新時代第12回本部幹部会 関西広布55周年記念 広布第2幕第1回関西総会 第32回SGI総会 下

不滅の人材城を築け
戸田先生 君よ若いうちに自らを鍛えよ
リーダーが成長を! 新たな息吹で

青年が先頭! 希望を胸に進め

嵐に正義を叫んだ関西
昭和54年4月24日 第3代会長就任の日
「人は変われど 関西の同志は変わらじ」


アメリカの宗教学者
 婦人部の溌剌とした姿が 世界の女性に力を与える

 一、先日、アメリカの著名な宗教学者であるニコラス・ガイヤ博士が、創価学会への評価の声を寄せてくださった。
 博士は、私の著作(『私の仏教観』)を30年にわたって大学の授業で使ってこられた。
 「私は、創価学会婦人部の溌刺とした姿を見て、婦人部の皆さんが、池田博士の激励によって、自らの可能性を開発されているのだと知りました。
 日本の歴史のなかで、婦人の地位は、常に従属的なもので、その状態は現代においても続いているように思われます。
 しかし、学会婦人部の皆さんの姿を見て、創価学会は、日本の婦人を救済しているのだ、と知りました。いな、世界の婦人に対して力を与えているのだと実感したのです」
 温かな視点に感謝したい。これからの時代は、ますます「女性の力」が発揮されなくてはいけない。

 昭和54年4月「関西」の怒り
 一、私が第3代会長に就任した時、全国の学会員の皆様から、お祝いの声が居けられた。
 そのなかで、関西からいただいた声が、最も多かった。
 また昭和54年(1979年)、私が会長の辞任を余儀なくされたときに、最も強い怒りの声をあげてくれたのも、関西の同志であった(大拍手)。
 あの折、会員の皆様からいただいたお手紙やご報告を、私は丁寧に保管している。
 "あの方は、今、どうしておられるだろう""あの方は、元気でおられるだろうか"と心に浮かぶ。
 今も近況を教えていただくことが多い。
 昭和54年4月24日、会長辞任のその夜。守口門真(もりぐち かどま)文化会館で、大阪の緊急本部長会が開催された。
 この夜、西口総関西長(当時、関西長)は、かつて、理事長を辞任された戸田先生に、私が贈った一首の和歌を、皆の前で朗読した。

 古の
  奇しき縁に
    仕えしを
   人は変れど
    われは変らじ

 そして、西口君は叫んだ。
 「たとえ池田先生が会長職を辞めても、関西の私たちの師匠は永遠に池田先生です!」
 会場では「そうだ!」と友が拳を突き上げ、怒りと誓いの拍手が沸き起こったのである。
 関西の友の心は、あまりにも健気である。広宣流布のためには、関西を完壁に仕上げることだ──私は、こう思い、若き日から関西に力を入れてきたのである。
 これまで数多くの広布の戦いをしてきたが、関西が一番強かった。
 (ここで、昭和35年の第3代会長就任と、昭和54年の辞任について、関西の同志から寄せられた声が紹介された。
 【会長就任に寄せられた声】
 「(池田先生に)一番お世話になり、一番苦しい、一番楽しい戦いを池田先生の指揮のもとにやってきた関西のわれわれである。その池田先生が第3代の創価学会会長に就任されたことは一同心待ちにしていたことであります」
 「その知らせを耳にした関西の同志の皆さんがどれほど喜び、いかほど祝福したか」(白木義一郎理事)
 「『大阪の戦い』で、ともに戦ってくださった先生。勝つことの喜びを教えてくれた先生。『私たちの先生』が会長になる。先生の晴れ姿にうれしくて涙が止まりませんでした。『先生の顔に泥を塗るようなことはできない。断じて勝利しよう』と固く決意し、東京から帰ってきました」(京都・舞鶴市の婦人部)
 「池田先生の若獅子のごとき気迫。場内に響きわたった声が、今も鮮明に耳朶に残っています」(大阪・淀川区の婦人部)
 【会長辞任に寄せられた声】
 「当時、音楽隊だった私は、ラジオのニュースで先生の『会長辞任』を聞いた時、衝撃を受けました。その日の練習では、『音楽隊の創立者である先生は、会長を辞められても僕らの師匠や!』と、団員一同、固く誓い合ったのです」(大阪の音楽隊員)
 「当時、学生だった私は、知人から折伏を受けていました。その日の夕刻のテレビで先生の辞任を知り、知り合いの学会員の家に飛んでいきました。『何があったのか』と、不安な顔をしてブロックの方々が集っておられました。
 いつも私に親切にしてくれる草創の入信の方は、『なんで先生が辞めなあかんねん』と泣いていました。こんないい人たちに涙を流させるなんて、なんと理不尽なことかと私まで腹が立ちました。その夜、私は入信を決意しました」(大阪の学生部員))

 諸君のなかから必ず学会の柱が 
 一、きょうも、戸田先生の指導を幾つか紹介したい。
 戸田先生の指導は、たくさん残っている。
 牧口先生の指導は、もらさず戸田先生が残された。戸田先生の指導は、もらさず私が残した。
 師匠の精神を伝え残すことが、未来のために重要であるからだ。
 どんな組織であれ、経済的に豊かになり、社会的に認められると、“自分は大したものだ”と思い込む人間が出てくる。そうなったら、危ない。
 「形態」があっても、「組織」があっても、本当の「精神」「魂」がなければ滅びるのである。
 このことを、私は皆さんの前で言っておきたい。諸君の中から必ず、学会の「宝」が、「力」が、「柱」が生まれると信じるからだ。
 私の思いを、関西の皆さんはわかってくださると思う。
 なかんずく、信心強盛な婦人部の皆さんが大事である。
 婦人部がおられなければ、学会の勝利はない。婦人部を大事にし、そして女子部の方々を最大に守ることだ。女性の声に耳を傾けるのだ。



ゲーテ 誠実が人間を 人問らしくする



 礼儀正しく剛毅であれ! 
 一、戸田先生は述べておられた。
 「鉄は熱いうちに打て! 人間も若いうちに自らを鍛えねばならない」
 「本当に私の指導を身をもって受けた人間と、そうでない者とは、根本的に力が違う」
 青年時代の訓練が、どれほど大切か。今の私があるのも、ひとえに戸田先生の厳しい薫陶のおかげである。
 また先生は言われた。
 「広宣流布とは、じつに『忍辱(にんにく)の鎧』を着なければ、成しえない大事業なのである」
 「組織が発展しないことは、根本となる幹部の信心の問題である。幹部に成長がないことが、その原因である」
 リーダー自身が日々、成長し、新たな息吹で進んでいるかどうか。そこに組織の発展もかかっている。幹部で決まる。
 先生は、こうも語っておられた。
 「学会のために尽くしてくれた人を、私は放っておかないよ。いな、御本尊が放っておかない」  大事なお話だ。
 学会のため、広布のために尽くす功徳は無量である。このことを深く確信していただきたい。
 「だれに対しても、『誠実』の二字でつきあっていけ。その場かぎりの適当なごまかしや要領は、絶対にいけない」
 これも、胸に刻むべき先生の指導である。
 ごまかしや要領の人間は、最後は敗北する。
 こうした人間は信用してはならない。鋭く見破っていくことだ。自分が聡明になることである。
 また先生は「青年部は、礼儀正しく、勇ましくあれ! 冷静沈着にして、剛毅であれ!」と訴えておられた。
 この言葉を若き友に贈りたい。
 私は、この指導通りに戦ってきた。すべてにわたって、微塵も先生を裏切ることはなかった。
 それこそ、はたから見れば"バカではないか"というくらい、まじめに真剣に戦ってきた。一切を師匠に捧げてきた。
 しかし、だからこそ私は勝った。師弟とは、こういうものだ。
 親子以上の深い絆で結ばれたものなのである。

 心晴れ晴れと! 
 一、古今の哲人の言葉を紹介したい。古代ギリシャの歴史家ポリュビオスは述べている。
 「輝かしい名声を勝ちとった行為というのは、激しい嫉妬と容赦ない中傷を生み出す」(城江良和訳『歴史1』京都大学学術出版会)
 その通りであろう。
 ドイツの文豪ゲーテは綴った。
 「功績だけではなく誠実というものが、人を人らしくする」(池内紀訳『ファウスト 第二部』集英社文庫)  誠実が、人間を真の勝利者にするのである。
 また、ゲーテは詩の中でこう記している。
 「足どりは喘いでも/歯を喰いしばって登るのだ!/さあ行け 休んではならぬ/希望を胸に頑張るのだ/」(山口四郎訳「くさぐさの歌」、『ゲーテ全集1』所収、潮出版社
 毎日毎日、すべてが挑戦だ。
 自転車に乗って走る。友のもとへ向かう。バス代やタクシー代がなくなって、仕方がないから歩く(笑い)。
 しかし、心は晴れ晴れと前進するのだ。
 ゲーテは綴った。
 「『教えてほしい いつまでもあなたが若い秘密を』/何でもないことさ つねに大いなるものに喜びを感じることだ/偉大なものはいつも新鮮で心を暖め活気づける/ところがつまらぬ奴らは
 つまらぬものにかまけて凍えているのだ」(内藤道雄訳「エピグラム風に」、同)
 つまらないものにとらわれると、心が貧しくなってしまう。
 大いなる目的に生きゆく人は、いつまでも若々しい。年齢を重ねても、常に「青年」の気概で前進したい。

 後世の人を驚嘆させる歴史を! 
 一、また、ゲーテは詩劇の中で綴る。
 「この地上には/まだまだ偉業をなしとげる余地がたっぷりあるんだ」(山下肇訳「ファウスト 悲劇第二部」、『ゲーテ全集3』所収、潮出版社
 本当に、その通りだ。
 さらに、「驚歎すべきことを成就することこそ私の意志さ、/思いきってやるだけのことをやる力を私は感じるのだ」(同)と。
 後世の人たちを驚嘆させるような偉大な勝利の歴史を、今度は、関西の青年部が打ち立てていくのである。
 我らには、成し遂げなければならないことが無限にあるのだ。
 さらに、ゲーテは記している。
 「たじろぐな/立ち向かえ/果敢に打って出れば/何だってできるもの」(池内紀訳『ファウスト第二部』集英社文庫
 関西青年部に、この言葉を贈りたい。青年が先頭に立って、積極果敢に打って出よう!(大拍手)
 一、これまでも何度かお話ししてきたが、かつて私と妻は、東京の大田区小林町(当時)の家に住んでいた。
 本当に、小さな、質素な自宅で、せっかく、わが家に来てくださった方が、すぅーと通り過ぎて、気がつかないということが(笑い)、しばしばあったほどである。
 あの時れわたる昭和35年(1960年)5月3日の朝──。
 この家から出発して、第3代会長就任式に向かい、一切を終えて、この家に帰った。
 その日、妻は、私に言った。
 「きょうは、池田家のお葬式です」「きょうから、わが家には、主人はいなくなったと思います」。学会のため、同志のため、思う存分、働いてください、との心であった。

 世界へ行こう!  
「また、先はども触れたが、私は、昭和54年の4月24日、第3代会長を辞任した。
 その背後には、広宣流布に命を捧げてきた私の心など知ろうともしない、野心と嫉妬の輩による卑劣な陰謀があったことは、皆さんがご存じの通りだ。
 理不尽極まる辞任の日の夜、自宅に戻った私を、妻は、いつものように、ニコニコと微笑みながら迎えてくれた。
 そして、「これで世界中の同志の皆さんのところへ行けますね」「自由が来ましたね」「本当のあなたの仕事ができますね」と明るく励ましてくれたのである。
 続く5月3日、実質的に会長辞任の総会となった八王子での本部総会を終えて、私は、学会本部には戻らずに、神奈川へ向かった。
 神奈川文化会館から見た海は、青く、また清く、どこまでも広がっていた。
 この海は世界につながっている。私は世界へ行こう! ちっぽけな日本に未練はない。戸田先生の不二の弟子として、全世界に広宣流布の波動を広げていくのだ!──それが当時の私の強き決心であった。
 そして今、SGIの平和と人道の連帯は、世界190カ国・地域に広がった。
 著名な世界の指導者や識者の皆さんも、SGIの民衆運動に限りない期待と賞讃を寄せてくださっている。
 SGIの勝利こそ、私の祈りであり、私の勝利である。
 皆さん、ありがとう!
 私は本当にうれしい!(大拍手)

 天が見ている!わが道を堂々と  
 一、私が19歳から信条としてきた言葉を紹介したい。
 それは、幕末の思想家・佐久間象山(さくましょうざん)の一詩である。
 「謗る者は汝の謗るに任せ/嗤う者は汝の嗤うに任す/天公本我(てんこうもとわれ)を知る/他人の知るを覓(もと)めず」
 ──謗る者は、勝手に謗るがよい。笑う者は、勝手に笑うがよい。天は私のことを知ってくれている。他人から認められようなどとは、いささかも思っていない──
 天が、太陽が、我らを見ているのだ。ゆえに、だれに何と謗られようとも、自らに恥じることがないかぎり、堂々とわが道を行け。今いる場所で断じて勝つのだ──この決心である。

題目に勝るものなし
御聖訓 「特別なことは何もない 子が親を慕う如く信じよ」

 幸福の大道とは  
 一、大聖人は仰せである。
 「只南無妙法蓮華経と唱へたてまつる」(御書384ページ)、「只是れ妙法蓮蓮華経の五字なり」(同497ページ)、「唯南無妙法蓮華経なり」(同1170ページ)と。
 題目こそ、信仰の根本である。
 題目をあげる以外に、幸福の大道はないのである。
 大聖人は、こうも仰せになっておられる。
 「およそ信心というのは、特別にこれといって難しいものではないのです。
 妻が夫をいとおしく思うように、夫が妻のために命を捨てるように、親が子を捨てないように、子どもが母親から離れないように、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることを信心というのです」(御書1255ページ、趣意)と。
 自分にとって、一番大事な人──子どもと言う人もいれば、恋人と言う人もいるだろうが(笑い)──その大切な人を思うように、御本尊に向かえばいい。
 何も特別なことではないのである。
 戸田先生は、御本尊に向かう心を、大聖人に恋愛するような気持ちだよと(笑い)、よくおっしゃっていた。それでいいのである。
 法華経寿量品には「心懐恋慕(しんねれんぼ)、渇仰於仏(かつごうおぶつ)」──心に恋慕を懐き、仏を渇仰して──と説かれている。
 一生懸命に、純粋に唱えた人は、すべて勝っている。すべて祈りが達成されている。
 青年部の皆さんは、信仰という本当の崇高な魂の世界を知っていただきたい。
 軽薄な世間の風潮に流されて、だまされたり、利用されて、不幸になることだけは絶対にあってはならない。
 文豪トルストイが、愛娘のアレクサンドラに贈った言葉にこうある。
 「自分を磨くことは、人生のどんな目的より、はるかに重要です。そのような人生は、決して退屈であるはずがなく、逆に喜びに満ちているのです」
 信心こそ、学会活動こそ、自身を最高に磨き抜いていく道である。絶対に幸福になっていく道なのである。

 最後は必ず勝つ  
 一、ともあれ、関西の大発展と創価学会の大勝利のために、不滅の人材城を、我々の力で築いてまいりたい。
 仏法という永遠の次元で見るならば、目先のことで、一喜一憂する必要はまったくない。
 最後は信心している者が勝つ。学会が勝つに決まっているのである。
 この大確信で進んでいこう! 胸を張って!(大拍手)
 最後に皆で、お題目を100遍、唱えたい(大拍手)。〈SGI会長を導師に全員で唱題する〉
 皆さん方ご一家が、永遠に幸福であるように祈らせていただきました。
 海外の皆様、本当にご苦労さまでした。
 日本の皆さんは、海外の同志を最大に大切にしてあげてください。よろしくお願いします。
 以上で、私のスピーチを終了します。
 お体に気をつけて!
 長時間、ありがとう!(大拍手)
 (2007・11・8)