『師弟の絆と学会精神』
「もしも、もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」
45年前の今日、29歳の池田名誉会長は、空路、札幌から大阪に向かう乗り継ぎのため、東京・羽田へ。その折、衰
弱した体で駆けつけた戸田第2代会長は、病弱な名誉会長の体を心配し、渾身の激励を・・・。そして午後7時、名誉会長は大阪府警に出頭し、無実の罪で入獄した。
≪師に思いを馳せた弟子≫
この日は、遡ること12年前、45歳の戸田第2代会長が出獄した同日の、ほぼ同時刻であった。
戸田会長と池田名誉会長---。獄中にあって、胸中に去来したのは、ともに師への思いであった。
「私はまだ若い。先生(牧口初代会長)は七十五歳でいらせられる。どうか、罪は私一人に集まって、先生は一日も早く帰られますように」(戸田第2代会長)
「検事は、遂に、罪を認めなければ、学会本部を手入れし、戸田会長を逮捕すると、言い出した……私はよい。いかなる迫害にも耐える。しかし、先生のお体は衰弱の極みにある」(名誉会長)
最悪の状況下にあっても、師に思いを馳せた弟子。生死を超えた師弟の絆が、学会精神の骨髄である。世界の識者
は、創価の歴史に脈打つ「師弟」の息吹に、熱き共感の声を寄せている。
「師弟の絆とは、隷属的な関係ではなく、むしろ、師も弟子もともに、新たな人間性の高みへと引き上げるものです。昔から、この教訓は知っていましたが、貴殿(名誉会長)ならびに創価学会のことを知るまで、忘れておりました」
(アメリカ、バリツァー博士)
名誉会長は語っている。「戸田先生は、牧口先生を苦しめた宗門の悪を一生涯、許されなかった。私も戸田先生を苦しめた悪人を許さないし、絶対に忘れない」
日興上人も「弟子分帳」の中で、反逆・退転の徒の名を挙げ、「今は背き了ぬ」
「聖人御滅後に背き了ぬ」と断罪し、後世に残した。
≪極悪を破れば極善となる≫
師弟の絆を分断し、広布を破壊しようとするのが魔の働きである。その武器が嘘とデマであることは、いつの世も変わらない。魯迅は言った。「人を殺して血もみせない武器がある。それはデマを製造することだ」(竹内実訳)。
まことしやかに流される嘘とデマ---これを勇気の言論で粉砕し、師の正義を宣揚することこそ弟子の戦いにほかならない。「極悪を破れば極善となる」という歴代会長の魂の闘争に、今こそ連なろうではないか!