151 「広布第2幕」の新春を祝す 下 山本伸一
猛然と獅子奮迅の力を出せ!
油断は大敵 月々・日々に新たな決意で
今年こそ
師子奮迅の
師子となれ
それは、十五年前(一九九三年)の一月のことである。
私は、ロサンゼルス近郊にあったアメリカ創価大学で、世界史に輝く「公民権運動の母」ローザ・パークスさんをお迎えした。
ちょうど、パークスさんの八十歳の誕生日の直前であったので、妻が用意した心づくしのバースデーケーキで祝福させていただいた。
歴史を変えた、偉大な"人権のお母さん"は言われた。
「きょう、池田会長とお会いしたことによって、『世界平和』への活動という新しい側面が、私の人生に開けてきたような気がします。
私は『平和』に尽くしたい。世界平和のために、会長と共に旅立ちたいのです」
そしてパークスさんは、翌年、初めて太平洋を越えて、はるばる日本へ、おいでくださったのである。
まさしく、八十歳からの新たな旅立ちであった。
光り輝いていた、あの母の尊貴な微笑みを思い起こすたびに、私の胸は熱くなる。
この来日の折、創価大学や創価女子短大で、パークスさんを歓迎した乙女たちも、今や、皆、立派な女性リーダーとして活躍している。
◇
「世界人権宣言」が国連で採択されて、本年で六十周年。
私が対談集を発刊したブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、その作成に尽力された大功労者であった。
総裁は、私がお会いした九十四歳の時に、明快に言われた。
現在の目標は──
「教育です! 次代の人材を育成することです!」と。
いかにして後継の青年を育てるか。人類の未来を真剣に考える人は、皆、この一点に心血を注いでいる。
さらに我らは、広宣流布という万代不滅の聖業を遂行しているのだ。
戸田先生は叫ばれた。
「問題は人だ。全部、人で決まる。一人の人間で決まるのだ」
◇
今年は「三・一六」の広宣流布の大儀式から五十周年であり、四月二日の先生ご逝去から五十年となる。
当時、世間は、逝去された恩師に対して罵詈雑言を浴びせ、"学会は空中分解するだろう"と嘲笑した。
奮起すべき最高幹部たちさえ、意気消沈していた。師に守られることに慣れきって、無責任になっていたのだ。
「攻撃精神でいけ!」
「悪を放置してはならぬ。
前へ前へ、攻めて出よ!」
この恩師の遺訓を、私は声を大にして訴えた。
新生の五月三日を目前に控え、私は一人誓った。
「戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。
一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒涛を乗り越えて。本門の青春に入る」
青年が、恩師の叫びを師子吼するしかない。弟子が学会精神の炎となり、師子奮迅の戦いをするしかないのだ。
五月三日、私は、"七年を区切りに広布の鐘を打て"と語られた師の心をいだいて、広宣流布の希望の前進の目標となる「七つの鐘」の構想を発表した。
六月三十日には、学会でただ一人の「総務」となった。
広布のため、全同志のために、決然と一人立ったのだ。
「組織の力で、広宣流布が進展するのではない。
それは、強盛な信心の『一人』の力による。ゆえに、一人の真正の師子がいればよいのだ」とは、戸田先生の結論である。
ともあれ、一切の誹謗中傷を打ち破り、日本中が驚嘆する大発展をもって、二年後(昭和三十五年)の五月三日、私は第三代会長に就任した。
御聖訓に、「師子の声には一切の獣・声を失ふ」(御書一三九三頁)と仰せである。
「師子王の子は師子王となる」──これが道理だ。
わが青年部は、一人ももれなく「師子王」となれ!
◇
師子の師子たる証は何か。それは、いかなる戦いも「奮迅の力」で猛然と戦うことだ。そして勝ち抜くことだ。
ゆえに、そこには、瞬時も油断はない。
有名な「経王殿御返事」にも、「師子王は前三後一と申して・あり(蟻)の子を取らんとするにも又たけ(猛)きものを取らんとする時も・いきを(勢)ひを出す事は・ただをな(同)じき事なり」(同一一二四頁)と記されている通りだ。
油断は大敵である。
「歴史の父」と呼ばれる、古代ギリシャのヘロドトスが書き綴った史実がある。
それは、古代に繁栄したリディア王国(現在のトルコ西部)の首都サルディスの物語である。
この都は、金城鉄壁の城塞で護りが固められ、大軍勢が何日かけても決して攻め落とすことができなかった。
しかし、難攻不落に思えた城塞に、一カ所だけ、警備兵が配置されていない場所があった。
そこは断崖絶壁になっていたため、敵も味方も、"攻撃は絶対に不可能である"と思い込み、完全になおざりにされていたのである。
ところが、誰もが無視していた、その断崖に一人の兵士が勇敢に挑んだ。そして登攀に成功した。
ここに無敵の城塞は突破され、栄光を勝ち誇った首都サルディスも滅び去ってしまったのだ。
「栄耀栄華によって驕慢の心が生ずる」とは、ヘロドトスが書き留めた誡めである。
その「驕慢」から、油断が生ずる。
ゆえに、順調な時ほど調子に乗ってはいけない。
勝ち誇って酔い痴れることは、すでに敗北の兆しである。驕り高ぶった慢心から、衰亡が始まるのだ。
いつしか苦労知らずになり、恩知らずになれば、増上慢に狂い、油断におかされてしまう。
「師子は油断せず」
この一点を、指導者は心に刻みつけていくことだ。
◇
昨年の十一月、中東・アラブ首長国連邦のドバイで、「世界の子どもたちのための平和の文化の建設」展が盛大に行われた。
これは、湾岸SGIの友が主催したものである。
光栄なことに、ドバイ首長国のハヤ王女からも後援をいただいた。
開幕式には、教育庁のアブドラ・アル・カラム長官、また教育センター「ドバイ・ナレッジ・ビレッジ」のアユーブ・カジム所長など、各界から三百五十人もの来賓の方々が臨席された。
「多様性の調和」を育んでこられたドバイの識者の方々が、「教育・文化を通して人間的価値を創造する湾岸SGI」に対して、深い理解と共鳴を寄せてくださり、感謝にたえない。
古代アラブの詩集『ハマーサ』に味わい深い一節がある。
「われらの系図がどんなに高貴であっても、
われらは一日たりともその上で休(やす)らうことはない。
祖先たちが築き上げたように、われらも築き続ける、
そして彼らが成し遂げたようにわれらも成就する」
◇
わが創価学会も、どれはどの辛労を重ねに重ねて、広宣流布の道なき道を開いてきたことか。
草創の師弟の労苦を思えば、断じて、安閑としてなどいられない。
「月月・日日につよ(強)り給へ・すこしもたゆ(撓)む心あらば魔たよりをうべし」(同一一九〇頁)
この御聖訓を、よくよく拝してまいりたい。
地球上、いずこの地であっても、いつの瞬間であっても、不二の弟子が一人立つならば、そこに、創価の烽火(のろし)は上がる。
「いつか」ではない。
「今、この時」だ。
蓮祖は厳命されている。
「いよいよ強盛の御志あるべし」(同一二二一頁)
「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同一一九二頁)
いよいよ、新しき人間革命の本舞台の幕は上がった!
師弟不二の大いなる闘魂に燃えた、誠実一路の弟子を、私は待つ。
その弟子の戦いと栄光を、私は信ずる。
師子と立て
師子と進めや
師子と勝て
(随時、掲載いたします)
ヘロドトスの史話、及び言葉は『歴史』松平千秋訳、岩波書店。古代アラブの詩は鈴木邦武著『ゲーテとアラビアの詩人たち』南江堂。