363 地域を照らす信頼の灯台
―― 「食」と「農」に英知と哲学を ――
―― 『生命の世紀』の開拓者 ――
―― 宝の農漁村部の皆さまへ ――
「田園の耕作は精神をも開発する」
わが農村部の尊き友の活躍を思う時、私の心に浮かぶルソーの叫びである。
彼は、?農業こそ人間の最も根本をなす、最も尊貴な営み?とも論じた。
私は、全く同感である。
その労苦の汗も、土にまみれた手も、断じて作物を守り育てゆかんとする魂も、何と神々しく光っていることか。
来る日も来る年も、わが農村部の同志は大地を耕し、人間の精神を育んでこられた。
地域の信頼の灯台として、その輝きは一段と、使命の国土を照らしてやまない。
色心不二、依正不二の大生命哲理を抱きて、「生命の世紀」の先頭に立つ、誉れの開拓者こそ、農村部だ。
私も、海苔屋の息子である。一生涯、農村部、漁村部の心で生きゆくことを、誇りと思ってきた。
◇
「王は民を親とし」
「民は食を天とす」
御聖訓の一節である(御書一五五四ページ)。
いかなる指導者も、自らの親のごとく、最大に民衆を大切にせよ、民衆に尽くせ、民衆に仕えよ!
ここに、民主主義の根本原理が明快に示されている。
なかんずく、「食」を担う農村の方々こそ、一切の生命を支え育む慈父であり、悲母の存在といってよい。
「白米は命なり」
大聖人は仰せである。
「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」(同一五九七ページ)―一あなたの心が込められた、この白米は白米ではありません。あなたの一番大切な命そのものであると受けとめております、と。
さらにまた、「民のほねをくだける白米」(同一三九〇ページ)――民の骨を砕いて作った、尊い労苦の結晶の白米とも言われている。
蓮祖が、どれほど「農」の心を大事にしておられたか。
御聖訓を拝するたびに、私の胸は熱くなる。
数々の御返事の冒頭に、御供養の農作物への御礼が、律儀なまで丁重に記されていることも、その象徴である。
ある御手紙にも――
「大豆を一石ありがたく拝領しました。法華経の御宝前に、お供え申し上げました。一滴の水を大海に投げ入れれば、三災があっても失われない。(中略)一粒の大豆を法華経に供養すれば、法界は皆、蓮華の世界(功徳に満ちた世界)となります」(同一二一〇ページ、通解)と。
これが、大聖人の振る舞いであられた。
その御心を偲ぶにつけても、わが学会員の血の滲む真心を踏みつけた邪宗門の忘恩の悪行は、永遠に許すことはできない。
◇
「豊作であるように!
飢饉がないように!」
第三代会長に就任して以来、私の一貫した祈りである。
私は、愛する農村部の同志とは、数多くの出会いと歴史を刻んできた。
昭和六十二年には、山形市内の農村青年のサクランボ園を訪問する機会があった。丹精込められた真っ赤なサクランボを、一緒に摘ませていただきながら懇談した。
労働時間の多さに比べて収益が少ないという経営の実情も伺った。新しい品種の開発などの打開策を、私も真剣に考えた。
共に未来を展望しつつ、「山形でも、世界でも、最高に輝く農家に!」と、私は励ました。
それから十五年後の昨年の五月、この縁のサクランボ園を営む方の自宅に、中国青年代表団の一行が訪れた。
団長も、中国の農村の出身である。一行は、皆、私が農村の青年一人ひとりと対話を重ねていることに、大変、驚かれたようだ。
そして、わが農村部の友が、いかに困難な状況にあっても、希望に燃えて、誇り高く農業に取り組む姿に、心から感動されていたという。
ともあれ、農村に明るい希望を贈りゆくことが、私たちの祈りであり、根本精神だ。
農村を大事にしない社会は人間や生命を粗末にする野蛮な社会となり、すべての面で行き詰まる――これが私の持論である。
今日の日本社会の閉塞感も、農村を軽視してきたことが、その元凶にあると思うのは、私一人ではあるまい。
◇
以前、アメリカのフロリダ大学名誉教授で、農業経済学者のジェームス・R・シンプソン博士より、御著書の『これでいいのか日本の食料』(家の光協会刊)をお贈りいただいたことがある。
博士は、世界銀行、アジア開発銀行など多くの国際機関でも貢献されてきた大学者であられる。
その博士が、日本の各地の農家を訪問し調査された経験を踏まえつつ、日本の農家をどう守るか、日本の食の安全をどう守るかを、真剣に論じられた名著である。
私は深謝しながら、拝見させていただいた。
食物の五つの徳性
博士は、「食べることは生きること」であるとの理念を明確に提示されている。
それは、生命の尊厳性を探究し、食物と人間生命の関係も洞察した仏法哲学とも深く響き合うものだ。
仏法では、食物の徳性を、五つに分けて考察している。
第一に、生命を維持し、寿命を保つ。
第二に、精神と身体の生命力を増大させる。
第三に、身体の輝きや活力ある姿を生む。
第四に、憂いや悩みを鎮める。
第五に、飢えを癒し、衰弱を除く。
そして、その食物の価値を現実に発現できるかどうかは、食べる側の人間の生き方によって決まると考えられているのである。
まさしく、「食は命」であり、「食は文化」であり、「食は哲学」である。
食料の安全を守れ
さらにシンプソン博士は、食料(=食糧)を海外に依存する日本の「食料依存率」が六十パーセントとなり、世界に類例のない規模に達していることに、大きな警鐘を鳴らされている。
そして、日本国内の農業と食料の安全を断じて守り抜くため、具体的なアドバイスを贈ってくださっているのだ。
私自身も、昭和四十九年の本部総会で、国連による世界食糧会議に符節を合わせ、食糧問題への提言を発表した。
「日本は『食糧自給率』を高めよ」
「食糧は国家間の政争の具とされてはならない」
「世界の食糧安全保障、食糧配分機構の体制を確立していくべきである」等の内容であった。
この最も根幹の「食」と「農」の問題に、皆が英知を結集していくべき時代だ。
私が創立した戸田記念国際平和研究所は、五年前、十二カ国の研究者の協力のもと、南アフリカで、食糧安全保障等を巡る国際会議を開催した。そこでは、食糧安全保障の確立のためには、その国に「人権の社会」を根付かせることが不可欠であるとの結論になった。
民衆よ連帯せよ!
シンプソン博士も、食料は生命・自由・幸福を追い求める基本的人権に不可欠であるという視点から、日本の民衆がもっと声を上げていくべきことを促されている。
日本には、民衆が自分の力で勝ち取った民主主義と人権確立の歴史が必要だ。
民衆はもっと賢明に、もっと強く、もっと連帯しなくてはならない。
創価の民衆運動の歴史的な意義の一つも、ここにある。
さらにシンプソン博士は、日本農業は、科学技術や情報機器を積極的に活用して、新しい可能性を開いていく「知力の時代」に入るべきだと提案されている。
「知力」とは何か。
それは「?課題を創造的にとらえる、?想像力を駆使してさまざまな手法を編み出す、?革新的な解決を図る、?それらをきちんと評価する」ことであると。
素晴らしい論点である。
知力の時代――それは、知識を主体的に生かしていく智慧の時代、人間生命それ自体のもつ創造力の開発の時代ともいえよう。
わが農村部の友も、「以信代慧」(信を以って慧に代う)の信仰を力として、生き生き
と智慧を発揮し、工夫をこらしておられる。その見事な実証の一つひとつを、私は合掌する思いで伺っている。
◇
東北で、「農村ルネサンス体験談大会」が、本格的に開催されたのは、十年前の一九九三年のことである。
この年は、戦後最悪と言われた凶作の年であった。
私も、懸命に祈り、激励の手を打ち続けた。農村部の中枢にも、「徹底して同志を励まし、元気づけていただきたい」とお願いした。
この心を心として、東北農村部のリーダーは、農家を一軒また一軒と回ってくれた。
農村ルネサンスを
体験談大会は、この波動の中から生まれたものである。
出席された来賓の方々からも、「農村に新しい活力を与えてくれた!」「創価学会は、農業のことを真摯に考えて行動している」など、絶讃の声が寄せられた。
これまで、東北で百三十一回、開催している。この十年間、月に一回以上は東北六県のどこかで行われてきた計算となり、のべ六万人以上の方々が参加された。
そのうねりは全国に連動し、今、日本の津々浦々で「農村ルネサンス体験主張大会」が開かれ、農業に生きゆく誇りと喜びを大きく語り、広げている。
漁村部、また東北の漁光部の体験主張大会もまた、希望の輝きを放ち始めた。
ご関係の方々の熱き努力に、私は心から感謝したい。
残念ながら、今年は、低温と日照不足が続き、米は「十年ぶりの不作」となった。
しかし、その中でも、わが農村部の友は奮闘している。
試練に屈しない、その前向きな雄々しき姿こそ、地域の太陽であり、国土の光明だ。
仏法の「一念三千」の法理に照らし、農家の方々の生命が威光勢力を増すならば、田や畑もまた、必ず威光勢力を増していくからである。
◇
今、私は、インドにおける「緑の革命」の父として名高い農学者のスワミナサン博士と対談を重ねている。
博士は、核廃絶と世界不戦のために戦うパグウォッシュ会議の会長でもある。
私は、博士に申し上げた。
「農業を守り、支える人こそが一番偉大です。一番尊敬されるべき人なのです」
博士は会心の笑みを浮かべられた。
思えば、マハトマ・ガンジーは、「農民こそ、世界の主人公なり」と訴えている。
あの孫文の「人民こそ皇帝なり」との宣言も、農民大連合に捧げたスピーチであった。孫文は断言した。
「農民がすべて連合したときにこそ、われわれの革命は成功する」と。
最も讃えるべき人
ある哲学者が叫んでいた。
――日本は、政治家ばかりが勲章を貰っている。
皆、最も、私たちを生き長らえさせてくれる原動力である農村の方々に、輝く勲章を贈るべきだ。
政治家よ!何を血迷っているのか!と。
◇
いよいよ、農村部の皆様方こそが、世紀の主役として躍り出る時がきた。
農村青年が、凛々しくも、また逞しく陸続と育ち、若き「グリーンパワー(緑の力)」
を思う存分発揮していることも、実に頼もしい限りだ。
「師子王の心」で!
さかのぼれば、あの「熱原の法難」を、大聖人と共に戦い殉じた誉れの三烈士も、農村の大英雄であった。その雄姿は、世界の人権闘争史に燦然と輝きわたる。
「各各 師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」
「師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし」
「彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」(同一一九〇ページ)
わが農村部の先輩たちも、この「師子王の心」で、広宣流布の道なき道を勝ち開いてきたのである。
半世紀前、戸田先生が、地方への広宣流布の拡大の第一歩を踏み出されたのは、農村の座談会からであった。
新たな五十年への拡大と開拓を、私は、最大に信頼する「宝の農漁村部」の皆様と共に開始したい。
2003年(平成15年)12月9日(火)掲載