「行学の道」を共々に

友のもとへ! 同苦の心は創価の心
仏法は全人類の幸福のために! ゆえに眼前の「一人」を大切に!
世界の同志と妙法流布に勇み舞え

奄美の復興を祈る

 苦しみも
  また悲しみも
    乗り越えて
  歴史を築けや
     自身の都に

 トルストイは語った。
 「いやしくも人間としての自分の使命と認めたことには、生命を打ち込んで、これが実現に邁進せよ」
 奄美出身の著名なロシア文学者の昇曙夢氏が、約80年前──つまり創価学会が誕生したころに著された評伝『トルストイ』に記した言葉である。
 使命に生き抜く人生ほど尊いものはない。
 この評伝には、飢饉等で苦しむ民衆に“同苦”し、全身全霊を注いで救援活動に奔走するトルストイの様子も綴られている。
 苦難の友のもとへ!──その“同苦”の心は、わが創価の心でもある。
 九州の友は、この心で、先般の奄美の豪雨災害の救援・復興に忍耐強く奔走されている。そして、不屈の負けじ魂と温かき励まし合いで、雄々しく立ち上がられた奄美の皆様のことも、よく伺っている。
 「変毒為薬」の実証に光り輝く、幸福島の逞しき蘇生を、私は妻と共に懸命にお祈り申し上げたい。

「二陣三陣続きて」
 「妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけ(魁)したり、わたうども(和党共)二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし」(御書910?)
 牧口先生も戸田先生も、ご自身の『御書』の中で、強強と線を引いておられた御金言である。
 大聖人正統のこの初代・2代に「二陣三陣つづきて」、私たちは一閻浮提(全世界)の広宣流布を進めてきた。
 学会創立の月、その誉れある世界65カ国・地域のリーダーたちが歓喜踊躍して集ってくれた。
 私は、各国の平和・文化・教育の運動の着実な前進や社会のなかでの信頼の広がり、さらに後継の人材の流れの確立など、一つ一つ報告を伺った。
アフリカ大陸から、躍進する12カ国の代表が一堂に会されたことも、希望あふれる快挙である。
 南アフリカのブレイスウェイト理事長は、マンデラ元大統領が署名された近著を預かって届けてくださった。その中で、元大統領は綴っておられる。
 「私は、壮大な夢が大好きだ」と。
 このたびの文化総会(SGI総会)で、わが青年部は壮大な世界平和のロマンの夢を掲げ、「21世紀の広布の山」へ、雄渾なる新しき登攀を開始した。
 日本の青年部の目覚ましい成長を、世界の同志も、ことのほか喜んでおられた。私は誇り高い。
        ◇
 いよいよ迎えた創立80周年の大佳節──。
 私は今回の随筆で、後世のために、あらためて「世界広宣流布」の原点の精神を書き留めておきたい。

わが平和旅の原点
 その日、1960年10月2日は、快晴の日曜日であった。私は羽田の東京国際空港からハワイへ飛び立った。眼下には、生まれ育った大森の海が輝いていた。
 当時は日本初の大型ジェット機が就航したばかりであった。今、羽田空港は、再び国際空港として脚光を浴び始めた。
 ふるさと大田の友も、世界の同志を温かく送迎してくれている。千葉の「凱旋グループ」や大阪・泉州の「サンシャイングループ」などの皆様方とともに、感謝に堪えない。
 ハワイは太平洋戦争で日米開戦の舞台となった。私は沖縄に続いて、ハワイを訪れ、海外訪問の第一歩とすることを決めていた。
 宿命を使命に転じゆく仏法である。最も苦しんだ人びとこそ、最も幸せになる権利があるからだ。
 ハワイをはじめアメリカ在住の会員には、軍人らと結婚して渡米し、“戦争花嫁”と呼ばれた婦人たちも多かった。幸せを夢見た異国で、文化や言語の壁に悩み、日本に帰りたいと嘆く声があちこちで上がった。
 私は、その苦悩の雲を打ち破り、生命の奥の仏性を揺さぶり、呼び覚ますように強く励まし続けた。
 大聖人は、大難の佐渡の島で「我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」(御書1343?)と断言されている。
 今、自分がいる場所を、常寂光土へと変えていこうではないか。変毒為薬の妙法を持つならば、幸福になれないわけはない、と。
 いつしか、友の目に涙が光り、頬が輝いた。
 「負けません!」
 「戦います!」
 どこへ行っても、座談会であった。形式などない、膝詰めの対話であった。
 広宣流布とは、単に仏教の知識や言葉が弘まることではない。
 この地球上のいずこであれ、その土地で生きる一人が、仏法を抱いて、勇気凛々と宿命転換に立ち上がることだ。尊き地涌の使命に目覚め、自分の周囲に理解と信頼と歓びを広げていくことだ。
 その一人立つ勇者を励まし、育てる以外に、世界広布の実像はない。
 今、創価の幸福の大スクラムは世界192カ国・地域に広がった。悪戦苦闘の草創期を開拓したパイオニアの皆様方に、私は満腔の敬意と感謝を捧げるものである。そして、洋々たる未来を切り開きゆく後継の同志が、陸続と続いていることが嬉しい。
        ◇
 私は現在、米国の大哲学者の精神を受け継ぐデューイ協会のヒックマン元会長、ガリソン前会長と連載鼎談を進めている(教育月刊誌「灯台」誌上)。
 その中で、話題になった逸話がある。
 ──デューイは、庶民の真心に真心で応えた。
 向学の10代の少女からの手紙にも心のこもった返事を書き、その後も激励を惜しまなかった。無名の乙女は、世界的な知性の励ましに応えて、大学院へ進み、心理学者として身を立てていった、と。

励ましは未来の光
 一人を心から励ますことが未来を開く。人が育つところには、励ましの陽光が降り注いでいるものだ。
 励ましは、まさに人材・躍進の原動力である。
 その乙女が学び、デューイ自身も教壇に立ったのが、ニューヨークのコロンビア大学ティーチャーズ・カレッジである。
 1996年の訪米の折、私はこの英知の殿堂で講演し、「勝鬘経」に名を留められている、女性の仏弟子・勝鬘夫人の菩薩行を通しながら、「利行」(他者のために行動すること)と「同事」(人びとの中に入って、ともに働くこと)などの大切さを訴えた。
 振り返れば、私たちの「世界平和への旅」の軌跡も、この2点に凝縮されるといってよい。
 私自身、海外訪問は毎回が激務の旅であった。高熱に苛まれた夜も多くあった。しかし、一人でも多くの同志と会って励ますため、そして、一人でも多くの新しい友人をつくるために、歩きに歩いた。
 広宣流布といっても、どれだけ悩める人びとと会い、その中へ飛び込んでいくかにかかっている。どこに行っても、これを私の実践項目として課した。
 一切衆生の幸福のための仏法である。
 ゆえに徹して一人を大切にするのだ。励ますのだ。
 世界の平和を創造しゆくための仏法である。
 だから社会を大切にし、地域に根差していくのだ。
        ◇
 同志を仏として心から尊敬していってこそ、まことの仏法のリーダーである。ゆえに、徹して最前線に学び、徹して尽くしていくことだ。
 いずこであれ、通訳をしてくださった方や、各地で案内をしてくださった陰の方々を大事にしてきたのも、この信念からである。直接会えた方々にも、お会いできない方々にも、健康と幸福と勝利を祈り、懸命に題目を送り続けてきた。

団結を 行動を!
 1983年、アラスカを訪れた折、記念の集いでピアノの演奏を披露してくれた若き友がいた。感謝し、私は花のレイを贈った。
 彼は壁にぶつかっていた音楽家の夢を実現し、今は、喜々としてアメリ創価大学の教壇に立っている。
 91年、ボストンで私の乗る車のドライバーを務めてくれた青年は後年、経済苦に襲われた。がんの宣告も受けた。
 だが、「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし」(同234?)との御金言を胸に刻み、すべてを乗り越えた。今、広布の舞台と社会の第一線で、雄々しく舞うが如く活躍していると伺った。
 一人を大切に!
 一人を強く賢く!
 一人を勇気ある人材に!
 この「励まし」の一念がリーダーに満ち溢れていく限り、広宣流布の躍進しゆくことは、間違いない。
 いただいたマンデラ元大統領の近著には、こう記されていた。
 「我々が団結し、規律と決意をもって、共に断固たる行動をすれば、何ものも我々の前進を妨げることはできない」
 その通りである。

 世界まで
  妙法広がり
   乱舞せむ
  地涌創価
    勝利眩しく

 トルストイの言葉は昇曙夢著『トルストイ』(三省堂)=現代表記に改めた。マンデラは『Conversations with Myself(私自身との対話)』(英文)。

御書根本に人生と社会で勝て
最高峰の哲学を心肝に染めよ! 「思想界の王者」の誇りを持て!
「任用試験」は人材・躍進の力なり

 わが人生
  わが一族の
   幸福を
  妙法蓮華で
   晴れ晴れ勝ちとれ

 古今東西の哲学・思想を包含する英知の結晶──それが、日蓮仏法であり、御書である。
 「観心本尊抄」には、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」(御書254?)と示されている。
 仏法は人生に勝ち、社会で勝つためにある。
 苦境の時ほど、御書を繙くのだ。そうすれば、目の前が明るくなる。闇夜が晴れ、希望の光が差し込む。勇気の太陽が昇るのだ。
 わが胸に、世界を照らす太陽を抱いた人には、乗り越えられない迷路はない。
 創価学会が、乱世を突き抜け、勝ち抜くことができた理由も、行学の二道を励み通してきたからである。
 御書の研鑚こそ、広宣流布の推進力であり、「創価民衆学会」の盤石な土台である。そして、「創価青年学会」の人材・躍進の原動力なのである。

常に現実の中で!
 古来「諸経の王」と讃えられる法華経──。過日、その“法華経展”がインド東部のコルカタ(旧カルカッタ)で行われた。
 ここでは、インド文化国際アカデミーのロケッシュ・チャンドラ博士が寄贈してくださった、梵文法華経の世界初の校訂本(ケルン・南條本)の初版本も展示された。“独立の父”マハトマ・ガンジーが手にした本と同じ刊本である。
 博士は語っておられる。
 「日蓮大聖人は、法華経に基づいて、いまだ知らぬかなたの浄土ではなく、娑婆世界、すなわち私たちが住むこの現実世界こそが、真の仏の国土であると喝破しています。そして、苦悩渦巻くこの社会を、仏の理想の社会にするために、法華経の精神を弘め、脈動させていかなければならないと訴えました」
 「特に、私が創価学会を評価するのは、その『社会性』です。空理・空論をもてあそぶのではなく、現実のなかで仏法を展開している点です」
 我らは「現実のなかで」という根本軌道を、絶対に離れない。牧口先生が「仏法は生活法」と提唱された道を堂々と進む。
 以前、アメリカの同志と確認し合ったように、SGI(創価学会インタナショナル)の愛称は、「ソーシャル(S)・グッド(G)・インスティテューション(I)」(社会の善なる団体)である。
 先日も、夫の仕事で台湾に滞在していた創価同窓の副白ゆり長さんが喜びの手紙を届けてくれた。
 ──台中市を訪れた時のこと。たまたま語り合った若い女性が、彼女が学会員であることを知ると、満面の笑みで、「私は、あなたに感謝します」と握手を求めてきた。驚いて理由を尋ねると、市を挙げて創価の社会貢献に感謝している、との答えが返ってきた──というのである。
 台湾SGIは、内政部より「社会優良団体賞」に16回連続で輝いている。
 「世間の心ね(根)もよ(吉)かりけり・よかりけり」(同1173?)と謳われよと、大聖人は仰せになられた。その通りの実証が世界で花開いている。

異体同心で広布へ
 大聖人は厳命された。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か」(御書1337?)
 だからこそ、どこまでも「異体同心」で進むのだ。
 古代ギリシャの劇作家メナンドロスは喝破した。
 「ものみな獅子身中の虫で腐っていく。全て破滅をもたらすものは、内部にあるのだよ」「ありとある悪の中でも最大の悪は、今も昔もこれからも、滅びに至る嫉妬だ」
 仏法の洞察とも、深く一致する。広布の途上にも、嫉妬に狂った撹乱の悪党らが出来してきた。
 しかし例外なく、「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(同1190?)との無惨な末路をたどってきたことは、ご存じの通りである。
 創価学会は、広宣流布のための組織である。社会の繁栄と世界の平和に貢献する、価値創造の人材を育成するための団体である。
 「異体同心」──1にも仲良く、2にも仲良く、三にも仲良く、心を合わせて前進していくのだ。

実践の教学が伝統
 今月の28日には、いよいよ学会伝統の「教学部任用試験」が行われる。
 創立80周年の大佳節の月を、皆で、世界最高峰の大哲学を喜び学びながら、晴れ晴れと飾るのだ。
 勇んで受験される皆様!
 親身に応援される皆様!
 その麗しき求道と励ましと成長のドラマを、私は嬉しく見つめている。
 日蓮大聖人は、私たちに仏道修行の根本の軌道を示してくださった。
 「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候」(同1361?)
 学ばなければ、人びとを納得させられない。実践の伴わない教学は、自身の成長にも、社会の変革の力にもならない。
 「行」と「学」の両輪──この実践の教学こそが学会の伝統である。
 衣の権威を笠にきて威張るだけで、広宣流布の信心もない、折伏もしない邪宗門らに、大聖人の御精神がわかろうはずがない。
 この1年、海外46カ国・地域でも、実に12万人の尊き求道の友が教学試験に挑戦している。
 19年前、邪宗門から滑稽千万な破門通告書が送付された「魂の独立記念日」──その11月28日に行われる任用試験は、まさしく、我ら「創価の行学」の威風堂々たる勝利の象徴といってよい。
        ◇ 
 日興上人は「御書を心肝に染め」(同1618?)と遺誡された。
 御聖訓をわが心に染め、肝に銘じていくのだ。生命に刻みつけていくのだ。
 ある時、「講義に感動しても、家に帰ると内容を忘れているんです」と、戸田先生に相談した人がいた。
 「忘れてもいいんだよ、大丈夫だから」
 先生は笑みを浮かべて、友を励まされた。
 「忘れても、忘れても、忘れても、講義を聞いていくと、忘れられない何ものかが、あなたの命の中に残っていくよ。その積み重ねがやがて、あなたの力になっていくよ」と。
 大切なのは、日々、粘り強く、学び続けることだ。
 任用試験は、生涯にわたる修行の出発点である。
 焦る必要など、まったくない。すぐには、わからないことがあっていいのだ。だからこそ、「ああ、そうだったのか」と心の底から納得できた喜びは大きい。

繰り返し繰り返し
 繰り返し繰り返し、御書を拝し、一節一節を行動に移していくことだ。
 そうすれば生命が覚えていく。確信になっていく。
 深く「心肝」に染めた御文は、必ず人生勝利の土台となり、宿命転換の力となる。
 御書に仰せではないか。
 「法華経にそめられ奉れば必ず仏になる」(同1474?)
 「此の経を一文一句なりとも聴聞して神にそめん人は生死の大海を渡るべき船なるべし」(同1448?)
 自分自身が、いかなる人生の荒波も乗り越えながら、多くの友を幸福の港へと運ぶ、偉大な賢者の大船となれるのだ。
 「御書とともに」走った青春には、生涯消えることなき聖火が宿る。その求道の炎を、いやまして燃え上がらせ、未来の広布の大指導者として羽ばたけと願ってやまない。
 私は今、“21世紀の戸田大学”という思いで、「大白蓮華」には御書講義「勝利の経典『御書』に学ぶ」、そして聖教新聞には「御書と青年」を連載させていただいている。
 女子部教学室をはじめ全国の華陽の乙女、そして男子部、男女学生部の友から、毎月のように感想文集が届けられる。綴った一人ひとりの幸福勝利を祈り、御宝前にお供えしている。
        ◇ 
 大聖人は宣言なされた。
 「末法に入って法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり」(同1304?)云々。
 本年の任用試験の教材の一つになっている「阿仏房御書」に仰せのように、仏法の眼で見れば、妙法を唱えゆく人は皆、尊極の宝塔である。誰もが妙法を証明する多宝如来である。
 いかなる出自も境遇も、老若男女の違いも、民族も人種も、貧富も階級も、その人が宝塔と輝く妨げにはならない。病気や障がいがあろうが、いかなる災難や宿命が襲おうが、幸福になることを邪魔されない。
 誰もがわが生命の輝きをもって、今世の使命の道を進み、自他共の幸福の道を開くことができるのだ!
 その人間尊敬と生命尊厳の哲理は、世界中で、自由・平等・人権・平和・環境等の普遍的価値を求めて戦う“精神の闘士”たちの信念とも、深く強く響き合っている。
 「日興遺誡置文」に曰く「爰に我等宿縁深厚なるに依って幸に此の経に遇い奉ることを得」(同1617?)と。
 仏法を学べば学ぶほど、世界広宣流布の大願に生き抜く、崇高な師弟の使命と宿縁に、わが生命は打ち震える。
 恩師が烈々と叫ばれた如く、我らは「思想界の王者」の誇りと自覚を胸に、師子王の心で、前進しようではないか! 
 今日も御書を拝し、世界の友と心を通わせながら!   

 一筋に
  この道歩めや
   広宣の
  勇気と希望で
    愉快に進めや

 メナンドロスの出典は『ギリシア喜劇全集6 メナンドロスII』(岩波書店)で、引用文は中務哲郎訳。