347燃える「先駆」の魂


大九州よ 新たな最高峰を登れ!
我らに一人立つ「挑戦王」の誇り



―― 法華経に勝る兵法なし ――

 先月、私は、南米ペルーの名門「国立ホルヘ・バサドレ・グロマン大学」か
ら、栄えある名誉博士号を頂戴した。
 さらに、この八日には、中国の「西北師範大学」より、厳粛な式典のなか、
名誉教授の称号を受章した。
 これで、世界の大学・学術機関からの名誉博士、名誉教授等の栄誉は、百四
十五を数えることになる。
 なかでも、ペルーから"知性の勲章"を頂いた式典には、わが九州青年部の
代表も、凛々しき顔で列席してくれていた。
 同大学があるタクナ市は、ペルーの一番、南にある。日本とペルーは、太平
洋を挟んだ"隣人の国"である。ともに南方に位置する九州とタクナに、尊い
友情が結ばれたことに、私は深い感慨を覚えてならない。
 タクナは、スペインからの独立運動が始まった"革命の電源地"である。
 しかし、独立後の十九世紀後半、ペルーはチリとの紛争に敗れ、ここタクナ
は、チリの支配下に置かれた。祖国への愛国心を表すことも、厳しく禁じられ
た。
 だが、タクナの強き民衆は、絶対に屈しなかった。そして、一九〇一年、ペ
ルーの独立記念日には、国旗を高々と掲げ、誇り高く町中を行進したのである。
 その堂々たる絢爛の姿は、治安にあたるチリの兵士たちの心をも激しく動か
した。
 ペルー国旗の行進が近づくと、チリの兵士たちは取り締まるどころか、タク
ナの人びとに敬意を表して、軍帽を脱いだのであった。
 いかなる相手も恐れるな。むしろ敵をも脱帽させるほどの、偉大な魂の闘争
を開始しゆくことだ。
 「緊張感を持って生きるということは、常に生産し、創造し、成長し、勝利
するということである」
 これが、ホルヘ・バサドレ・グロマン大学の名前の由来となった、バサドレ
博士の大確信であった。
 私は、この言葉を、明年へ五十万人の正義の連帯を築かんと、悠然と立ち上
がった、わが大九州の青年部に贈りたいのだ。
 どうか、あの絢爛と歴史を残したタクナの勇敢なる民衆の如く、見事なる先
駆の舞と劇を成し遂げてくれ給え!
     ◇
 私が、最初に憧れの大九州を訪問したのは、忘れもしない昭和三十一年の三
月五日であった。
 関西に、広宣流布の勝利と栄光の金字塔を打ち立てた、大阪の法戦の渦中の
ことであった。その激闘のなかで、時間をこじ開け、福岡の八女を訪問したの
である。
 私は、大法戦の新たなる流れを開くには、まず九州が絶対に立っていかねば
ならないと、深く考えていた。
 牧口先生も、戸田先生も、幾度となく、九州に足を運ばれた。それは「日本、
また東洋の広宣流布の大波は九州から!」との、深いご確信であったからだ。
 私は、初代、二代のお心を思いながら、先駆の使命ある九州の同志に訴えた。
 「団結がすべての要です。団結がなくては勝利はありません。"法華経に勝
る兵法なし"といって、私たちは必ず勝てる兵法をもっています。あとは、ど
こまで心を合わせるかです」
 団結とは、一人ひとりが、自分が広宣流布のいっさいの責任をとるのだと、
自覚することから始まる。
 広布のためにはいつでも、どこへでも飛んで戦おうという、決意と行動の総
和が団結力である。
 「我胸の 燃ゆる思ひに くらふれは 烟(けむり)はうすし 桜島山」と
は、幕末の志士・平野国臣の有名な歌である。
 噴き上げる桜島の噴煙さえも、まだうすい。わが胸の燃ゆる思いを見よ――
これが、広宣流布の大使命に生きる、九州の同志の情熱だ。
 人を燃え上がらせるには、自分自身が燃えることだ。それでこそ、炎と炎が
合わさった、無敵の団結の火の玉で戦うことができるからだ。
     ◇
 わが師・戸田先生が逝去された翌月にも、私は、九州の大地を踏んだ。昭和
三十三年の五月のことである。
 久留米市での男子部、女子部の九州総会。私は、男子部に、こう訴えた。
 「願わくは、九州の健男児は、九州広布のみならず、青年部を代表して、東
洋広布の先駆者であっていただきたい。私は、心から皆様の活躍を切望するも
のであります」
 創価の中軸であられる戸田先生を失った学会は、必ず空中分解するだろうと
の憶測や批判が、黒く、大きく渦巻いていた。
 しかし、私は一人、人類の希望の太陽である創価学会を守り、断じて、これ
らの黒き暗雲を打ち破ると、深く決意していた。
 私は一人、断固として立ち上がった。民衆の幸福のために、絶対に一歩も引
くことは許されないと、深く誓っていた。
 意気地なし、恩知らず、そして臆病者は、あちらこちらから去っていった。
いわゆる忘恩の輩であり、今はみじめな敗残兵となり、哀れな姿となっている。
 仏法はどこまでも勝負だ。我らは勝った。私と共に、九州の同志も立ち上が
ってくれた。
 二週間後、福岡・香椎球場で行われた第二回の九州総会にも、私は出席し、
烈々たる気迫で叫んだ。
 ――先駆の九州たれ!
     ◇
 先駆者とは、一人立つ勇者のことである。真っ先に悪を攻め、撃破しゆく人
である。そして先駆者とは、最悪の状況のなかでも、決然と勝利への活路を開
き、連続勝利の歴史を織りなす「挑戦王」の異名である。
 ゆえに、眼前の課題に全力を尽くせ! 一日一日が勝負だ。一瞬一瞬が戦い
だ。
 全九州の、いな、全同志の語り草となった、あの長編詩「青年よ二十一世紀
の広布の山を登れ」を発表した時のことである。
 それは、昭和五十六年の十二月十日であった。
 場所は、第一次の宗門事件で、陰険な坊主どもから最も激しい迫害を受けた、
大分であった。
 宗門のあの黒き権力にたたかれ抜いて、まだ多くの同志が、その苦痛を残し
ていた。
 私は、最も邪悪に苦しんだこの大分から、正義の言論の火を放った。断じて、
敵を倒すために。
 この詩が誕生した舞台は、狭い六畳ほどの、質素な管理者室の一部屋であっ
た。私が口述し、青年たちが筆記した。奔流となり、弾丸となって飛び出す私
の言葉に、数人がかりでも手が追いつかなかった。やっと清書され、できあが
った原稿を見て、また怒濤のように直した。
 まさに戦争であった。
 その晩の青年部の大会に間に合わせ、発表された原稿には、推敲の朱筆で真
っ赤のぺージが残っていた。格好ではない。気取りなどもいらない。ほしいの
広宣流布のために、本気で戦う魂と行動だけだ。この大闘争心が「先駆」の
魂であるからだ。
 その九州男児の、そして、すべての男女の青年たちの原動力になればと思っ
て作った詩である。
     ◇
 最も卑怯な宗門と結託して堕落し、我らを裏切った幹部たちが出たのは、九
州であった。
 皆様もご存じの通りだ。陰湿な宗門からは迫害され、宗門と野合した忘恩の
大幹部からも攻撃され、そのなかにあって、熱い涙を流しながら、大九州の尊
き城を守り抜いたのは、無名の庶民の同志であった。
 また、その大激闘のなかで、今日の九州の核となり、推進力となってきた幾
人かの幹部には最敬礼をしたい思いである。私は、永遠にその名を学会本部に
残す決意をしている。
 ともあれ、ペルーの大歴史家であり、大教育者であったバサドレ博士は、厳
然と言われた。
 「一人でいる時、誠意を厳格に保てない者は、簡単に堕落する」と。
 まさに自分の欲望、自分の惰弱さに敗北し、自己保身のエゴに食い破られた
哀れな末路の連中の姿を見るがよい。
     ◇
 二十一世紀を眼前にした平成十一年(一九九九年)の春三月。十八年の時を
経て、私は、長編詩「青年よ二十一世紀の広布の山を登れ」に加筆し、新たに
創り上げた。
 全国の青年部、なかんずく「先駆」の使命を受け継ぐ九州青年部に、今再び、
わが生命を注ぐのだと、胸中にほとばしる叫びを刻みつけた。
「私は君達を信ずる!
 君達に期待する!
 それしか広宣流布はできないからだ!」
「声も惜しまず!
 獅子の如くに吼えゆくことだ!」
「御聖訓のままに生きる我らは
 その証明として
 障魔の風は当然のことである
 これこそ我が学会の誉れというべきである」
「詮ずる所は
 不幸と幸福
 邪悪と正義
 魔と仏との戦いが
 仏法の真髄である!」
「信仰とは
 何ものをも恐れぬことだ!
 自己を果てしなく
 勝利者にしゆくことだ!
 法と人と社会を結ぶ
 偉大なる人間をつくりゆく行動だ!」
 ――新しき勝利の歴史を開くのは、青年しかいない。「先駆」こそ、青年の
誉れの使命である。「先駆」とは、燃えたぎる真剣と情熱の心である。
     ◇
 戸田先生は、青年をこよなく愛し、信じ、手ずから薫陶してくださった。
 「『先生』というのは、先に生まれたから、そういうのだ。『後生畏るべし』
という言葉がある。君たちは『後生』だから、先生より偉くなれ」
 青年よ、私以上に成長せよ、私を乗り越えて進め――これが師である戸田先
生の心であった。それは、あまりに大きな慈愛であり、深い厳愛であった。
 だからこそ戸田先生は、青年に対して厳しかった。
 「君たちは、金が無ければ、電車の一駅や二駅ぐらいは歩け。若いのだ。苦
労したまえ」
 「かつて草創の、大事業をなした名門の子弟は、番頭より安い給料で、それ
も前かけをかけさせて、十五、六歳から小僧に出して働かせたという。そうや
って鍛えて、後に重要なポストを与えたものだ」
 安逸を退け、惰性を排し、労苦のなかへ、鍛錬の炎へと勇んで飛び込んでい
かなければ、揺るがぬ偉大な人格と境涯は創れない。
 先生は、「人間の本当の値打ちというものは、全部、肩書を外したあとの、
裸の人間の真の姿に偉さがなくてはいけない」とも言われた。
 人生の勝負は、決して人気や知名度や財産などでは決まらない。人間として
立派な偉い人を、賢明な大衆は尊敬し待っているのだ。
 「人間は、自分を人に良く見せようとするものだ。誰でもその癖がある。あ
りのままの姿でいきなさい」これも、青年への指導であった。
 御書にも、「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(七五九ページ)と仰
せである。
 この無作三身の生命こそが、最も尊く、最も美しく、最も胸を打つのだ。見
栄や虚栄などをかなぐり捨てた人間ほど、強いものはない。その最強の人間群
が躍動しているのが、わが誇り高き九州の大地だ。
     ◇
 九州は限りなく強い。
 九州は断じて負けない。
 九州は、永遠に「先駆の九州」である。
 先駆の戦いには、必ず波が起こる。風も吹きつける。
 しかし、我らには、なんの恐れも、逡巡もない。
 波よ、来るなら来い!
 風よ、吹くなら吹け!
 前に進む喜び、前途を切り開く充実! それらの財宝はみな、雄々しき先駆
者の人生を決めた我らのものだ!
 さあ、さらに決然と進め!
 広布の新たな最高峰を登れ! 必ず勝者となれ!
 わが大九州から、新しき、大いなる希望と勝利と栄光の歌声を、轟かせてい
ってくれ給え!
 人間と人間が、庶民と庶民が、そして民衆と民衆が、共に喜びに満ちあふれ
た大理想郷・九州を断じてつくり上げていってくれ給え!
 私は、再び最敬礼をして、一生涯、そのことを祈り通していくだろう。
 わが大九州よ。大切な、大好きな大九州よ、二十一世紀の洋々たる福運と幸
福と勝利の広宣流布へ、偉大な陣列の先駆を心から頼む!
2003年(平成15年)10月11日(土)