146 晴れ渡る5月3日



 場内から、身震いするようなうねりの音が聞こえてきた。

 もう一度、また、もう一度と、吹き鳴らしゆく音楽隊の大演奏が、巨大な日大講堂を揺り動かしていった。

 一九六〇年(昭和三十五年)の五月三日、第三代会長の就任式である。

 皆が、未来を見つめ、高鳴る心臓と、きらめく星のごとき瞳をもって、世界広布を見つめていた。

 なんと不滅なる決意であろうか。

 なんと尊き使命であろうか。

 御聖訓には、「一身一念法界に遍し」と仰せである。

 それは、時間と空間とを超越して集いし、勇者の一人ひとりが、久遠元初の大舞台へ、踊りゆかんとする光景であった。

 この創価の偉大なる先覚者たちが、昼となく夜となく走り続ける法戦の大道は、諸天善神が見守り、太陽も月も星たちの輝きも、みな讃嘆し、合掌しているように見えた。

 広宣流布の行動のために、幾たびとなく、憎悪の嵐が吹きまくってきた。

 また、不正の非難や圧迫によって、日本列島の各地で、わが愛する同志たちは傷つけられてきた。

 しかし、仏意仏勅に生き抜く創価の友には、微塵も恐れる者はいなかった。

 すべての生命が勝ち誇って、勇壮なる曲調の歌に合わせながら、凱旋しゆく雄々しき姿を、仏菩薩も喝采し、包んでいた。

 重砲の爆音にも微動だにせぬ、忍耐と決意をもち、最後まで大勝利を信じ抜いて戦う地涌の戦士は、不滅にして壮大なる信仰の力をもっている。

 我らには、すべてが楽しい、大喜びの凱歌の行進曲が、毎日、聞こえてくる。

 朝夕の勤行は、大宇宙と一体の完全なる勝利のリズムである。

 喜びと智慧と自由と尊厳なる生命の凝結であるからだ。

 我らは、狂気に満ちた迫害、崩れ堕ちた非人間性の輩には、断じて負けない。

 常に未来を語り、共に笑い、共に励まし合い、清浄な生命に満ち満ちた最高峰の大城から、哀れな傲慢な者たちを見下げている。

 我らは、無限の宇宙の太陽のごとく、悠然と楽しく生き抜き、そしてまた、充実と生気にあふれた正義の剣を持ち、戦いゆく最高の人生を闊歩しているからだ。

 君も私も、歌い続けよう!

 私も、あなたも、歩み続けよう!

 下品な怨嫉の低次元の沼を見下ろしながら、諸天善神が歓迎する、豪快な、そして黄金色の微風に包まれながら、高邁な世界の友人と共に握手をしよう!

 わが同志よ!わが友よ!

 中国の唐の大詩人・李白は謳った。

 「大鵬 一日(いちじつ) 風と同じく起ち

 扶揺 直ちに上る 九万里」

 ――大鵬が、一日、風とともに飛び立てば、旋風を巻き起こしながら、たちまちのうちに、九万里のはるかを飛翔する。

 一九五一年(昭和二十六年)の五月三日。戸田先生は、この日、会長に就任なされた。

 私も、同じ五月三日に、会長に就任した。

 皆様のために!

 全同志のために!

 広宣流布のために!

 「5・3」は最初のスタートであり、そしてまた、最後の完勝の合図の時である。

 この日は、大いなる魂の勝利と栄光の最盛期を実現しゆく、我らの大きな記念日である。

 嵐にも断じて揺るがぬ、五月三日。

 歓喜と常勝の希望に燃える五月三日。

 全世界の友が喜び、そして祝賀し、戦闘の決意を深めゆく五月三日。

 私たちには見える。

 私たちを見守り、賞賛して、笑みを湛えゆかれる大聖人のお姿が!

 遠くにいるわが友。

 病に臥しているわが友。

 不況に奮闘しているわが友。

 ありとあらゆる境遇で戦い抜いているわが友。

 しかし、すべての友の目的は明確である。その行動も、また決着の結論が明確である。

 それは、「勝利」である!

 「幸福」である!

 永遠にわたる「正義」である!

 因果の理法に則った「長者の実像」である。

 ゆえに、世の誤解など恐れることはない。

 地上の幽霊たちを恐れてはならない。

 心の破滅した連中からの非難など恐れる必要はない。

 哀れな憎悪の中傷など恐れるに足らない。

 これこそ、経文通りの「悪口罵詈」だからである。

 我々は、二十一世紀の、いな末法万年の全人類から、涙を流しながら感謝される、偉大な開拓者なのだ。

 いわゆる、はかなく割れるガラス窓の人生ではなく、ダイヤモンドの生命をもった王者なのである。

 暗く長い、地下牢のような社会を突き抜け、常楽我浄の仏天の世界への人生を生きゆくことができる、人間として最高無上の正しき航路を歩んでいるのだ。

 その「意志」と「戦い」と「法則」が究極の因となって、一切の勝敗は明快に定まっていくことを、我々は知っている。

 仏法では「久遠即末法」「瞬間即永遠」と説く。

 久遠の尊貴な誓いを果たすために、今世の行動がある。

 永遠にすべてを勝ちゆくために、瞬間瞬間の実践と戦いがある。

 それに反した人びとは、暗く、苦しく、わびしく、そしてまた敗北となり、地獄となる。

 あの日の五月三日は、大晴天であった。

 全集合者の胸中も、また大晴天であった。

 「久遠元初」の五月三日も、また、同じであったにちがいない。

 日蓮仏法の正統である、わが正義の学会は、かの宗門の陰険と策謀に狂った弾圧に対しても、微動だにしなかった。

 我らを苦しめ、暗黒と策略と迫害を迫ってきた、脅迫犯等々の一派にも、まったく屈しなかった。

 中国の明の文人劉基は言った。

 「万夫 力を一にすれば 天下に敵無し」

 ――万の丈夫が団結して、力を一つに合わせれば、どんな敵にも勝てる。

 満々たる創価の光彩は、百五十六ヶ国に広がり、夢に見た世界広布の平和の大山脈は、燦然と輝き始めた。

 我らは戦った!

 我らは勝った!

 「五月三日」は、「創価」という仏の軍の、大勝利の祝日である。

 卑劣なる  提婆を我らは  倒しけり

         正義の創価の  力を示して