師弟不二の栄光は永遠なり

  山本 伸一



尊き一生を
いかに生きるか。
この人生を
いかに勝ち抜くか。
最極の人間の生き方は
どうあるべきか。
勝利と栄光の生涯を
いかにして勝ち取るか。

君にも私にも
勝利と幸福の
天賦の才能はあるはずだ。
負けるな!
不幸になるな!
人生は
自分らしく悠然と
勝ち進んでいくことだ。

いかに不倶戴天の
敵があろうとも
泰然と
戦い抜き
打ち破れ!
決して自我を
破壊されてはならない。

勝つために!
幸福になるために!
いな 永遠に
わが正義の大道を
勝ち誇るために!

わが師は言われた。
「人間は
 戦うために生まれた。
 進みに進み
 勝つために生まれた。
 これが
 幸福と平和につながる
 人生の意義である。
 人生は勝利のためにある」

そのために
君よ!
次から次へと押し寄せる
陰険にして邪悪な荒波を
来る日も来る日も
乗り越え 勝ち越え
ー刀両断の如き
勇気と英知の宝刀を
恐れずに振りかざし
進みゆくのだ!

人生は勝負だ。
勝たねば不幸である。
前進は
勝利に近づき
停滞と後退は
暗き悲惨な
そして不幸な実相が
待っている。

ゆえに
わが信頼しゆく友よ!
勇敢に前進し
我々は
偉大な不滅の道を!
わが大道を!
雨の日も また風の日も
断じて
勝ち開いてゆくのだ!

イギリスの歴史家
カーライルは
師匠と仰ぐ大文豪ゲーテ
こう感謝を書き送った。
「我々の最高の、
 おそらくは唯一の恩人は、
 言葉と行為によって
 我々に叡智を
 授ける人である」
すなわち師匠である。

人生は
師匠によって決まる。
人生は
同志によって決まる。

そして人生は
いかなる勝負も勝ち抜ける
厳しい厳しい
苦労と忍耐と
決意によって決定される。

カーライルは叫んだ。
「障害のなくなることは
 絶対にない」
それゆえに
「しっかりした信念を
 持っていなければならない」
その通りだ。
この言葉は
私の恩師から
綴り贈られた一文である。

ドイツの大文豪
トーマス・マンは書き留めた。
「後世にまで残るもの、
 それは人間であり、
 その人の闘いの所産であり、
 その人の作品であります」
彼は
極悪のナチスと対決した
正義の知性の代表である。

一日また一日
自らを磨き
自らを向上させ
自らが勝利者になりゆくことだ。

厳しき訓練によって
上達していけば
最も喜んでくださるのは
師匠である。

ある著名な学者が
書き残した箴言
私の胸から消えない。
「繰返し
 繰返して、継続すれば
 何時の間にか
 其道に上達する。
 而して
 一事に上達すれば、
 それが他事にも
 通ずるものである」
 
あの信頼していた友は
中傷非難の嵐が来たときに
狡賢く去っていった。
私は裏切られた。
真の友人ではなかったのだ。
真の同志ではなかったのだ。

それらを見つめていた
わが師は嘆かれた。
「あの若者の哀れな姿よ!
 あの惨めな姿を忘れまい。
何のために生まれ
 何のめに人生の勝利を
 飾りゆくかを知らぬ
 卑怯な
 人生の敗北の輩よ!」

なんと意気地なき
なんと信念なき
悔いを残しゆく
暗い青春を
彷径った愚か者よ!

これも
わが師から戴いた一書である
中国の古典『後漢書』には
綴られている。
「志有る者は
 事竟に成るなり」
若き私の胸は躍った。

わが師は
向学の人であられた。
君も誰人にも負けずに
真剣に苦労し
真剣に勉学に挑みゆく
青春であれ!と
励まされた。

ともあれ
私の大好きな
青春時代から読みふけった
ドイツの詩人シラーの叫びを
わが偉大なる青年たちに
贈りたい。
「敵多い人生の中へ
 敢然と
 躍り出て行かねばならぬ」
「いかにおどされようとも
 私の勇気ある心は
 ゆらぎますまい」

さらにシラーは言い放った。
「純潔さを、
 じろじろと邪悪は
 卑しい横目で眺め
 毒芽にかけて、
 中傷者は
 それを噛み殺している」

清浄無比なる
師弟の結合を
邪悪と中傷の輩から
断じて護り抜くのだ!

先師・牧口常三郎先生は
昭和十九年の十一月十八日
「創立の日」の朝六時過ぎ
豊島区の巣鴨にあった
東京拘置所の病監にて
霊山へと旅立たれた。
享年七十三歳であった。

恩師・戸田城聖先生は
昭和三十三年の四月二日
桜花の春の夕刻六時三十分
神田駿河台の日大病院にて
安詳として逝去なされた。
享年五十八歳であった。

亡くなられた直後
弟子として
一番初めに対面したのも
私である。

師は
厳しかった。
師は
温かかった。

弟子は
真剣であった。
弟子は
偉くなり
人生に勝利して
師の偉大さを
永遠に残すことを
心に誓った。

師の選んだ道を
私も必ず選んで
歩みゆくのだ!
いかなる苦痛と苦難の
悲しき時代が待っていても
私は
大胆不敵な決意をもって
わが師の道を
必ず必ず歩み
勝ち抜いてみせる。

世の陰険な権力が何だ!
嫉妬と反感の
中傷批判が何だ!
いかなる最悪の
事態にあっても
師弟不二の法則には
絶対に敗北はない。
滅亡はないのだ。

今日も
正義の我らは
胸を張り
声高らかに
喜びの歌を共々に
歌いながら
断固として
師の歩んだ道を
歩みゆくのだ。

この道は
いかなる嵐も怒涛も
踏み越えて
不敗の栄光を味わえる
最高の希望の道であるからだ。

私の心は動揺しない。
難があればあるほど
いっそう楽しく嬉しい。
師の歩んだ道を
選ばれて歩みゆけることは
最極の人生の物語の
実像であるからだ。

メキシコの大思想家
バスコンセロスは宣言した。
「苦しみの最中でも
 歓喜を保てることは
 強さの証である。
 また善人の性質である」

幸運も功績も
そして
いかなる報酬も
私には興味がない。

それは
偉大な人間の
無比の喜びを
知っているからだ

師弟不二という
前進の中にのみ
至高の人格を
築き上げながら
勝利の道を
歩んでいけるからだ。

尊き広布推進の
創価の陣列にあっても
退転し
反逆し
心狂って
師弟の道から
転落しゆく者には
必ず嫉妬があった。
利害があった。

多くの人びとからは
厳しい怒声の波が
浴びせられた。
それは全てが
本人自身がばらまいた
虚偽と忘恩
貪欲と野心
焼きもちと陰謀
そして
傲慢と虚栄などが
原因であった。

釈尊の時代ですら
そうであった。
御聖訓には
喝破なされている。
「握婆達多は
 師匠である釈尊に比べて
 人から尊ぼれなかったので
 どのようにしたら
 世間の名誉が
 釈尊より勝るかと
 策をめぐらした」

さらに
蓮祖大聖人の
御在世にあっても
「臆病で
 教えたことも覚えず
 欲が深く
 疑い多き弟子ども」が
師敵対したのだ。

「かえって
 日蓮を教訓して
 我賢しと思い上がった
 心のひねくれた弟子らが
 念仏者よりも久しく
 阿鼻地獄に堕ちることが
 不憫でならない」
これが
御本仏の嘆きであられた。

いま──
共に幾十年の間
戦い抜き 勝ち抜いた
わが友は
来る日も来る年も
胸を張り
欣然たる姿勢で
若々しく
広宣流布の戦いに
励み走っている。
その姿は
もはや凡夫ではなく
仏の光が輝いている。

勝利のための教訓として
近代中国の父・孫文の言葉を
私は思い出す。
「われわれが事をなすには、
 人に先んずべきで、
 人に遅れてはなりません」

この通りに
創価学会
前進してきたがゆえに
勝利勝利の連続であった。
不惜身命で
前へ前へと進んできた。
先鋒を征く
勇敢なる戦いの結果
日本一となった。
いな 世界一となったのだ。

勝つためには!
その原則を
キューバ独立の父である
有名なホセ・マルティも
明言した。
「遅れをとることは
 すなわち敗北である」と。

我らは断じて
遅れをとってはならない。
臆病になってはならない。
逡巡してはならない。

かのシラーは断言した。
厳粛な真理は──
「勝どきの響によって
 迫害者の臆病な耳に、
 復仇してゆく」

青年ならば
悪党があっと驚く
師弟の完全勝利の
勝ちどきを上げるのだ!

シラーは謳った。
「信仰の光かがやく
 山頂には
 喜びの旗がひるがえ」る。

君よ!
君たちよ!
正しき信仰を貫き通して
「正義」と「勝利」と
そして「歓喜」の旗を
堂々と打ち立てよ!

師と共に
我のみ
一人立ち上がり
敢然と
一切の邪義の反攻を
許さぬ決意で
戦いまくるのだ!
そして
勝ちまくるのだ!

いかなる
戦慄の山々があろうとも
わが大地の彼方に
聳え立つ
輝かしき勝利城に
たどり着くのだ!

新世紀の大道を
勇み喜んで
断固として進みながら
勝ち抜いてゆくのだ!

 二〇〇七年十一月六日

            世界民衆詩人