022 おお常勝の大関西城!〈下〉



―― 勇気で綴れ! 凱歌の大叙事詩 ――

―― 必ず勝つ! 常勝魂が学会魂 ――

―― 青年よ 新しい関西の大金字塔を! ――  

 あまりにも有名な御聖訓に、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(御書一一九二ページ)とある。

 わが関西の同志と、幾たびも拝してきた一節である。

 昭和三十一年夏の参議院選挙は、日本国中が燃え上がった。特に、大阪地方区は、東京地方区と並んで、最大の関心事となっていた。

 その大阪の支援の総指揮者は、私であった。

 私は、新しい平和と正義の大道を開くために、「必ず勝ってみせる」と勇んで戦った。

 戸田先生の「勝って、わが人生の歴史を残したい」と思われている心境が、私の心には痛いほど響き渡っていたからである。

 さらに世間では「絶対に勝てない。勝つわけがない」と、囂々(ごうごう)たる中傷非難があった。

 あまりにも、会員が可哀想であった。

 幸福になるために信心し、社会建設のために立ち上がったのに、これほどの侮辱と罵倒を浴びせられる同志の悔しさに、来る日も来る日も、私の全生命は燃え上がる火炎の中へ入っていく心情であった。

 戸田先生は言われた。

 「嫉妬に狂った人間には、何を言ってもわからないものだ。真正面からぶつかって傷を受けることは愚かだ。

 わが道を行け! わが道を開け!」

 今でも、その言葉を忘れることはできない。

 関西本部の常住御本尊には、「大法興隆 所願成就」と、お認めである。

 私は真剣に祈った。関西の「絶対の勝利」を信じて祈った。

 深夜の関西本部で、人知れず、丑寅勤行も続けていった。

 御聖訓には、「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり」(同一一三二ページ)と仰せである。

 私は走った。走り回った。大阪中を、そして関西中を、師子となって走り、戦った。

 同志も皆、多忙のなか、真剣に戦った。真夜中まで走り抜いた。

 「休息は戦いのなかに存在する」

 このフランスのレジスタンスの闘士カミュの信念と一致する、友の奮闘であった。

 アメリカの第三十五代大統領のケネディは語った。

 「人生のどのような領域であろうとも、われわれは勇気の試練に遭遇するのである」

 その通りだ。すべては、勇気で突破する以外にない。

 かつて私も、ケネディ大統領の関係の方から、ご招待をお受けしたことが懐かしい。

 昭和三十八年(一九六三年)の二月、ワシントンで大統領と会見の予定となっていた。しかし、日本のある政治家の嫉妬の邪魔が入り、実現を見ぬまま、その年の十一月、大統領が凶弾に倒れられ、まことに残念な思いをした。

 その後、昭和五十三年の一月十二日、弟のエドワード・ケネディ上院議員が、亡き兄に代わって、わざわざ私に会いに、聖教新聞社まで来てくださったことが、思い起こされる。

 かのケネディ大統領は言った。

 「つまらぬことにこだわっている暇はない。小さなことに文句をいったり、中途半ぱな手段方法で、ごまかしている場合でもない」

 「口先ばかり達者な人たちではなく、行動する人を必要としている。憶病な、いくじなしではなく胆っ魂の大きな人を必要とする時代なのである」

 ともあれ、わが大切な同志は、私と共に、大関西の庶民の常勝不滅の歴史を築いてくれた。

 庶民ほど強いものはない。聡明にして勇敢なる庶民の行動によって、凱歌の大叙事詩は綴られるのである。

 「知的に臆病であることが、人間を弱くする根本原因である」とは、インドの大詩人タゴールの言葉だ。

 大聖人は、「軍には大将軍を魂とす大将軍をく(臆)しぬれば歩兵(つわもの)臆病なり」(同一二一九ページ)と教えておられる。

 人は「言葉」についてくるものではない。

 先輩の、そして同志の、さらには指導者の果敢なる「行動」についてくるのだ。

 命令だけでは、人間は必ず反発をして、最後はついてこない。

 「やりがい」を起こさせることだ。

 「勇気」を与えることだ。

 「希望」を持たせることだ。

 「正義」という喜びを訴えることだ。

 私は徹して、愛する関西の一人ひとりの同志を大事にしてきた。

 友人となり、親子となり、兄弟となり、同志となって、声を嗄らしながら、語り合った。いな、語り抜いた。

 ともあれ、一人のために命を削る思いで接した。

 一人が奮い立てば、そこから二人、三人、百人と、正義のスクラムの行動は必ず広がっていくのだ。

 ここに、御書に説かれる「地涌の義」がある。

 わが師が、「戸田の命より大切な広宣流布の組織」と言われた学会である。

 異体同心の団結を大切にしゆく常勝関西の勝利の図式は、この戸田先生の精神に合致しているから強いのだ。

 我ら関西の前進は、正義の中の正義であるがゆえに、御聖訓通りの大難を呼び起こした。

 未曾有の民衆の大運動であるゆえに、権力は「三類の強敵」の魔性を露にし、獰猛に我らに襲いかかったのだ。

 昭和三十二年の七月三日、私は選挙違反という無実の罪を着せられ、不当逮捕された。

 すでに、戸田先生のお体の衰弱は激しかった。

 その先生を、再び投獄し、学会を壊滅させることが権力の狙いであった。

 “わが師・戸田先生を牢獄になど入れては、絶対にならない。

 私は、私の命に代えても、戸田先生をお守りする!”

 これが、私の決心であり、誓願であった。

 ともあれ、この七月三日の夕方に、私は獄中生活を開始した。牧口先生、戸田先生のあの厳しき戦時下の投獄から見れば、幼子のような獄中生活であった。

 弘安二年(一二七九年)の十月十七日、熱原の法難のさなか、大聖人は、弟子・日興上人らに言われた。

 「おのおのは恐れてはならない。いよいよ強く進んでいくならば、必ず現証が現れ、正邪が明確になる」(同一四五五ページ、趣意)

 これが大事なのだ。

 わが同志が、一生涯、絶対に忘れてはならない御聖訓である。

 この日蓮仏法の真髄たる「師弟の道」を、どこまでも強く強く貫き通していくことが、「常勝の道」なのである。

 その模範の中の模範こそ、わが大関西である。

 忘れもしない、私の出獄は、昭和三十二年の七月十七日であった。

 この日の夕刻、不当逮捕に抗議する大阪大会が、中之島の中央公会堂で盛大に開かれた。

 皆がこれほどまでに私のことを心配し、真剣になって守ってくださったのかと思うと、わが同志への感謝は、激流の如く、若き私の胸に迸った。永遠に忘れることのできない大恩を感じ取った。

 いな、その大恩を返すため、広宣流布のため、大切な大切な同志のため、わが身をなげうって戦い、皆のために勝っていくのだ!

 私の誓いは、強かった。

 「恩を知る心以上に高貴なものはない」とは、私が心に刻んできた古代ローマの哲学者セネカ箴言である。

 愛するわが同志たちは、私の出獄を喜びつつも、その心は憤怒の炎となっていた。

 午後六時、大阪大会が始まってほどなく、夕暮れの空は、にわかに暗雲に覆われ、稲妻が走り、雷鳴が轟き、激しい雨となった。

 外にも、大勢の同志があふれていた。しかし、皆、身動ぎ一つせず、雨に打たれながらスピーカーから流れる声に聞き入っていた。

 戸田先生は、私に小声で、「話は短くしなさい。今日は、権力を総攻撃するような言い方はしないほうが賢明だよ」と言われた。

 私は驚いた。しかし直観的に、その意味がわかった。ゆえに、私は、簡潔に挨拶をさせていただいた。

 ――「最後は正義が必ず勝つ」という信念で立とう、と。

 皆が涙を拭いながら、喜んでくださった。

 必ず勝つ! 最後は勝つ!

 この負けじ魂こそが、関西魂だ。常勝魂だ。そして、わが学会魂である。

 昭和四十一年の秋九月十八日、泥まみれになって勝ち越えた、あの甲子園での「雨の関西文化祭」!

 昭和五十七年の春三月二十二日、世界一の団結で、世界一の六段円塔を築き上げた、あの長居陸上競技場での「関西青年平和文化祭」!

 大関西は、常に艱難辛苦の怒濤を乗り越え、勝ち越えて、「新しい広宣流布の歴史」を、「新しい関西の金字塔」を、そして「新しい世界への人材の光」を放っていった。

 今、この関西魂は、涙せずにはいられない草創の健気な父母から、新世紀を舞台にする子らへ、さらに孫の世代へと受け継がれている。

 後継の若師子たちの陣列は、威風も堂々と、再び偉大なる力をもって整った。

 イギリスの哲学者ホワイトヘッドは洞察した。

 「どこまでも発展したい、また活動したいと願うあこがれは、青年に固有のものです」

 関西の青年部は、この溌刺たる青春の息吹を、限りなく漲らせてきた。

 さらに、ホワイトヘッドは喝破した。

  「現代の世界で実力を発揮するには、最高の訓練をたっぷり積みあげなければならない」

 その通りである。

 青春の「最高の訓練」を勇んで積み上げながら、幾多の実力ある人材を育成してきたのが、わが関西青年部の伝統なのであった。

 世界の同志が見つめる、世界の同志が讃える、この「常勝関西」に、不滅なる共戦の「万里の長城」は、悠然と、いな厳然と、まばゆき太陽の光を浴びながら、そびえ立っている!

 関西創価小学校、また関西創価中学校、そして関西創価高校からも、まことに優秀な人材が陸続と育っている。

 教員の方々も優秀であり、生徒たちも優秀であることが、教育界に響き渡っている。これが最高の私の誇りだ。

 我らの未来は、いよいよ大空に向かって、勝利の翼が天高く無数に飛び始めているのだ。

 オーストリアの作家ツバイクは高らかに謳った。

 「年若くして魂を広く拡げることを学んだ者のみが、後に全世界を自己のうちに捉えることができるのである」

 おお! 日本有数の巨大な大阪ドームに集い合った、深き使命に生き抜く、若き五万人の凛々しき「地涌の健児」たちよ!

 今再びの陣列の、なんと雄々しき崇高なる勇者の姿よ!

 フランスの大文豪ロマン・ロランは叫んだ。

 「いかなる美も、いかなる偉大さも、青春と生命にとって代ることはできない」

 これは、関西の若き同志たちのためにある言葉だ。

♪ああ関西の 行進に

 諸天の旗も 色冴えて

 護りに護らん 我が友を

 いざや前進 恐れなく

 いざや前進 恐れなく、

 大阪ドームを揺り動かす、あの「常勝の空」の若き大合唱が聞こえてくる。

 そして――

 「関西魂とは常勝魂である!」「常勝魂が学会魂である!」と、わが愛してやまぬ関西青年部の誇り高き大宣言が、私の胸に響いてくる。

 常勝関西、万歳!

 関西青年部、万歳!


2004年(平成16年)4月10日(土)掲載