全国総県長会議


◆◆◆大変革の時代を勝ち抜け
◆◆【ナンダ博士】 宗教によって人間は真に人間になる
◆◆【ヘンダーソン博士】世界を変えるのは「一人」を目覚めさせる運動

〔池田名誉会長は9日、全国総県長会議に寄せ、日蓮大聖人の御聖訓、牧口初
代会長、戸田第2代会長の指導をはじめ、古今東西の蔵言を通し、広布前進へ
のメッセージを全国の同志に贈った。〕

 一、連日の大奮闘、本当にありがとう! 
 広宣流布の前進には、必ず難がある。難を乗り越えて仏になるのだ。
 「異体同心の団結」ですべてを勝ち越え、日本のため、世界のため、尊き同
志のために、「痛快なる勝利」の名指揮を、どうか、よろしくお願いします。
 御書には、白馬のいななきを聞いて威光勢力を増す、輪陀王の話が引かれて
いる。この王は、諸天善神を譬えている。
 「白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり」(御書1065ページ)
日蓮大聖人は仰せである。
 白馬のいななきを聞いた王は「身体の力、心の働きが、以前より、百千万倍、
よくなった」(同1062ページ、通解)。
 我らの唱題の声を聞いた諸天善神が、どうして威光勢力を増さないことがあ
ろうか。どうして我らを守護しないことがあろうか。そのように強く確信して
いきなさいと教えてくださっている。
 白馬が天空を駆けるように、朗々と妙法を唱えながら、諸天を動かし、あら
ゆる人を広布の味方にしていきたい。
 皆さまのさらなる前進の力になることを願って、世界の英知の言葉を贈らせ
ていただきます。

■必死の一念こそ
 〈中国・宋代の詩人・蘇軾(そしょく=蘇東披)〉
 「戦いは勇気が根本である。すべて勢いで決まる」
 「戦いに臨んで必死の一念がなければ、戦いに力が入らない」
 勇気ある信心こそ、人生において、また現実社会において勝利する無敵の力
である。
 〈中国の周恩来総理〉
 「正義の思想は人民によって具現される」(中共中央ML著作編訳同訳)
 新しい歴史をつくるのは目覚めた民衆である。
 だからこそ指導者は、自分から民衆の中に飛び込み、真摯に声を聞き、どこ
までも民衆に奉仕していかねばならない。
             ◇
 「こんにちは疑いもなく、変動の時代、戦闘の時代、史上かつてみない大変
革の時代である」
 「最後まで戦いぬくよりほかはない」(日本語版《周恩来選集》翻訳室訳)
 日本の軍国主義との闘争のさなか、青年に呼びかけた言葉である。
 「大変革の時代」をリードするカギは、つねに「青年」が握っている。「青
年の奮闘」が勝敗を決する。

■青年こそ希望! 徹底的な勝利を
 〈中国の文豪・巴金(ばきん)氏〉
 「この世代の青年英雄の一身には、私たちの希望が托されている」
 「徹底的な勝利を勝ち取ることを願う! 」(石上韶訳)
 巴金氏は、自分たちの世代が目指し続けてきた理想を、若き世代に託した。
青年たちの勝利を信じた。私も同じ気持ちである。
 〈戸田先生の言葉〉
 「瀬戸内海の鯛というものは、内海で生まれ、玄界灘の荒波にもまれて育ち、
再び瀬戸内海に帰ってくる。したがって、玄界灘の激しい潮流にもまれるので、
肉がしまり、骨が堅くなって、おいしい。青年も、このように世の荒波にもま
れてこそ、すぐれた人物に成長できるのである」
 「肉体的にも、精神的にも、人生の苦しみを受けたものが強くなるのである。
ゆえに、青年は、安逸を求めてはいけない」
 青年部の諸君は"青春の苦闘こそ人生の宝"と決め、自分自身の勝利をつかんで
いただきたい。
 〈「種種御振舞御書」〉
 「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに
人をよくな(成)すものはかたうど(方人)よりも強敵が人をば・よくなしけ
るなり」(御書917ページ)
 ――釈迦如来のためには、提婆達多こそが第一の善知識であった。今の世間を
見ると、人を成長させるものは、味方よりも、かえって強い敵のほうである――
 "強敵こそ、第一の善知識"である。この御金言を胸に刻めば、何も恐れるもの
はない。

◆◆私は楽観主義者 「正義は栄える」と断固たる心念
◆◆過去をほじくり返すな 未来のことを考えよ! 

■自分らしく光れ
 〈戸田先生の言葉〉
 「(青年に対して)君らの中にも、いろいろな性質の人がいる。どんな立派
な人物でも、時代と場所を得て力が出るのである。自分の特質を生かして戦え」
 人の個性は「桜梅桃李」である。皆、違う。違うからこそ、おもしろい。と
もに磨き合い、成長できる。
 自分らしく精一杯戦っていくことだ。その真剣な一念によってこそ、自分な
らではの、最高の力が発揮されるのである。
             ◇
 「『寿量品』の中に『更賜寿命(きょうしじゅみょう)』というお言葉があ
る。これは、仏様の約束です。信心をしっかりやっていけば、生命力が強くな
るということです」
 生命力が強いということが、幸福の根本である。

 〈牧口先生の言葉〉
 「終わったことをほじくるかえす必要はない。われわれは、これからのこと
を考えて生きていくのだ」
 日蓮大聖人の仏法は「本因妙」である。現在から未来へ、きょうより明日へ、
前へ前へと進むのだ。

 〈アメリカの未来学者ヘンダーソン博士〉
 「一人ひとりの民衆を目覚めさせる運動こそが、世界を真に変革していくた
めの唯一の政治運動である」
 「真の民衆運動は、だれ人も止めることはできません」
 平和・文化・教育を推進する私たちの行進を、だれ人も止めることはできな
い。きょうも一人、また一人と、時代を開く語らいを幾重にも広げていくこと
だ。

 〈インドのマハトマ・ガンジー〉↓
 「私はどこまでも楽観主義者である。正義が栄えるという証拠を示し得ると
いうのではなく、究極においては正義が栄えるに違いないという断固たる信仰
を抱いているからである」(古賀勝郎訳)
 私たちも、このたくましき楽観主義で、断じて戦い抜いてまいりたい。

 〈アメリカ・デンバー大学のナンダ副学長(世界法律学者協会名誉会長)〉
 「宗教は、人間を人間たらしめる思想です。人間が最も高貴な考えに立って、
人生を生きることを教えた思想なのです」
 「(宗教は)政治であれ、教育であれ、日々の生活であれ、それぞれの分野
で善を行うことを、人々に促すものなのです。ゆえに宗教は、人生において決
して避けて通ることのできない存在なのです」
 人間主義の仏法は、全人類の境涯を高める。"人間が人間らしく生きる世界"
を築いていく希望は、ここにある。

■難は人間革命のチャンスだ
 一、広布の戦においては、「難こそ誉れ」と心得て戦っていくことだ。
 〈「椎地四郎殿御書」〉「大難なくば法華経の行者にはあらじ」〔御書14
48ページ)
 ―― 大難がなければ法華経の行者ではない ――
 難が起こることは、正しく仏法を行じている証(あかし)である。人間革命
のチャンスなのである。勇敢に、堂々と「御書根本」で進んでまいりたい。

 〈「兵衛志殿御返事」〉
 「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(同10
91ページ)
 ―― (凡夫が仏になる時には)必ず三障四魔という障害が現れるので、賢者
は喜び、愚者は退くのである ――
 「障魔を見破れ! 」
 「仏法の賢者たれ! 」
 これが大聖人の師子吼であられた。

 〈古代ギリシャの哲学者プラトンの著作〉
 「中傷というものは何ごとにつけても、いろいろとたくさんなされるものだ
けれどもね」(藤沢令夫訳)
 『国家』の中で、このようにソクラテスが語っている。
 たとえ優れた哲学者であっても、中傷は免れないというのである。
 人類の教師と讃えられるソクラテスでさえ、中傷され、讒言に陥れられた。
弟子プラトンの対話篇は、そうした社会悪に挑む闘争であった。
             ◇
 「まったく矯正不可能な、不正行為に対しては、それと戦い、防戦して、勝
利を収め、断乎として懲らしめる以外に逃れる道はない」(『法律』池田美恵
訳)
 邪悪に対する怒りを忘れてはならない。正義の言論で打ち破るのだ。
 手を抜けば、悪人は増長する。リーダーには、「健気な同志に指一本触れさ
せない!」との気迫と真剣さが絶対に必要である。悪の根を断ち、攻め抜くこ
とである。
 一、賢者は見栄にとらわれない。大聖人は「虚栄に流されるな!」と戒めて
おられる。
 門下である三位房に対する御書である。

 〈「法門申さるべき様の事」〉
 「総じて日蓮が弟子は京にのぼりぬれば始はわす(忘)れぬやうにて後には
天魔つきて物にくる(狂)うせう(少輔)房がごとし、わ(和)御房もそれて
い(其体)になりて天のにくまれかほ(蒙)るな」(御書1268ページ)
 ―― 総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないよう
であるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。(退転した)少輔房
(しょううぼう)のようなものである。三位房(さんみぼう)、あなたもその
ような姿になって諸天に憎まれないようになさい ――
 しかし、この厳愛の指導にもかかわらず、三位房が後に退転、反逆し、悲惨
な末路をたどったことは、ご存じの通りである。
 大聖人は、三位房に対してもっと厳しく注意しておけばよかった、との趣旨
の言葉も残されている。〈同1191ページ〉
 仏法の正道を踏み外そうとする動きに対しては「厳しさ」こそが「慈悲」の
あらわれである。


◆◆◆【御聖訓】強敵が人を成長させる
◆◆【戸田先生】荒波にもまれて青年は伸びる

■大生命力で! 
 一、最後に、大事な言論戦に臨む門下に送られた御聖訓を拝したい。

 〈「弥三郎殿御返事」〉
 「但偏(ひとえ)に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干(そこばく)
の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ
宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚(あぐ)るか名をくだ
すかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦・多宝・十方の
仏・来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし」(同1
451ページ)
 ―― ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多く
の人が死んだのに、今まで自分が生き永らえているのはこのこと(法華経の法
戦)にあわんがためである。この今の戦いこそ、宇治川を渡すところであり、
勢多川を渡すところである。名を上げるか名をくだすかの境目である。
 〈宇治川・勢多(瀬田)川は、関西の要害の川。源平の合戦でも勝負を決す
る要所となった〉
 人間に生まれるのは難しく、法華経は信じがたいとは、このことである。
 (この戦いに勝つために)『釈迦・多宝・十方の仏よ! 来り集まって、わ
が身に入り、我を助けたまえ!』と祈念しなさい ――
 広宣流布へ戦う皆さまのもとへ、釈迦・多宝・十方の諸仏が、こぞって集ま
り、守りに守る。これほど頼もしいことはない。
 広布へ戦う人には、偉大な仏の生命力が厳然と現れる。日寛上人が「我等、
妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(当体義抄文段)とお示しの
通りである。
 いよいよ信力・行力を奮い起こし、仏力・法力をわき出しながら、断じて勝
利しょう! 
 お体を大切に! 
 晴れ晴れと、すべてに勝って、創立記念の月に集い合いましょう!