21世紀女性研修会での名誉会長のスピーチ 下


祈りは必ず叶う! 福徳は大樹に

女性を尊敬! 友を讃えよ
威張る指導者は時代遅れ
 一、大草原のロマン薫るモンゴル国とも、私たちは、豊かで、深い友情を結んでいる。
 教育交流も進んでいる。同国のバガバンディ大統領、エンフバヤル首相は、ともに、わが創価大学を訪問してくださっている。(1998年5月14日。首相は当時、国会議員として同行)
 思えば、13世紀、日蓮大聖人は、「蒙古」の使者を理不尽に処刑した権力者の蛮行に対し、悔やまれてならないと述べておられた。モンゴルとの友好の交流は、深い歴史的意義がある。
 〈1939年の「ノモンハン事件」(ハルハ河戦争)の舞台となったモンゴルのドルノド県には昨年7月、日本とモンゴルとの国交樹立30周年を記念して「池田平和記念公園」が設置された。
 公園の中央には、名誉会長の小説『新・人間革命』の冒頭の一節「平和ほど、尊きものはない。平和ほど、幸福なものはない。平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない」が刻まれた碑がある〉
 モンゴルでも、女性の社会進出が目覚ましい。
 私は皆さま方を代表して、モンゴル国立文化芸術大学から名誉博士号を拝受した(2000年12月)。この大学の女性の博士である、アルタンゲレル第1副学長が語っておられた。
 「創価学会の女性の皆さんとお会いして、皆さん、本当に笑顔が美しい。じつに生き生きとされています。
 社会に進出し、大きな役割を果たしているからではないでしょうか」
 「女性の喜びは、家族と一緒に暮らす安らぎにあるでしょう。しかし、それだけでなく、家庭に閉じこもらないで、世界の平和のために取り組んでいくことも必要です。女性が『世界の平和』を合言葉にして進んでいきたい」
 「世界のいずこの地にあっても、母と子が、幸せと笑顔と喜びに満ちあふれていますように――そう願ってやみません」
 世界に平和の希望を送る創価の女性の尊き姿は、ダイヤモンドのように輝いている。

■平和と文化の樹
 一、さらに、私が今、対談を重ねているのは同大学のツェデブ学長である。モンゴルを代表する大詩人の学長は語っておられた。
 「教育と文化は、平和なくして語れません。その教育と文化を推進しているのが創価学会の運動です。ゆえに、創価学会の運動それ自体が平和への大きな貢献であると思います。その努力に心より感謝したい。
 平和と文化の『創価』という名の木が『大樹』と育ち、広々と枝を広げ、養った知恵と力を発揮して、世界に大きく葉を茂らせゆくことを期待しております」
 この地上で広宣流布を成し遂げてゆくのは創価学会しかない。仏意仏勅の学会のなかで役職を担い、地域の女性リーダーとして戦うことが、どれほど尊いことか。
 学会の役職は、平凡に見えるかもしれない。しかし、戸田先生は、よく「世間は評判である。仏法は因果の理法である」と教えてくださった。この全宇宙を永遠に貫き通す厳粛な「因果の理法」からは、だれ人たりとも絶対に逃れることはできない。
 自分の受けた役職を、わが使命と定め、責任をもって真剣に戦い抜く人は、仏法の法理の上から、三世にわたって勝利と栄光の功徳に包まれることは、まちがいない。
 どこまでも、真面目に、学会一筋、広宣流布一筋で、生きて生きて生き抜いた人が、最後は必ず勝利する。
 これが、56年間、あらゆる大難を乗り越え、「広宣流布の信心」を貫いてきた私の結論である。

■700年も前に男女平等を宣言
 一、男性も、女性も、平等に尊い
 日蓮大聖人は、700年以上も前に、「男女はきらふべからず」(御書1360ページ)と明確に仰せである。
 広布の同志は皆、尊き地涌の菩薩である。
 とくに男性のリーダーは、婦人部や女子部の方々を尊敬し、讃え、感謝していくべきである。決して、傲慢な姿があってはならない。
 威張るリーダーは時代遅れである。だれもついてこない。それでは自分が損である。敗北の人生となってしまう。
 会員のためのリーダーである。広宣流布のためのリーダーである。その根本を忘れた横暴な振る舞いは、将来にわたって、絶対に許してはならない。
 一、真心の言葉、誠実の言葉が大事である。
 たとえば、招かれた場所に、花が飾られていた。そうしたら、まず、花を見ることだ。せっかくの心づかいであるのに、見ないのは失礼である。そして、花をほめ、感謝する。それが教養ある振る舞いである。
 同志の家などを訪ねる場合も、まず、相手のよい点を讃えることだ。
 会合の話も、まず皆の奮闘を心からほめ讃えるべきである。労苦をねぎらい、感謝すべきである。
 そして、生き生きと、明るく、仲良く前進していく。それを実行したリーダーが勝つ。
 友のため、法のために尽くし抜く「指導者革命」の模範であっていただきたい。

■魔さえも味方に
 一、信心の功徳には、はっきりと顕れる「顕益」と、目には見えなくとも知らず知らずのうちに大利益を受ける「冥益」がある。
 大聖人は、「祈り」と「功徳」の現れ方について四つの形をあげておられる。(御書1242ページ)
「顕祈顕応」「顕祈冥応」「冥祈冥応」「冥祈顕応」である。
「顕祈顕応」とは、何かに直面したとき、真剣に祈り、それに応じて直ちに解決の方途が開かれ、願いがかなうこと。
「顕祈冥応」とは、祈りに応じた具体的結果が直ちに顕れなくても、その功徳は生命に積み重ねられていくことである。
「冥祈冥応」とは、たゆまざる唱題の功徳によって、自然のうちに生命が浄化され、豊かになり、所願満足の道へ入っていくこと。
「冥祈顕応」とは、常日ごろの唱題の功徳が、いざという時、具体的事実として厳然と顕れることである。
 この四つに触れて、大聖人は仰せである。
「ただ肝要なことは、この法華経の信心をされるならば、現世と未来世の願いが満たされるということである。
 法華経第三の巻(授記品)には『魔および魔民があったとしても、皆、仏法を守護する』とある。
 また、第七の巻(薬王品)には『病は消滅して、不老不死の境涯を得るであろう』とある。これらの金言を疑ってはならない」(御書1242ページ、通解)
 真の強盛な信心。真の強き祈り。それは、一切を変毒為薬する根本の力である。さらに、魔民さえも広宣流布の味方へと変えていける。
「祈りとして叶わざるなし」の妙法である。
 勝利のために、まず強き祈りから始める。そして粘り強く、忍耐強く、祈り抜き、祈り切る。この常勝の方程式を、深く胸に刻んでいくことである。強き信心の一念と行動で、乗り越えられない山はない。
 人気や評判などは、あまりにも、はかなく、空しい。そこには、永遠性の幸福も、充実もない。
 学会には、偉大な哲学があり、思想がある。皆さまは仏法の真髄を実践している。それは、権力者であっても、知らない。大学者であっても、未知の世界であろう。
 しかし、妙法は厳然と存在している。
 大宇宙の運行も妙法の力である。仏法は森羅万象の一切を貫いている。
 その大仏法を、皆さまは友に語り、教え、広めておられる。なんと偉大な哲学者か。
 とくに女子部の皆さん方は、今こそ、妙法という無上道を、思い切り学び、実践していただきたい。正義と幸福の連帯を拡大していっていただきたい。

婦人部・女子部に
幸福と栄光に輝け!!

■きょうを勝て! ここで勝て!
 一、アメリカの著名な女性の未来学者リンダ・グロス博士は、聖教新聞への寄稿の中で、大変、味わい深い言葉をつづってくださった。〈2001年9月19日付〉
 「変革の力は“今”“ここ”を大切にする中にこそ、正しく育まれていく」――と。
 「未来」といっても、「今」から始まる。
 「世界」といっても、「ここ」から広がる。
 「今」この時に、、いかに手を打つか。
 「ここ」の地盤を、いかに固めゆくか。
 その地道な行動の連続以外に、社会を変え、時代を変える偉大な力はないのである。
 一番、地味であることが、一番、成長できることである。
 木も、少し眺めただけでは、伸びているかどうか、わからない。しかし、10年、20年と時を経れば、若木は見事な大樹となる。
 「きょう」を勝つことだ。「ここ」で勝つことだ。仏法を持ち、毎日毎日、地道に学会活動しきった人が三世にわたって勝利しないわけがない。

■運命を決めるのは自分自身
 一、大文豪トルストイの娘アレクサンドラは、日記につづっている。
 「人間が運命に左右されるのか。それとも運命が人間自身に左右されるのか。この問題に対して、私は父の日記から答えを得た。
 人間は、自分の精神を磨き続けている限り、運命に左右されることはない」
 青春時代に、自分自身の生命を磨き鍛えた人は、一生の幸福の土台を築くごとができる。
 「一生成仏抄」には、こう仰せである。
 「たとえば、曇って、ものを映さない鏡も、磨けば玉のように見えるようなものである。今の(私たち凡夫の)無明という根本の迷いに覆われた命は、磨かない鏡のようなものである。これを磨くならば、必ず真実の悟りの智慧の明鏡となるのである」(御書384ページ、通解)
  日々、妙法を朗々と唱え、学会活動に勇んで取り組むなかでこそ、自分自身の生命が最高に錬磨される。
 その生命は、研ぎ澄まされた明鏡のごとく、最も正しい人生観、社会観、世界観、宇宙観をもって、あらゆる事象を適切に見極め、何ものにも負けずに、価値創造の智慧を光り輝かせていくことができるのである。
 一、、偉大なる父トルストイは、娘に教えた。
 「今、あなたは、自身の人生を、確固たる信仰の基盤の上に打ち立てることができるという、幸せな境遇にあります。
 人生を確固たる信仰の基盤の上に打ち立てるということは、不幸はありえないということです。
 一時間、一日、一年が、私たちの幸福を、ますます倍増させるということです」
 若くして、妙法に生きるわが女子部こそ、「不幸はありえない」人なのである。
 「さいわい(福)は心よりいでて我をかざる」(御書1492ページ)である。
 「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(同)である。
 どうか、この御書通りの青春と人生を、賢く明るく、そして勇敢に歩み抜いていただきたい。

■不正に黙ってはいられない!
 一、ポーリング博士とともに、平和のために活動した、アメリカの女性作家パール・バックは語っている。
 「私は、元来もの静かな女なのですよ。ところが、不正義と思えるものによって侵害を受けるや、もはや黙っているわけにはいかず、耐えがたいほど雄弁になるのです」(丸田浩訳)
 正義の女性の雄弁に、かなうものはない。
 真剣な女性の声に、勝るものはない。
 一、法難と戦う弟子に大聖人は仰せである。
 「いかなることがあろうとも、少しも信心がたゆむことがあってはならない。いよいよ強く、(仏の敵を)責めていきなさい」(御書1090ページ、通解)
 これが、日蓮仏法の根本精神である。
 恩師・戸田先生は言われた。
 「いかなる大難に遭おうとも、『これが魔だ!』と見破れば、後は勇気百倍して乗り切れるのである」
 全国の女性リーダーの「雄弁」と、異体同心の「団結」で、全国完勝の波動を、朗らかに、また朗らかに広げていっていただきたい。
 わが婦人部に、そして、わが女子部に、幸福と栄光輝け! と祈って、記念のスピーチとさせていただく。(大拍手)
(2003・8・21)