聖教は永遠に師子吼

皆の力で正義の城は厳然
創刊60周年 我らは信念の言論で勝つ
さあ今日も 民衆に勇気と希望の光を!

 「一日の命は三千界(=大宇宙)の財にもすぎて候なり」(御書986?)
 病魔と闘う健気な母を励まされた御聖訓である。
 日蓮大聖人は、さらに、「而して法華経にあわせ給いぬ 一日もい(活)きてをはせば功徳つもるべし」(同?)と強く仰せになられた。
 かけがえのない一日だ。我らは今日も妙法を唱え、信心即生活、仏法即社会という最も正しき生命の軌道を、真剣勝負で進み抜く。
 どんな苦難が立ちはだかろうと、我らは恐れない。一歩また一歩、勇敢に踏み越え、今日という一日に「極楽百年の修行」(同329?)に勝る宇宙大の「心の財」を、明朗に積んでいくのだ。
 この価値の日々に、弾む活力と息吹を贈り続けているのが、聖教新聞である。

 晴ればれと
  今日も生き抜け
   戦いて
  わが人生の
   誉れを残せや

師弟不二の大闘争
 おかげさまで、聖教新聞は、新たな決意を燃え上がらせて、輝く創刊60周年を迎えることができた。
 戸田先生の事業が窮地に陥った渦中、激しい攻防戦を続けていた恩師と私の師弟の間で着想され、全くのゼロから立ち上がった機関紙こそ、聖教新聞であった。
 仏法では、「師子吼」とは師弟不二の言論戦を意味する。まさしく聖教は、師弟共戦、異体同心で、正義の師子吼を広げ抜いてきた。
 1万7000号を遥かに超える脈々たる精神闘争の軌跡は、無数の友の熱誠で成し遂げられた。
 「少数の個人の力で時代が創造されるものではない」とは、大指導者・孫文を陰で支えたジャーナリスト、戴季陶《たいきとう》の言葉である。彼の筆名は「戴天仇《たいてんきゅう》」──旧王朝を不倶戴天の仇と定めて、言論の牙を研いだ。
 目覚めた民衆の力が大河のように合して、滔々と流れてこそ、時代は動き、社会は変わる。民衆の中で生まれ、民衆に育まれた聖教新聞は、永久に民衆と共に進む正義の言論城である。
 読者の皆様をはじめ、聖教を愛し、支え、育ててくださったすべての方々に、私は満腔の感謝を捧げたい。
        ◇
 広宣は
  無冠の友の
     足音に

 新聞は「総合力」の結晶である。団結の象徴だ。
 記事、見出し、写真、広告などの掲載情報はもちろん、紙面を組み上げて電送するシステム、紙やインクの調達、印刷、輸送、そして最前線の販売店、配達員、通信員の方々──いかに多くの皆様の努力と真心に支えられていることか!
 今回の大震災のなか、この偉大な総合力に深謝せずにはいられなかった。
 震災直後から、不眠不休で救援に当たるリーダーたちと共に、記者は被災者のもとへ走り続けてくれた。
 宮城、福島、岩手、青森、茨城等の印刷所の方々も、トラブルを復旧し、印刷の体制を整えてくださった。トラックでの配送も、悪路のなか、どれほど困難を極めたことであろうか。
 宮古市石巻市などで、避難生活を送りながら、必死に配達に奔走してくれた販売店の友らもいた。
 道路は寸断されている。配達員の方々と決めていた新聞置き場も津波で流されて、どこか分からない。
 そんな状況でも、懸命に連携を取り合い、皆で協力して、避難所にいる友へ、一部また一部、丁寧に配ってくださったのだ。
 震災から数日、一般紙も配られていないなかで、聖教新聞だけが配られていた地域もあったようである。日頃、車やバイクを使って配達されていた方々も、ガソリン不足のために、自転車や徒歩で回ってくださった。家族あげての応援も、ありがたい限りだ。献身のリレーによって、聖教は届けられたのである。
 だが、街の大半が流されてしまった地域もある。被害はあまりにも甚大だ。
 私と妻は、犠牲になられた方々に、重ねて懇ろに追善の題目を送らせていただく毎日である。
 新聞の宅配が不可能な事態に陥った場所も少なくない。販売店、配達員の皆様が、どれほど辛く、悲しい経験をされたことか。その苦衷に、私も胸を衝かれる思いである。
 しかし、心は断じて負けてはならない。私たちは、いやまして強盛に「立正安国」を祈る。やがて再び手にした聖教新聞の周りに、希望の歓談の輪が広がる日々の蘇生を願う。
 全宇宙の仏天よ、尊き“無冠の友”を守りに護り給え! と祈り、叫ばずにはいられない。
 日蓮大聖人は「仏は文字に依って衆生を度し給うなり」(御書153?)と仰せである。
 文字の力によって民衆を救う──この蓮祖の大精神のままに、我ら学会は、聖教新聞と共に、世界広宣流布を進めてきた。
 民衆救済への大熱情が込められた聖教新聞を配り、誠実一路に広めゆかれる、配達員、新聞長をはじめ同志の皆様方の福徳は、折伏弘教の功徳にも劣らない。生々世々、燦然と輝きわたっていくのだ。

広宣流布の大旗を
 「信念とは何ぞや?」
 これは、戸田先生が聖教新聞の記念すべき創刊号、すなわち昭和26年4月20日付の1面に執筆された論説の大見出しである。
 先生は「われわれの出世の因縁は、広宣流布の大旗を掲げんがためである」と宣言され、今こそ「勇まなくてはならない」と訴えられたのであった。
 この世のありとあらゆる悲惨に挑んで、民衆の一人ひとりが絶対的な幸福を勝ち取るため、そして現実の社会に平和と安穏と繁栄を築きゆくため、我ら師弟は「広宣流布の大旗」を掲げて立ち上がったのだ。
 いかなる三障四魔の濁流が襲いかかろうとも、我らは正義の使命の旗を断じて手放さない。誉れ高き、その大信念の旗印こそ、聖教新聞である。
 御書には、「ついにをそれずして候へば、今は日本国の人人も道理かと申すへんもあるやらん」1138?)と記されている。
 圧迫に屈しない一貫した信念の言論には、時とともに必ず良識からの信頼を勝ち広げる力があるのだ。
        ◇
 戸田先生は、あの「大阪の戦い」に臨んだ昭和31年の年頭の聖教新聞には、「社会に信念の人を」と寄稿された。
 先生は、当時の日本の指導者順に蔓延する「頼りなさ」「底の浅さ」を憂慮されていた。ゆえに、民衆が賢明になり、力を持たねばならない。そして「生き生きとして、はちきれるような生命力」をもった“信念の人材”を育てなければならない。そのために「正しい宗教によって生命力を強める」のだと、その意義を力説された。
 現代の日本社会は、さらに確固たる“信念の人材”を渇望しているといっても過言ではあるまい。
 揺るがぬ「生命尊厳」の信念をもって、民衆のために満々たる生命力で貢献しゆく人間指導者を、私たちは胸を張って、地域へ社会へ送り出していくのだ。
        ◇
 東北が生んだ信念の偉人・新渡戸稲造博士は、「新聞の力はきわめて重大」と叫び、自ら健筆を揮った。私どもの先師・牧口常三郎先生とも交友が深く、創価教育に共感を寄せておられた博士は言われた。
 「『“黄金時代”』はわれわれが自ら作るものでる」「われわれ自身の思想と行為によって、金ともなれば鉛ともなる」と。

黄金時代の柱たれ
 日本は、この大震災を乗り越え、復興への坂を断固として登り切り、新たな人間共和の「黄金時代」を何としても作っていかねばならない。
 聖教新聞は、その言論の黄金柱として、いよいよ強く厳然と光っていくのだ。
 聖教新聞は、今や「セイキョウネット」を介して、全世界に発信されている。この5月3日からは、「セイキョウオンライン」としてリニューアル(一新)され、更に内容・サービスが充実するとも伺った。世界が聖教の動向を見つめる新時代が到来しているのだ。
 私が対談したアメリカの未来学者ヘンダーソン博士も語ってくださった。
 「民衆のスクラムを広げながら、一歩また一歩と道を切り開くこととともに、メディアを有効に活用しながら、メッセージを呼びかけていくことが重要だと思います。
 この点でも、『聖教新聞』は、成功を収めているのではないでしょうか」と。
 暗いニュースが打ち続く時代だからこそ、人間の善性に光を当て、民衆の結合を強め、よりよき人生と社会を築くために、励ましのエールを贈りたい。
 御手紙を通して、幾多の門下に生きる力を贈られた大聖人の御心を拝し、聖教新聞は、生きる勇気と希望を発信していくのだ。
 大聖人の御執筆は、迅速であられた。門下からの急な報告にも、使者を待たせぬよう即座に御返事を認めて託してくださることも、しばしばであられた。
 速さは慈悲であり、誠意である。勝利の力である。
 創価学会は、これからも万事にわたって“誠実なスピード”で勝ち進むのだ。

負げでたまっか!
 先日、聖教新聞の1面に、福島県の母たち、乙女たちが手に手を取って、婦人部の愛唱歌「今日も元気で」を大合唱する写真・記事が掲載された。その躍動の姿に、妻は胸を熱くしていた。
 「絶対に負げでたまっか!」──東北の母の命の叫びが、紙面から響いてくるように思えてならない。
 草創期、中米のドミニカ共和国へ、日本から農業移住した友は、故郷の母から送られてくる聖教新聞を握りしめ、荒れ地を開墾し、広布の開拓に走った。
 聖教は、“どんな苦労も必ず変毒為薬できる”という、母の祈りの便りでもあったのだ。
 今や、ドミニカ共和国SGI(創価学会インタナショナル)は大発展を遂げた。昨年の隣国ハイチの大震災に際しても、直ちに手を差し伸べ、共々に前進してこられた。

人間の底力を触発
 聡明な華陽の姉妹が決意を込めて届けてくれた箴言集に、アメリカの作家・ストウ夫人の言葉があった。
 「進退きわまって、すべてが思い通りにいかなくなり、もう、少しも耐えられないと思うようになっても、決してそこで諦めてはいけない。形勢が一変するのは、まさにその場所、その時からなのだ」
 その通りだ。これこそ、人間生命の底力である。
 「失望」を「希望」に!
 「落胆」を「勇気」に!
 「諦め」を「執念」に!
 何があってもへこたれず前へ前へ突き進んでいく。その究極の力こそ、「絶対勝利」の信心である。
 聖教新聞の最大の強みは何か。尊き母たち、女性たちが温かく支持し、愛読してくださっていることだ。
 聖教の創刊60年は、婦人部の結成60年と一体不二の歴史でもある。
 めぐり来《きた》る5月3日は、「創価学会母の日」である。目覚ましく伸びゆく青年と一緒に、偉大な母たちへ勝利の讃歌を捧げたい。
 さあ、聖教と共に──
 人びとに喜びと安心をもたらす「智慧の対話」を!
 庶民を苦しめる悪を打ち破る「正義の対話」を!
 新しい未来を断固と勝ち開く「信念の対話」を!

 勝ちまくれ
  師子となりて
     走りゆけ
  遂には笑顔の
      勝利の万歳


 戴季陶の言葉は『日本論』市川宏訳(社会思想社)。張玉萍著『戴季陶と近代日本』(法政大学出版局)を参照。新渡戸稲造は『新渡戸稲造全集』(教文館)の第22巻及び21巻。ストウは『オールドタウンの人々』(英文)。