随筆 新・人間革命 328 使命の大道


敢然と この道 進めや 一筋に
"間断なき前進"が広布の魂

 楽しみを
   つくりて今日も
      生き抜かむ
  わが一筋に
    名誉のこの道
 「生命の道は、進歩の道である」とは、中国の大文豪・魯迅の信念であった。
 ゆえに、一歩も退くことなく、前進また前進を!
 生命の向上の道は、何ものも阻むことはできない。いな、いかなる障害も突
き破り、さらに強く勢いを増して進む。これが生命の法則である。

 四十五年前、あの「3・16」の歴史的な"広宣流布の大儀式"を終えたあ
る日、戸田先生は言われた。
 「君たちが真心で作ってくれた"車駕"に乗って日本中を回りたいな」
 またある時は、メキシコに行った夢を見たと言って、私に語られた。
 「大作、君の本当の舞台は世界だ。世界へ征くんだ。この私に代わって」
 戸田先生が戦後、指導のために訪問した国内の地域は、二十一都道府県であ
った。
 私は、その師の夢を受け継ぎ、日本列島を走りに走った。アメリカの施政権
下にあった沖縄にも飛んだ。
 その沖縄も含め、全四十七都道府県を回り切ったのは、会長に就任して七年
であったと記憶する。
 そしてまた私は、昭和三十五年の十月二日、恩師の写真を内ポケットに、世
界平和への旅を開始した。
 昭和四十九年には、社会主義国である中国、ソ連を相次いで訪問した。「な
ぜ、宗教否定の国に行くのか」と非難され、あらぬ憶測もされた。
 私は言った。
 「そこに『人間』がいるからです」
 我らが開く道は偏頗な道ではない。垣根などない「人間の大道」である。
 私が直接、足を運んだ国は、今や五十四カ国・地域となった。
 ここにも友情の道を! あそこにも平和の道を! 道さえあれば、永続的な
流れができる。
 私は、凛々しき青年たちが必ず後に続いてくれることを信じていた。ゆえに、
御聖訓通り紛然と競い起こる「三障四魔」「三類の強敵」を打ち破りながら、
広宣の道なき道を開拓してきたのだ。
 わがSGIの平和と友情の民衆ネットワークは、この五月三日、美しい南太
平洋の楽園クック諸島が加わり、百八十六力国・地域に拡大した。
 破門の弾圧と戦った、トルストイは記している。
 「最も信仰のない人々が常に信仰ある人々を迫害するという現象が生じてき
たし、現に生じているのである。そしてまたそれだからこそ、そうした迫害が
信仰ある人々の信仰を弱めるどころか、決まってそれを強めているという事実
が生じたし、また生じつつあるのである」と。
 我らは全てに勝ったのだ。

 文化と教育の新しい交流のシルクロードを、私たちは幾重にも世界に結んで
きた。
 現在、私の拙い写真の「自然との対話」展も、マレーシアの首都クアラルン
プール、また韓国の光州広域市で開催されている。さらに、ウクライナ国の首
キエフでも、今月、開幕の予定である。
 この写真展のなかで、共鳴の声を多くいただく一枚に、イギリスで撮影した
ウィンザーの道」の写真がある。
 まばゆい緑に包まれ、無限に続くかのような道が、人びとの心の琴線に触れ
るのであろうか。
 この道の光景から、"勇気と希望をもって、わが道を進め!"との励ましを
汲み取ってくださる方々が少なくないようだ。
 大空には鳥の道がある。大海にも魚の道がある。大地に生きゆく人間にも、
厳然たる「正義の道」があり、「勇気と希望の道」がある。
 ブラジルやイタリア、韓国の諸都市では、創価の三代にわたる師弟の名前を
冠した通りが設置されている。
 ブラジルのイタペビ市の「牧口常三郎先生通り」の制定に尽力してくださっ
たカラメス市長(現・州議会議員)、は語られた。
 「正義を語る人は、不正の人間、正義の反対側に立っている人間にとって、
一番イヤな存在なのです。それゆえに、いわれなき非難・中傷を受ける。しか
し、必ず正義と真実が勝利します!」

 あの道も
   また この道も
     思い出の
  三世の宝の
    道と変わらむ

イギリス・ウィンザーの道(池田名誉会長撮影)

 雨が降ろうが、風が吹こうが、わが尊き同志の皆様は、広宣流布のために、
決然と戦い続けてくださっている。
 皆様方の今日の勇気の一歩が、金色に輝く不滅の福徳の道、栄光の道を開い
ているのだ。なんと崇高な開道の人生であろうか!
 皆様こそ、法華経が、また蓮祖大聖人が「当起遠迎、当如敬仏(当に起って
遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし)」と讃嘆された、最極の宝の
存在なのだ。
 愚人の歪んだ目には映らなくとも、三世十方の仏菩薩が、そう見つめ、讃え
ていることは絶対に間違いない。
 信濃町の学会本部には、連日、晴れ晴れと勝ち戦の友が各地から集ってこら
れる。
 五月の十三日、私が車で創価世界女性会館の前を通りかかると、健気な第二
千葉の婦人部の勤行会が意気軒昂に行われているところであった。この日は、
ちょうど十三年前、私も出席し、千葉文化会館と松戸文化会館を結んで、記念
の総会を行った日であった。車中から妻と共に題目を送り、伝言を託した。三
井麻生婦人部書記長をはじめ、会場の方々は大変に喜んでくださったようだ。
 この十七日には、成長目覚ましい松戸県青年部の総会が学会本陣で堂々と行
われる。

 惑わずに
   断固 生き抜け
     この道を
  信なき言論
    煙の如しと
 日蓮大聖人は、ある御手紙の中で、御自身を「通塞の案内者なり」(御書一
二二七ページ)と言われた。「通塞の案内者」――少々難しい言葉だが、簡潔
に言えば「通れる道と塞がった道の様相を知る案内者」ということである。
 さらには、「成仏という幸福の道を開き通し、地獄への道を塞ぐ大指導者」
という意味となろうか。
 ともあれ、広宣流布のリーダーは真剣に祈り、智慧を振り絞って、わが同志
の勝利の道を開きながら、賢明に勇敢に、指揮をとっていくことだ。
 一人の「ふざけ」や「おっちょこちょい」が大事件につながってしまうこと
は、社会によく見られるところだ。
 人生も仏法も、油断や慢心に流されれば、敗北の坂を転げ落ちてしまう。ゆ
えに指導者は戦わねばならない。陰険な悪人にたぼらかされ、同志を悪道、邪
道に迷わせては、絶対にならない。
 ただ、いくら教えても堕落する人間はいるが、それはそれである。「人路を
つくる路に迷う者あり 作る者の罪となるべしや」(同二五七ページ)と仰せの
通りだ。
 広布遠征の途上にあって、何の苦労もなく、開かれる道は一つもない。艱難
険路の連続であることは、御書に照らして当然のことだ。
 しかし、我らには、御本尊がある。妙法がある。
 御聖訓には「妙と申す事は開と云う事なり」(同九四三ページ)と明確に仰
せである。
 もう駄目だという絶望などに、仏法の勇者は屈しない。いわゆる"行き詰ま
り"は絶対にないのだ。
 めざす山を越えれば、また次の山へ――広宣流布とは、常に希望の山をめざ
して、新たな道を開き続ける連続闘争である。
 戸田先生は、昭和三十二年の暮れ、我らの宿願であった七十五万世帯の達成
を眼前に、私に言われた。「大作、あと七年で、二百万世帯まで戦いたい」
 師は、既に次の戦闘を開始しておられたのだ。
 さらに翌年二月の朝、大阪から戻ったその足で、ご挨拶に伺うと、先生は語
られた。
 「三百万世帯だ」と。先生のご胸中では、広宣流布の戦いは猛スピードで進
行していた。
 弟子は師の勢いに驚いた。いな、嬉しかった。若き闘魂は燃え上がった。
 「勇気がわきます。私は弟子です。先生のご構想は必ず実現してまいります!」
 先生は笑みを浮かべて、言われた。「一千万の人が信心する時代がきたら、
すごいことになるぞ。楽しみだな……」
 それは師の夢であり、弟子の夢となった。大願に生き抜く人生は幸福である。
常に、「これから」出発であり、常に戦闘開始である。その雄々しき戦う一念
に、常勝の道は洋々として開かれるのだ。

 巡り来る五月十九日は、「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の創価学会の常
住御本尊が認められた記念の日である。古く「すべての道はローマに通ず」と
いわれた。
 我らの「慈折広宣流布の道」は、すべて人間に、いな、「人間の勝利」に通
じている。
 誰もが心から"人間万歳"と叫べる「永遠の都」に通じる大道――それが「一
衆生皆成仏道」という仏法の人間主義であるからだ。
 御聖訓
   拝するままに
     敢然と
  この道 歩めや
    我が道 進めや
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魯迅の引用は竹内好訳、トルストイは北御門二郎訳。

2003年(平成15年)5月17日(土)掲載