婦人部最高協議会 下

北京大学 賈教授 「創価の女性には希望という言葉が最もふさわしい!」



太陽の大生命力で進め
御聖訓「年は若うなり福はかさなり候べし」
関西出身の詩人与謝野晶子 「悲観や不平にとらわれるな」





 一、「若さ」とは、年齢では決まらない。

 生命の力、生命の勢いで決まる。
 希望ある人は、いつまでも若い。前進する人は、いつまでも美しい。
 先日、訪問した関西も、婦人部、女子部の皆さんが、生き生きと朗らかに活躍されていた。
 関西出身(大阪・堺)の詩人、与謝野晶子は、女性の自立と権利のために言論の力をふるった先覚者であるとともに、青年を育てた教育者としても知られている。
 明年が、生誕130周年である。
 与謝野晶子は、強調してやまなかった。
 「人の『若さ』は百難を排して福にする。『若さ』の前に不可能も無ければ、陰翳も無い、それは一切を突破する力であり、一切を明るくする太陽である」(『與謝野晶子全集第13巻』文泉堂出版。現代表記に改めた)
 「『若さ』は其人の生命が貯えている豊富な成長力──生きようとする力そのものである」(同)
 「大人になっても此の『若さ』を保有している人達にのみ、いつまでも新しい生活がある」 (同)
 その通りであろう。
 いわんや、妙法は「不老長寿」の大法である。「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書1135頁)の信心である。太陽の大生命力で進んでまいりたい。


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ヤング・ミセスの世代の人たちへ
皆様は満開の花 青春の頂上
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 未来の創造を! 

 一、与謝野晶子は、年とともに心が老い果てていくことを戒めていた。
 「悲観、泣き言、不平、皮肉、非難、諦め、などに心を分つ大人があれば、それは既に『若さを失い、老衰の域に入った兆候である」(『與謝野晶子全集第13巻』同)
 また、こうも言っている。
 「衰老した心は鈍感であり、臆病であり、頑固である。過去を繰返す『生存』には其れでも好かろうが、未来を創造する『生活』には適しない、要するに『若さ』を持たない人間は時代遅れとして邪魔物扱にされても致方が無い」(同)
 信心とは、「若さ」の異名である。創価とは、「未来」の創造である。我々は時代の最先端を進んでいるのである。

 黄金の釘一つ 

 一、さらに、与謝野晶子は、学会でいえばヤング・ミセスの世代について、こうも語っている。
 「花ならば満開の花で、まことに華やかな青春時代の頂上だと思うのです」(同第9巻)と。
 この通り、「満開の花」を咲かせ、「青春時代の頂上」を乱舞しているのが、創価のヤング・ミセスの皆様であると、私も妻も見つめている。
 一、与謝野晶子は、24歳の年に長男が誕生して以来、5男6女を育てた。そのなかで、苦しい家計をやりくりしながら、文学の創作に打ち込んでいったのである。
 「劫初より つくりいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ」(同第3巻)とは、彼女の有名な一首である。

 震災を越えて 

 「彼女は、約10年の歳月をかけて、「文化学院」での講義などで多忙な時間の合間に、『源氏物語』の口語(現代語)訳の原稿を地道に書きためていった。
 ところが、大正12年(1923年)、あの関東大震災で、すべて焼け失せてしまった。
 そのショックは、あまりに大きかった。
 やり直すことは絶対に無理だと、いったんは、あきらめもした。
 しかし、『源氏物語』の研究に携わる自分を励ましてくれた、尊敬する文豪・森鴎外たちへの恩誼を胸に、再び奮い立った。
 恩を忘れない人生は強い。せっかく学問をしても、学歴を鼻にかける人間や、傲慢になって人の心の機微など分からない人間もいる。
 「心こそ大切なれ」(御書1192頁)である。
 なによりも、「恩を知る心」を学ばなければならない。その心がある人に停滞はない。何をやっても伸びていくものだ。
 彼女は、再び、一から挑戦を開始した。そして、昭和14年(1939年)、ついに完成を見たのである。
 大震災の後、彼女は書いている。
 「危難の試練の下には強くなり賢くなる」(同第13巻)
 いわんや仏法は「変毒為薬」であり、「転重軽受」である。何も恐れることはない。
 先日の関西でも、苦難をバネにした母たちのうれしい勝利の報告を数多くうかがった。
 その一つ一つに目を通しながら、私は、妻とともに、常勝の母たちの勝利と幸福をひたぶるに祈らせていただいた。

 世界が仰ぎ見る師匠にするのだ 

 一、ここで御書を拝したい。
 「日女御前御返事」には、こう仰せである。
 「父母や国王よりも、百千万億倍優れた世間の師匠に背けば、必ず天に捨てられ、地獄に堕ちる。さらに、出世間(仏法)の師に対しては、なおさらである。まして、法華経の正しき師匠に背く罪は、いかに大きいであろうか」(御書124頁、通解)
 仏法の師弟は、あまりにも厳粛である。
 そして、あまりにも荘厳である。
 かつて戸田先生と私が、都心のお堀端を歩いていたときであった。「あそこにマッカーサーがいるんだ」と、戸田先生が、GHQ(連合国軍総司令部)本部のある立派なビルを指差された。当時の学会には、そんな建物はおろか、車すらなかった。
 「私が働いて働いて、いい車を用意します。必ずビルも建てます。それまでは、どうか、長生きをしてください」と申し上げると、「ありがとう!」と破顔一笑された先生。
 私は、先生を、何としてもお護りしたかった。
 戦時中、正しき妙法を護るために、師匠にお供して、2年間も牢獄に入られた方である。
 ここに学会の歴史がある。原点がある。
 どれほど大変なことか。どれほど尊敬しても足りない。どれほど尽くしても、ご恩は返せない。
 この先生をお護りせずして、何のための学会か。何のための弟子か。
 国家権力に踏みつけにされた先生を、日本中、世界中が仰ぎ見る先生にしてみせる!──それが私の誓いであった。
 その心があったから、私は戦えたのである。
 折伏も日本一の結果を出した。世界に仏法を弘めてきた。
 それが師弟の心である。心が大事である。心の創価学会なのである。

 悠々たる一生を 

 一、あるとき、日蓮大聖人に対して、女性の弟子の妙心尼が、重い病と闘い続ける夫のことを報告した。
 人間だから、だれだって病気になる。ましてや年をとれば、当たり前だ。嘆いても仕方ない。
 信心があるのだから、悠々と進んでいけばいいのだ。
 大聖人は、病によって信心に立ち上がった夫が、成仏の軌道を進んでいることは間違いないことを述べられ、安心と希望を贈っておられる。
 そして、こう仰せになられている。
 「(もしも)今、霊山に参られたならば、太陽が昇って、十方の世界を見晴らすように、うれしく、『早く死んでよかった』と、お喜びになられることでしょう。中有(=臨終から次の誕生までの間)の道にあって、どんなことが起きようとも、『日蓮の弟子である』と名乗りなさい」(同1480頁、通解)
 さらに、このようにも仰せである。
 「(日蓮は)法華経を信じることにおいては、世界第一の聖人です。その名は、十方の浄土(=全宇宙の仏国土)にも聞こえています。必ず天も地も知っているでしょう。(ゆえに)あなたが『日蓮の弟子である』と名乗られるならば、どのような悪鬼であろうとも、よもや、日蓮の名を知らないとは言わないと確信してください」(同)
 なんと、ありがたい仰せであろうか。
 妙法の師弟に生き抜く生命には、何も恐れるものはない。
 三世永遠に、いかなる悪鬼も打ち破り、「常楽我浄」という最極の生命の歓喜と勝利の道を悠然と進むことができるのである


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妙法の師弟に恐れなし
 御聖訓「『日蓮の弟子』と名乗りなさい」
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 世界の共感の声
 一、創価の女性の行進には、世界の知性から、深い共感が寄せられている。
 北京大学の教授で、同大学の「池田大作研究会」め会長であられる賈螵萱先生は語っておられる。
 「中国には、"天の半分を支えているのは女性"という言葉があります。創価学会の半分以上を支えているのは婦人部。婦人部は、いつも笑顔があり、どこに行っても色彩豊かな衣服と明るさがあり、その勢いに、いつも大変、感心しています」
 「私は1年間、交換教員として創価大学で学びました」「日本で出会った創価の女性は、私に大きな影響を与えました。私は、創価学会の女子部、婦人部の皆様が大好きです。皆様は座り方から違う。自信や確信に満ち、凝縮した力を感じます」
 「学会の婦人部の皆様は、立場や肩書などに関係なく、1人の女性として、私を励ましてくださった。創価の女性たちの存在は、『希望』という言葉が最もふさわしいと思います」
 本当に細かいところを見てくださっている。
 これが、一流の人物の見方である。

 人間を結ぶ仕事を担うのは女性 
 一、現代アメリカの女性詩人で、エマソン協会の会長であるサーラ・ワイダー博士は、昨年の6月、創価女子短期大学を坊間の折、女性の役割について、次のように語っておられた。
 「私たちは、お互いに結合する力のほうが、分断する力より強いことを知っています。そして特に、私たち女性は、その作業を、この世界の中で担っていく責任があると思います。人間と人間の結びつきを生み出す仕事を、女性は担っているのです」
 さらにワイダー博士は、エマソンの思想に触れて、こう論じられた。
 「エマソンは、『ああ友よ、恐怖に対して決して帆を巻いてはならない』と教えています。女性は簡単に恐怖に負けたりはしません。女性は、身体でも精神でも、強いものです。また、何かを恐れているような贅沢な時間は、ありません。人々に安らぎを与えるために、時間を使わねばならないからです」
 「私たちの仕事というのは、この世界に平和をつくることだと思います。自分のいる場所で、平和をつくり出すこと。だれにも自分にしかできない貢献があります」
 そして、ワイダー博士は、その平和の創造に、大きな貢献を果たしているのが、わが創価の女性であると高く評価してくださっているのである(大拍手)。
 〈ワイダー博士は、平和のために尽くしゆく、自身の決意を、こうも綴っている。
 「池田博士は、私が、平和のために戦っていくための強さ、インスピレーション、そして励ましをくださいました。平和への戦いは、私の最も大切な生涯の戦いです。私は、池田博士への感謝の気持ちを、その最も根本的なかたち──すなわち私自身が平和への仕事を続けることで、お返ししていきたいと思います」〉

 最高の充実とは 
 一、ワイダー博士は、エマソンと、創価学会の思想の共通性について、こう洞察しておられた。
 「エマソンは、私たちすべてに内なる力が備わっていると考えていました。その内なる力とは、“大我”の力であり、大いなる精神世界のことです。
 その力によって、人間は、この世界で大いなる仕事ができる、そしてその仕事は、すべて喜びの心をもって成し遂げていかねばならない、と考えたのです」
 「池田博士もまた、私たちに、小我を乗り越えることの大切さを教えておられます。
 私たちが、小さな心で考えるよりも、もっと大きな流れがある。
 私たちが小さな視野から見る世界よりも、もっと大きな世界があるのだ、と」
 ワイダー博士は、こう語られながら、「人々のために貢献する人生を歩み、より大きな価値と使命に生き抜くことによって、小我は乗り越えていける。そして、真に価値ある充実の人生を送ることができるのです」と結論しておられた。
 この最極の充実を味わいながら、大きな大きな喜びと幸福の人生を歩んでいけるのが、広宣流布である。
 戸田先生は言われていた。
 「不幸な人を救おうとする慈悲の行為の結果、後で宿命転換できているものだ」
 「この仏法は、一切の労苦を功徳として全部、自分の心に残し、未来永劫に持っていくことができる。大きな財産だよ」
 戸田先生の言われることに、寸分も間違いはない。まさしく、天才中の天才であられた。


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今いる場所で幸福をつくれ
アメリカ女性詩人
 誰にも自分にしかできない貢献がある
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 四菩薩が離れず女性の身を護る 
 一、日蓮大聖人は、千日尼に送られた御手紙の中で、こう仰せである。
 「この妙法の良薬を持つ女性等に上行菩薩をはじめとする四人の大菩薩が前後左右に立ち添って、この女性が立たれたなら、この大菩薩たちも立たれ、この女性が道を行く時には、この大菩薩たちも、その道を行かれるのです。
 たとえば、影と身、水と魚、声と響き、月と光のように、女性の身を守って離れることがないのです」(御書1306頁、通解)
 妙法に生きゆく女性は断じて護られていくとの、御本仏の絶対の御約束である。
 その加護を決するのは、あくまでも、強き信心の一念である。
 その上で、決して油断をしてはならない。
 これまでも何度も申し上げてきたように、夜は決して遅くならないよう、そしてまた一人で暗い夜道を歩いたりしないよう、細心の注意をお願いしたい。
 特に壮年部の指導者は、創価の婦人部、女子部の無事と安穏をしっかり祈り、心を配り、こまやかに手を打って、厳然と護り抜いていっていただきたい。
 広宣流布のために、一番、真剣に戦ってくださっているのは、婦人部、女子部の皆様である。
 創価の男性は紳士たれ!──と強く申し上げたい。
 女性に楽をしてもらい、男性が苦労を担っていく。そういう決心でなければならない。
 日蓮大聖人もまた、多くの女性門下に御書を贈られ、女性を最大に大切にされた。
 学会は御書に仰せの通りの正しき道を歩んでいくのだ。
 リーダーが、この一念に徹して、祈り、行動していくとき、学会はさらに威光勢力を増して前進していくことができる。

 将の一念が全体を動かす 
 一、広宣流布の前進を決するのは、リーダーの一念である。
 皆を護っていくリーダーが、全責任を担う覚悟で、真剣に誠実に祈っていく。この決心があれば、すべて変わっていく。
 学会の幹部は、誇り高き「広布の将」であるとの自覚を持っていただきたい。
 「将」の一念は、全体を動かしゆく大きな影響力を持っている。
 根本は「祈り」である。要領はいけない。
 また幹部は、どこまでも謙虚でなければならない。決して威張ってはならない。
 妙法への大確信と、強い責任感は持ちながらも、皆の意見を聞き、皆に教わり、皆に力を発揮してもらいながら、感謝の心を持って指揮を執っていくのだ。
 「あの人の行ったところは、必ず勝つ」と言われるような名指揮をお願いしたい。
 戸田先生は、いつも私を大変なところ、困難なところへ行かせた。
 そして私は、連戦連勝でお応えした。
 気取りや格好では、勝つことはできない。
 どうか皆様は、多くの人から「さすがだ」と謳われるような、素晴らしき一生を送っていただきたい。