東北会・北陸会合同研修会


会う人、会う人々を味方に

勇気凛々と道を開け
 一、東北会、北陸会の研修、ご苦労さま!
 私はいつも、大切な同志のことを思っている。
 広布へ進む同志ほど尊貴な人はいない。その一点が心からわかり、最高の智
慧と行動を尽くせば、広宣流布の戦(いくさ)は勝てる。
 リーダーは、広宣流布のために一生懸命に戦ってくださる最前線の人々のこ
とを、真っ先に考えるべきである。
 どうか皆さまは「広宣流布の名将軍」となって、慈悲と知性の名指揮をお願
いしたい。
 会う人、会う人々を味方にしていくことだ。
 道を開き、勝ち戦(いくさ)の歴史を築くことは、人生最高の誉れである。
 日々、何かに挑(いど)む。何か価値を、歴史を残す。これが人間の証(あ
かし)だ。創造的な人生の道である。
 「仏法は勝負」と前進する、学会活動こそ最高の幸福なのである。

■幸せになれると確信できる時代
 一、私は今、世界的な大経済学者のガルブレイス博士と有意義な語らいを重
ねている。〈総合月刊誌『潮』で対談を連載中〉
 その博士が、日本の中で格別に愛し、絶讃している方面はどこか。
 北陸である。わが師・戸田城聖先生の故郷、北陸なのである。〈〉博士は1
990年秋に金沢を訪問。「素晴らしい文化と学問・芸術から期せずして発散
されている香気(こうき)が、町全体に満ち満ちていた」(角間隆訳)と〉
 博士との対話の大きな焦点は、「21世紀をどのような時代にすべきか」で
ある。この点、博士のビジョンは簡潔にして明確だ。
 それは「人々が『この世界で生きていくのが楽しい』と言える時代」である。
 そして博士は、こう言われるのである。
 「『今よりもっと、よりよい生活ができるのだ、幸せになれるのだ』という
確信を皆が分かち合って、『殺(さつ)』ということがなくなる時代です」
 至言である。私たちの目指す「広宣流布」の理想にも通じる。
 一、とくに東北と北陸のわが友は、地域に信頼の根を張って、平和と繁栄の
国土の建設へ、懸命に尽力してこられた。
 これが最も尊い、最も正しい道である。
 東北では、すべての町々、村々に「町村広布会議」を設置して、それぞれの
男性議長、女性議長を中心に、素晴らしい社会貢献の活動を進めておられる。
 北陸においても、日ごろの地道な友好の対話と、誠実な献身によって、多く
の市町村で、創価人間主義への共鳴が大きく広がり、深まっている。
 なかんずく、東北と北陸の婦人部・女子部の皆さま方の、すがすがしい模範
のご活躍を、私は心から讃えたい。
 戸田先生も、よく言われていた。
 「広宣流布に尽くす皆さま方は、やがて法華経に輝く女性の中の一人として、
歴史の上に名をとどめる一人であることを自覚して、戦っていただきたい」

■勇気で進め!「いまだこりず候」と
 一、北陸に有縁の日蓮大聖入門下に、ご存じの通り曽谷殿(曽谷教信=そや 
きょうしん))がいる。富山に領地があったとされる。
 曽谷殿への有名な御聖訓に「いまだこりず候法華経は種(たね)の如く仏は
うへての如く衆生は田の如くなり」(御書1056ページ) ――(流罪や命に
もおよぶ迫害を受けたが)私はいまだに懲りてはいない。法華経は種のようで
あり、仏は植え手のようであり、衆生は田のようである ―― と仰せである。
 広宣流布は、万人の心の大地に「生きていること、それ自体が楽しい」とい
う、絶対的な幸福境涯の種を植え続けることである。
 どうか、粘り強き東北と北陸の同志は、「いまだこりず候」の御金言を深く
拝し、あの友とも、この友とも朗らかに仏縁を結び、正義と人道の大運帯を築
いていっていただきたい。
 一つ、勝利の国土が開かれれば、その波動は全方面へ、全国へと広がってい
く。
 「北国の導師」(同1304ページ)と、大聖人は、阿仏房に信頼を寄せら
れた。
 ここにお集まりの皆さま方は、「21世紀の北国の広宣流布の導師」と言っ
てよい。
 頼もしいことに東北青年部は、過去最大の「1000万対話運動」を展開す
るとも、うかがっている。
 どうか東北と北陸の皆さまは、新しい拡大と勝利の大光を、北から燦然(さ
んぜん)と輝かせていっていただきたい。
■トインビー・池田展に感謝
一、今月、「『21世紀への対話』――トインビー・池田大作展」が東北文化
会館で開催される。
 準備を進めてこられた実行委員会をはじめ、関係者の方々の労に、心から感
謝申し上げたい。(22日に開幕、9月7日まで。東北青年部が企画・主催)
 博士と私との対談終了から30周年を記念しての展示会である。
 思えば、博士との対話のきっかけとなったのは、今回展示される、1969
年(昭和44年)9月に博士からいただいた書簡であった。
 そこには、こう、つづられている。
「あなたの思想や著作に強い関心を持つようになり、英訳の著作や講演集を拝
見しました。これは提案ですが、私個人としてあなたをロンドンに御招待し、
我々二人で現在、人類の直面する基本的な諸問題について、対談をしたいと希
望します」
 《提案を受けて、池田会長が72年5月、73年5月にロンドンを訪問し、
対談》
 博士は、40歳も若い私を、抱きかかえるように迎えてくださった。
 幸い、この展示には、東北の各界からも大きな期待が寄せられており、あり
がたいかぎりである。

■虐殺を天気予報のように書けぬ
 一、2年越しで、のべ10日間、40時間におよぶ対話では、「報道のあり
方」も話題となった。
 博士は、マスコミは本来、「中立」であるべきだが、善悪・正邪が明確な問
題に関してまで「中立」であるのは正しくないと、きっぱりと言われた。
「自分が正とみなすことと、邪とみなすこととの中間で、中立の立場をとろう
とするのは、結局、邪とみなすことの側に与くみ)することにほかなりません。
 なぜなら、すでにそれは、自分が正とみなすことを支持するという、道義上
の義務に違背してしまっているからです」
 まことに、その通りである。
 博士のご一家も、人権蹂躙(じゅうりん)のマスコミに苦しめられたことが
あった。
 ともあれ、邪悪とは断固、戦い抜くことだ。邪悪を倒しゆく炎の言論が渇仰
(かつごう)されている。
 「正義の言論」である聖教新聞の拡大も、この7月、東北は過去最高の部数
を成し遂げられた。北陸も、過去最高レベルの部数を達成されている。心から
皆さま方に感謝申し上げたい。
 一、透徹した知性の人、トインビー博士は、同時に、正義への情熱を、烈々
(れつれつ)と燃えあがらせておられた。

正義を支持せよ
正邪が明確な問題に『中立』はありえない
                          
■トインビー博士
 博士は、かつて「王立国際問題研究所」で経験されたことも、私に率直に語
られた。
 その研究所で、博士は国際事情に関する執筆を行った。
 その折の執筆委託(いたく)の条件の一つは「公平無私でなければならない」
ということであった。
 しかし、「それが不可能な場合」があったと博士は言う。
 どういう時だったのか。
 「ヒトラーによるユダヤ人の大量虐殺といった問題になると話は別でした。
これに関しては公平無私ということはありえない、と私には思えたのです。
 もし、このユダヤ人大量虐殺を、まるで天気予報でもやるような調子で、感
情をまじえずに書いたとしたら、それはこの虐殺問題を公正に記録したことに
はなりません。
 道義的な問題を無視して、ユダヤ人虐殺を黙認したことになってしまうから
です」
 極悪に対しては、憤激をたぎらせて立ち向かってこそ、真の知性なのである。
■平和へ! 声を大にして叫べ
 一、この点は、トインビー博士と同時代を生きたアインシュタイン博士も同
じであった。
 アインシュタイン博士は、東北の天地と人々をこよなく愛した一人でもある。
 博士と、東北の生んだ大詩人・土井晩翠(ばんすい)との交流も知られてい
る。〈博士は1922年、仙台の東北大学を訪問。感激した土井晩翠は、博士
をたたえる詩を贈った〉
 私も、「詩心」の交流を現代に蘇らせたいと、行勤してきたつもりである。
 アインシュタイン博士が、ある思想家にあてた手紙に、こうある。
 「迷信と聖職者支配は大いなる悪であり、あなたがそれに対して、このよう
に決然として、また巧妙に闘争を行っておられるのは、喜ばしいことです」(金
子敏男訳)
 博士は、人間の本性にひそむ悪を知悉(ちしつ)していた。そうした悪とは
戦わねばならないと述べている。
 東北でも北陸でも、まさに、新たな宗教改革を勇敢に断行してきたことは、
人権闘争の金字塔といってよい。
 とくに北陸青年部は、この夏も、北陸中で正義の対話を勇厳に貫いた。
 一、アインシュタイン博士は言った。
 「私についてずうずうしい嘘とまったくの作り話がすでにどっさり出版され
ています」(林一訳)
 偉大な正義の人間は、偉大ゆえ、正義であるゆえに、嫉妬され、僧悪され、
事実無根の嘘によって中傷非難される。
 一、博士は平和のために獅子吼した。
 ―― 大宇宙の中で、我らの声は小さい。しかし、その声が集まれば、地球上
の平取を築いていける。そう呼びかけたのである。
■先手で攻めよ
 一、大聖人の門下の新田殿(にいだどの=新田信綱)は、東北ゆかりの人で
あった。本領が、陸前国登米郡(りくぜんのくに・とめごおり=宮城県)にあ
った。
 南条時光への御手紙に新田殿のことが出てくる。
 「新田殿のことは本当であろう。沖津(おきつ)のことは聞いている。殿(時
光)も機会があれば、その道理を貫きなさい」(御書1540ページ、通解)
 「新田殿のこと」「沖津のこと」の具体的な内容は明らかではないが、御手
紙の前後から見て、新田殿は難に負けずに信心を貫き通したと推察される。時
光に、その勇敢なる戦いを手本にするよう述べられている。
 そして強敵から圧迫を加えられたならば、むしろ喜び勇んで「したたかに言
い返しなさい!」と教えておられる。
 東北の皆さまも、倣慢(ごうまん)な権力の圧迫と戦い、厳然と勝利する、
誇り高き歴史を刻んでこられた。
一、戸田先生は言われた。
 「なすべき時に、なすべきことを、率先して、着々と、勇敢に、実践するの
が、広布の途(みち)でなければならない」
 「先手、先手と攻めることだ」「守備に回らないで、逆に攻撃に回って、攻
めることが肝心なのだ」
 戸田先生は折伏精神を教えてくださった。
 「勇気凛々(りんりん)だ! それが折伏精神ではないか!」
 「日蓮大聖人の弟子は、折伏の座については、けっして臆(おく)してはな
らない。
 大法を信ずるものには大利益あり、またこれを謗(ぼう)ずる者には法力厳
然(ほうりきげんぜん)として仏罰(ぶつばち)があるのである」と。
 青年部は、この確信と勇気を忘れてはならない。

■青年の前途こそ政治の大眼目
一、今年は、周恩来総理の悲願であった「日中平和友好条約」が締結(ていけ
つ)されて25周年。
 北京での記念の行事に、学会を代表して、山崎副理事長、三津木副会長が出
席してきた。
 北陸といえば、日中友好に生涯を賭けて尽くされた富山県出身の政治家、松
村謙三氏が偲(しの)ばれる。
 若い私を信頼して、両国友好の未来を託(たく)してくださった。周恩来
理に私を会わせたい、とも言ってくださった。
 〈松村氏は、名誉会長の日中国交正常化提言(68年)に「百万の味方を得
た」と。70年3月の会見で「池田さん、あなたは中国へ行くべきだ。いや、
あなたのような方に行ってもらいたい。私と一緒に行きましょう」「周恩来
理に紹介したい」と語った)
 松村氏は40年前、こう語っておられた。
 「今日、政治に一番必要なことは青年の前途に火を燃えあがらせることであ
りましょう。これ以外に政治の大眼目はありません」
 「アジアとともに、アジアの繁栄を目指して、世界の平和を求めることにこ
そ、青年たちが立ちあがれるエネルギーとでも申せましょうか、力が生まれる
のです」(『花好月圓 ―松村健三遺文抄』青林新社書院)
 真に責任ある指導者は、次の世代、青年のことを真剣に考え、そのための手
を打っていくものである。
■勇猛精進! 青年ならば
一、ともあれ、政治であれ、経済であれ、文化であれ、青年が立ち上がる以外
にない。
 戸田先生は言われた。
 「民衆の幸福を願うの心ある青年であるならば、まず自らが、この高邁(こ
うまい)な人間革命の真髄(しんずい)を求めて、いかなる三類の強敵・三障
四魔とも戦い抜き、勝ち抜いて、勇猛精進(ゆうみょうしょうじん)すべきで
はなかろうか」
 「青年が青年の責任で、理想の創価学会を建設していけ。それを私は期待し
ているのだ」
 私は、青年部の皆さんに、新たなる「東北の世紀」「北陸の世紀」の建設を
期待し、託したい」
 「君よ、東北の誇り高き英雄たれ!」
 「君よ、北陸の名誉ある英雄たれ!」と申し上げたい。
 一、わが同志がお元気で、幸福で、長寿であられるよう、私は真剣にお題目
を送っている。
 日蓮大聖人は、蒙古襲来という激動の時代に身を置く門下の曽谷殿に対して、
こう仰せである。
 「思えば、あなたと日蓮とは、子弟の関係である。しかしながら、煩悩(ぼ
んのう)ある凡夫の肉身は、国主(こくしゅ)に従うものであるがゆえに、こ
の蒙古襲来の難に、あおうとしているのであろうか。感涙(かんるい)を抑え
ることができない」
 「たとえ、身は、この難にあったとしても、心は、仏心と同じである。今世
では修羅道(しゅらどう)に交わったとしても、来世は必ず、仏国に住むこと
であろう」(御書1069ページ、通解)
 いかなる時代の波乱があろうが、広宣流布の師弟に生きゆく人生に、恐れる
ものなど何もない。
 一、結びに、東北、北陸の大発展を祈って和歌を贈りたい。
 偉大なる
  東北会の
     研修に
  広布の歴史は
    さらに勝利と
 厳然と
  大北陸の
    栄光を
  君ら戦い
   三世に残せや
 東北創価学会、万歳!
 北陸創価学会、万歳!
 皆さま方のご多幸を祈ります。
 お帰りになったら、各地の全同志に、どうか、くれぐれもよろしくお伝えく
ださい。
お体を大切に。お元気で!(大拍手)
(2003・8・11)