262 新会員の友を全力で育成


幸福の道 広布の道を共々に
?自分以上の人材に″と祈りつつ



 めぐりくる春の、その花びらは美しい。  人間の歴史には、厳寒のごとく虐げられた、苦痛の歴史があまりにも多い。  しかし、春の勝利は、忍耐強く待つことである。

 そういえば、二百年ほど前のドイツの著名な学者が言った言葉がある。  その大意は、自分自身を根本的に改善していくことによってのみ、そこに新しい光が、自分自身の生存の上に、また使命の上にさし登ることができる――というものであったと記憶している。

 ともあれ、その彼、フィヒテは、心の改善のみが真の知恵をつくりあげると訴えたのである。  これは、私たちの叫ぶ人間革命、精神革命の大道を歩む正しさを証明し、励ましてくれる言葉ととれるであろう。

 フィヒテは、カント、ヘーゲルとともに、ドイツ観念論を代表する哲学者であり、べルリン大学の学長も務めた教育者であった。  大変な苦労人である。  紐織り職人の子として生まれ(一七六二年)、青年時代は貧困と不遇のなか、学問の道で身を立てんとして努力を続けた。

 大哲学者カントが、フィヒテ青年の論文を高く評価し、出版を援助したことから、世に知られるようになる。  さらに大文豪ゲーテの推挙も受けてイェーナ大学に職を得ると、精力的に講義を行い、聴衆を魅了する、活力ある教師として活躍していく。

 青年を励まし、活躍の道を開くことが大事である。  しかし、新しい力の台頭に圧迫もつきものだ。 フィヒテは、厳格な道徳的信念ゆえに聖職者たちから敵視され、妥協を拒否したため、イェーナ大学を去ることを余儀なくされている。  だが、真金はどこまでも真金である。彼の真骨頂は、祖国の危機において、真の輝きを現した。

 ベルリンがナポレオンの占領下に置かれた時、フィヒテは連続講演を行い、命を狙われる危険にも属せず、?新しい教育こそが祖国を救う″と訴え、失意の国民を鼓舞したのである。  それが有名な『ドイツ国民に告ぐ』であった。

 烈々たる彼の言葉に、こうあった。  「私たちは精神を屈服させてはならない。さればこそ私たちはとりわけ精神を、しかも堅実な精神を養はなければならないのだ」(小野浩訳)

 毎日、私のもとには、全国の同志の皆様から、「対話が実りました」「友人が入会しました」等々、喜びに弾む声が多く寄せられている。  誠実と友情が織りなす、決意と歓喜の物語を伺うたび、私の胸は熱くなる。

 五十七歳で入信された牧口初代会長は、その心境を述懐して言われた。  「言語に絶する歓喜を以て殆ど六十年の生活法を一新するに至った」  信仰とは、まさに、新たな人生の出発である。

 私は、新入会の皆様方に、「おめでとうございます! 共々に、最高に幸福な人生を築いていきましょう!」と、心から祝福を申し上げたい。

「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり、此の経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり」(御書一一三六?)これは、私が十九歳で信心してより、深く胸に刻んできた一節である。

 今年で入信五十五年――。この間に、私は、それこそ何十万、何百万人という方々の人生を見守ってきた。  その結論として、この御文通りに、まじめに信心を貫いた人は、必ず幸福になっていると断言しておきたい。

 日蓮仏法は「一生成仏」の大法である。必ずこの世で、必ずこの一生で、絶対の幸福境涯を築いていける。  「信仰」を待ったということは、生命の心田に「仏種」をまき、勝利の「善苗(ぜんびょう)」を植えたのである。

 あとは、それを育み、いかなる嵐にも揺るがぬ「大樹の自分自身」をつくり上げねばならない。 大事なことは、「持続」である。何があっても、信心を貫き、学会と共に、同志と共に生き抜くことだ。

 御聖訓には、「仏になる道は善知識に勝るものはない」(同一四六八?、通解)と明言されている。 この「善知識」、すなわち 「善き友」にあたるものが、創価学会の組織であり、信心の先輩・同志である。

 今日、偉大な庶民の賢者として活躍している先輩たちも皆、学会のなかで、「信心の基本」を教わり、「正しい人生」を知ったのである。 「聡明な、みのりゆたかな友人と共に暮せば、この人生は二倍にも十倍にもなるものだ」(小泉一郎訳)とは、アメリカの哲人エマソンの名言だ。

 草創期の学会では、「タテ線」といって、布教した人の人間関係をたどり、各地に組織がつくられていた。  私も、よく存じ上げているが、北海道・釧路の大村龍太郎さん、幸子さん夫妻は、昭和三十年代に約五年間、日本列島を縦断して、熊本まで、何度も通われた。列車を乗り継ぎ、片道二千七百キロにも及ぶ長旅である。

 入信間もなく転勤で故郷・熊本に戻った、地区員の筌場安行(うけば・やすゆき)さん、笑子さん夫妻の激励のためであった。 大村夫妻は、地区部長、地区担当員として、二、三カ月に一度、交代で熊本を訪れては、信心指導を重ね、共々に弘教に走った。

 やがて福岡や大分にも同志が生まれ、約二百世帯に拡大すると、筌場さん夫妻を中心者として、誇らかに釧路中央地区「九州班」が結成されるのである。 一人を大切にし、思いやる「真心」に距離は関係ない。  直接、行ける、行けないではなく、友の成長を祈る一念がある限り、励ます知恵は無限に湧くものだ。

 ともあれ、相手の幸せを祈っての折伏である。入会そのものは、三世永遠の幸福への入り口といえる。  先輩の皆様は、かつて自分が面倒をみてもらったように、新入会の方々のよき相談相手となり、自立した信仰者として自行化他の実践に励めるよう、温かく育成していっていただきたい。

 何事も「最初が肝心」であり、「基本が大事」である。  スポーツなどでも、最初は基本動作を何度も繰り返し、徹底して体に覚え込ませることから始める。  基本をいい加減にして、一流になった選手は一人もいないだろう。  いわんや、信心は、永遠の幸福への大道である。当然基本を正しく身につけることは絶対に不可欠である。

 その信心の基本が、「信・行・学」の実践だ。  蓮祖は「行学の二道をはげみ候べし、行学た(絶)へなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(同一三六一?)と仰せである。

 御聖訓には、人生にとって、果てしなく晴れやかな勝利と栄光の大道が明確に示されている。この永遠の幸福の道は、広宣流布への「行動」以外にない。

 私たちは、過去の謗法の罪と苦痛とを残らず吹き飛ばし、今こそ、幸福な青春の誓いのごとく、久遠の使命を燃やしながら、悠然たる勝利の楽園に向かって進みゆくのだ。人生の宿命の偉大なる転換を成し遂げながら、新しき不変の幸福へと生活の転機をつくりゆくのだ。  その根本的な変革がなけれぼ、いかに安楽な休息をとっても、そこには本当の幸福はないのである。

 わが友よ、愚かな道にしがみつき、怒り苦しみゆく人生であってはならない。  目標をもたぬ人生はわびしい。やがて、暗闇に入っていくにちがいない。  断じて地獄の声にだまされてはならない。自らにも、人びとにも喜びを与えゆく人生であれ! 苦しみを与え合う不幸な人生には、断じてなるな!

 私たちは、今日も、新しき生き生きとした道を歩みゆくのだ。そして新しい友を、新しい兄弟たちを呼びながら、共に力を讃え合いながら、不滅の太陽の光に包まれながら歩むのだ。  ひとたび、わが胸中に築いた「心の財」は、自分で崩さぬかぎり、誰びとにも壊されはしない。

 ナチスの迫害のなか『アンネの日記』を残した、アンネ・フランクは書いた。  「どんな富も失われることがありえます。けれども、心の幸福は、いっときおおいかくされることはあっても、いつかはきっと よみがえってくるはずです」(深町 真理子訳)

 ともあれ、先輩の皆様方は、自らの姿で広布に生きる喜びを示しながら、新会員の友を触発し、仲良く進んでいただきたいのである。  その根本は、?後輩を自分以上の人材に″と祈る慈愛であり、励ましの心である。

 あの「熱原の法難」では、農民信徒の神四郎、弥五郎、弥六郎の三人の兄弟が、信仰を貫いて殉教した。  この?広布の鑑″と草えられる三烈士は、前年に信心を始めたばかりであった。

 信心は年数ではなく、「心」で決まる。  ?立派な人は常に初年兵の気持ちを失わない″と、ゲーテの言葉にあった。

さあ、新入会の友を心から励ましながら、そして、先輩はその瑞々しい息吹に学びながら、共々に新出発だ!