10 ―― 法悟空 起稿の天地・長野



―― 「言論の国」から人間主義の光 ――

 2月11日は、戸田先生の99回目のお誕生日。

 しかも、今年は、先生が逝去されてから、40回目となる。お祝い申し上げる感慨も、また無量。

 19歳で先生に出会い、お仕えし、育てられた私である。先生の前では、永遠に青年でありたい。

 わが師匠に褒めていただける、本当の青年の、本物の弟子の戦いをと、強く、深く、心に誓う日々。

 私が、先生の伝記小説の執筆を決意したのは、1957年(昭和32年)、師の生前、最後の夏。先生が静養されていた軽井沢に呼んでいただいた時のことである。

 その日、8月14日。

 先生と、初めてお会いしてから、10周年の記念日であった。

 静養といっても、先生の頭脳は休む暇(いとま)もない。

 学会の将来の展望。私に対する種々の指導。また軽井沢地区の幹部と懇談し、激励されてもいる。

 この時、翌月の9月8日に、青年部への遺訓の第一として発表された「原水爆禁止宣言」についても、深い思索を重ねておられた。

 「未曾暫廃(みぞうざんぱい)」(未だ曾て暫くも廃せず)の文の如く、その戦いは、止むことがなかった。

 ”この師の真実を、誰が永遠に残すのか。それは身に影の添うように、先生に仕えることのできた、栄誉ある私の使命ではないか”

 それまでも、幾度か胸に去来した小説『人間革命』の執筆の思いは、ここで定まった。

 現在の『新・人間革命』もまた、先生の薫陶を受けた弟子が、いかなる人生を歩んだか――その事実をもって「師の偉大さ」を証明したいと思い、あえて筆をとった私。

 93年(平成5年)8月6日。あの「原爆の日」の午後であった。

 私は、軽井沢の長野研修道場で、インドのガンジー記念館館長のラダクリシュナン博士とお会いした。

 博士は、「魂の力は原子爆弾より強い」とのガンジーの信念に触れ、一人ひとりの「魂の力」を引き出していくことが、平和を生み出していく、根本的運動であると語っておられた。

 そして、創価学会は、世界稀なる未来を志向した偉大なる存在であると称賛してくださった。

 人類の生存の権利を脅かす核兵器は、人間の生命に潜む、権力の魔性の権化といえる。この魔性を打ち破る「魂の力」、仏の生命を涌現する戦いこそ、「人間革命」である。

 この日の朝。法悟空は、『新・人間革命』の執筆を開始。

 「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない・・・・・」

 あえていえば、それは、「原爆の日」に、自ら下した、平和への闘争宣言であった。

 戦争の世紀の、傲慢無知な権力の魔性を断ち、人類の悲劇を、二度と繰り返さないために。

 思えば、長野は「満蒙開拓」に、日本で一番多くの人を送り出した県である。その数、およそ3万4千人。

 その半数近くの方々が、大陸で亡くなり、犠牲者の数も全国最多といわれる。

 戦争の傷跡は、この濃い緑の天地にもある。

 戦前、長野で活躍した反骨のジャーナリスト・桐生悠々氏は言った。

 「信州は言論の国」

 聡明で、自立心の強い県民性が、闊達な言論を育んできたのであろうか。

 彼は、第二次大戦になだれ込む当時の世界を、「畜生道の地球」と断じた。人倫絶えたり、と。

 私も、権力の魔性がうごめく、現代の「畜生道」と戦うために、一人、人間主義の言論戦を勇敢に起こしたのである。

 わが師の心を胸に、この「言論の国」、思い出深き長野の地で。

 7日、いよいよ長野冬季五輪が開幕した。

 恩師も私も、幾度となく足を運び、幸福の楔を打ち込んできた天地で、平和の祭典が繰り広げられる。

 「平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩」――心から大成功を祈る。

1998年2月8日(日)掲載