大中国の陣列
おお、君らが、新しき朝日を昇らせた!
君たちが、古き世をば、勇敢に、新しき世に変え抜いた!
君らの誇りは、光となりて、遠い果てまでも、わが国の誇りを高めた。
おお、新時代の扉を開きし勇者たちよ!
中国の夜明けの獅子たちよ!
明治維新の青年たちよ!
命を張って、時代を変えた。
彼らは見事に戦い勝った。
過去を振り返れば、暗き底知れぬ闇があった。
現在に目を向ければ、乱世の激流が渦巻いていた。
その時、君たちは、未来を見つめた。
君たちは、未来を大歓迎した。
不死不滅の決意で、歴史の深みに潜って、新しい歴史の塔を打ち立てた。
偉大な人材の中国の天地よ!
◇
ある日、ある時、わが師匠が、私に命じた。
「中国が遅れている。中国の広宣流布を開拓せよ!」と。
私は「わかりました!」と、即座にお答えした。
「新しい信仰を謳いながら、必ず私は、人間機関車の如く突進します。
そして、あの山口の雄大な風景を貫いて、広宣流布の反響をこだまさせて見せます!」
電光石火、出陣の準備を整えると、私は飛ぶようにして、近代日本の夜明けを開いた、歴史も深き中国の天地に走った。
◇
一九五六年(昭和三十一年)の十月のことである。
山口では、わが同志は僅少であり、全く広布の拠点のない状態であった。
恩師の心は、多くの日本の元勲が出た山口に、広布の同志がわずかしかいないというのは、あまりにも情けない、と。
その力尽きたかのような心情が、私には深くわかっていた。
ある哲学者は言った。
「誓って立ちゆく人は、誰もが美しい」
わが屍を、この中国で埋める覚悟で、私は断固たる指揮を執り始めた。
この十月を第一陣として、翌十一月、さらに翌年の一月と、私の転戦は、都合三度(みたび)にわたった。
”要衝の地”下関に第一歩を印して、岩国、防府、山口、柳井、徳山、宇部、そして、日本海側の萩……。
私は駆けた。
西へ、東へ。
また、北へ、南へ。
わが激闘の間にも、瀬戸の海の光は、青年を包みて悠然としていた。
日没が迫れば、海流は朱に染まり、浮かぶ小さき島々にも、金波が寄せてゆく。
多数の帆は、外洋に向かう汽船であろうか。
港に響くは、品物を運ぶ荷車の音、威勢のいい、人びとの声……なんと生きた人間の街であろうか。
◇
人材を見つけよう! 人材を育てよう! 新たな人材の陣列をつくろう!
あの地、この地で、私は、名もなき庶民のなかに飛び込んでいった。
九月末に約四百六十世帯であった山口は、”開拓指導”が終わった翌年の一月末には、四千数十世帯へと、およそ十倍の飛躍を遂げた。
さらに、その歓喜と決意の波動が、中国の豊かさとなり、肩を並べて各県の拡大を生んだものである。
◇
「『塵も積もれば山となる』という言葉はあるが、実際には塵が積もって山となったことはない」とは、牧口先生の教えである。
激しい地殻変動が山をつくるように、熾烈な大闘争が偉大なる歴史をつくる。
大悪と戦ってこそ大善の境涯はつくられ、大難を越えてこそ、偉大なる人格はできる。
今日の、大中国の陣列も、あの渾身の”山口闘争”で、私とともに戦ってくださった同志の尊い汗と涙で、築かれたのである。
あとは、その上に、自身の最高峰の戦いをもって、新しき「常勝」の歴史を開拓することだ!
◇
戸田先生が、逝去される前年のことである。
十一月十九日――。
先生は翌日、広島に行かれるご予定であられた。
しかし、先生のお体の衰弱は激しく、長旅は命にかかわると判断した私は、中止をお願いした。
師は叫ばれた。
「仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか!」
「死んでも俺を、広島に行かせてくれ!」
九月八日の、あの「原水爆禁止宣言」から、二カ月余が過ぎていた。
しかし、先生は最早、歩くことさえ危険であった。
また、医師たちからも、厳しく止められていた。
私は「先生の弟子たちが、大勢、広島におります。後継の戦う青年が無数におります。どうか、安心してください」となだめた。
やがて、先生は言われた。
「わかった。いっさい、君に任せる!」
◇
人間は、いずこより来りて、いずこへ往かんとするか。
その三世永遠の生命を知る仏法者こそ、大哲人である。
いかなる社会の高位・高官の人よりも、その深さと高さは、比較にならない。
これを知った人は幸福であり、何も恐れるものはない。
私の言葉を聞き給え!
未来に輝ける君よ!
妙法に勝る不滅の太陽はないことを、君たちに教えたいのだ。
卑しい寄生虫に侵される、卑屈な人生を捨てゆけ!
世にも陰気な、狡賢き徒輩の、仲間にはなるな!
人間になるのだ!
真実の人間になるのだ!
これが、仏法である。
君の友のために走れ!
民衆のために働け!
太陽と月と星の道を、君らしく胸を張って進め!
健康で、正直な少年のような心で、生き生きと、善の予定表を作って生きることだ。
◇
私は、長い長い山口の旅路を、今も懐かしく思う。
あの一日一日のなかに、幾世紀の歳月に通ずる、無数の希望と思索と勝利と、そして、無数の歴史を刻んだことを喜びとする。
私は、懐かしき山口と全中国の同志に、喝采と興隆と善意の万歳を送りたい。