名誉会長 秋期通信員大会へメッセージ

通信員の皆様こそ聖教新聞の生命線
書きまくれ!「人を救う文字」を


 敬愛する、わが聖教新聞・通信員の皆様方! 明るく、そして溌剌と、秋季大会の開催、誠におめでとうございます。
 去る9月の7日、聖教新聞は、記念すべき1万6000号という栄光の歴史を刻み、そして新時代の広宣流布の勝利に向かって、晴れ晴れと出発することができました。
 これも、ひとえに、尊き尊き通信員の皆様方が、一号また一号、真剣に聖教新聞を支えてくださっているおかげであります。
 聖教新聞の発展の歴史は、広宣流布の前進の歴史であり、そして、そのまま通信員の皆様方の誇り高き人生の勝利の歴史であります。
 有名な御聖訓には、「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(御書563ページ)と仰せであります。
 釈尊が説き残した膨大な仏典とは、ほかでもない、すべて、あなた自身の生命のことを記した文書であり、あなた自身の生命の日記であると明言されております。
 その意味において、来る日も、来る日も、広宣流布を前進させ、令法久住を遂行しゆく聖教新聞は、まさしく通信員の皆様方、一人一人の黄金の「日記文書」であると、誇り高く自負し、そして子孫末代までも、語り伝えていっていただきたいのであります。

 新聞があれば広布はできる 
 あの極悪のナチスに、断固と反撃したフランスのド・ゴール将軍は、新聞を通して、広く民衆に訴え、勝利の力を結集していきました。
 「勝利による以外、出口も未来もない」「勝とうではありませんか!」(ともに、村上光彦・山崎庸一郎訳『ドゴール大戦回顧録みすず書房)と。
 世界の歴史を見ても、社会を変革しゆく偉大な民衆運動には、つねに偉大な新聞がありました。
 いわんや、広宣流布という世界第一の民衆運動には、世界第一の新聞がなければならない。
 御聖訓に「仏は文字に依って衆生を度し給う」(同153ページ)と御断言の通りであります。
 ゆえに、わが師・戸田城聖先生は、昭和25年(1950年)8月24日、最大の苦境にあられた真っ只中、22歳の私に聖教新聞の創刊を託されたのです。
 「大作、新聞を作ろう!」
 そうすれば、必ず広宣流布はできる!──との大確信でありました。
 私は、ただ一人、阿修羅の如く恩師をお護りしながら、一切の苦難を勝ち越えて、8カ月後に、聖教新聞の発刊を果たしました。そして、その2週間後に、戸田先生の第2代会長修任式を実現したのであります。
 この世で最も尊く、最も強い「師弟不二の精神」こそ、聖教新聞の魂であります。
 創刊号から、私自身、書いて書いて書きまくりました。そしてまた、購読の推進のため、西神田の学会本部の周辺一帯などを、自ら歩き回ったことも、忘れ得ぬ歴史であります。
 キューバ独立の大英雄ホセ・マルティは綴りました。
 新聞の発刊は、「人びとに勇気が必要なとき、それを鼓舞したたえるためである」(神代修訳『キューバ革命思想の基礎』理論社)と。
 まさしく聖教新聞は、人々に、生きる「希望」と「勇気」と「智慧」を贈りゆく源泉であります。
 さらにまた、インド独立の父マハトマ・ガンジーは訴えました。
 「新聞の役割の一つは、人々の気持を知り、それを発表することです」(田中敏雄訳『真の独立への道』岩波書店
 まさしく聖教新聞は、広宣流布の第一線で生まれている、最も崇高な人間革命のドラマを社会に伝え、最も偉大な創価の友の躍動する声を全世界に響かせていく広場であります。
 この新聞の命脈ともいうべき、最重要の使命を担ってくださっているのが、通信員の皆様方です。
 皆様方こそ、聖教新聞の生命線なのであります。

『文は力なり』聖教は勝つための言論
キューバの英雄 「人々に勇気が必要な時は新聞を」
インド独立の父 「人々の気持ちを代弁する新聞に」

 「破邪顕正」こそ聖教新聞の根幹 
 そもそも、この「通信員」の制度は、私が戸田先生にお願いをして、実現を見たものであります。私の願いを、先生は、わが意を得たりと、快諾してくださいました。
 それは、昭和29年の1月。全国に巻き起こっていった折伏の大言論戦の原動力として、誉れある通信員が誕生したのであります。
 私は、いうなれば「通信員」の創始者として、また、全国の信頼する盟友と共に、自らも一生涯「一通信員」として、聖教新聞に力の限り書き続けていくことを、固く強く決意しました。
 その思いは、現在もまったく変わっておりません。
 広宣流布は、即、大言論戦であります。まさに「文は力なり」であります。
 文を書けるということ、それ自体が、偉大な人材の宝の力であります。ゆえに、全国1700人の通信員こそ、最優秀にして最強の人材群の陣列なりと、私は声を大にして宣言しておきたいのであります。
 皆様方の真実の英知の大光が、一家眷属を未来永劫に照らしていくことは、仏法の因果の理法に則って、絶対に間違いありません。
 思えば、戸田先生は、通信員制度の発足の折、師子吼なされました。
 「民衆を不幸にする邪悪を絶対に打ち砕いてみせるという、赤々とした闘魂、情熱を燃え上がらせるのだ。胸に炎をもつことです」
 「正法正義のために、民衆のために、命がけで書いてこそ、ペンは剣に勝つことができる」と。
 聖教新聞の根幹は、「破邪顕正」であります。
 蓮祖大聖人は、仰せになられました。
 「彼等は野干(=キツネの類)のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(同1190ページ)
 「いかなる事ありとも・すこしもたゆ(弛)む事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(同1090ページ)
 この御聖訓の仰せの通り、初代の牧口先生も、第2代の戸田先生も、第3代の私も、権力の魔性に対して、正義の言論闘争を貫き通してきました。いかなる卑劣な言論の暴力にも断固として打ち勝ってきました。
 通信員の皆様方は、この三代の帥弟に連なる「勝ち戦」の闘士なのであります。
 ともあれ、いまや、聖教新聞は、各界から「日本の良心」「世界の良識」と謳われる「正義」と「真実」と「哲理」の新聞となりました。
 世界の知性からも、大いに讃えられる「言論界の王者」となりました。
 「闘諍言訟」の混迷の様相をますます深める時代にあって、聖教新聞の使命は、あまりにも大きい。
 どうか、私と共に、さらなる聖教新聞の充実と拡大に、思う存分、正義のペンを揮っていきましょう。
 広宣流布の新時代の原動力となる、新たなる正義の言論の戦いに、勇敢に打って出ようではありませんか!
 結びに、通信員の皆様方に、世界の言論の英雄の箴言を贈ります。
 まず、デンマークの大哲人キルケゴールの信念であります。
 「わたくしがいわねばならぬあることが、はっきりとある。そしてわたくしは、それをいってしまわずには死ぬにも死ねないほどに、そのことを自分の良心にかけて持っているのだ」(工藤綏夫著『キルケゴール清水書院
 そして、フランスの大文豪ユゴーの叫びであります。
 「語り、書き、論じ、救え、照らせ。己を照し他人を照せ。今日御身の手には真理がある」(神津道一訳「追放」、『ユーゴー全集』9所収、ユーゴー全集刊行会)
 大切な大切な通信員の皆様方の御健康と御長寿、そして、御一家の御多幸を、私は妻とともに、これからも一生懸命、祈り抜いてまいります。
 尊き通信員の皆様方、万歳!
 偉大な正義の言論の王者、万歳!

 2007年 秋季通信員大会を記念して    池田大作