首都圏最高会議 上

                   

友の喜びこそわが喜び!
苦楽を共に勝利山へ

だれよりも行動する
だれよりも苦労する
それが真のリーダー


 一、皆のハートをつかむことだ。
 立場があるから、人がつくのではない。光る人格、温かな人間味に、人はつ
いてくる。組織も伸びる。青年も育つ。
 リーダーにとっては、苦労こそ財産である。苦難に直面してはじめて、「あ
あ人間は、こんなにも苦しむものか」「こんなにも心配するものか」と心の底
からわかる。
 それを乗り越えて、人の心がわかる人間になる。大きく深い人生になる。
 心を開いて、皆の心に飛び込むことだ。友の苦しみを一緒に苦しみ、友の喜
びを一緒に喜ぶ。親身になって、苦楽を共にしながら、栄光の山へ進んでいく。
ここに勝利の要諦があるのだ。
 友に安心を与え、「立派だ」「見事だ」と信頼される名指導者であっていた
だきたい。

■「トルストイに続く平和の教師へ」
 一、今、私たちは、世界に限りない友情と平和の道を開いている。
 このほど、ロシアの国立トルストイ博物館のレミゾフ館長から、同博物館の
記念のカレンダーとともに、大文豪トルストイの肉声が収められた貴重なCD(コ
ンパクトディスク)をお贈りいただいた。世界の宝である。
 80歳になるトルストイが、それはそれは力強い、烈々たる気迫の音声で語
っている。
〈1908〜09年にかけて録音されたもの。レミゾフ館長からの献辞には「ト
ルストイに続く、平和と人間精神の真実をもたらすための教師であられる池田
先生へ」とある〉

■気取りを捨てよ
 一、忘れ得ぬトルストイの言葉に、こうあった。
 「英知に対する迫害、攻撃、弾圧を嘆き悲しむのは誤りである。もし英知が
道に外れた生活の愚行を摘発しないならば、それはもはや英知ではないであろ
う」(小沼文彦訳)全く同感である。
 創価学会は、まさしく、この英知の真髄の正道を進んでいる。
 だからこそ、「愚行」の悪人から攻撃される。しかし、全世界の心ある知性
からは、揺るぎない信頼を勝ち得ているのである。
 さらに、トルストイの名言に、「真に重要な仕事にたずさわっている人はだ
れでも、その生活においてはつねに気取らない。なぜならば、余計なことに頭
を使う暇はないからである」(同)とある。
 たしかに、その通りであろう。
 仏法では「本有無作」と説く。"はたらかさず、つくろわず、もとのまま"
の姿で、わが生命を最高に輝かせていくのだと教えている。
 気取りや見栄があっては、本当の力は出ない。それをかなぐり捨てて、大願
に突き進みゆく人生こそ、一番尊く美しい。
 広宣流布の勝利のために、一心不乱に戦う「必死の一人」は、万軍に勝る。
その人を諸天善神が厳然と護るのである。

■謗る者には大罰 信ずる者に大福
 一、東京、神奈川、埼玉、千葉をはじめ首都圏、そして全国の同志の偉大な
広布の健闘を、心から讃えたい。
 なかんずく、一切の原動力である婦人部の皆さま方の強盛なる破邪顕正の祈
りと行動を、私は最大に賞讃したい。
 「仏法は勝負」の実証は、私たちの眼前に、厳然と現れている。
 有名な「祈トウ(★示+壽)抄」には、こう仰せである。
 「(梵天・帝釈などは)どうして、仏前の誓い、自身が成仏した法華経の恩を
忘れて、法華経の行者を捨てられることがあろうか――などと思い続けると、
頼もしいことである。
 したがって、法華経の行者が祈る祈りは、音に応じて響きがあるように、影
が体に添うように、澄んだ水に月が映るように、冷えた鏡が表面に露をつける
ように、磁石が鉄を吸うように、琥珀が塵を取るように、曇りのない鏡が物の
色を浮かべるように、必ず叶うのである」(御書1347ページ、通解)
 「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 「法華経に勝る兵法なし」の信心である。恩師の「追撃の手をゆるめるな!」
の叫びのままに、さらに強盛に祈り抜き、祈り切り、梵天・帝釈等を揺り動かし
ながら、爽快なる勝ち戦を続けてまいりたい。
 御聖訓には「(北条重時殿は)念仏者らにたぶらかされて日蓮を怨まれたの
で、わが身といい、その一門といい、皆、滅んでしまわれたのである」(同1
093ページ、通解)と厳しく仰せである。
 学会は、大聖人の仏勅通りに広宣流布を進めゆく団体である。学会の前進を
妨害し、広宣流布を破壊する人間は皆、惨めな末路をたどっている。
 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(同1190ページ)の
現証は、皆さまが、ご存じの通りだ。
 大聖人は首都圏の先達の門下に「すでに、法華経の大行者を謗る者に大罰が
あるのである。どうして信ずる者に大福がないことがあろうか」(同1039
ページ、通解)と、したためておられる。
 この仰せのごとく、全同志が、無量無辺の大福運に包まれゆくことを、私は
真剣に祈る日々である。

「あきらめ」という言葉は私には無縁 インドネシアの作家

■人間の値打ち
 一、今回、インドネシアSGI(創価学会インタナショナル)の平和文化祭
は大成功であった(5・6日)。けなげな同志の奮闘を、私は心から讃えたい。
現代インドネシアを代表する作家にプラムディヤ氏がいる。
 昨年4月、哲人指導者、ワヒド前大統領と親しく懇談した折にも、話題にな
った作家である。
 プラムディヤ氏がつづった言葉に、こうある。
 「その人間の値打ちがほんものであるか否か、それは彼が直面した試練の大
小、多寡(=多い少ない)にかかっている」
 「諦めなどという言葉は自分には無縁である」(押川典昭訳)
 試練に耐え抜き、執念で激戦を勝ち切った歴史こそが、自分自身の真価と光
り、生々世々にわたる栄光と輝いていく。
 仏になるための大難に出あった時、「賢者はよろこび愚者は退く」(御書1
091ページ)とは、東京の大先輩に当たる池上宗長への御聖訓である。

■結合の力で!
 一、また先日は、秋谷会長が出席して、韓国SGIの「新本部棟」の開館祝
賀の式典が、盛大に開催された。
 「韓国のガンジー」と讃えられた独立運動の父、安昌浩(アンチャンホ)先
生の言葉に「責任に対しては私のことであり栄光に対しては我々のことである」
(具末謨訳)とある。
 広宣流布のために、だれよりも行動する。だれよりも苦労する。
 責任は、すべて自分がとる。勝利の栄光は、皆のもの――これが、真のリー
ダーである。
 さらに、安昌浩先生の戒めに「結合の力がなければ、いくら良い方針であっ
ても、これを実行することはできない」と。
 首都圏の「結合の力」、そしてまた、大関西をはじめ全国の「結合の力」に
よって、完壁なる広宣流布の大勝利で、この創立73周年を絢爛と飾ってまい
りたい。

信心とは無限の希望! 自分自身が太陽と輝け

■「光を恐れる者は悪事をなす」
 一、戸田先生が、懇談の折に話されたユゴーの言葉を、私は思い出す。
 それは「光を恐れる者は悪事をなすものなのだ」(庄司和子訳)。
 光は正義である。真実である。人間愛である。
 信心の光を恐れて去る者は、必ずといってよいほど、悪事の人生を送ってい
る。
 信心は、正義と幸福の宇宙の光だ。その光に包まれていく人は、善と幸福の
勝者だ。それを避けて、暗闇に行く人は、悪の方向へ、地獄の方向へ、自ら歩
んでいくのだ。
 信心は、無限の希望の太陽だ。太陽が昇れば、闇は消え去る。自分が太陽と
輝けば、人生に不幸の闇はない。
 今、時代の闇は、ますます深い。
 法華経神力品には「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人は世
間に行じて 能く衆生の闇を滅し」――太陽と月の光明が、もろもろの闇を除
くことができるように、この人(如来の滅後、法華経をよく持つ人)は世間の
中で行動して、衆生の闇を滅することができ――等と説かれている。
 我らは、あらゆる不幸と邪悪の闇を打ち破り、「創価の希望の光明」を、い
よいよ赫々と強めてまいりたい。
(?につづく)
20030708夕 東京・新宿区 信濃文化センターに於いて