「『3・16』の大儀式を偲びつつ」


 我は、師弟の誓いを果たしたり。

 我は、同志の誓いを果たしたり。

 我は、わが信念の目的を果たしたり。


 富士の裾野に集いし、あの日から、新しき広宣流布の回転は始まった。

 この日は寒かった。

 秀麗なる富士が、堂々と見守っていた。

 「3・16」の儀式は、晴れ晴れとしていた。

 戸田先生が、若き青年部に、確かに、広宣流布をバトンタッチすると宣言なされた。

 若き弟子たちの心は燃えた。使命は炎と燃え上がった。

 1958年(昭和33年)のあの日、余命幾ばくもなき、我らの師・戸田城聖先生のもとに、6000名の若き弟子が集まった。

 皆、生き生きと、この日を祝った。

 日本中から集った、若き広宣の健児が、握手をしたり、肩を叩いたり、談笑している姿は、未来の勝利を勝ち取った喜びの姿に見えた。

 あの日から、40周年の不滅の歴史が流れた。

     ◇

 この年の3月、1ヶ月間にわたり、先生のご生涯の総仕上げともいうべき、数々の行事が続いていた。

 2月末、先生ご到着。お体の具合は甚だ悪い。何度も医師を呼ばねばならぬ状況であった。しかし、病篤き広布の師の声は、厳然として鋭かった。

 「大作、絶対に、私の側から離れるな。いいか、四六時中、離れるな」

 思えば、先生は常に「私のいる所が本部だ」と言われていた。早朝から深夜まで、師は私を呼ばれた。

 時には、午前3時ということもあった。急ぎ駆け付けると、先生は「大作は、隼のようだな」と一言。先生をお守りするため、そのまま一日、寝ずに駆け回ったこともあった。

 前年11月に倒れられた時も、「大作はいるか!大作はいるか!」と、私を呼ばれ続けた先生。

 恩師は、その病を乗り越えられ、3ヶ月後の2月11日、58歳のお誕生日には、快気祝いをされた。医師も驚くほどの、奇跡的な回復。妙法の大功力を実証されたのである。

 しかし、先生の命は、燃え尽きんとしていた。死の方向へと進んでいた。それを知るは、先生ご自身と、真正の弟子である私だけであった。

     ◇

 3月1日、先生は、私に言われた。

 「大作、あとはお前だ。頼むぞ!」

 それから間もなく、こう提案された。

 「3月16日に、広宣流布の模擬試験、予行演習ともいうべき式典をしておこう!」

 先生は、再起は不能であり、自らが、再び広宣流布の陣頭指揮をとることはできないと、悟られていた。

 御聖訓に「命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也」(御書955?)と。

 「3・16」は、その御遺命のままに生き抜かれた先生の、不借の精神を永遠にとどめ、受け継ぐ儀式であった。

 また、先生から私へ、広宣流布印綬が渡される二人の式典であり、師弟の不二の儀式であった。

 私は、その深い意義を噛み締めつつ、いっさいの責任を担い、全力で大儀式の準備にあたった。

     ◇

 先生のお体は、日ごとに衰弱されていったが、「3・16」を迎えるまでは、私に、青年に、後事を完璧に託すまではと、必死に死魔と闘われた。

 私は、常にお側に随い、師にお仕えした。先生は、幾度となく、私を呼ばれては、重要な広布の未来図を語ってくださった。

 先生の一言一言は、すべて、私への遺言となった。全部が、後継の大儀式の序分となった。

     ◇

 この「3・16」の儀式には、総本山の見学も兼ねて、ある政治家が出席する予定であった。

 このころは、まだ宗門にも多少の「清流」があった。しかし、今は、完全に「濁流」と化してしまった。

 その政治家と戸田先生とは、友人であった。

 だが、当日の朝になって、横槍が入り、欠席すると電話してきたのである。

 先生は激怒された。電話口で、「あなたは、青年たちとの約束を破るのか!」と、鋭い語調で叫ばれた。

 電話を切られると、先生は、こうもらされていた。

 「政治家は、所詮は妥協だ。そして、今度は裏切りか。これが日本の政治家の本質だ」

 毀誉褒貶は世の習いとはいえ、風聞になびき、自己中心に利害のみで行動する輩の、なんと多きことか。信念がない。何のため、という目的がない。

 まして、人びとに奉仕するなどという考えそのものが決定的に欠落した徒輩の、なんと目立つことか。

 足を引っ張り合い、力ある人を認めず、我賢しと錯覚して、小さき島国で世界の趨勢に気づかず、ちっぽけな自己満足に溺れる――戸田先生は、政治家たちの本質を、鋭く見抜いておられた。歯牙にもかけられなかった。

 先生に、落胆は微塵もなかった。

 「誰が来なくとも、青年と大儀式をやろうではないか!」

 後継ぎの真実の青年さえいれば、それでよいというのが、先生の胸奥のお心であった。

     ◇

 また、先生は、まだ儀式の日程も決まらぬうちから、青年をどうやって励まそうかと、手を打たれていた。

 早朝、到着することになる青年たちのために、豚汁をふるまう用意もされた。

 その時、3頭の豚をつぶしたが、先生は「皮は残しておけ」と命ぜられた。

 先生の逝去後、私は、この豚皮でペンケースを作り、青年の代表、107人に贈った。

 絶対に、亡き恩師の心を忘れるな、生涯、学べ、生涯、戦い続けよとの思いを込めて。

     ◇

 「私が断固として指揮をとるからな」

 戸田先生は、こう言われたが、お体の衰弱は極限に達していた。既に、歩くことも困難になっていた。

 私は、先生はお乗せするために、信頼する青年に指示して、車駕を作った。

 先生は、「大きすぎて、実戦に向かぬ!」と叱責された。最後の最後まで、命を振り絞っての、愛弟子への訓練であった。そのありがたさに、私は心で泣いた。

 弟子の真心に応え、先生は車駕にお乗りくださり、悠然と、指揮をとられた。

 車駕を担いだ青年たちの顔には、喜びがあふれ、額には黄金の汗が光っていた。

 ここに、その名をとどめておきたい。

 阿部由三、井崎直人、石井武治、遠藤良昭、岡安孝明、小川新一郎、黒柳明、郡司三郎、小林晃、小林宏、近藤伸一、沢田和雄、新谷義雄、高橋渉佑、高橋直真、館岡倉市、坪井保男、西方一之、八矢英世、藪仲義彦、渡部一郎等である。

     ◇

 晴れの式典の席上、戸田先生は宣言された。

 「創価学会は、宗教界の王者である!」

 この師子吼を、私は生命に刻んだ。いな、断じて“王者”たらねばならぬと、深く、深く心に誓った。

■広宣の「魂のバトン」は青年に

 「宗教界の王者」とは、思想界、哲学界の王者という意義がある。

 王者の「王」の字は、横に「三」を書き、「一」の字を縦に書く。

 「三・一六」の「三」と「一」に通じようか。

 また、「六」とは、集い来った六千の使命の若人、そして、後に続く六万恒河沙地涌の同志なるか。

 「3・16」の大儀式は、「霊山一会儼然未散」(霊山一会儼然として未だ散らず)の姿さながらに、我らは思えた。

     ◇

 式典終了後、バスで帰途につく青年たちを、私は、音楽隊のメンバーとともに、全魂を込めて見送った。

 やがて、彼らも帰る時刻となり、あいさつに来た。その時、私は音楽隊に頼んだ。

 「申し訳ないが、もう一曲、演奏してくれないか。二階に戸田先生がおられる。お別れの曲を一曲」

 隊員たちは、快く荷をほどき、一生懸命に演奏してくださった。曲は、あまりにも思い出多き、「星落秋風五丈原(ほしおつしゅうふうごじょうげん)」(土井晩翠作詞)である。

 祁山悲秋の風更けて

 陣雲暗し五丈原……

 ……今落葉の雨の音

 大樹はひとたび倒れなば

 漢室の運はたいかに

 丞相病あつかりき

 その詩を思い返しながら、私は、心で叫んでいた。

 “先生、お聴きください。青年部は、弟子たちは意気軒昂です。ご安心ください!”

     ◇

 大儀式が終わって間もないある日、宗門の腐敗の兆候を感じとられた先生は、厳として言われた。

 「追撃の手をゆるめるな!」

 先生は、必ず宗門が「濁流」となりゆくことを、明らかに予見しておられた。この言葉は、恩師の遺言となった。

 戸田先生は赤誠によって建立された壮麗な大講堂をはじめとする伽藍も、峻厳な大聖人の御精神を受け継ぐ、創価の後継の若人ありてこそ、仏道修行の道場たりえるのである。

 腐敗・堕落し、法師の皮を着た畜生らの悪の陰謀の場となれば、腐臭漂う仏法破壊の温床となり、社会を滅ぼす。

 ゆえに、大聖人は、万祈を修せんよりはこの一凶を禁ぜよ、と坊主の腐敗を弾劾されたのである。

 民衆の安穏を願い、平和を願うならば、世を毒する悪の根を退治せよ、との宣言であられる。

     ◇

 先生は、この「3・16」の大儀式から、17日後の4月2日、偉大なる生涯の幕を閉じられた。

 「3・16」は、先生とのお別れの、バトンタッチの儀式となった。

 先生亡き後、「学会は空中分解する」というのが、世間の厳しき予想であった。

 “師の言葉を虚妄にしてなるものか!”

 私は、師弟不二の“魂のバトン”を握り締め、走りに走った。

 あの日から40星霜。学会は、思想界の王者、人権の王者、平和の王者として、世界の空高く飛翔した。

 40年の歳月は、人々を厳しく峻別した。

 退くものは退き、悔恨の汚泥に沈んだ。裏切った輩は、「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(御書1190?)との御金言通り、厳然たる審判を免れまい。

 私とともに歩んだ歴戦の友は、人生の凱歌をあげている。その尊き友を、私は、永遠に顕彰し抜きたい。

 師匠の教えを実現してこそ弟子である。誓いを果たしてこそ弟子である。そこに私の最大最高の誇りがある。

 日蓮大聖人は「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」(同231?)と仰せである。

 決意の一念が、現在の行動が未来を決する。

 「3・16」とは、弟子が立ち上がる、永遠の「本因の原点」の日だ。

 私にとっては、毎日が新しき決意の出発であり、毎日が「3・16」であった。

     ◇

 今、21世紀の大山脈は、旭日に染まり始めた。

 「3・16」の方程式に則り、創価の魂のバトンは、完全に青年に託した。いよいよ、その「壮大な時」は来はじめた。

 草花も、生き生きと、緑と花の乱舞の三月。

 私が愛し、信頼してやまない青年たちよ!

 21世紀は、君たちの大舞台だ。

 君たちの出番が遂に来た。

 厳然と始まった。