(269)知性の英雄・学生部



民衆と共に真の人間指導者たれ!

 「学なければ卑し」とは、ある裁判長の言われた有名な言葉である。その通りだ。  「学ばざるは卑し」である。私も、若き日より大好きな言葉であった。

 学びゆく人には、未来があり、希望があり、輝く勝利が待っている。  学ばざる人は、未来は闇のごとく、人間の魂の輝きがなくなっていく。  人生の勝利と幸福の決定打の一つは、学びゆく人に軍配があがる。

 ともあれ、激動の時代である。国家であれ、企業であれ、いかなる団体も組織も、生き残りをかけて熾烈な戦いをしている。

 その一方で、政界、官界、財界をはじめ、率先垂範をすべき指導者層の不祥事が後を絶たない。  何のための指導者か。私欲を捨てて責任を貫く、至誠のリーダーはいないのか。  「日本国には・かしこき人人はあるらめども大将のはかり事つたなければ・かひなし」(御書一二二〇?)とは、現在をも映す仏法の永遠の鏡である。

 今日ほど、リーダーシップの「質」が問われている時代はないであろう。  「改革が必要なのか、改革は君がするのか、  改革が必要であればあるだけ、その成就には『人格』が必要になる」(酒本雅之訳)  全く、この大詩人ホイットマンの言葉の通りだ。この言葉を、現在の政治家に伝えてほしいものだ。

 日本国中の人びとが心から待望しているのは、高潔なる「人格」を磨き上げた、人間主義の新しきリーダーである。  ここに、我が学生部の出現の使命もあるはずだ。

 人間は、それぞれ何かを持ちたいという希望がある。  ある人は社会的地位を。  ある人は財産を。  それは複雑雑多である。  すべて自由ではあるが、「法妙なるが故に人(にん)貴(とうと)し」との御文の通り、最も大事なことは、永遠不滅の絶対的幸福への妙法という大法を持つことである。

 これが釈尊の結論であり、蓮祖の結論であられた。 そこにのみ、永遠にわたる我が身と我が一族の、正義と幸福の大道が厳然とあることを忘れまい。

 学生部の結成。それは四十五年前(昭和三十二年)の、六月三十日であった。  東京・麻布公会堂に勢揃いした、瞳も涼やかな学徒のその数は約五百人であった。  戸田先生は、慈父のごとく喜ばれ、最大に激励された。

  "今日、ここに集まった学生部のなかから半分は博士に、そして半分は、それぞれの分野の大指導者に!″  学生部は、恩師が作られた最後の組織であった。体の表弱が進んでいた先生にとって、学生部への指導は最後の遺言となった。

 この日、私は北海道から、長文の祝電を送った。  「夕張炭労事件」で、労働組合の不当な人権弾圧から学会員を守るために奔走していたのである。  ――新しき世紀を担う秀才の集いたる学生部結成大会、おめでとう。戸田先生のもとに、勇んで巣立ちゆけ。

 その直後の七月三日、魔性の権力は、私を狙い撃ちにし、無実の選挙違反の容疑で逮捕・勾留したのだ。  「大阪事件」である。  正義の勢力が、常に傲慢なる黒き権力から嫉まれ、憎まれるのは、人間社会の一つの方程式であるといってよい。

 ゆえに広宣流布の途上にあって、迫害は必然の法理であり、悲しむよりも喜ぶべき方程式なのだ。  この学会の弾圧のなかに、若き未来に勝利の勝鬨をあげゆく学生部は結成されたのである。

 迫害のなかの誕生!

 弾圧のなかの出現!

 なんと素晴らしい学生部の原点であったことか。

 古代ギリシャの哲学者プラトンは叫んだ。   "炎の中で精錬されて、初めて黄金が出来上がる″  私と先生とは、よくプラトンなどを語り合った。懐かしい、懐かしい思い出である。  そしてまた、プラトンのこの言葉を、先生と確認し合ったものだ。

 往々にして、知性派は臆病である。学歴を持つ者に臆病な人が多い。  それに対して、庶民は大胆である。勇気がある。  ゆえに、まず、庶民の勇気ある土台を作り上げたうえに、知性派を組織してゆこうとは、先生との結論であった。そこに、相互がより良い方向へ、一段と昇華されてゆくにちがいないと、先生と私の対話が結ばれたのである。

 ともあれ、有名なクラーク博士は、「青年よ、大志を抱け」と言った。  私は、「青年よ、怒涛を乗り越え、勝利者になれ」と申し上げたい。

 現在、北海道の広宣流布の指導者として、雄々しく戦っている、ある幹部の体験を聞き、忘れることができない。  彼は、北海道から千葉の大学に入った。  幼少のころから、長い間、父は不在。病弱な母は、喀血(かっけつ)しながら、懸命に働いて四人の子どもを育てた。

 三玉のウドンで、一家五人が三日間暮らさねばならないこともあったという。  しかし、彼は向学の思いやみがたく、岩に爪を立てるように苦学を重ね、遂に大学の進学を果たすことができた。  旅立ちの日、母は息子に手紙を託した。

 そこに、次のような歌がつづられていた。  「己(おの)が心 磨き磨きて 世の中の 鑑(かがみ)となりて 人に愛(め)されよ」  苦労した母の願いは、ただ "世のため、人のために生きよ″ということであった。  今日の大創価学会を築いたのは、この偉大なる母たちであった。

 若き諸君は、その「心」の深さを知らねばならない。  この健気な母たちのために、一切の学問もあるのだ。  この人間の天地への感謝を忘れてしまえば、そこから尊き求道心も消えてしまうことを自覚していただきたい。  その揚げ句、力のない、見栄っ張りの愚かな虚栄の人間に陥っては絶対にならない。

 学問も、教育も、人格の価値を高めるためにある。  "この目的観の上に立つ教育の実現される日こそ、社会の持つすべての虚偽と悲惨とが解決される時となる″とは、牧口先生の指導である。

 学生部結成の翌年の六月三十日――この日、私は学会の総務に任命され、たた一人、広布の全責任を担い立った。  「六・三〇」とは、いわば、恩師の構想の実現へ、弟子が一人立ち上がる日である。

 「学会創立百周年」の佳節となる二〇三〇年。  その時、今の学生部諸君は五十歳前後となろうか。  広宣流布の大組織にあっても、さらには現実社会にあっても、重要な、そして貴重な責任者としての年齢となっているだろう。

 ありとあらゆる分野で、さらには、世界のあらゆる国々で、大人材となりて、生き生きと活躍する諸君の勇姿を思い描く時、我が胸は躍る。  敗北者は、創価の世界には一人もいらない。

 新しき世紀の偉大なる旗手である男女学生部の友よ!  自分自身の旗を振りながら、愉快に立ち上がれ!  そして、愉快に勇気をもって勝ち進め! 後悔なき我が青春の一日一日たれ!  そこに、自分の勝利とともに、友達の勝利も築かれゆくからだ。

 新世紀の指導者、君たちよ、アメリカ民主主義の父・トマス・ジェファーソン第三代大統領は叫んだ。  「各世代が先人の獲得した知識を継承し、それに自らの習得と発見を付加し、それを後世に伝え、絶え間なく集積していくことによって、人類の知識と幸福が増進されるにちがいない……何人も決めたり予想したりできないところまで、無限に」(佳知晃子他訳)  この言葉を、私は君たちに贈りたい。

 ―― 二〇〇二年六月三十日、学生部結成四十五周年を記念して。