(279) 不二の旅立ち「8.24」3
正義を叫べ 邪悪を破れ 弟子ならば!
「信仰とは人生の意義の悟得であり、その悟得より生まれ出るもろもろの責務の認織である」(原久一郎訳)と。
これは、トルストイの有名な言葉である。
今まで私は、幸福にも、世界の知性の多くの方々と対談してきた。
あらゆる次元を超えて、対話がどれほど重要な、人生と人類の歴史になるかを感じ取っていたからだ。
『闇は暁を求めて』――これは、ヨーロッパの最高峰の知性であり、フランス学士院の会員であられたルネ・ユイグ先生と私が、対談集に掲げたテーマである。
一貫して、ユイグ先生は、「人類社会の悪化を防げる原動力は創価学会である」と信頼を寄せておられた。
彼は、第二次世界大戦中は、ナチスの魔手から、名画「モナ・リザ」など、ルーブル美術館の至宝を守り抜いた勇敢なる〝文化の闘士″であった。これは、世界中の文化人が、皆、認めるところである。
闇が深ければ深いほど、暁は近い。
その大いなる希望の暁光を、ユイグ先生は、我ら創価のエスプリ(精神)の戦いに見いだし、そして託してくださったのである。
さらに、強く、こう訴えておられた。
二十一世紀は、合理主義と精神性を結びつけ、再び「生命」から、人類は出発せねばならない。そのために、新たなルネサンスと宗教改革を断行すべきだ――。
私が「精神闘争の盟友」とも尊敬していた先生が逝去されて、早くも五年。 リディ夫人は、「夫は亡くなる寸前まで、池田会長への変わらざる友情を語っていました」と言われ、数々の 貴重な遺品を届けてくださった。
世界に結んできた深き永遠性の友情は、青年たちに残しゆく生命の宝と思っている。
◇
正しき哲学、正しき宗教の光が失われてしまえば、人類は暗黒の闇を流浪せざるをえない。
わが師・戸田城聖は断言した。
「白法隠没というが、釈尊の仏法だけではなく、日蓮仏法も七百年にして、まさに隠没せんとしていた。
しかし、牧口先生によって、大聖人の御精神は守られた。大聖人が創価学会を召し出だされたのだ」 それは、日本が国家神道に押し流され、侵略戦争に暴走していた、昭和十八年六月のことである。
宗門は、学会の牧口会長、戸田理事長らを総本山に呼びつけた。
大坊の対面所で、時の日恭法主の立ち会いのもと、「学会も神札を受けるようにしてはどうか」と、宗門の権威をもって言い出したのである。
牧口会長は、「学会は神札を絶対に受けません」と明確に拒絶した。
さらに、今こそ、大聖人のごとく、国家権力を諌暁していくべき時ではないかと烈々と叫んだ。
この当時、軍部に接収された総本山の書院には、神札が祭られていた。
腐りきった宗門には、「広宣流布の信心」の血脈などは、すでに途絶えていた。その極悪の魔性を、牧口・戸田両先生は、深く見破られていたようだ。
日蓮大聖人の「正統」たる折伏行は、わが創価学会のみに、厳然と流れ通っていたのである。
卑怯な宗門は、「折伏」という末法の仏道修行を、校滑に避けた。
本来、外に向かって折伏の先頭に立ち、内に向かって信徒を包容し擁護すべきが、僧の務めであるはずだ。にもかかわらず、未曾有の広宣流布を進め、赤誠の供養の限りを尽くした学会に対し、布施を 取るだけ取って、狂った刃を向け蹂躙してきたのが、あの卑劣な宗門である。
世界の宗教史を見ても、これほど恩知らずで恥知らずな、人間の道を踏み外した畜生の所業はないと、心ある識者は憤慨している。
嵐の昭和五十四年の四月二日、恩師の命日に、私は書き記した。
「死身弘法 不惜身命
距の心は
学会精神のみにある」
◇
御聖訓には説かれている。
「一切の仏法もまた、人によって弘まる」 (御書四六五㌻、通解)
「持たれる法さえ第一ならば、持つ人もまた第一なのである。そうであれば、その人を謗るのは、その法を謗る流ことである」(同)
戸田先生は、会長に就任されるや、七十五万世帯の折伏という誓願を立てられた。
それと同時に、二十三歳の私は、担当する大田の大森地区から、即座に折伏の大波を起こしていった。
「師弟直結」で戦うということは、いかなることか。
師は、「戸田の命より大切な創価学会の組織」と言明されている。したがって、この学会の組織で、広宣流布の拡大に戦うこと以外に「師弟直結」はありえない。あとは、観念論だ。
とともに、私は、わが師への無数のいわれなき悪口誹謗を断じて放置しなかった。こと師匠と学会の正義を冒涜する者に対しては、相手が誰人であれ、真っ正面から破折していった。
誤った報道には、初代の渉外部長として、直談判し、徹底的に正した。
「真に革命的な精神は、いかなる社会的虚偽をも容赦しない精神である」(新村猛・山口三夫訳)
これは、フランスの勇敢なる文豪ロマン・ロランの名高い叫びであった。
◇
「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほう(吼)るなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(御書=九〇㌻)
私は、師子であられる戸田先生の弟子らしく、ありとあらゆる広宣流布の攻防戦に真っ向から走り、飛び込み、戦った。
青年は、流れを傍観しながら、ただ先輩に追従しているだけでは絶対にならない。
断じて、臆病な野干(キツネの類)が吠えるごとき、遠吠えであってはならない。
正義の信念に立って、自分自身の勇気と努力で、新しい流れを起こしてこそ、青年であるからだ。
私は、師を苦しめ抜い宗門と憤然と対決した。
他宗による御本尊強奪事件も、自ら乗り込んで解決した。さらに、あの小樽問答では、司会として圧倒的な大勝を決したことは、ご存じの通りである。
信教の自由を侵す北海道炭労の不当な弾圧にも、正義の陣頭指揮をとった。
「もし恩を知り、心ある人びとならば、日蓮が二つ打たれる杖の一つは代わって打たれるべきである」(同一四五〇㌻、通解)
これは、何度も生命に刻みつけてきた御聖訓である。
昭和三十二年の七月の三日。奇しくも、この十二年前、戸田先生が出獄された、その日のその時刻に、私は大阪で入獄した。
私は、衰弱を深める師に、絶対に二度と権力の弾圧を加えさせてはならないと決心していた。
私は、戸田先生の逮捕を食い止めたと、今でも自負している。
◇
大聖人は仰せになられた。
「どんなことをしてみても、この身は、空しく、山野の土となってしまう。 惜しんでも、どうしようもない。どんなに惜しんでも、惜しみ遂げることができない。人は、いくら長く生きたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは、ただ一睡の夢である」(同一三八六、通解)
まったく、その通りだ。
いかなる財宝も、いかなる名声も、未来世に持っていくことはできない。
ゆえに、同じ一生であるならば、永遠不滅の妙法に生き抜ぬくことだ。その人生もまた、永遠不滅である。
広宣流布は、大聖人の誓願であられる。したがって、広宣流布に徹しゆく学会員の生命の中には、即大聖人が顕れないわけがない。
これは、日寛上人の文段の一節に説かれている通りだ。
大勢の同志に慕われ、囲まれ、感謝されながら、今世の使命を果たしきっていく創価の人生は、なんと神々しく、なんと歓喜に包まれた総仕上げの劇であろうか。