海外・第2東京代表協議会



◆◆◆新しい広布の波は始まった! 

◆◆◆若々しく! 生き生きと『師子王の心』で進め




【SGI会長のスピーチ】
 一、きょうは、遠くブラジルから、またアメリカから、さらにフランス、イタリアからも同志がお越しくださっている。
 本当にようこそ! 
 アメリカSGIは、ハサン役員会議長の就任、おめでとう!  ナガシマ理事長とともに、世界広布の模範の前進を、よろしくお願いしたい。
 また、地元・第2総東京の皆さま! いつもお世話になり、本当にありがとう! 

 一、わが尊き学会員の皆さまが、一人ももれなく「健康長寿」であられることが、私の祈りであり、願いである。
 使命ある一人ひとりが、強く、どこまでも強く、人生を歩んでもらいたい。元気で、幸福にあふれた、価値ある日々であってほしい。断固として、生きて生きて生き抜いていただきたい。
 新しい年、「創価完勝の年」を迎えるに当たり、ここで、もう一度、信心の根本の姿勢を確認しておきたい。
 それは、1957年(昭和32年)の12月度本部幹部会でのことであった。
 この月、戸田先生が生涯の願業(がんぎょう)とされた75万世帯の弘教が、ついに達成された。
 その歴史的な幹部会で示されたのが、「三指針」であった。
 つまり――
 一、一家和楽の信心
 二、各人が幸福をつかむ信心
 三、難を乗り越える信心
 この3点である。
 以来、私たちは、これを「学会の永遠の三指針」として胸に刻み、前進してきた。
 わが同志が、それぞれの境遇において、それぞれの家庭で、職場で、地域社会で、それぞれの人生で、困難に負けず、現実の不平や不満に流されず、希望に燃えて生き抜き、勝ち抜いていくための指標である。

■一人が立てば一家が幸福へ
 一、指針の第1は「一家和楽の信心」である。
 日蓮大聖人は、「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(御書1492ページ)と仰せである。
 さらに、伝教大師の文「家に讃教(さんきょう)の勤めあれば七難必ず退散せん」(同1374ページ)を引いておられる。
 その家に、妙法の声が響くということが、どれほど素晴らしいことか。
 強き信心とは、強力な磁石のように、幸いを万里の外より集める力である。鉄壁の守りとなって、いかなる災難をも退散させていく。
 この大確信を持って、わが家を幸福と安穏の城に築き上げていくことである。
 家族が信心していない場合も、多々(たた)ある。しかし、心配することはない。あせることもない。
 一人が真剣に、厳然と信心に立ち上がれば、縁する人を皆、幸福の方向へ、希望の方向へとリードしていくことができるからだ。
 ちょうど、暗夜(あんや)の海に一つの灯台が厳然と光を放てば、無数の船が、安全な航路を進んでいけるようなものである。
 大聖人は、こうも説いておられる。
 「目連尊者(もくれんそんじゃ)が法華経を信じまいらせし大善(だいぜん)は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生(むりょうしょう)下無量生の父母等(たち)存外に仏となり給う、乃至子息・夫妻・所従(しょじゅう)・檀那(だんな)・無量の衆生三悪道をはな(離)るるのみならず皆初住・妙覚(しょじゅう・みょうかく)の仏となりぬ」(同1430ページ)と。
 ゆえに、信心のことで家族が争う必要など、まったくない。
 深く祈りながら、大きく賢い心で、仲よく朗らかな、笑いさざめく和楽のわが家を、堅実に、また着実につくっていっていただきたい。
 「笑いは太陽だ。人の顔から冬を追いはらってしまう」(辻昶訳)とは、フランスの文豪ユゴーの言葉である。
 また、家族を亡くされた方もおられる。しかし、仏法の眼で見れば、必ず、深い深い意味がある。絶対に悲しみに負けてはいけない。
 中国の周恩来総理の夫人、?穎超(とうえいちょう)女史は最愛の夫に先立たれた。だれよりもつらく、悲しかった。しかし、多くの人が涙を流すのを見て、こう言った。
 「強くなりましょう。泣くのはよしましよう。泣いても人は生き返りません。私は三回だけ泣きました。もし泣いて恩来(おんらい)が生き返るのなら私は死ぬほど泣き続けます。私たちがやらねばならないことは、涙をぬぐい、恩来の遺志を継ぐことです」(西園寺一晃訳)
 私は、これまで数えきれないほど多くの体験を見てきた。いざという時、信心で立ち上がった人は、必ず、皆、幸福になっている。
 「祈りとして叶わざるなし」の御本尊である。
 妙法は「変毒為薬(へんどくいやく)」の大法である。あらゆる苦難を「薬」に変えて、大きな境涯を開いていけるのである。

 一、大聖人は、父の信心を毅然(きぜん)と受け継いだ南条時光を讃えておられる。そして「同じく法華経を信じさせ給へば・同じところ(所)に生れさせ給うべし」(御書1509ページ)とも言われている。
 信心こそ最高の財産である。わが子に正しき信心を継承しゆくことこそ、親子して、また家族ともどもに、永遠の幸福の軌道を歩みゆく最も確かな道である。
 その意味からも、家庭でも、地域でも、未来部の育成に、さらに力を入れてまいりたい。

◆◆【御聖訓】「冬は必ず春となる」
◆◆◆信心で立ち上がれ!! 
   妙法は『変毒為薬(毒を変じて薬と為す)』の大法

■自身の幸福と地球の未来は一体
 一、第2の指針は、各人が「幸福をつかむ信心」である。
 大聖人は、法華経を引かれて仰せである。
 「此の経を持(たも)つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成る」(同1580ページ)と。
 必ず「幸福をつかむ」ことができる。これが、大聖人の御約束である。
 「信心即生活」である。現実の社会のなかで格闘しながら、法のため、人のために広宣流布へ前進する。そこに大功徳がわく。縁する人々をも救っていける。
 有名な御聖訓には、こうも仰せである。
 「冬は必ず春となる。いまだかつて、冬から春にならず、秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともありません。同じように、いまだかつて、法華経を信ずる人が凡夫のままで終わったなどということも聞いたことがありません」(同1253ページ、通解)
 この希望の大仏法を、私たちは一人でも多くの人に語り伝え、幸福への仏縁(ぶつえん)を広げていきたい。
 幸福は、人から、また外から与えられるものではない。自分自身の「心」で、つかみとっていくものである。
 まさしく「心こそ大切なれ」(同1192ページ)である。
 御書には、「さいわい(福)は心よりいでて我をかざる」(同1492ページ)とも記しておられる。
 一人ひとりの「心」を最大に強め、深めていく力が、「信心」である。

 一、なぜ学会が、これほどまでに大発展をしてきたのか。
 その理由の一つとして、国際宗教社会学会の初代会長、ウィルソン博士(オックスフォード大学名誉教授)は、「学会が人間の幸福を第一義とする」点を挙げておられた。
 さらに博士は、創価のビジョンが「自分自身の幸福の探求(たんきゅう)を、人類全体の運命や地球社会の未来と関連づけている」と高く評価されている。
 「各人の幸福」は、全部、広宣流布に連動している。
 戸田先生は、よくユーモアを込めて言われた。
 「あなた方のためにやることが、結局は広宣流布のためであり、世界のためになるのである。
 だから皆さんの信心の努力の大半(たいはん)を自分自身の幸福のために使って、その残りを広宣流布のためにこっちへよこしなさい」と。
 では、幸福のために、大事なことはなにか。大聖人は、「悪知識」にたぶらかされないことであると、繰り返し戒(いまし)めておられる。
 悪知識は、無量の善(よ)き心を破壊してしまうものだからである。
 御義口伝には、「功徳」の「功」とは「幸」ということであり、それはまた「悪を滅する」ことであると説かれている。(御書762ページ)
 生命の無明(むみょう)を滅することが幸福である。
 「悪」との戦いなくして、真実の「幸福」はあり得ない。

■「逆境(ぎゃっきょう)の人が幸せになる宗教」
 一、第3の指針は「難を乗り越える信心」である。
 大聖人は、「此の法門を申すには必ず魔出来(しゅったい)すべし魔競(きそ)はずは正法と知るべからず」(同1087ページ)と仰せである。
 歴史をひもとけば、偉大な人生には、必ず障害があり、難がある。
 古代ローマの哲人セネカが「多くの人は、その英知のゆえに、また多くの者は、その正義のゆえに嫉妬(しっと)されます」(茂手木元蔵訳)と喝破(かっぱ)しているように、英知があり、正義であるがゆえに、嫉妬され、悪口(あっこう)され、迫害されるのだ。
 いわんや、広宣流布を成し遂げゆく「如説修行(にょせつしゅぎょう)の師弟」には、「三類の強敵(ごうてき)」が立ちはだかり、「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」の大難が競い起こる。
 難を受けることこそ、正しき仏法を正しく実践している証拠である。
 そして、難を乗り越えてこそ、金剛不壊(こんごうふえ)の成仏の大境涯を開いていくことができる。
 だからこそ、大聖人は、「三障四魔と申す障(さわり)いできたれば賢者はよろこび愚者は退(しりぞ)く」(御書1091ページ)、「大難来(きた)りなば強盛の信心弥弥(いよいよ)悦(よろこ)びをなすべし」(同1448ページ)と教えておられる。
 これが、日蓮仏法の精髄(せいずい)であり、学会精神の真髄(しんずい)である。


 一、戸田先生は、苦難と戦う同志を、心から励まされた。
 「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。
 苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」
 学会精神が燃えているかぎり、我らの広宣流布の前進に行き詰まりは絶対にない。
 アメリカ宗教学会の仏教部門のナツィエ議長も洞察(どうさつ)されていた。
 「『難にあわなければ本当の信仰ではない』という主張には、耳目(じもく)
を開くものがあります。
 ここに、いかなる困難をも乗り越えて新しい時代を開いてきた創価学会の強さの秘けつがあると、思います」
 ともあれ、「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(同957ページ)である。
 師子として立て! 
 師子として叫べ! 
 これが大聖人の教えである。
 これからも、いよいよ「師子王の心」で、あらゆる難を乗り越え、勝ち越えてまいりたい。

■人生は60代から
 一、以上、これまでの3項目の指針に、私は、新たに2項目の指針を申し上げたい。
 それは、「健康長寿の信心」である。
 そして「絶対勝利の信心」である。
 大聖人は、病気と戦う健気(けなげ)な女性門下を激励なされて、仰せである。
 「命というものは、わが身にとって第一の珍宝(ちんぽう)である」(同986ページ、通解)
 「一日の命は、宇宙の全財宝を集めた以上の宝である」(同)
 「(あなたは)法華経にめぐりあわれたのですから、一日でも生きておられれば、その分、功徳が積もるのです。何と大切な惜しい命でしょうか。惜しい命でしょうか」(同)
 何よりも大切な「命」である。どこまでも、健康で長寿で、かけがえのない一日また一日を生き切って、無量無辺(むりょうむへん)の価値を創造していくことである。
 21世紀は「生命の世紀」である。
 それはまた「健康の世紀」であり、「長寿の世紀」である。
 その模範と光り輝く、創価の人生であっていただきたい。
 四条金吾の夫人である日眼女に対しても、大聖人は、ある年の新年、「年は・わか(若)うなり福はかさなり候べし」(同1135ページ)と激励されている。
 色心ともに、一年また一年、より若々しく、より福々しく、人生の年輪(ねんりん)を刻(きざ)んでいくのが、この妙法である。
 イギリスのサッチャー元首相は「人生は65歳から始まる」と語っておられた。60代からが本当の人生である。
 御義口伝には、「我らが生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るのは、そのまま常楽我浄(じょうらくがじょう)の四徳(しとく)の香を吹くのである」(同740ページ、通解)と説かれる。
 私たちは、この「常楽我浄」の人生を、堂々と晴れ晴れと、舞いに舞っていきたい。そのためにも、より智慧を発揮した信心即生活をお願いしたい。

■リズム正しい調和ある生活を
 一、御書には、病の原因として6種類あげられている。天台大師の摩訶止観(まかしかん)の文である。(1009ページ)
 第1は「四大(しだい)順ならざる故に病む」。
 四大とは、地水火風のこと。東洋思想では、人間も大自然も四大で構成されていると教えている。私たちの身体でいえば、地大(人体の骨等)・水大(血液等)・火大(熱)・風大(呼吸)の身体的エネルギーのことである。
 この四大の調和が気候の不順等で乱れることによって病気になるとされる。ゆえに、環境に応じた、賢明な生活が大事となる。
 第2は「飲食(おんじき)節ならざる故に病む」。食べ過ぎや飲み過ぎ、あるいは不規則な食事などを指す。
 第3は「坐禅(ざぜん)調わざる故に病む」である。
 一般的にいえば日常生活の不節制といってよい。
 ゆえに、教養ある食生活や、十分な睡眠、適度な運動、リズム正しい生活が大事となってくる。
 第4の「鬼(き)便(たよ)りを得る」の鬼は、身体の外側から襲いかかる病因をいう。現代的にいえば、細菌やウイルスなどのほか、外界からのさまざまなストレスも含まれよう。
 第5は「魔の所為(しょい)」である。
 「魔」とは、精神的・心理的なストレスにより、三毒等の煩悩(ぼんのう)をひきおこし、生命の内奥(ないおう)まで入って精神作用を破壊したり、心身の正常な営みを混乱させる働きである。
 そして、第6は「業の起るが故に病む」である。これは過去世と現世に刻んだ悪業によって起こるものである。
 このように、病気の原因は6種に分けて考えられるが、実際は、いくつかの原因が重なり合っている場合が多い。
 このうち、第5と第6の次元を除いて、最初の4つは、まさしく智慧を働かせていくことで、予防していけるものである。聡明(そうめい)に工夫しながら、よく寝て、疲れをためないことである。
 健康になるための根本は、大生命力を涌現(ゆげん)させ、魔に打ち勝ち、宿業(しゅくごう)を転換しゆく、強盛(ごうじょう)なる信心である。
 有名な御聖訓に「南無妙法蓮華経は師子吼(ししく)の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや」(御書1124ページ)と仰せである。

◆◆悪の脅威に打ち勝つものは「対話」による連帯の力【ブラジルの言論王】

 信心は生命力を大きくする。人格を大きくする。自分自身を大きくする。
 偉大な生命力に満ち満ちた学会の組織で、広宣流布のために戦っていくことだ。
 戸田先生は絶対の確信を込めて言われた。
 「強盛に信心するならば、経文において明らかなごとく、新しく強き生命力を得て、事業に、健康に、生き生きとした生活が始まってくる」「それは地から涌出(ゆじゅつ)するところの水のようなものであって、絶ゆることがない」
 わが学会の同志は、一人ももれなく、「健康博士に!」そして「長寿博士に!」
と私は心から祈りたい。

■仏とは勝利の人
 一、指針の5つめは「絶対勝利の信心」である。
 これまで何度も拝してきたが、大聖人は仰せである。
 「仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄(せおう)と号し王をば自在となづけたり」(同1165ページ)
 勝負をさきとする――これが、仏法の魂である。
 仏典では、「仏」のことを、「一切に打ち勝った人」「目的を達成した人」
「あらゆる敵を降伏させて、何ものをも恐れることなしに喜ぶ人」「ヒマラヤが他の山に打ち勝って、輝くような人」等々と表現されている。
 まさしく、「仏」とは「絶対勝利の人」の異名(いみょう)なのである。
 大聖人は、「仏法というのは道理をもととするものである。道理というものは、主君という権力者にも必ず勝つのである」(同1169ページ、通解)と断言しておられる。
 ゆえに、皆さま方が絶対に負けるわけがない。
 「正義の勝利」こそが大宇宙の法則である。その強き確信こそが信心の極意なのである。
 断じて勝たねばならない。勝つことが、正義である。勝つことが、幸福である。勝つことが、広宣流布なのである。
 なお、御聖訓には、「異体同心なればか(勝)ちぬ」(同1463ページ)、そして、「日蓮が一類(いちるい)は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成(じょう)じて・一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚(おぼ)へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同ページ)と仰せである。「異体同心」の団結こそ「絶対勝利」の要諦(ようてい)であることを忘れまい。

 一、日本でも、世界でも、新しいリーダーが誕生した。新しい広布の波が始まっている。
 皆、励まし合い、支え合いながら、心を一つに前進をお願いしたい。
 広宣流布の役職を全(まっと)うするなかで、自分自身の「境涯」が開かれる。
 広宣流布の責任を担って、粘り抜いた人間が、最後に勝つ。役職を軽視して、勝手気ままに生きる人は、一時は、いいようでも、大福運の道を自ら閉ざす。人生の最終章に苦しんでしまう。
 仏法に「境智行位(きょうちぎょうい)」という法門がある。
 「境」とは獲得すべき真理である。学会の役職にあてはめれば「果たすべき使命」といえよう。その使命を果たすために「智慧」を尽くし、「行動」を尽くしていく。そこに仏法上の生命の「位(くらい)」が連動している。
 日蓮大聖人は宇宙一の偉人である。根本の仏である。その大聖人の仏法を、大聖人に代わって、皆さまは弘めている。最高に尊貴(そんき)な方々である。 誇りを持ち、胸を張って進んでいただきたい。

 一、終わりに、哲人の声に耳を傾けたい。
 フランスの哲学者ベルクソン。彼は「未来を創造するためには、現在、何かを準備しなければならない」(渡辺秀訳)と述べている。
 未来のために、今、何かを始めることだ。
 私が対談したブラジルの言論王、故アウストレジェジロ・デ・アタイデ氏(ブラジル文学アカデミー総裁)は言った。
 「すべての悪の脅威に打ち勝つものは、『対話』による相互理解と連帯の力である」
 心を開いた対話こそが希望の道である。勝利の道である。
 そして、スイスの哲学者ヒルティは語った。
 「人間の尊厳にふさわしいただ一つの決意、幸福へのただ一つの道が残されているのみである。それは『高きをめざして!』である」(前田護郎・杉山好訳)
 この言葉を、皆さま方にお贈りし、私のスピーチとしたい(大拍手)。

 ◆学会永遠の5指針
  
   1 一家和楽の信心
   2 幸福をつかむ信心
   3 難を乗り越える信心
   4 建康長寿の信心
   5 絶対勝利の信心
   
(2003・12・11)