海外・九州・東北代表協議会<上>



◇◆友情の地図を広げよ!
大聖人 千里を歩む女性を「聖人」と賛嘆
 一、はじめに、このたびの東北地方の地震、さらに、先般の九州方面の豪雨
に、心からお見舞い申し上げます。
 また、きょうは、遠方から多くの同志がお越しくださいました。本当にご苦
労さまです。
 広宣流布のため、労をいとわず、勇み来られた同志を、私は、仏を迎えるが
ごとく最敬礼して、歓迎申し上げたい。
 同じ会場に集っておられても、遠来の友は、それだけ疲れ方が違う。
 会合や行事を進める上でも、その方々への心配りを、指導者は決して忘れて
はならない。
 よきリーダーのもとには、よき人が集まる。よき青年が育つ。
 皆さまは、深き慈愛の光るリーダーであっていただきたい。

■広布の旅路を諸天が守る
 一、きょうは、日本は九州、東北から、世界はアメリカ、ヨーロッパ、アフ
リカから、代表の方々がお見えになっている。
 日蓮大聖人は、健気な皆さま方を、どれほど深く讃えられることであろうか。
 流罪の地の佐渡まで、幼子を抱える身で、はるばる鎌倉から馳せ参じた尊き
母に、大聖人は、こう仰せであられる。
 「女性が仏法を求めて千里の路を踏み分けたことは、いまだかつて聞いたこ
とがありません」(御書1216ページ、通解)
 「まさに知るべきである。釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行菩薩、無
辺行菩薩等の大菩薩、大梵天王、帝釈天王、四天王等が、この女性を、影が身
に添うように守られるであろうことを。
 あなたは、日本第一の法華経の行者の女性である。ゆえに、名前を一つ、お
付け申し上げて、不軽菩薩の義になぞらえよう。『日妙聖人』と」(同121
7ページ、通解)
 今、創価の婦人部、女子部の皆さま方もまた、広宣流布のために「千里の路」
を踏み分けて歩み抜いておられる。
 なんと尊貴な、また、なんと光輝ある方々であろうか。
 皆さま方の行く所、向かう所、いずこであろうと、全宇宙の仏菩薩、無量無
辺の諸天善神が、影の身に添うごとくお供して、必ず包み、必ず守る。これほ
ど素晴らしい旅路はない。
 全世界の平和を目的としゆく、世界第一の尊き創価の女性である。
 希望の大行進に、私たちは、心からの感謝と賞讃を捧げたい。

 ◇◆歩こう! そこに新しい人生の発見が
■行動するほど精神は軽快に
 一、文豪トルストイも歩きに歩いた。
 青年とともに歩いた。歩きながら、多くの民衆と親交を結んだ。
 そして、出会った人々と率直に正義と真実を語り合い、さらにまた、親身に
なって健康と幸福への具体的な助言を贈っていったのである。
 文豪は言う。
 「いかに私が年を重ね、人生がわかっていたとしても、歩くたびに、新しい
人生の発見をする。それは、精神面や知識面など、全般にわたってである」
 私も、まったく同感である。
 きょうはヨーロッパの同志も来ておられるが、古代ローマの大哲人キケロ
言っている。
 「運動すれば体は疲労で重くなるものだが、精神は活動によってかえって軽
快になる」(八木誠一・八木綾子訳)と。
 たしかに、その通りである。
 御聖訓には、「一切衆生法華経を誹謗して(不幸の道を)流転するのを見
抜いたゆえに、(それをとどめるために)日蓮が日本国を経行して(=歩いて)
南無妙法蓮華経を弘通している。これは釈尊と同様である」(御書816ペー
ジ、通解)と仰せである。
 釈尊、そして大聖人に続いて、広宣流布の一歩また一歩を踏みしめゆく我ら
の誇りは、あまりにも高い。
 歩んだ分だけ、友情の地図が広がる。栄光の歴史が残る。無量の福運が積ま
れる。勝利の生命が鍛えられる。
 私は全国各地で活躍されている同志が、一人ももれなく、ご健康であれ! 無
事故であれ! そして、大功徳に満ち満ちてあれ! ――と心から祈っている。

ガンジー、キングの非暴力を継承
 一、尊き前進を続ける皆さま方に、世界のニュースを一つお伝えしたい。
 ニュージーランドから要請を受けて、今月の末から「ガンジー・キング・イケ
ダ――平和建設の遺産」展が開催される。
 同国の国会の決議により、開幕式および記念展示会は、国会議事堂で盛大に
行われる。
 この展示会は、2001年4月、キング博士の母校であるモアハウス大学で
開催されたのが最初である。
 発案したのは、同大学・キング国際チャペルのカーター所長である。
 創価の非暴力の闘争、そして人間主義の哲学を深く理解し、世界に宣揚して
くださっている。
 ニュージーランドの式典には、マハトマ・ガンジーの令孫であり、ガンジー
暴力研究所の所長であるアルン・ガンジー博士、そして、マーチン・ルーサー・キ
ング博士の弟子であるカーター所長が出席される。
〈この展示に込めた思いを、カーター所長は語っている。
 「マハトマ・ガンジーとキング博士――この二人と同じ目的に向かって歩み続
ける?生きた模範?が池田大作博士であると私は確信しました。ガンジーとキン
グの精神を現在と未来に生かしていくために?イケダ?の名を加えたいのです」
 またカーター所長は、創価大学での同展の開幕式(2002年9月)で、こ
う述べている。
 「ガンジー、キング、イケダ――この三人の人物は、苦悩にあえぐ民衆を救
うために、妬みと賞讃に囲まれた世界の舞台に飛び込み、生涯をかけて深く献
身し、偉業を成し遂げるという共通の道を歩んだのです」〉
 一、この2年間で、アメリカ各州、カナダ、アジア、オーストラリアなどで
開催されてきた。また同趣旨の展示が、ヨーロッパや南米でも巡回されている。
 〈アメリカでは、名門プリンストン大学やカリフォルニア大学バークレー校、
インドではガンジー記念館などで行われている〉
 今回のニュージーランド展の開幕式には、私の名代として、長男の博正(S
GI副会長)が出席することが、本部で決定された。
 ニュージーランドでは、人権擁護の先頭に立つ国会議員の方も、次のように
期待を寄せてくださっている。
 「SGIを、わが国に迎えてから、社会がよい方向に変わっていくのを感じ
ます。今回の展示も大歓迎です」
 今後、さらに各国、各都市を巡回していく予定と、うかがっている。
 こうした展示会もまた、全国の同志の皆さま、そして全世界のSGIの皆さ
まの地道な人間主義の行動に対する、世界からの大きな信頼の表れにほかなら
ない。世界の心ある方々は、正しく真実を見てくださっている。
 それに対して、「日本の国は、なんと卑しい嫉妬の国か」と、ある著名な海
外の博士が言われていたことが忘れられない。

◆◇友よ正義の勝利の調べを!
  今この瞬間に生命を燃やせ
■「なすべきことをすぐになせ!」
 一、ご存じのとおり、この7月、欧州連合EU)で初めての憲法に、楽聖
ートーヴェンの「交響曲第九番」最終楽章の「歓喜の歌」が「EUの歌」として
明文化されることになった。
 その報道を聞いたとき、私は、2001年の12月、わが九州の10万人の
同志が歌い上げた「歓喜の歌」の大合唱を思い起こした。九州の同志のあの晴
れ晴れとした大合唱の姿は、今も私の胸から離れない。
 「歓喜の歌」を謗法呼ばわりした、狂った日顕宗の愚劣を打ち破った「正義
の勝利」「文化の勝利」「人間性の勝利」の歌声であった。
 一、べートーヴェンは叫んだ。
 「困難な何ごとかを克服するたびごとに私はいつも幸福を感じました」(片
山敏彦訳)
 仏法が示す「煩悩即菩提」の法理にも通ずる。
 心強き人は、どんな困難も幸福への糧としていける。
 たとえ周囲の目には不幸に映っても、「信心の眼」で見れば、まったくちが
った光景に見えるものだ。
 すべては「心」で決まる。「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)であ
る。
 この強き心をつくるのが信心の目的である。ここに「人間革命」の実践があ
る。
 一、さらにべートーヴェンは言った。
 「この世でなすべきことは、たくさんある。すぐになせ!」(小松雄一郎訳)
 スピードが勝負である。学会もスピードで勝ってきた。

◆◇ベートーヴェンが書きとめた
大詩人ホメロスの言葉
空しく誉れなく
生を終わらんわれならず
すぐれし業をなし遂げて
未来にわが名ひびかせん

■勇気は光! 臆病は闇!
 一、べートーヴェンがノートに書き写した箴言の一つに、「つねに確固とし
て、たとえ災難のなかにあっても、勇気に満ちてあれ」(同)とある。
 勇気は光である。
 臆病は闇である。
 勇気は喜びであり、臆病はいつも怯えている。
 ゆえに、勇気は幸福である。臆病は不幸なのである。
 さらにべートーヴェンは記した。「勇ましく、すぐれた人間は、気高く、栄
ある行為をすすめ、卑怯で下劣な人間は、下品な行為をすすめる」(同)
 その通りである。
 仏法では「悪知識を捨てて善友に親近せよ」(御書1244ページ)と繰り
返し説いている。
 一、また、べートーヴェンは、古代ギリシャの大詩人ホメロスの詩をノート
に書きとめている。
 それは、「空しく誉なく生を終らんわれならず すぐれし業をなし遂げて 未
来にわが名ひびかせん」(同)。
 この信念のままにべートーヴェンは生き抜いた。学会精神もまた同じである。
 有名な御聖訓に、「一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ」(御書970ペ
ージ)と仰せの通りである。
 一、フランスの作家にジャン・ジオノ(1895?1970年)がいる。『木
を植えた男』などの多くの著作がある。
 彼は、南フランスの貧しい家庭に育った。大地に根ざし、自然とともに懸命
に生きる人々を描いたことで知られている。
 彼は綴っている。
 「すべての人間にとって、確実に訪れる未来、それは死である。われわれが
唯一所有するもの、それは現在、この瞬間のみである」
 だれ人にとっても、死ほど確実にやってくるものはない。だが、そのことを
忘れて、最後になって後悔する人も少なくない。
 今この瞬間をどう生きるか。これが一番大事なのである。
 大聖人は「臨終只今にありと解りて信心を致して」(御書1337ページ)
と仰せになっている。
 臨終只今にあり――この燃えあがる一念で信心してこそ、勝利の歴史を築く
ことができる。

■「私は勝った!」と一生を飾れ!
 一、「怠惰は甘く、その結果は悲惨だ」
 こう述べたのは、アメリカ第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズといわ
れる。
 また、18世紀のイギリスの政治家チェスターフィールド伯の言葉に、こう
ある。
 「怠惰は弱い意志の隠れ家であり、愚か者の休日である」
 「生涯前進」「生涯求道」。これが仏法の生き方である。
 広宣流布の人生に、定年などない。
 「もうこれだけやったから」と慢心して退いてしまえば、人生は負け戦であ
る。年配だからといって、若い人に遠慮する必要もない。
 すぐはがれてしまう見せかけの信心か、本物の金剛の信心か――人生の最後
になるほど明確に表れてくる。
 ゆえに、いくつになっても、心は希望に燃えて、自分の立場で、自分のでき
ることを勇んでやっていくことだ。
 そして、「私は勝った!」「私の人生を見よ!」と胸を張って言い切れる、
大満足の勝利の一生を、勝ち飾っていっていただきたい。
(下につづく)