No.1 私の創立80周年

共々に偉大な「人間革命」の一年を!
「大願」は広宣流布! さあ前進だ‼

 元日や
  師弟の道は
    晴ればれと
 学会創立80周年の青空に、栄光の旭日が昇った!
 元朝の光に照らされ、彼方には、白雪の富士が王者の如く輝きわたる。
 民衆詩人ホイットマンの力強い歌が聞こえてくる。
 「徒歩で、陽気に、わたしは大道を歩き出す」
 「さあ、出発しよう! 君が誰であろうと来てわたしと一緒に旅をするのだ!」
 歩いた分、前進できる。
 進んだ分、道が広がる。
 学会は永遠に前進する。世界に、幸福と平和と勝利の大道を広げていくのだ!
        ◇
 「新春の御慶賀 自他幸甚幸甚」(御書1002?)
 日蓮大聖人は、ある年の正月、身延の地で、門下への御手紙に記された。
 新春を明るく寿ぎ、自他共に喜び勇んで、張り切って出発する。この御文通りの姿が、創価の新年勤行会である。
 御聖訓は、さらに続いて、「そもそも、俗諦(世間の道理)の中においても、真諦(究極の真理)の中においても、勝負をもって要《かなめ》とする」(通解)と仰せである。
 世間法はもちろんのこと、仏法においても、その肝要は「勝負」にある。
 仏法も、人生も勝負だ。一日一日が勝負であり一年一年が勝負である。断じて勝たねばならない。断固として勝ち抜くことだ。必ず勝つための信心である。
 創立80周年──この1年の勝負も、我らは「法華経の兵法」で勝つのだ。
        ◇
 「八十」といえば、仏法では、仏・菩薩は「八十種好」という優れた相好《そうごう》を持つと説かれる。大聖人は、この荘厳な姿とは、凡夫の肉身なりと洞察された。
 「父母果縛《かばく》の肉身の外に別に三十二相・八十種好の相好之れ無し即身成仏是なり」(同814?)と仰せの通り、本有の我が生命が即、仏の尊極の威光を具える。これが、日蓮仏法の極意である。
 この本義に立てば、八十種好とは、広宣流布に戦う皆様方の生命の輝きにほかならない。
 たとえば、八十種好の姿として「身は潤沢なり」「一切の悪心ある衆生も見る者は和悦《わえつ》す」とある。これは、無作の高貴な姿で、あらゆる人びとを味方に糾合しゆく、創価の太陽・婦人部の形容とも拝される。
 「光、身を照らして行く」は、わが地域・社会を厳然と照らして闊歩する「黄金柱」の壮年部であろうか。
 「身は浄潔なり」とは、法華経の「如蓮華在水」の経文の如く、濁世のいかなる悪にも染まらず、“華陽”の花を咲かせゆく清新の女子部である。
 「牙は利《するど》し」は、破邪顕正の言論の牙を鋭く磨いた男子部・学生部の若き師子の象徴といえようか。
 ともあれ、妙法を唱え、広宣流布に励みゆく汝自身の生命が、どれほど尊貴であるか。まだまだ出し切れていない仏の力がある。もっともっと発揮できる仏の智慧がある。
 我らの創立80周年は、一人ひとりが、本有の仏の生命を思う存分に開きゆく年である。なんの遠慮もいらない。自らの八十種好の人格の光彩を、生き生きと輝かせ切っていくのだ。
        ◇
 初日の出
   若き心に
     黎明を

 50年前(昭和35年)の元朝、小さな小さな我が家で、家族そろって勤行をしながら、私は妻と共に、新たな一年の勝利を深く誓った。全学会員の「いよいよの信心」と「幸福」と「躍進」を懸命に祈った。全日本、全世界に大地震等がないよう、平和と安寧を祈りに祈った。
 一切は「誓願の祈り」から始まる。その元初の祈りを、一日一日と、自分の行動に血脈として通わせていくのだ。
 日蓮仏法は「因果一念」である。生命の奥底に固く決定した一念自体が、すでに「勝利」であり「完勝」なのだ。
 この昭和35年聖教新聞の新年号に、私は「年頭のことば」を寄せた。
 “本年12月31日の勤行の際、一人ひとりが御本尊に、かく向上し、成長しましたと、ご報告でき得る一年の修行でありたい”と。
 この年の5月3日に、戸田城聖先生の不二の直弟子として、私は第3代会長に就任した。そして新たな世界広宣流布の道を開き、勝って迎えた年末、師匠への報恩感謝を胸に、ご報告申し上げた。
 「会長就任の年を完勝しました! 明年もさらに飛躍してまいります!」
 あれから半世紀──今、猛然と若き弟子たちが立ち上がってくれている。
 「戸田先生! わが創価の後継の陣列は、創立80周年を美事な完勝で飾りました。広宣流布の未来は盤石です!」
 私は、会長就任50周年の年の最後に、こう晴れ晴れと、ご報告申し上げる決心である。
        ◇
 昭和40年の元日付の聖教新聞から、私は平和への決意を込め、小説『人間革命』の連載を開始した。おかげさまで、この正月で45周年となった。読者の皆様の温かなご支援に心から感謝申し上げたい。
 現在の『新・人間革命』まで変わらぬ主題は、「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」である。
 思えば、恩師・戸田先生は新春を迎えるたび、「今年こそ、今年こそ」と、新たな山に挑んでいかれた。一年一年が、偉大なる人間革命の勝利の劇であられた。
 私も一段と深く、「今年こそ!」と心に期している。
 それでこそ、日蓮大聖人が「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」(御書1451?)と教えられた覚悟に、連なっていけるからだ。
 「師弟不二」とは、師匠の大境涯を仰ぎつつ、「月月・日日に」(同1190?)自分自身を人間革命することだ。弟子の「人間革命」によって、地域・社会をも動かし、人類の幸福と平和に寄与していけるのだ。
 イギリスの詩人ポウプは、「個々が強力となることが、全体にとって必要であり、個々が幸福であるに応じて、全体もまた幸福である」と言った。
 その通りである。「一人」が強くならねばならない。君自身が強くなり、人生を勝つのだ。他人ではない。自分がどうかである。
 ゆえに私は、わが同志《どうし》に、「この一年、汝自身の偉大な『人間革命』の歴史を!」と強く祈り、叫びたい。
        ◇
 偉大な「人間革命」を成し遂げる要件は、何か。
 それは、第1に「師弟」の原点に立つことだ。
 「師匠は大地の如し」(御書900?)だ。小さな種が、天にも届く大樹へと革命的に成長する。それは、原点の大地にしっかりと根ざすからこそだ。
 第2に、勇気に燃えて「大願」を起こすことである。
 蓮祖は「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(同1561?)と仰せだ。
 どんなに現実が厳しくとも、負けじ魂を燃やして、大きく祈るのだ。広宣流布の「大願」に立つのだ。
 その勇気が、小さな自分の殻を必ず破る。
 そして第3に、たゆみなき執念の「前進」だ。
 御文には「いよいよ強盛に大信力をいだし給へ」(同1192?)とある。いよいよ「師子王の心」を取り出して、惰性と戦い、諦めと戦い、三障四魔を一つ一つ打ち破っていくのだ。
 “常勝関西”の功労深き90歳のお母様からいただいたお手紙を、妻は大切にしている。そこには、こう綴られていた。
 ──地域で出会う方々から「お元気ですね」と驚かれるたびに、申し上げています。
 「私は、信心のおかげで元気です。学会には師弟があります。ですから向上できます。若い青年部、女子部がおり、みな私の友だちです。世界にも、多くの学会員がおります。世界中の方々の体験を聞かせてもらえるので、年をとっても、私の心は青春です」
 そう会う人ごとに語りながら、楽しく仏縁を広げております──と。
 創価の母は、あまりにも気高い。この母たちが最高の笑顔で喜んでくださる「常勝」の花の冠を、我らは捧げたい。
        ◇
 堂々と
  青春乱舞の
     勝利道

 あの源義経が歴史の表舞台に登場したのは830年前(1180年)。義経は22歳であった。
 彼の名将たる所以は、人が不可能と諦めた“先入観の壁”を打ち破る勇気と妙策、そして一歩も退かずに攻め抜く“超攻撃型”の戦い方であったと言われる。
 今、私には、妙法の名将の後継たる、男子部・学生部がいる! 世界に友情を広げゆく“華陽”の乙女たちがいる!
 わが師・戸田先生が生誕された110年前、自由を求める乙女が毅然と叫んだ。
 「闘わないで、どうして打ち勝てるというのでしょう。求めずしてどうして得られるというのでしょう」──インドネシアの女性解放の先駆者カルティニの言葉だ。彼女は、どんな苦難でも乗り越える力を持っていると胸を張った。
 若き友よ、乙女たちよ!
 君たちの時代だ。躍り上がる勢いで、自身の偉大な闘争を開始するのだ!
        ◇
 この1月が生誕150周年となる、ロシアの作家チェーホフは呼びかけた。
 「進め! ほらあの遠くに輝く明るい星をめざしてまっしぐらに進むんだ!」
 完勝の一番星は青年だ。
 大文豪ゲーテは、「若い人を私は欲しい」と語り、弟子たちに英雄ナポレオンの金言を示した。「人材に道をひらけ!」と。
 私も、心から訴えたい。
 「青年に道を開け!」
 そして、「青年よ、勝利の大道を開きゆけ!」と。
 我らの威風堂々の前進とともに、無限に道は広がっていくのだ。創価完勝の広宣流布の大道が!
 進もう、わが同志《どうし》よ!
 断じて勝とう!
 わが愛する弟子たちよ!

 元旦に
  勝利 勝利の
      道 開け


 ホイットマンの言葉は『詩集草の葉』富田砕花訳(第三文明社)。ポウプは『人間論』上田勤訳(岩波書店)=現代表記に改めた。カルティニは『暗黒を越えて』牛江清名訳(日新書院)=同。チェーホフは『チェーホフ全集11』所収「桜の園」松下裕訳(筑摩書房)。ゲーテエッカーマン著『ゲーテとの対話』山下肇訳(岩波書店)。