台湾・北海道・ドクター部合同協議会 上


◆◆◆皆が勝利者! 北海道の新時代が! 
◆◆◆旭日の生命力で勝て
◆◆[キケロ
  「沈黙は恥」= 正義を語り抜け

 一、未来の一切は人材で決まる。中途半端では本物はできない。
「次の50年」を勝利するために、今、新しい人材を鍛え、育てたい。
 恩師・戸田先生は、だれよりも青年を愛する指導者であった。
 女子部には、よく「自信をもって生きよ! 希望をもって生きよ! 福運を
積みゆけ!」と励まされた。
 自信がないのは、損である。他人ばかり見て、確固とした自分がない。それ
では不幸である。
 信仰は揺るぎない究極の自信である。
 男子部に対しては「常に力を持て! 断じて負けるな! 断じて勝ちゆけ!」
と叱咤された。
 力のない男性は頼りにならない。社会的な力、英知の力――何かの力を磨く
ことだ。その根本は,信心の力である。
 創価学会は力ある人間が結合したから、非難中傷の嵐を越えて奇跡的な発展
を遂げたのである。


 一、きょうは、東京牧口記念会館で、北海道の栄光大会が意気軒高に行われ
た。本当にようこそお越しくださった。
 また、今回の「十勝沖地震」に対して、あらためてお見舞いを申し上げたい。
被災地の一日も早い復興と、敬愛する北海道の友の絶対の無事安穏を私は日々、
真剣に御祈念している。
 殉教の先師・牧口先生を顕彰する殿堂・東京牧口記念会館が誕生して、今年
で満10年となる。
 北海道は、牧口先生、戸田先生、そして私が、青春の深き思い出を刻んだ天
地である。
 三代の縁深き北海道で奮闘される皆さまに、記念の句を贈りたい。
   満月の
    如き境涯
     師弟かな
 浜名道長を中心に、北海道の友の決然たる行進は、まことに頼もしい。
 北海道は懐かしい。北海道の同志のことを私は生涯、忘れない。
 北海道は強い。人生の勝利者が光っている。新しい人材が伸びている。「平
和の軍勢」が次々と生まれている。
 まさに新時代である。「北海道、万歳!」と私は心から讃えたい(大拍手)。


◆困難があるほど燃える開拓精神
 一、北海道の同志は見事な拡大の前進をされている。
 私が、仏法とイスラムを結ぶ対談集を発刊したテヘラニアン博士は、北海道
を訪問し、学会員と語り合うなかで、困難があるほど燃え上がる「開拓精神」
を感じたと、深く感動しておられた。
 また、博士は、「北海道の心は、平和と友情を大切にする心であることを感
じた」とも語っておられたとうかがった。
 〈2000年10月14日、博士は北海道での講演で訴えた。
 「私たちが挑戦すべき課題は、未来を予測することではなく、未来を創り出
すことです。
 池田先生のような指導者の歩む道に続くことにより、『文明間の対話』が『文
明の衝突』に打ち勝つことができると確信します。乗り越えるべき課題は多い
と思いますが、信念、希望、愛、思いやり、そして勇気によって、必ずや『新
しいシルクロード』は、築かれるのです」〉
 今、北海道をはじ全国各地で、大勢の同志が精神革命の対話に勇敢に歩みを
運ばれている。
 この信念の一歩が、希望の未来をつくる。この勇気の一歩こそが「平和と正
義のシルクロード」を築くのである。


◆「大事業はすべ信仰の力による」
 一、イギリスの歴史家カーライルは言った、
 「此世に於て為されし大事業はすべて信仰の力に由(よ)る」
 この言葉を評論のなかで紹介したのは、日本の思想家・内村鑑三であった。
 信仰を持った人間は強い。自分自身を変革し、社会をより良く変えていける。
歴史に残る大事業さえも成し遂げることができるのである。
 内村鑑三が1928年(昭和3年)、北海道の地で行った講演がある。
 政治家が腐敗している現実を直視しながら、次のように述べている。
 「西洋の政治家は日本の政治家と異(ちが)ひます。西洋の政治家は自身宗
教を信ずる事を恥としません」
 「グラツドストン翁が大政治家でありしと同時に大宗教家でありし事は人の
能く知る所であります」
 「宗教は人生の最大理想であります」「人生の最善を綜合したる者是れ宗教
なりと云ひて間違ないと思ひます」
 「世界最大の政治家は、クロムウェルでも、ワシントンでも、リンカンでも、
グラツドストンでも、ボルドウインでも、宗教に使はれんと欲して、宗教を使
はんと欲しませんでした。彼等は克(よ)く宗教の何たる乎(か)を知ってゐ
たからであります」
 〈『内村鑑三全集31』岩波書店刊から〉
 宗教を「政治のための手段」としか見ていない当時の政治家に対する厳しい
指摘であった。


◆ウソはウソ! 真実は真実! 
 一、ドクター部の皆さまも、ご苦労さま! 
 釈尊の時代も、日蓮大聖人の御在世も、門下の名医が、先頭に立って、権力
の魔性と戦った。
 優れた医師であった四条金吾は、建治3年(1277年)、主君の江馬氏か
ら下し文を受け、「法華経の信仰を捨てるとの誓約書(起請文)を書け」と迫
られた。
 この背後には、邪義を破折され、逆恨みした竜象房と極楽寺良観の謀略があ
る――そう見抜かれた大聖人は直ちに筆を執り、金吾に代わって、金吾を冤罪
から守る書状をしたためられた。「頼基陳状」である。
 その中で、"四条金吾が、竜象房の説法の場に武装の徒を率いて乱入した"
との咎めについて、「このことは、何の証拠もない虚言です」(御書1153
ページ、通解)と明快に断言された。
 また、厳然と、こうも記しておられる。
「(祈雨の勝負に敗れた良観が大聖人に対して)尽きることのない讒言を構え、
(大聖人を)死罪にさせようと企てた」(同1158ページ、通解)
 釈尊も、大聖人も、卑劣このうえない讒言によって陥れられた。
 何一つ罪のない正義の人間を、ウソの作り話で陥れる――これは仏法者に対
する迫害の方程式である。
 いな、歴史の常であるといってよい。あの周恩来総理さえも、事実無根の誹
謗を浴びせられたのである。
 言論の暴力がまかるような社会は、善も、正義も、人権もない。結局、皆が
不幸になる。
 だからこそ、民衆を惑わす邪義や妄説は、明快に破折せよ! ――これが大
聖人の魂である。
 嘘は嘘、真実は真実、正義は正義と、毅然と叫べばいいのである。
 デマを言われて、反論もしない人間は卑怯である。それでは、大聖人の弟子
とはいえない。
 古代ローマの哲人キケロはつづっている。
「実際のところ、沈黙は恥である」(川崎義和訳)
 今は末法であり、「闘諍言訟」という悪世の時代である。正しい思想を広め
る者が迫害される。
 徹底して悪を破折し抜いていかなければ、理想社会は実現しない。
 特に青年は、破邪顕正の言論戦にあっては、一歩も退いてはならない。
 弱々しい姿では、この現実社会に、正義を打ち立てることはできない。
 
 ひとたび言論戦の舞台に立ったならば、相手を圧倒する、強き正義の生命力
がなければならない。「この人にはかなわない」と思わせるくらいの気迫で臨
むのだ。原動力は深き祈りである。
 旭日のごとく赫々たる正義の人格が光る人。人間王者の風格の人。それが真
の信仰者である。


◆「医王」の大闘争
 一、釈尊の時代、提婆達多にたぶらかされて狂った権力者・阿闍世王を真っ
向から諌めたのは、だれであったか。
 「医王」と謳われた耆婆である。耆婆は阿闍世王のもとで大臣も務めた。
 「頼基陳状」には、こう仰せである。
 「阿闍世王の眷属五十八万人が、仏弟子に敵対している中で、ただ耆婆大臣
だけが仏(釈尊)の弟子であった。阿闍世王は、耆婆大臣が仏弟子であること
を快く思われなかったが、最後には他の六大臣の邪義を捨てて、耆婆の正法に
つかれたのである」(御書1160ページ、趣意)
 また大聖人は、四条金吾にあてた御手紙で、こう仰せである。
 「(いまにも国が滅びようとしたとき)阿闍世王は、耆婆の勧めなどによっ
て、提婆達多を打ち捨て、釈尊の御前に参上し、さまざまに今まで犯した罪を、
お詫び申し上げた」(同1149ページ、趣意)
 阿闍世王が悪行の罪を悔い、心を改めると、他国からの侵略は止み、国土は
安穏となったという。
 まさに、一人の名医の師子奮迅の戦いが、極悪を打ち破り、一国を衰亡から
救ったのである。


◆逆境でこそ英雄の真価が! 
 一、イタリアの革命家マッツィーニは述べている。「周囲に対して善を為す
がよい。真理と信ずることを説き、〔みずからも〕それに従って行動するがよ
い。前に向って人生を進むがよい」(力富阡蔵訳)
 断固として、歩みを止めないことだ。正義と真実を語り抜くことだ。
 ポーランドの教育者コルチャックは、自作の物語で、こうつづっている。
「逆境にあってこそ、英雄は真価を見せるのだ」(武田尚子訳)
 コルチャックは、ナチスの迫害から子どもたちを守るために殉じた人物であ
る。彼は、どんな苦境にあっても、決して希望を捨てなかった。
 順調な時はいい。困難な時、逆境の時こそ、人間の真価は試される。
 私たちは困難が大きければ大きいほど、大信力を奮い起こし、朗らかに、ま
た愉快に勝利の前進をしてまいりたい。
(?につづく)