創立の十一月十八日を讃う

【わが世界の同志のご多幸を祈りつつ】
            池田 大作

我らの
十一月十八日! 
晴天であった。
日本晴れであった。
日本中の友が
天を見上げた。
世界中の同志が
妙法を唱えた。
十一月十八日! 
この日は
我らの
決意の誕生日! 
世界平和を誓い
祈りゆく
わが創価
創立の日である。
我らの胸に
抱いているものは
名誉心でもなく
ただひたすらに
広宣流布! 
我らには
大げさな話も必要ない。
人々から
いかなる非難を受けても
動揺しない。
胸の奥底には
強い深い
決心があるからだ。
我らは
荒れ狂う暴風雨にも
負けなかった。
我らは
あの凄まじき大豪雨にも
怯まなかった。
我らの前途には
常に大難を乗り越える
壮大な勝利の
輝く太陽が待っている。
我らの永遠の道は
英雄の道であり
師子の道であり
勝利の道である。
御義口伝には
仰せである。
法華経の行者は
 真に釈迦法王の御子なり」
「今 日蓮等の類い
 南無妙法蓮華経
 唱え奉る者は
 釈迦法王の御子なり」
我らを妬み
多くの狡猾な連中が
どれほど罠を仕掛け
我らを
陥れんとしたことか。
幾たびとなく
狂気の言論で
どれほど
傷つけられたことか。
来る年も
また来る年も
嫉妬の嵐は
一段と猛り狂ってきた。
民衆の名声を妬んで
砕かんとの仕業か。
勝利の勢いある姿を
嫉みゆく姿か。
最も偉大な
最も幸せな者への
悔しさと
それを破壊せんとする
野望なのか。
陰謀なのか。
しかし
運命が命ずるままの
彼には
諸天の拳で
雄々しく叩き割る
援護があった。
希望に光る
この世の最上の護りだった。
彼を護り
彼の正義を護り
彼を断じて勝利させるのだ。
蓮祖は言われた。
「妙法の安楽行なれば
 十界三千
 悉く安楽行なり
 自受用の当体なり
 身 口 意 誓願
 悉く安楽行なり」
戦闘を続けゆく
彼の輝く生命をば
桜が
百合が
そして菫(すみれ)が
薔薇が
美しく薫り
護っていた。
わが偉大な師
は叫ばれた。
「わが仏意仏勅の陣中から
 臆病者は去れ! 
 卑怯者は去れ! 
 意気地なしは去れ!」
さらに
広宣流布の将は
叫んだ。
折伏をする人を
 最も尊べ!
 これは
 仏意のままに
 戦う人だからだ。
 尊貴な人なのだ」
増上慢は去れ! 
幹部であれ
功労者であれ
正義の前進を
乱す輩は敵だ! 
純真な同志を裏切り
利用する人間は
最も卑劣だ。
泣く子を背負い
汗を流しながら
人のために
一軒また一軒と
慈愛の指導をなしゆく
尊き家庭指導の姿よ! 
病気に苦しむ人のために
励ましに走りゆく
多忙の中の
母たちの尊き姿よ! 
いつも またいつも
大変な生活の中にあって
遠き友人の
励ましのために
自転車に乗り
電車に乗り
車に乗って
見舞いに
そして激励に走りゆく
あまりにも気高き姿よ! 
おお
この姿こそ
菩薩の姿であり
仏の姿だ。
御聖訓には
説かれている。
「寿星品とは
 十界の衆生の本命なり
 此の品を本門と云う事は
 本に入る門と云う事なり
 凡夫の血肉の色心を
 本有と談ずるが故に
 本門とは云うなり」
立派な社会人として
悠々と生き抜いている
広宣流布を目指しゆく
壮年の人たちは
鋭き因果の理法である
仏法の流布にあって
ある時は罵倒され
ある時は憎まれ 敬遠された。
そしてある時は
親切に付き合っていた友人が
怒鳴り散らし
悪口雑言を
投げ捨ててきた姿も
多々あった。
常に また常に
真剣な
わが使命に戦い生き抜く
彼の鋭い眼差しを
私は生涯
断じて忘れることはない。
彼は
「人生は勝たねばならぬ。
 負けることは惨めだ」
との一言を
絶対に忘れぬ人物だった。
いつもは陽気な
朗らかな彼であったが
迫害の時に立ち上がる
決意の固さは
あまりにも厳粛であった。
そこには
別人のように
絶対に勝ってみせるとの
正義と信念の息吹が
漂っていた。
互いに中傷し合い
葛藤する
あまりにも醜い時代に
人の心は動揺し
世間は暗く
何と侘しき社会と
なってきたことか。
しかし
彼の厳とした立派な魂は
確実に勝利を
守り抜くために
人間の栄光の玉座
常に側に置いていた。
君の壮麗な
広布の戦闘の姿を見ると
私たちの澄んだ目には
涙が浮かぶ。
普賢菩薩
君たちを見つめている。
「此の人は
 久しからずして
 当に道場に詣(いた)りて
 諸の魔衆を破し
 阿耨多羅三藐三菩提を得
 法輪を転じ
 法鼓を撃ち
 法螺(ほうら)を吹き
 法雨を雨(ふ)らすべし。
 当に天人大衆の中の
 師子の法座の上に坐すべし」
あまりにも愚劣な
汚辱に満ちた中傷に
君たちの魂には
雷鳴が鳴りわたり
邪悪の者たちの頭上に
落雷していくことは
間違いない。
これこそ
我々の正儀に敵対した
罪の報いだ。
我々には
常に豊かな
活気に満ちた前途が
待っている。
つまらぬ悪評など
眼中におかない。
法華経の安楽行品には
「智者は是の如く
 善く其の心を修せば
 能く安楽に住する……
 其の人の功徳は
 千万億劫に
 算数比喩(さんしゅひゆ)もて説くとも
 尽くすこと能(あた)わじ」と。
我々同志の交わりは
いよいよ強く深く
天上のごとく広々と
調和していくばかりだ。
我々の戦いは
悠久の歴史に残るのだ。
魂の病める者の叫びは
空虚だ。
彼らは必ず
晩年になって
厳しき罰を受けるだろう。
罪を犯せば
罰は当然だ。
誰人たりとも
正義と民衆に逆らうことは
できないのだ。
法華経二十八品の
結びである普賢品には
濁悪の世に
広宣流布しゆく
わが尊極の同志を讃えて
こう記されている。
「願う所は
 虚しからじ。
 亦た現世に於いて
 其の福報を得ん」
「若し是の経典を
 受持せん者を見ば
 当に起って
 遠く迎うべきこと
 当に仏を
 敬うが如くすべし」
人生
究極に目指しゆく道は
ただ一つ
人間を知り
世界を知り
仏法を知り
そして決して
軽蔑しないことである。
軽蔑は
未完成の愚人が
傲慢の唾を吐いているに
過ぎない。
智慧を磨くことだ。
謙虚さを学ぶことだ。
悩みを
仲間と語り合うことだ。
人生の荒波に
勇敢に立ち向かい
勝ち進みゆくことだ。
創立七十三周年 万歳!
我らの創立の精神は
世界の平和のためにある。
世界の人類の
連帯のためにある。
そして
晴れ晴れとした
人間主義の勝利である。
十一月十八日は
仏意仏勅の
創価の誕生日! 
我らの
十一月十八日、万歳! 
勝利と栄光の
十一月十八日、万歳! 
親愛なる尊き同志の
十一月十八日、万歳! 

 二〇〇三年十一月十八日
 一千万の大切な同志の
 一人一人と握手しながら
            合掌
     世界桂冠詩人