望の朝を開いてい
くことができる。佗(わび)しき絶望の闇は絶対にない。

◆決戦の朝に
 一、それは、ちょうど50年前、1956年(昭和31年)の7月8日のことである。その
日は、日曜日であった。
 あの「大阪の戦い」の指揮を執り、私は祈り抜き、戦い切って、関西本部で決戦の朝
を迎えようとしていた。
 早朝5時ごろ、静かな館内に電話のベルが鳴り響いた。
 私は、東京におられる戸田先生からの電話であると直感した。
 居住まいを正して受話器をとると、先生の声である。
 「関西はどうだい?」
 私は即座に、おこたえした。
 「こちらは勝ちます!」
 瞬時の師弟の呼吸であった。
 「そうか。勝てるか。勝ってくれるか。うれしいな。うれしいな」
 先生が命の底から喜びを露(あらわ)にされた、あの声の響きを、私は今もって忘れ
ることができない。
 そして、愛する関西の同志とともに、私は勝った。“まさか”を実現したのである。
 真の師匠は、弟子に勝利の道を示してくださる。いな、師弟に徹し抜く中にこそ、「必
勝の力」は、滾々(こんこん)と湧き出ずるのだ。仏・菩薩(ぶつ・ぼさつ)、諸天善神の
絶対の加護も現れるのだ。

◆師弟から智慧と勇気と生命力が
 一、関西の指揮は、戸田先生から託された戦である。
 当時、私は28歳。自分がうまくやろうとか、偉くみせようとか、そんな心は微塵も
かった。
 「ただ、先生に勝利のご報告をしたい」 ── それだけであった。
 師弟こそ、無限の「智慧」と「勇気」と「生命力」の源泉なのである。
 戸田先生が事業に失敗し、莫大な負債を抱えたときも、その返済のために最後の
最後まで働いたのは、私である。
 すべてをこ存じであられた先生は、「あまりに大作を働かせすぎてしまった。これで
は大作は、三十まで生きられない。申し訳ないことをした」と落涙されたのである。
 ともかく、鋭い先生であった。厳しい厳しい先生であった。「コトッ」という足音一つだ
けでも、すべてを察せられた。その人が何を考え、何をしようとしているのか。心中深
く見抜いておられた。
 すべてを分かってくださる師匠がいる。これほどありがたいものはない。それが創価
学会の師弟なのである。
 一、牧口先生、戸田先生 ── この「先生」という言葉に、甚深(じんじん)の意味が
込められている。
 「先生」という2文字の中に、師弟の誓いがある。師弟の祈りがある。師弟の勝利が
ある。
 両先生が、会員を守り、学会を守るために、陰で、どれほど骨を折り、心を砕き、命
を削っておられたか。それが初代、第2代の戦いであり、後継を託された第3代の私
の実践にほかならない。

◆弟子の勝利こそ師匠への報恩
 一、戸田先生の時代と比べると、今は、あらゆる面で恵まれている。会館は各地に
あり、力ある人材がそろっている。
 そのなかで、幹部が惰性になって、闘争精神を忘れ、増上慢になって、師弟の心を
忘れるようなことがあっては、敗北は避けられない。
 真の弟子ならば、断固として勝って、師匠に「勝利の栄光」を捧げゆくことである。そ
れが、報恩の真髄であるからだ。
 「勝てるか?」
 「勝ちます!」
 勝利の源泉となりゆく、この師弟の朝の深き心の呼吸を、私は後継の青年たちに伝
えておきたい(大拍手)。


◆◆◆ 行動せよ! 昇りゆく太陽のように!!
   ── 詩人 ホイットマン
        情熱と活力にあふれた新しい人間よ出でよ!
   ── アリストテレス
        幸福とは活動である
◆◆≪戸田先生≫
       若い人のために学会はあるのだ
       先輩は後輩の成長を祈れ! 社会のため、人類のために

◆『草の葉』の高らかな人間讃歌 
 一、アメリカの大詩人ホイットマンは、詩集『草の葉』の最初の詩で晴れ晴れと宣言
した。
 「『新しい人間』をわたしは歌う」(酒本雅之訳『草の葉』岩波文庫)と。
 
 『草の葉』は、私も青春時代、愛読してやまなかった詩集である。
 「情熱、脈搏(みゃくはく)、活力、すべてにおいて測りしれぬ『いのち』をそなえ、奔放
自在(ほんぽうじざい)な振舞いができるよう神聖な法則どおりに造られた、陽気で
『新しい人間』をわたしは歌う」(同)
 高らかに「新しい人間」を歌ったホイットマン
 そして私たちも今、「新しい時代」を担う「新しい人間」をつくっている。これほど誇り
高き運動はない。
 ゆえに、まず自分自身が生まれ変わって、「新しい人間」となり、「新しい前進の波」
を起こしていくことだ。
 そして「新しい人間」を育て、「新しい勝利のスクラム」を広げていくことだ。
 一、「新しい人間」の進む道に、圧迫があるのは当然である。
 当初、ホイットマンの詩集の評判も、散々であった。詩集そのものを火に投げ込んだ
人もいたという。
 「豚が数学をわからないくらい、ホイットマンは芸術をわかっていない」とまで罵倒
(ばとう)した雑誌もあった。〈長沼重隆訳『草の葉』(東興社)所収の年譜から〉
 では、かの詩人は、意気消沈しただろうか?
 とんでもない!
 ホイットマンは、いよいよ朗らかであり、ますます意気軒高であった。
 「攻撃」には「反撃」である。「挑戦」には「応戦」である。
 1年後、彼は、新たな詩を加え、『草の葉』第2版を世に間うた。
 この時に収録された「大道の歌」で、彼は快活に歌った。
 「わたしは行きながらわたし自身と諸君のために仲間をふやそう」(富田砕花訳『草
の葉』第三文明社
 「誰がわたしを拒否しようと、そんなことはわたしを煩(わずら)わしはしない」(同)
 学会精神にも通ずる一節である。
 だれがなんと言おうと、我々は、誇らかに広宣流布という人類救済の大道を進む。
にぎやかに行進しながら、志を同じくする仲間を増やし、善の連帯を世界に広げてい
くのだ。
 ホイットマンの『草の葉』は、版を重ねるごとに新たな詩を加え、全米へ、さらに世界
へ、「仲間」を拡大していった。
 「彼の声は、アメリカ国民の偉大な声であり、かつてアメリカがもった最も偉大な声で
す」と、インドの詩聖タゴールも心から賞讃を惜しまなかった。〈『タゴール著作集 別
巻 タゴール研究』(第三文明社)所収、ロケナート・ボッタチャルジョ「ホイットマンとタ
ゴール」森本達雄訳〉

◆生家を訪ねて
 一、私も25年前、青年たちとともに、ニューヨーク郊外にあるホイットマンの生家を
訪ねたことが懐かしい。
 その後、「昇りゆく太陽のように」と題し、ホイットマンを讃える詩も詠んだ。
 〈1992年のホイットマン没100周年を記念して詠んだもの。名誉会長は、同年3月、
アメリカのカムデン市で行われた100周年記念祭にホイットマン協会から招聘(しょう
へい)を受けた。記念祭の席上、名会長の詩が朗読された〉
 昨年秋には、『草の葉』発刊150年を記念して、マサチューセッツ州で行われた会議
でも、この私の詩が朗読されたと、うかがっている。
 先日、お会いした、アメリカ・エマソン協会のサーラ・ワイダー会長も、その会議に出
席されていた、お一人である。会長は詩の研究の大家でもある。
 〈ワイダー会長は、名誉会長の詩について、こう語っていた。
 「池田SGI会長の詩に触れて、私は、詩の重要さは、人々の心を結びつけることに
あるのだと、改めて学びました」
 「孤立した個ではなく、関係性のなかでこそ、すべての個が鼓舞(こぶ)され、力を持
ち、意味を持つ ── これこそが、ホイットマンの詩に脈打つ重要な精神でもありま
す。
 池田会長は、その精神を、ご自身の中に蘇生させ、それを人々へ伝えゆく、果てし
なき使命の旅路を歩まれています」
 母を亡くした悲嘆のさなか、ワイダー会長は、名誉会長の詩によって、深く強く励ま
されたという〉

◆詩(ポエム)の語源には創造と行動が
 一、ワイダー会長はインタビューで、「英語の『ポエム(詩)』の語源は、ギリシャ語に
あるといわれます。それは“創り出す”“行動に移す”という意味です」と語っておられ
た。
 詩の本質には、「創造」そして「行動」という要素がある。
 我らは、縦横無尽に、価値創造の行動に打って出て、人類を結び合わせていく壮大
な希望の叙事詩を残してまいりたい(大拍手)。

◆惰性と傲慢(ごうまん)から目を覚ませ!
 一、法華経の信解品(しんげほん)では「四大声聞(しだいしょうもん)」と呼ばれる釈
尊門下の長老たちが、未曽有の大法を聞いて、それまでの惰性から豁然(かつぜん)
と目を覚ましていく生命の劇が描かれている。
 長い間、修行してきたという慣れ。もはや、年老いたという疲れ。それなりに境涯を
開いたという傲(おご)り ── 。
 そうした命の無明を打ち破ったのが、師である釈尊の師子吼であった。
 彼らは、大仏法の真髄の計り知れない奥深さに目を見張り、再び求道の心を燃やし
始めた。その生命は、いまだかつてない歓喜に包まれ、躍動していった。
 経典では、その歓喜が「無上宝聚 不求自得(むじょうほうじゅ・ふぐじとく=無上の
宝聚は求めざるに自ら得たり)」と表現されている。
 我々もまた、先輩になり幹部になっても、新たな決意で立ち上がり、「人生の勝利の
総仕上げ」へ、いな、「三世永遠の勝利の行進」へ、新たな一歩を踏み出すのだ。
 師の大恩への尽きせぬ感謝を込めて、師弟不二の心で、後に続く無数の人々のた
めに道を開いていくことである。
 戸田先生は、いつもこう言われていた。
 「若い人のために、学会はあるのだ。
 先輩は、後輩にヤキモチを焼いたりしないで、成長を祈っていけ! 社会のため、日
本のため、人類のために活躍する若い人を育てるのだ。
 これが、学会の目的である」
 創立80周年へ一段と総力をあげて、「新しい人材」を育て、「新しい創価学会」をつく
り、「新しい広宣流布」の時代を構築してまいりたい。
 一、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「幸福は遊びのうちには存在しない」(加
藤信朗訳『アリストテレス全集13 ニコマスコス倫理学岩波書店)と言った。また、
“幸福は一種の活動である”という一点を強調している。
 さあ「行動」しよう!
 広宣流布のために!
 広宣流布の活動は、自他ともに、真実の崩れざる幸福をもたらす活動である。
               (〔中〕に続く)