人間世紀の母の曲

婦人部万歳! 創価の太陽に感謝

今日も平和と幸福の種を蒔こう
法華経の行者」の祈りは叶わぬ事なし

 崇高な
  元初の太陽
     貴女《あなた》たち
  慈愛で包めや
   あの人 この人

 新生の太陽が昇った。
 世界第一の平和と幸福のスクラムである、わが婦人部の結成60周年の6月。
 「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(御書1215?)との御聖訓の通り、創価の母たちは、いよいよ若々しく、ますます福運に満ち満ちて、前進している。
 全国、全世界で、婦人部総会が活発だ。毎日のように歓喜と決意に弾ける報告を頂戴している。
 東日本大震災の被災地域でも、母たちは健気に、また「負げでたまっか!」「負げでらんね」と励まし合って集っておられる。
 私と妻は合掌する思いで伺い、皆様のご多幸を懸命に祈っている。
 アフリカのケニアからも、婦人部の記念の大会が明るく有意義に行われた様子を伝えていただいた。
 会場は、名門ナイロビ大学の会議場である。多くの来賓や友人が賑やかに集われ、2人の婦人部の方の感動的な体験発表に続き、「母」の歌の合唱、ダンスが披露された。
 さらに、高名な国際弁護士が“アフリカにおける女性の人権”について講演され、SGI(創価学会インタナショナル)の草の根の運動に深い期待を寄せてくださった。
 いずこの天地でも、妙法の女性は確かな平和と幸福の調べを奏でつつ、「最善の喜び」を創り広げている。
 その生命の歓喜の光は、向こう三軒両隣の地域や、身近な市町村から、大きくは人類社会まで、生き生きと照らしていくのだ。

「白ゆり」の如く!
 婦人部結成の時、戸田城聖先生は詠まれた。

 白ゆりの
  香りも高き
    集いかな
  心の清き
   友どちなれぱ

 創価の「白ゆり」と咲き出《いで》た婦人部を、恩師は最大に慈しまれていた。
 55年前(昭和31年)の6月、歴史に燦たる“大阪の戦い”の大前進のなか、戸田先生と私は、中之島の中央公会堂で意気高く行われた大阪・堺支部合同の婦人部総会に出席した。
 戸田先生は、広宣流布という正義の前進には、大難の嵐のあることを示され、こう指導を結ばれた。
 「たとえどのような三障四魔が起ころうとも、われわれは断じて信仰をやりとげ、おたがいに助けあい、迷うことなく幸福な生活を一日一日と築きあげていこうではないか」
 どんな難が襲いかかってこようとも「負けたらあかん」という関西魂の炎を、恩師はいち早く婦人部の心に灯されていたのである。
 この日、私は申し上げた。
 「大阪中の市民からも慕われるような立派な信心を貫いて、花にも負けず、美しく咲き誇る活動を!」
 これが、恩師と私の2人で出席した、忘れ得ぬ婦人部総会となった。

♪母よ あなたは
 なんと不思議な
     豊富《ゆたか》な力を
 もっているのか……

 過日の婦人部幹部会(本部幹部会)の席上、男女青年部の「しなの合唱団」「富士合唱団」が、偉大な母たちへの感謝を込めて、美しいハーモニーで「母」の歌を捧げてくれた。
 婦人部「白ゆり合唱団」による、愛唱歌「今日も元気で」等のコーラスも本当に美事であった。
 来る日も来る日も、生き抜く力、負けない力を示して母たちは進んだ。民衆勝利の創価の大前進は、まさしく母の「不思議な豊富な力」のお陰であった。
 母よ! あまりにも尊き母たちよ、ありがとう!
 私が長編詩「母」を発表したのは、婦人部結成20周年にあたる昭和46年の10月4日、大阪市で行われた関西婦人部幹部会である。
 この長編詩から抜粋して、曲がつき、「母」の歌が誕生したのは、その5年後のことであった。
 このたび結成60周年を記念し、「母」の歌碑が創価世界女性会館に設置され、新たな、そして大きな喜びが広がっている。

ハーモニカの音色
 4月、東北の被災地でも、東日本大震災後初の創価家族の座談会が開催された。
 宮城県のある座談会──参加者が皆、ありったけの思いを語った最後に、壮年リーダーが、鞄からそっと小さな包みを取り出した。
 ハーモニカだった。
 「婦人部の皆さんのために感謝を込めて、演奏させていただきます」
 ハーモニカから流れ始めたのは「母」の曲であった。
 彼自身も、お母さんの吹くハーモニカに励まされてきたのだという。
 ハーモニカが奏でる「母」の清らかな調べは、優しく、懐かしく、座談会場を包んだ。
 頷きながら耳を傾ける友、小声で口ずさむ友、聴き入るうちに涙ぐむ友……やがて、何ものにも負けぬ尊き母の心を思い、皆の目が明るく輝いていった。
 「母の人生は苦労の多い人生だったけれど、とても勇敢で、喜んで他人のために尽くす人だった。いまわたしたちはその母のために生きなければならない」
 これは、『若草物語』で有名なアメリカの作家オルコットの言葉である。
        ◇
 日蓮大聖人は、千日尼に「此の度大願を立て後生を願はせ給へ」(御書1308?)と仰せになられた。
 荒れ狂う濁世にあって、地域の友を抱きかかえて悪戦苦闘する女性リーダーを励まされた御聖訓である。
 広宣流布の大願を立て、自他共に未来永遠の幸福境涯を勝ち開いていく──この御本仏が示された道を、婦人部は晴れ晴れと進んでいる。

絶対無事故を深く
 天までも
  轟きわたらむ
   母たちの
  祈りの深きは
    仏と等しく

 「祈りからすべては始まる」とは、婦人部「実践の5指針」の第1項である。
 今日も母は真剣に祈る。
 深き祈りから、今日一日を始める。決意の祈りを心に抱いて今日を走る。
 母は祈る。強盛に、また決然として祈る。夫の健康を祈り、子の成長を祈り、家族の幸福を祈る。地域の友の活躍と無事を祈る。「事故がないことが勝利!」と、絶対無事故を祈る。
 今日の安穏を祈り、明日の平和を祈る。
 「いつも祈っている母の姿が胸から離れません」と涙を浮かべる青年がいた。
 母の祈りには、限界がない。行き詰まりもない。臆病も弱々しい迷いもない。ひたぶるな祈りの底には、絶望やあきらめを追い払う勇気が燃えている。
 妙法の祈りは、断じて勝つという誓願だ。祈ったその時に、すでに未来の勝利を深く決するのである。
 「因果倶時・不思議の一法」(同513?)をこの身に行じゆくのだ。
 大聖人は、厳然と約束くださっている。
 「大地はささばはづ(外)るるとも虚空《おおぞら》をつなぐ者はありとも・潮のみ(満)ちひ(干)ぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかな(叶)はぬ事はあるべからず」(同1351?)
 これが「法華経の行者の祈り」である。
 大地や大空をも、また大海や太陽をも、わが友の如く励まし、動かしゆくような絶対勝利の力──その大功力を師弟不二で証明してきた信心の女王こそ、尊き創価の婦人部なのである。
 瞬時も止まることなく、大宇宙を回転する青き地球は、この偉大な母たちの題目に包まれているのだ。

善の価値の花々を
 私は、かねてより21世紀のビジョンを多次元から提唱してきた。
 「アフリカの世紀」
 「女性の世紀」
 「人権の世紀」
 「対話の世紀」
 「教育の世紀」
 「生命の世紀」……。
 冷笑する人も多かった。しかし私は、未来を見つめ、善の種を蒔いてきた。
 御金言には「物たね(種)と申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(同971?)と仰せである。
 祈りを込めて種を蒔き、大切に守り育む。それはそれは、想像を絶する労作業である。だが、この地道な努力の積み重ね以外に、広宣流布の大樹を育てることはできない。
 私と共に、喜び勇んで、来る日も来る日も、仏縁を広げ、一つ、また一つと種を蒔き続けてこられたのが、婦人部の皆様方である。
 どんなに悪口罵詈されようとも、挫けず、弛まず、そこに希望の種を、ここに友情の種を、あそこに平和の種を──と民衆の大地に蒔いてくださった。いな、粘り強く発芽を促し、育んでいかれたのである。
 あらゆる善の価値の花を咲かせながら、皆が幸福に輝く並木路を、私たちは全力で創り開いてきた。
 今、誰人も考えられなかった世界広布の大発展を遂げ、21世紀の平和と文化と教育のビジョンも実現し始めている。
 これからも、創価の母たちの「誠実」と「根性」と「賢さ」と「忍耐強さ」がある限り、いよいよ広宣流布の勝利の大輪が咲き薫っていくに違いない。
 「真剣」──この二字で、我らは勝っていくのだ。

 いついつも
  世界の果てまで
    喜びを
  走れ舞いゆけ
     種蒔く母よ

 ──豪雨災害のあった鹿児島、宮崎、熊本など九州の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。また、梅雨入りした東北の皆様、どうかくれぐれもお体を大切に!

 オルコットの言葉はマイヤースン&シーリー編『ルイーザ・メイ・オールコットの日記』宮木陽子訳(西村書店)の編者「注」から。

命を守る母の連帯から平和が!

地球に希望のコスモスの花園を
人材勝利の「青年学会」を共々に

 晴れ晴れと
  広布の夜明けを
     つくりたる
  偉大な母をば
     諸仏は守らむ

 「創価学会は永遠に民衆の側に立つ」──私たちが幾たびとなく確認してきた根本精神である。
 それを具体的な行動でいえぱ、「母を守る」「婦人部を大切にする」ということにほかならない。
        ◇
♪母よ わが母
 風雪に耐え
 悲しみの合掌《いのり》を
  繰り返した 母よ……

 先師・牧口常三郎先生と同時代を生き抜いた、ドイツの一人の母がいる。ケーテ・コルビッツ(1867〜1945年)という画家である。

「同苦」の叫びから
 彼女は、第1次世界大戦で出征した最愛の子息を失った。第2次大戦では孫も戦死。彼女自身、晩年はナチスの弾圧を耐え抜きながら、創作活動に奮進した。
 子息の死後の制作では、「母と子」や「母たち」を表現した作品が多数ある。
 何ものかから我が子を守ろうと、大きな腕で抱きかかえる母。亡くなった子どもを抱きしめる母……。
 互いに身を寄せ合い、大きな腕を組んで守り合い、一つに団結した母たち。そのスクラムの間から子どもたちの顔も見える。
 女性が両腕の下に、いとけない子どもたちを守る絵には、「種子《たね》を粉にひくな」と題されている。
 わが子を守ってやりたかった! 残酷な戦争になど行かせたくなかった!。
 その叫びは、後継の種子《しゅし》である子どもたちを守り抜かんとする、すべての母たちの願いとなる。
 「共通の悲しみこそ、相互の理解を深めるものだ」と彼女は言った。「同苦」の心が、母たちの生命尊厳の連帯の根拠ともなるのだ。
 中国の大文豪・魯迅も、彼女の作品に「慈母の愛」による戦いを見、大変に尊敬していた。
 コルビッツの作品は、母の叫びを凝結し、平和の願いで人びとを結びつける、平和の芸術となったのである。
 ──私の母は、終戦から2年後、長兄の戦死を知らされた。その死亡通知を握りしめ、部屋の隅で小さな背中を震わせていた母の悲しみの姿は、決して忘れることはできない。
 私は思う。あの時、母はわが子を、その腕に抱きしめていたのだと。
 母の愛は、あまりにも深い。その母を苦しめ、悲しませ、子どもの未来を奪い去っていく、戦争をはじめ、あらゆる暴力に、私たちは断じて反対する。
 世界の平和、人類の幸福といっても、母を大切にし、心から感謝するところから始まると、私は叫ばずにはいられない。
 今、ドイツで、日本で、そして世界で、わが創価の女性たちが力強く平和のスクラムを広げている。その希望の大行進を、皆がまぶしく見つめている。

妙法の女性を讃う
 戦時中、特高警察に押収された牧口先生の「御義口伝」に、傍線が引かれた一節がある。
 「男女の中には別して女人を讃《ほ》めたり女人を指して者《しゃ》と云うなり」(御書778?)との仰せである。
 日蓮大聖人は、“法華の名《みな》を受持せん者を擁護《おうご》せんすら、福は量る可からず”の経文の「者」の一字について、これは、妙法を受持した女性を讃えて言われたものであると断言されたのであった。
 私は先師の魂と共に、厳粛に拝して心肝に染めた。
 今から半世紀ほど前、アメリカ黒人の差別撤廃と民主主義を拡大した公民権運動においても、どれほど女性の力が重要であったか。
 私か対談した歴史学者のハーディング博士が述懐しておられた。
 「解放運動」は「草の根レベルの地域活動を拠り所にしていたために、女性たちが運動の中心的な存在となっていたのです」と。
 最前線で献身的に動き、人びとに語りかけ、我慢強く一人また一人と糾合していった原動力こそ、女性であった。この女性たちの、地に足のついた行動がなかつたら、誰も集会や行進に集まらなかったし、何も進まなかったであろうと、博士は言われていた。

「体験」を語り共有
 さらにハーディング博士は、こう強調された。
 「新しい現実をもたらすためには“私たちにはできるのだ”と声を大にして励まし合うことが大切です」
 その一つの方法として、博士が具体的に提唱されていたのが「互いの体験に耳を傾けること」であった。
 それはなぜか。「体験を共有することによって、地域の中に励ましの輪を築くことができる」。さらに「自分の地域を超えた人びとにも、励まし、を贈ることができる」からである。
 創価の母たちが、地域に根差し、顔の見える「グループ」という小さな人の輪を基盤として、楽しく朗らかに、語らいを広げゆく意義は、まことに大きい。
 婦人部の5指針にも「地域と社会を大切に」「生き生きと体験を語る」とある。
 希望と確信の声を! 誠実と思いやりの行動を!
 「無縁社会」と憂慮される冷たい社会に、信頼と尊敬の暖かき太陽の光を燦々と注ぐのだ。それは「仏縁」を結び、「仏の種子」を蒔いていく、尊き「仏の仕事」といってよい。
        ◇
 婦人部の5指針の一つに「後継の人材を伸ばす」と謳われている。
 恩師が第2代会長就任の1カ月後に、婦人部を結成され、その直後に男女青年部を結成されたのも、不思議なリズムである。母の大地からこそ、後継の青年部、未来部が羽ばたくのだ。

母の翼の下から!
 先月、支部結成50周年を迎えた奈良で、記念の総会があった。嬉しいことに、98歳になられた、初代婦人部長の有馬のぶさんも元気に参加された。
 聖教新聞に掲載された、歴代の婦人部長と一緒の記念写真を、私も妻と心から懐かしく拝見した。
 この“奈良広布の母”の翼の下から、どれほど多くの後輩が巣立ってきたことか。今回、新女子部長に就任した吉井さんも奈良県の出身である。誇りは高い。
 支部結成の頃、有馬さんは自宅の塀に、心ない誹謗中傷の言葉をペンキで落書きされたことがあった。
 その時、私が送った手紙を、有馬さんは大切にしてくださっていたようだ。手紙には、大聖人が御自身の忍難弘通の足跡を記された報恩抄の御文を引いた。
 「いよいよ大難かさなる事・大風に大波の起るがごとし」(御書322?)
 たとえ嵐の黒雲《くろくも》が湧き起こるとも、創価の母が厳然としていれば、必ず勝利の夜明けがくる。
 その通りになった。
 世界でも「青年躍進」の方程式は同じである。
 大発展を続けるインドからも明るい話題が届いた。
 東部コルカタのある地区では、53人のメンバーの大半が婦人部であった。
 そこで、「わが地区を『青年学会』に!」と、皆で一大奮起。地域の青年を励まし、対話を重ねた。
 そして半年、実に21人もの男女青年部、20人の未来部員が誕生したというのである。
 青年を励まし育む、母の慈愛こそが、「青年学会」の未来を開く揺藍となる。

震災を耐えた写真
 3月11日、東日本大震災の大津波で、宮城県気仙沼会館は2階まで浸水したが、館内に避難された方々は幸い守られた。
 震災から一週間、周囲を瓦礫に囲まれた会館の中に、水没を免れた1枚の写真額があったと伺った。
 それは、“東北婦人部の花”である、コスモスの写真であった。
 「コスモス」の語源は、「秩序」「飾り」「美しい」という意味のギリシャ語にあるという。花びらを行儀よく並べて凛と咲く様子から、そう呼ばれることになったようだ。
 想像を絶する被災のなかにあっても、世界中が驚く気高さと秩序を示して見せた、偉大な東北人の「心の美」を思わせる。
 一方で、コスモスは、台風などに見舞われても、倒された茎から根を出して、また立ち上がる強さを持つ花でもある。
 「負げでたまっか!」を合言葉に苦難を越えゆく、健気な東北婦人部の皆様の姿そのものではないか。
 どんな悲哀も胸中に包み込みながら、一切を笑顔に変えてきた「広布の母」の姿そのものではないか。
 満天の星が輝く宇宙のことも「コスモス」といい、同じ語源を持っている。
 私たちの生命も、また小宇宙(ミクロコスモス)である。一人ひとりが妙法という大宇宙(マクロコスモス)の妙なるリズムを響かせながら咲きゆく、希望のコスモスの花なのだ。
 その中で、世界に普遍の平和と幸福の象徴が、母の笑顔の花である。
 日蓮大聖人は、遠く離れた佐渡の千日尼に、こう仰せになられた。
 「我等は穢土に候へども心は霊山に住《すむ》べし、御面《おんかお》を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」(同1316?)
 どんな穢土の現実にあろうと、妙法に生き抜く師弟は、最も美しく、最も正しい不二の心で、家庭に、地域に、社会に、希望の光を送り続けていける。
 創価の母たちは、この世で一番深い「異体同心」の仲で、わが足元から幸福の花を爛漫と咲かせゆくのだ。そして、宇宙(コスモス)の花である太陽の如く、人類の平和の未来を照らしていくのである。

♪母よ あなたの
 思想と聡明《かしこ》さで
 春を願う 地球の上に
 平安の楽符《しらべ》を
   奏でてほしい……

 今ほど、母の願いが、皆の心に深く響く時はない。
 今ほど、母の声が、皆に勇気を贈る時はない。
 母よ、強くあれ!
 尊き婦人部よ、幸あれ!
 和楽あれ! 健康あれ!
 偉大なる「人間世紀の母」たち、万歳!

 不滅なる
  無上宝珠を
    抱きしめて
  この一生を
    勝利で飾れや

 コルビッツの言葉は『種子を粉にひくな』鈴木マリオン訳(同光社磯部書房)。若桑みどり著『ケーテ・コルヴィッツ』(彩樹社)、『魯迅全集8』今村与志雄訳(学研)参照。