新時代の希望の夜明け

生き生きと今日を勝て!
勇んで新たな価値創造を

挑戦だ! 青年は失敗を恐れるな

 燃えあがる
  旭日胸に
   いざや立て
  楽しき道を
    愉快に生きぬけ

 一生涯、人道主義の正義の魂を燃やし、青年の心で戦い抜いた大詩人ビクトル・ユゴーは歌った。
 「夜明けの光が射してきた。どんな夜明けだろう?」
 我らが見つめるのは、「青年」という夜明けだ。
 青年! なんと瑞々しい元初の太陽であろうか。
 学会は永遠に、青年と共に立ち、青年と共に走る。
 わが青年部は、結成60周年の年頭より、第1回の記念幹部会をもってスタート・ダッシュを切った。
 その英姿を、世界の識者も深い期待を込めて見守ってくださっている。

創価の若人に期待
 このほど、共に対談集『哲学ルネサンスの対話』(潮出版社)を発刊した、アメリカ実践哲学協会のルー・マリノフ会長も、新年早々、伝言を託してくださった。
 「SGI(創価学会インタナショナル)の青年たちは、本当にバイタリティーに富んでおります。その特質は、若き情熱と成熟した精神の両者を兼ね備えていることです。
 こうした青年たちの可能性を開発させていく直道は、仏法の実践にあります。なるべく早い時期、若い年齢から、その実践を開始すべきです」
 わが創価の未来部の薫陶も、青年部の拡大も、世界の「人間教育」の希望のモデルと光っている。
 この一年も、一人、また一人と、「宝」の人材を励まし、輝かせながら、時代の深き闇を照らし、晴らしていきたい。
        ◇ 
 マリノフ会長は、青年へのメッセージとして、さらに続けてくださった。
 「人類の飛行が可能になったのは、ライト兄弟の失敗を恐れぬ挑戦があったからです。
 エジソンの偉大な発明の陰にも、何千いな何万という失敗がありました。
 建設的な失敗こそが真の成功をもたらすのです」
 青年は、失敗を恐れてはならない。
 青春とは「挑戦」の異名であるからだ。
 たとえ失敗しても、クヨクヨすることはない。
 失敗から学べることは、実に多いからだ。
 より賢く、より強くなって前進する。これが青年だ。
 太陽を見よ! 雨であろうが嵐であろうが、毎朝、平然と昇るではないか!

新しき太陽と共に
 そもそも「元旦」という言葉も、「年の最初の日の朝」を意味している。
 漢字の「元」は、「始まり」の意義であり、「旦」は、太陽が地平線から昇ること、すなわち「夜明け」である。
 「旦」はまた、その字の成り立ち自体、日(太陽)が地上に現れる、日の出の象形である。
 かつて私が招へいをいただき、「人間こそ歴史創出の主役」と題して記念の講演を行った、中国の名門・復旦大学の校名にも「旦」の字が入っている。
 これは「もう一度、太陽を昇らせ、夜明けの光をもたらそう」との信条が込められたものだ。
 私たちも、この若々しい不屈の一念で進もう!
 昨日がどうあれ、今日は新しい太陽が昇る。
 自分は昨日までの自分ではない。学会も、昨日までと同じではない。そう決めて、今日から新しい夜明けを始めるのだ。
 今再び、わが人生の戦線に「価値創造」という新生の夜明けを開くのだ!
 福沢諭吉翁の教え子で、トインビー博士とも深い親交を結んだ「電力王」の松永安左ェ門氏は語った。
 「今日の一日をよく活かす人は、過去をもよく活かし、未来をもよく活かす人である」
        ◇ 
 この年末年始から、列島の各地で、降雪・積雪が続いている。
 日本海側を中心に、北海道、東北、信越、北陸、さらに中部、関西、鳥取・島根をはじめ中国、四国、九州など、例年にまして雪が多いようだ。
 大雪のため車が足止めに遭ったり、列車が立ち往生したり、停電になったり、各地で被害も相次いだ。厳寒のなか、どれほど心細いことだったろうか。
 大変なご苦労をなさっている皆様に、深くお見舞い申し上げたい。

社会に真心の春光
 各地で、学会員の尊き献身が光っている。
 先日、聖教新聞の「声」の欄にも、鳥取無人駅に停車した列車で年を越した方々のためにオニギリを届けられた話が載っていた。その麗しき奔走の有り難さに、私は、心の芯まで温かくなった。
 ともあれ、近隣の助け合いや地域の支え合いの大切さが痛感されてならない。
 1月17日は、阪神・淡路大震災から16年の日であった。犠牲者のご冥福を祈念しつつ、筆舌に尽くせぬ苦難を越えてきた方々と共に、人間共和の新世紀を築いていきたいと、あらためて決意している。
 「われは万人の友である。万人のなかまである」とは、釈尊の精神であった。
 仏法の人間主義を行ずる私たちは、温かき励ましの春光を一段と大きく、一段と深く、地域・社会に広げていこうではないか。
 雪のなか、そして寒風のなか、「希望の春を!」との思いで、わが聖教新聞を配達してくださる“無冠の友”の皆様! 
 同志のため、愛する地域のために、日々、誠実一筋に奮闘してくださっている皆様方!
 いつもいつも、本当にありがとう!
 私と妻は、この一年も、偉大な皆様のご健勝とご多幸を、ひたぶるに祈り抜いてまいります。

励ましを最前線へ
 昭和40年、年明けから猛然と動きに動いた私は、九州、さらに関西へと走るなかで、鳥取・島根の同志が悪戦苦闘していることを伺い、電光石火、予定を変えて米子へ飛んだ。
 一番、大変な思いをしながら頑張っている友を励ましたい。その方々の幸福と勝利と栄光のために、仏法はあるからだ。
 日蓮大聖人は、末法において、苦難に耐えて法華経を弘める人をば、釈迦仏は衣をもって覆い、諸天善神は供養し、肩にかけ、背中に負うと御断言である(御書1359?、趣意)。
 あの時、私は、米子会館に勇み集ってこられた地区幹部の一人ひとりと、がっちりと握手を交わした。
 “同志を頼む! 地域を頼む! そして必ず勝利の人生を!”と祈りつつ。
 広宣流布のリーダーは、気取りなど、かなぐり捨てて最前線へ走るのだ。
 温かい心が、友の心を温かくする。燃える心が、友の心に火を灯す。そして、真剣な行動が、友の真剣な行動を生むのである。
 大聖人は、法門について真摯に質問してきた女性門下の求道心を讃えられて、「一言・一点も随喜の言を加えて善根の余慶にもやと・はげみ……」(同1200?)と仰せである。
 真剣な弟子が、さらに信心の善根を増していけるように、一言でも多く励ましを、との御心が拝される。
 この大聖人に直結する真心の激励を、誠実に積み重ねていく。それこそが一人ひとりの信力・行力を奮い起こし、広宣流布の躍進・勝利への仏力・法力を、いやましていくのだ。

 ユゴーの言葉は『ユゴー詩集』辻昶・稲垣直樹訳(潮出版社)。松永安左ェ門は『松永安左ェ門著作集2』(五月書房)。仏典の言葉は『仏弟子の告白』中村元訳(岩波書店)。

声は勇気! 行動は真剣!
殻を破って仏縁を広げよ

「努力」の人に幸福と栄光の宝冠

 胸張りて
  この人生を
   朗らかに
  今日も断固と
    仏の如くに   

 昭和40年1月、鳥取の米子を訪れた後、島根の松江に足を運び、初代の松江支部長・浜崎巌さん(当時・総支部長)のお宅を訪ねたことも懐かしい。
 松江支部が結成されたのは、昭和36年の春4月であった。今年で50周年になる。
 その晴れがましき支部の結成大会で、口下手な支部長は緊張のあまり、壇上で絶句してしまった。
 支部長を慕う同志の声援に応えて、精一杯に弘教・拡大の決意を語る、剛毅木訥の彼であった。私は色紙に揮毫して贈った。
 「声佛事」と。
 御義口伝には、「声仏事を為す」(御書708?)──“声が人を救うという仏の仕事をする”と示されている。
 それは、仏性つまり最も尊極なる仏の生命を触発することである。
 ゆえに、朗々と妙法を唱えながら、勇気の声、真心の声、正義の声、励ましの声を、惜しまず響かせていくのだ。会って、語って、仏縁を広げていくのだ。
 その大道を、鳥取、島根のわが同志は、心に太陽を輝かせながら、真実一路に進んできた。
 今、まさに両県は「山光」と謳われ、希望の灯台の如く、日本の進路をも照らし輝きゆく時代になったと、私は心から讃えたい。
        ◇ 
 私たちが日々、読誦している法華経寿量品の自我偈に「一心欲見仏 不自惜身命」(一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず)とある。
 日蓮大聖人は、「義浄房御書」の中で、この経文によって御自身の仏界を成就されたと仰せである(同892?)。
 そして「一心欲見仏」を妙法蓮華経の五字に配し、こう明言しておられる。
 「此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり」と。
 甚深の御言葉である。

「一心を見れば仏」
 大聖人は、さらに「一心欲見仏」の経文を──
 「一心に仏を見る」
 「心を一にして仏を見る」
 「一心を見れば仏なり」
 と三重に読まれている。
 必死に、また一心不乱に仏を求め抜く。妙法流布のために、一生懸命に戦う。その不自惜身命の心こそ、実は仏なのである。
 仏とは、広宣流布の師匠である。この御文は、弟子が師匠の偉大な境涯に迫る、師弟不二の真髄を示されているとも拝せよう。
 いうまでもなく、「不自惜身命」とは、命を粗末にすることではない。反対に、わが生命を最大に輝かせていくことである。そのために、エゴや臆病に囚われた小さな自分の殻を決然と打ち破って、大法弘通のために打って出るのだ。
 ともあれ、あらゆる大難を乗り越え、勝ち越えて、文字通り「不自惜身命」の実践で、妙法の五字を全世界に弘めてきたのは、創価の師弟である。
 大聖人が、どれほどお喜びであろうか。三世十方の仏天の守護と讃嘆は、絶対に間違いない。
 チリの大詩人ネルーダは毅然と語った。
 「昔も今も、人間主義は闘争の中で強くなり、拡大した」

不自惜身命で勝利
 初代・牧口先生は不自惜身命の殉教であられた。
 2代・戸田先生も不自惜身命の弘法であられた。
 3代の私も、不自惜身命で師匠に仕え、日蓮仏法の人間主義の大光を、世界に弘め抜いてきた。
 そして、わが愛する弟子たちも、広宣流布の理想へ、師弟共戦の魂を燃やしながら、懸命に奮闘してくださった。
 だから勝った。学会は、不自惜身命で勝ったのだ!
 ここに、永遠に赫々たる旭日を、創価の前途に昇らせ続ける原理があることを忘れてはならない。
 私は、この万代の勝利の大道を、厳然と示し切ってきたつもりだ。その一切を青年に受け継いでもらいたいのである。
        ◇ 
 今、私は、ドイツのワイマール・ゲーテ協会のオステン顧問と共に、大文豪ゲーテをめぐる新たな対談を進めている。
 ゲーテは75歳を過ぎてから、畢生の名作である劇詩『ファウスト』第2部に精魂を傾けた。
 完成したのは82歳の誕生日前であった。
 研究によれば、この『ファウスト』の第2部には、「努力」という名詞と動詞が31回も出てくるという。ゲーテの人生観が、ここにもうかがえる。
 彼がその執筆に集中していた頃、若き弟子エッカーマンに述懐した。
 「私はいつも前進しようと努力している」「毎日そのこと(『ファウスト』第2部)について考え、書きつづけている」
 そして、いよいよ完成間近の原稿を見せたのである。エッカーマンは、その原稿の分厚さに驚いた。
 「ほかになさることがたくさんあり、これを書くのにつかわれたのはごくわずかな時間だけでした」
 そのなかで、これだけの仕事を!──弟子は、師匠の弛まぬ努力の結晶の大きさに感服したのである。
 ゲーテはある時、語った。
 「私が依然として努力によって生活している人間であることは、仕合わせだ」
 そして、「すべての誠実な努力に 執念が与えられてあれ!」とも叫んでいる。
 「努力こそ幸福」だ。
 「執念こそ勝利」だ。

一日一日を大切に
 大きい仕事は、一朝一夕に完成するものではない。まして、我らが目指す広宣流布は、末法万年にわたる永遠の挑戦である。
 だからこそ──
 一日一日、勇気だ。
 一日一日、行動だ。
 一日一日、前進だ。
 一日一日、勝利だ。
 弛みなく、辛抱強く、偉大な価値創造の歴史を築いていこう、共々に!
 人権の闘士キング博士は「正義のために立て」との誓いを胸に宣言した。
 「われわれは常に新しい日の夜明けに立っているのである」

 法華経
  勝る兵法
   なきゆえに
  我らの今年も
   勝利 勝利と 

 エッカーマンによる言葉は『ゲーテとの対話』山下肇訳(岩波書店)。続く二つのゲーテの言葉は『イタリア紀行』相良守峯訳(岩波書店)、『ゲーテ 知と愛の格言集』高橋健二訳・編(華書房)。また高橋健二著『ヴァイマルゲーテ 評伝』(河出書房新社)等を参照。キングはカーソン編『マーティン・ルーサー・キング自伝』梶原寿訳(日本基督教団出版局)。