青年は世界の宝

生命を磨き鍛え 希望の前進!
行動は勇敢たれ 心は温かく快活たれ

 鍛錬し
  偉大に育てや
     わが青年

 紀元前5世紀、古代オリンピックオリンピア祭)の祝勝歌を多数作ったギリシャの詩人ピンダロスは、こう歌っている。
 「黄金が精錬される時
 ありとある光輝を放つ」
 労苦を惜しまず鍛え上げた人間の生命は、黄金に輝きわたるものだ。
 2500年という悠久の歳月を経て、今も変わらぬ、誉れ高き人生の真実の光がここにある。
 先月来、英国ロンドンで開催中の“若人の祭典”であるオリンピックも、はや終盤に入り、連日、生き生きと熱戦が繰り広げられている。引き続きパラリンピックも行われる。
 人類は、これほどまでに力を発揮できる存在だと、勝敗を超えて、勇気と希望を広げてくれるアスリート(競技者)たちに、私は喝采を贈りたい。その人知れぬ努力と、そして陰で支えておられる方々に敬意と感謝を捧げたい。
 わがスポーツ部の代表選手も奮闘してくれている。SGI(創価学会インタナショナル)の若き友も出場し、見事な勝利の歴史を飾ってくれ、嬉しい限りだ。

“五輪《オリンピック》の父”の願い
 近代五輪の父クーベルタン男爵が、「全世界の青少年のため、“人類の春”のために4年毎におこなわれる祭典」と述べたように、オリンピックの主役は、勇敢に新記録に挑戦し続ける若き生命であろう。
 クーベルタン自身、青春の大情熱を燃え上がらせて、国際オリンピック委員会の設立に奔走した。1896年、ついに第1回アテネ大会が開催された時は、33歳の若さであった。
 クーベルダンは叫んだ。
 「功績とは圧迫された人間が、自分自身に向い、または逆境に立ち向って戦い、自分自身の活力で勝利を得たとか、あるいは“運命を克服する”ことに成功した時、そこにあるのである」
 歴史の彼方に忘れられていた古代オリンピックを蘇らせたいと願った一青年の不屈の挑戦が、世界の青年を結集していったのだ。
        ◇
 “青年の精神を命ある限り保ち続けよ!”とは、わが敬愛する大歴史家トインビー博士が、若い世代へ「第一の助言」として語られていた言葉である。
 「青年の精神」とは何か。ここでは、博士が後輩たちに送ったアドバイスの一つを挙げたい。
 すなわち、「自分の精神が行動する用意ができたと感じたらすぐに、すばやく行動せよ」との言葉だ。
 立つべき時に立つ。これが若さの特権であろう。
 私は、19歳の夏、求めてやまなかった人生の師にお会いすることができた。殉教の先師・牧口常三郎先生にお供し、軍国主義と命を賭して戦い抜かれた恩師・戸田城聖先生から、「正しい人生の道」を教えていただいて、私は一人の青年として立った。
 以来、師から受け継いだ「広宣流布」即「世界平和」の大願のままに、65年間、走り抜いてきた。そして今、「従藍而青」の青年たちが、全世界で立ち上がってくれているのだ。

 広宣の
  創価の後継
   青年部
  いやまし鍛えよ
   わが身 惜しまず
        ◇
 ところで、日本の選手団がオリンピックに初参加したのは、100年前(1912年)の第5回ストックホルム大会であった。
 その時に出場した日本選手は陸上男子の2人。団長は、講道館柔道の創始者嘉納治五郎氏である。
 教育者でもあった嘉納氏が創立した中国人留学生のための学校・弘文学院で、若き日の牧口先生が講義されたことは忘れ得ぬ歴史である。
 嘉納氏は訴えた。
 「百の空しい願望 百の空しい計画は一つの実行に及ばない。成功とは畢竟一つの目的に向かって力を用いた結果をいうのであって、力を用いれば用いるほど成功もまた大になって来るのである」
 まず思い切って、最初の一歩を踏み出す──この勇気ある実行こそ、青年の青年たる証しといってよい。
 夏は、その挑戦の季節だ。
 我ら創価の青年も、夏季折伏、夏季研修と、常に夏に金の汗を流して、新たな広宣流布の開拓を進めてきた。その折伏精神、学会精神は、今も脈々と流れ通っている。創価班、牙城会の大学校の若き精鋭たちが、真剣に拡大へ挑戦してくれている雄姿は、何と頼もしいことか。
 学生部の「ビクトリー・リーダー」の諸君も、はつらつと、英知の「対話」の波を起こしている。
 また、各地の要請に応えて、音楽隊、鼓笛隊の友がパレード等で大活躍してくれている。本当にご苦労様! ありがとう! と申し上げたい。
 熱中症などに呉々も注意しながら、明るく楽しく妙音を奏で、希望の行進を繰り広げていただきたい。

情熱の「種」を蒔け
 五輪公園を擁するロンドン東部では、地元イースト・エンド本部の友をはじめ、わが創価の同志たちが、オリンピックの成功を祈りながら、元気に社会貢献されている。
 19世紀後半、このイースト・エンドの地域で、貧困に苦しむ庶民のために心を砕いた一人の青年がいた。若き経済史家アーノルド・トインビーである。
 私が対談したアーノルド・J・トインビー博士は「甥」にあたり、この叔父の名を受け継がれていた。
 博士の叔父アーノルドは、「産業革命」という歴史概念を英国で最初に提示した気鋭の学者であった。と同時に、実際に貧しい庶民の中に飛び込んでいく人道主義の社会改革者であった。
 私には、わが創価の学術部の知勇兼備の献身と重なり合って迫ってくる。
 「快活で、人づきあいがよく、親切な人間の姿、自分の周囲の人間世界に強い関心をもち、恵まれない同胞の生活をよくしたい一心の理想主義者」とは、かのトインビー博士が叔父の姿を記した一文である。
 残念ながら病で30歳で逝去。しかし、遺志を継承した友人たちの手で、彼の名を冠した社会福祉の施設「トインビー・ホール」が設立されたのである。
 これは、民衆の生活向上を助ける社会事業(セツルメント=隣保事業)を行う、世界最初の施設となった。
 実は、クーベルタン男爵も、しばしばトインビー・ホールを訪れている。
 また、アメリカ女性として初のノーベル平和賞を受賞したジェーン・アダムズは、若き日、同ホールとの出あいが、その後の人生を決定づけた。彼女は帰国後、シカゴで自ら福祉施設をつくり、民衆の支援のために立ち上がったのである。
 人びとの幸福を願った青年の情熱は、時代も国境も超えて、一つまた一つと燃え広がっていったのだ。
 このトインビー・ホールの精神を伝える、次のような言葉がある。
 「鳥がついばむからといって、種を蒔くことを恐れるな」
 下種仏法を奉じて、友の心に、幸福と平和の種を蒔きゆく、わが創価の青年の心意気を思い起こさせる。

 ピンダロスの言葉は『祝勝歌集/断片選』内田次信訳(京都大学学術出版会)。クーベルタンは『ピエール・クペルタン オリンピックの回想』大島鎌吉訳(ベースボール・マガジン社)。トインビーは、『未来を生きる トインビーとの対話』(毎日新聞社)などを参照。「自分の……」との言葉は『回想録1』山口光朔・増田英夫訳(オックスフォード大学出版局)、「快活で……」は『交遊録』長谷川松治訳(社会思想社)によった。嘉納治五郎は『嘉納治五郎著作集第1巻』(五月書房)。「鳥が……」の言葉は、ブリッグス、マカトニー共著『トインビー・ホールの100年』阿部志郎監訳(全国社会福祉協議会)。

地涌の菩薩の底力を我らが証明
皆が青春勝利の「生命の金メダル」を!

  「ぼくたちは大きな力をもった存在なのだ」
 米国の哲人エマソンは、25歳の時、こう日記に記した。我らも、満々たる若き力を湧き出しながら生き抜いていきたい。
 スポーツの世界には、アスリート(競技者)たちの最高峰の舞台としてのオリンピックがある。
 中華文化促進会の高占祥主席は、私との対談で語られていた。
 スポーツと同様に、“世界芸術交流会”──いうなれば、“文化のオリンピック”が実現すれば、人類の調和と友情は、さらに深まるのではないか、と。
 とともに、自然災害が頻発し、経済不況が打ち続くなど、さまざまな難問に直面する地球社会にあって、人類貢献の人材群が互いにベストを尽くして尊き使命に乱舞しゆくならば、それは“平和と人道のオリンピック”といえまいか。
 牧口先生は若き日、人類史の歩みを俯瞰し、「軍事的競争」「政治的競争」「経済的競争」の時代から「人道的競争」の時代への転換を訴えられていた。
 今日的にいえば、自他共の幸福と平和をめざす“菩薩の生き方”が人類の行動規範となって、世界の青年たちが切磋琢磨しながら、思う存分に力を出し合っていく新時代を遠望されていたのではないか。
 今、地球上のあの地この地を舞台に、民衆のために奮闘する、若き「地涌の菩薩」が躍り出ている。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず」(御書1360?)
 「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや」(同?)
 日蓮大聖人の仰せ通りの一閻浮提広布の大ロマンが、眼前に広がっている。
 欧州でも、この夏、30カ国・480人の友が「可延定業書」「日女御前御返事」「撰時抄」を真剣に研鑽し合った教学研修会を起点として、各種の研修会が活発に行われている。これには1万人のリーダーたちが参加される。
 仏教発祥の天地インドからも、7月に「地涌」の陣列が6万人を突破したとの心躍る報告が届いた。
 北米も、中南米も、オセアニアも、アジアも、アフリカも、全世界の青年たちが、歓喜踊躍して、地涌の連帯を広げている。連日の聖教新聞の紙面に弾けるように報道されている通りだ。

負けじ魂の闘士
 伸びてゆけ
  題目あげて
    富士までも

 それぞれの誓願の国土においても、使命の人生においても、艱難があり、試練がある。しかし学会っ子は、大変であればあるほど、勇み立つ「負けじ魂」を持った闘士である。
 大聖人は、あらゆる大難を乗り越え、末法広宣流布を担う「地涌の菩薩」について、「よくよく心を鍛えられた菩薩なのであろう」(御書1186ページ、通解)と述べられている。
 苦難に負けないこと、屈しないこと、そして乗り越えること──それは言い換えれば、本来、鍛え抜かれた偉大な生命を持っているということなのである。
 地涌の生命の底力が、どれほど深く、どれほど強く、どれほど大きいか。
 御書には、ありとあらゆる大難の怒濤を勝ち越えていく力を、厳然と記し留めてくださっている。
 眼《まなこ》を開いて見れば、皆が大聖人に直結する、尊貴な地涌の菩薩なのである。
 あの凛々しい青年も!
 あの清々しい乙女も!
 いかに時代の混迷の闇が深くとも、胸中に希望の光を抱いて、創価の青年たちは粘り強く、前へ前へと歩みを進めていくのだ。
 御聖訓には仰せである。
 「きた(鍛)はぬ・かね(金)は・さかんなる火に入るればと(疾)くと(蕩)け候、冰をゆ(湯)に入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり」(同1169ページ)
 人生は長い。誰しも思いもよらぬ苦難や宿命の熱火が待ち受けている。その試練を乗り越えていく生命力を、若い時代に確固と鍛えていくことが、いかに大切か。青春の日々に、学会活動という生命の鍛錬の仏道修行に励んでおくことは、一生涯、そして永遠にわたる無上の財宝となる。
 健康第一で、挑戦の課題を明確に決めて、朗々と唱題を重ね、富士の如く揺るぎない、自分自身を創り上げていっていただきたい。
     ◇
 断固して
  負けぬ人生
    飾りゆけ
  父母 偲び
    同志《とも》を忘れず

 時に、懸命な努力が報われず、悔しい思いをすることがあるかもしれない。
 しかし、変毒為薬の妙法である。無駄なことは一切ない。全部、次の新たな勝利につながる。そう確信し、決意して、わが道を悠々と進んでいくことだ。華やかな脚光を浴びている人を羨む必要などない。
 自分は自分らしく、胸を張って朗らかに前進していくのだ。そして、最後に必ず勝つのだ。お世話になった父母や友人たちに喜んでもらえる歴史を残すのだ。
 学会の同志の励まし合いは、最高の支えである。

華陽の友が新出発
 今回、女子部は、これまでの「ヤング・リーダー」を新名称に改め、「華陽リーダー」として清新にスタートした。嬉しいことだ。女子地区リーダーと共に、第一線の希望の花と咲き薫ってもらいたい。
 北海道の女子部からも、早速、大空知《だいそらち》総県をはじめ全道で、新たな「華陽リーダー」がはつらつと前進している様子を伺った。
 北海道女子部といえば、もう半世紀以上前になるが、厳寒の1月、懐かしい小樽市公会堂で「日厳尼御前御返事」を学び合ったことが思い出される。
 この折、一人の女子部の友から「折伏が思うように進まないのですが」との質問があった。
 その悩みそれ自体が、仏の心に通ずる気高い悩みである。私は最大に讃えつつ、申し上げた。
 「折伏については、結局は相手を思う一念です。一人の不幸な人を救おうよ。
 一人の命は地球よりも重いのです」と。
 大聖人は「一人を手本として一切衆生平等」(同564ページ)と仰せであられる。
 「一人」の中に、尊極無比なる生命を見出すのが、仏法の慈悲の眼である。
 「一人」の生命には、人類へ広がり、大宇宙を包みゆく壮大な仏の力が秘められている。その力を一人一人、呼び覚まし、糾合し、広宣流布の大潮流を起こしゆく「仏事」こそが、我らの対話なのである。
 思えば、私の妻も、女子部の草創期、最前線の班長として頑張っていた。今でいえば、まさに華陽リーダー、地区リーダーと同じ使命を担い立って、あの蒲田支部の「二月闘争」も懸命に奔走したのである。
 だから、今回の発表を、とても喜んでいた。
 どうか、あの友も、この友も、明るく誠意をもって励まし、共々に生命の輝きを放ちながら、幸福と勝利の花園を伸び伸びと広げていっていただきたい。
        ◇
 法華経は、地涌の菩薩を「人中《にんちゅう》の宝」と説く。
 妙法の青年こそ、世界の宝だ。宝の中の宝だ。
 青年がいる限り、青年の生命が輝きゆく限り、絶対の希望が、私たちの前に光っているのだ。
 日蓮大聖人は、「地涌の菩薩が末法衆生を利益《りやく》されることは、魚が水中を自由に泳ぎ、鳥が天空を自在に飛ぶようなものである」(同1033ページ、通解)と仰せになられた。
 妙法とともに、師弟して広宣流布に進む生命には、この地涌の菩薩の自由自在の力が尽きることなく湧き起こってくる。
 我らの栄光は、自分一人の栄光ではない。世界192力国・地域の友が喜び、末法万年に続く後輩たちに励ましの光を贈りゆく“生命の金メダル”だ。
 さあ、生き生きと前進だ。夏の青空に、青春勝利の旗を、高々と掲げゆこうではないか!

 偉大なる
  青春乱舞の
     勝利劇

 エマソンの言葉は『エマソン選集7 たましいの記録』小泉一郎訳(日本教文社)。