第46回本部幹部会 第4回関東総会
―― 人をつくれ! 平和のため 世界のため ――
「黄金の人材城」を築け
《戸田先生》 「本当に偉い人は 皆を偉くする人」
【名誉会長のスピーチ】
一、海外のSGI(創価学会インタナショナル)の同志の皆さま方、寒いところ、遠いところ、本当にようこそお越しくださいました。
せっかく世界の各地から来てくださったのである。なんとか、海外の皆さま方に、楽しかった、心が豊かになった、と喜んでいただけるような集いにして
まいりたい。
その意味で、音楽隊の皆さん(何か皆の心が和むような演奏をやっていただけないだろうか。
<ここで、創価グロリア吹奏楽団が「野に咲く花のように」の曲を演奏。さらに男子部の代表を中心に学会歌の「紅の歌」「厚田村」などを歌った>
突然のリクエストにもかかわらず、皆さん、本当にありがとう! (大拍手)
一、私のもとには、朝となく夜となく、世界中からさまざまな報告が入ってくる。
今朝も、インドのSGIの同志から連絡があった。
それは、インドの最大の新聞「タイムズ・オブ・インディア」グループによって創設された「タイムズ基金」から、"非暴力と平和の賞"の決定通知書が、
私あてに届けられたとの知らせであった。 <賞の名称は「『偉大なる魂』と『偉大なる英雄』の一体賞」。1面で報道>
SGIの全同志を代表しての受賞決定であり、皆さま方に最初にご報告させていただきたい(大拍手)。
164年の歴史を誇る「タイムズ・オブ・インディア」紙は、多くの知性に愛読されており、私も何度か寄稿してきた。
また、「タイムズ基金」は、インドの深遠な精神性をもとに、世界の平和と調和を目指して活動している、著名な団体である。
○恩師に捧げたい
一、精神の大国インドは、わが師・戸田先生も、心から敬愛し、訪問を望んでおられた。「インドに行きたいな」と最後まで願っておられたことは、私が
一番よく知っている。
そのインドの天地からの甚深(じんじん)の顕彰(けんしょう)が、戸田先生の誕生日(2月11日)を前に決定したことが、私は、何よりも嬉しい。こ
れほどの光栄はない。
この晴れの栄誉を、わが恩師に謹んで捧げさせていただきたいのである(大拍手)。
○仏の敵を 一人あますな
一、戸田先生の忘れ得ぬお歌を紹介したい。
一度は
死する命ぞ
恐れずに
仏の敵を
一人あますな
昭和26年(1951年)、戸田先生が第2代会長に就任された年に詠まれたお歌である。
第2代会長としての戸田先生の決意のお歌であった。
一、私は、戸田先生のことを瞬時たりとも忘れたことはない。
戸田先生の一切のご指導を真剣に学び、銘記し、その通りに実践してきた。
先生のご指導のすべてが、今も私の胸中に光っている。そして、わが行く手を照らしている。
あるとき、戸田先生は、厳しく言われた。
「悪とは徹底的に戦うのだ。学会員をバカにする者は、だれであろうと、私は許さない!」と。
戸田先生は、学会員をいじめるような連中とは、徹底して戦った。本当に容赦(ようしゃ)なかった。激しかった。
そして、「仏敵を許すな。祈り、打ち勝っていけ」と厳命され、強盛な祈りが一切の戦いに通じていくことを教えられたのである。
また戸田先生は、「前線の幹部は、ぼやぼやするな!」と、しょっちゅう注意しておられた。
前線がしっかりしていなければ、戦いは勝てない。会員も守れない。
ぼやぼやして、動かずにいて、戦いの邪魔になる幹部、増上慢になり、いばり散らして、皆の迷惑になる幹部は、いなくなってもらったほうがよいときっ
ぱり言われた。
悪い幹部がいれば、どこかでよどみができ、停滞する。
リーダーは、温かな心で会員を大事にし、会員に本当に尽くしていくことだ。
そこに徹していけば、まだまだ学会は、今の何倍も発展する。リーダーの人格と行動いかんで、学会の組織は、いくらでも変わるものだ。
ともあれ、会員第一の心で行動する人は、人格が光ってくる。良い点がどんどん伸びてくる。全部、自分が得をするのである。仏法の世界に、一切、ムダはない。
―― 不可能を可能にした青春の闘争 ――
師と〔同じ心〕で不滅の歴史を
○最前線で奮闘する友を讃えよ
一、戸田先生は、社会のため、民衆のための大きな戦いに臨むにあたって、「偉大な創価学会の底力を天下に示すのだ」と語っておられた。
"大作、頼むぞ! 青年部よ、頑張れ! ともに戦おうじゃないか!"
―― 師匠の叫びを生命に刻み、われわれ青年部は突進した。
今の青年部の皆さんも、頼みます!
「青年部の時代」に入ったのである。
戸田先生は、こうも言われていた。
「虚栄を張って、学会を利用しようとする増上慢の輩は、学会から、たたき出せ!」
学会のおかげで社会的に偉くなりながら、大恩ある同志に対して、いばる。裏切る。とんでもない増上慢の悪人も出た。
そんな悪行(あくぎょう)を、未来永遠にわたって、断じて許してはならない。
また戸田先生は、本当に偉い人とは「皆を偉くする人」「皆を敬う人」であると言われていた。
"幹部だから偉い"のではない。
一番偉いのは、広宣流布のため、創価学会の発展のために尽くす人だ。仏意仏勅の団体である学会を守り抜いた人だ。
広布のために、日々、最前線で奮闘する学会員の皆さまこそが、最も偉大なのである。リーダーは、こうした方々を最大に讃え、尊敬していくことである。
○「さすがだ!」と信頼される人に
一、戸田先生は、青年部に対して、こうも言われていた。
「ともかく自分自身を磨いていくのだ。大聖人の哲学を夢にも疑わないで、『広宣流布は私がやる!』という気概にあふれて、前進していくべきである」
「私がやる!」 ―― この心意気で、学会は世界的になった。
日本においても、威風堂々の大発展を続けている。
一、私が話すことは、すべて戸田先生の指導がもとになっている。全部、先生から教えていただいたことである。
私は青春時代から、戸田先生の指導を"遺言"のつもりで心に刻んできた。
先生は、厳しき社会に挑(いど)む青年たちに言われた。
「人間の誠実が、どこまで通じるかどうかだ。誠実 ―― それが戦いのすべてであり、要諦である」
誠実であることだ。謙虚に、真剣に、心を込めて話していくことだ。
表面的な人気とりの姿が、誠実なのではない。誠実とは、どこまでも相手の幸福を願う心である。
最高の誠実とは、戦いの先頭に立ち、悪を滅し、善を広げていくことなのである。
どうか、わが舞台で、多くの人から「さすがだな」「頼りになるな」「素晴らしいな」と言われる一人ひとりになっていただきたい。
○勝利は祈りから
一、きょうは関東の代表が参加されている。関東といっても広い。
何県から参加されましたか?<名誉会長の問いかけに、参加者の代表が立って元気に答えた>
学会創立75周年を記念して、代表の皆さまを顕彰したい(大拍手)。
<ここでアメリカ創価大学「名誉大使」の記念メダルが、創立者の池田名誉会長から関東の参加者の代表に手渡された。また本部幹部会の席上、各国、各
方面、各グループなどの代表への表彰が行われた>
戸田先生は、こうも指導されていた。
「戦う以上、絶対に勝たねばならない。題目をしっかりあげ、御本尊に願いきることが、一切の華を咲かせきってゆく究極の原動力であることだけは、瞬
時も忘れてはならない」
この通りに実践してきたからこそ、世界的な「勝利、勝利」の学会となったのである。
これからも、「断じて勝つ」との祈りと行動で、ともどもに進んでまいりたい。よろしくお願いします!(大拍手)
○青葉城址にて
一、 「武人は城をもって戦いにのぞんだ。今、学会は、人材の城をもって広宣流布に進むのだ」
これは、伊達政宗公の騎馬像がある仙台の青葉城址を訪れたとき、戸田先生が言われた言葉である。
私は師匠・戸田先生に、いついかなる時も、お側でお仕えした。先生の言々句々を、厳然とわが生命に刻み、永遠に残しゆくために、書き留める毎日であ
った。
きょうは、懐かしき仙台、東北の友も来ておられる。帰ったら、同志の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください!(大拍手)
○強盛な信心を忘れるな!
一、さらに、戸田先生の不滅の指導を続けたい。
「ない知恵を絞り、汗水たらして一生懸命になるから不可能も可能になる。このとき、御本尊の加護が厳然とあらわれるのです」
まったく、その通りである。信心しているから、何とかなるだろうというのは、本当の信心ではない。信心の堕落(だらく)である。
「断じて成し遂げてみせる!」という必死の一念と行動があってこそ、御本尊の加護があらわれてくるのである。
先生は、こうも断言された。
「どんなことがあっても、根本に強盛な信心だけは決して忘れてはならない。信心で、いかなるものにも必ず勝てるからだ」
強盛な信心に敵(かな)うものはない。信心が本当にあれば、どんなものにも勝てる。
なかなか願いが叶わず、焦ったり、不安になったりすることもある。
しかし、自分自身が幸福になっていく願いは、全部、叶っていく。これは、絶対に間違いがない。そうでなければ、妙法ではない。信心ではない。
どうか皆さんは、このことを、よくよく胸に刻んでいただきたい。
一、マレーシア創価学会(朱光輝〔チュコンフェ〕理事長)のメンバーが、今回の本部幹部会を記念して、貴重な品物を届けてくださった。
一つは、マレー伝統の剣・一対(いっつい)で、"夫婦剣"とも呼ばれる。
マレー文化における非常に重要な存在で、邪悪から身を守り、権威を象徴する意義がある。 <「クリス」と呼ばれ、男性の正装の一部ともなる>
もう一つは、伝統の楽器「アンクルン」。アジア特産の竹を使用した、美しい音色が有名である。
今回の研修会に参加するメンバーが、わざわざ持参してくださった。皆さんを代表して、SGIの宝とするために、謹んでお受けします。ありがとう!(大拍手)
<席上、マレーシアの代表から、名誉会長に贈られた>
一、海外の同志の皆さま方! はるばると、ようこそ、おいでくださいました!(大拍手)
南米のアルゼンチンの皆さま! ヨーロッパのオーストリアの皆さま! 遠方から、尊い広宣流布の研修、本当にご苦労さまです!(大拍手)
そして、アジアのタイ、マレーシアの皆さま、このたびのスマトラ沖の大地震と大津波に対し、私たちは、改めて、心からお見舞い申し上げます。
救援、そして復興へのSGIの献身にも、深い感謝の声が寄せられております。
また、香港・マカオの教育者の先生方も、お忙しいなか、ありがとうございます。
ようこそ! ようこそ!(大拍手)
さらに、アメリカ、ニュージーランド、ボリビア、ドミニカ共和国、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、デンマーク、モナコ、ベトナム、シン
ガポール、そして、韓国、台湾の皆さま方!
日本が一番、寒い季節に、このように勇んで来られた皆さま方を、私たちは、最大の真心で歓迎申し上げます!(大拍手)
寒いので、どうか、風邪をひかれませんように。
わがSGIの皆さまは、「一人」が「百人」にも「千人」「万人」にも通ずる、大切な、大切な方々である。
この2月は、日蓮大聖人が御聖誕(ごせいたん)なされた月である。大聖人が、皆さま方の来日を、どれほど喜ばれ、どれほど讃嘆しておられることか。
皆さまの功徳は、子々孫々、末代まで、無量無辺に伝わっていくのは間違いない。
《ローマの哲人指導者》 「偉大な建設は 一つの行動から」
○一つ一つの行動を大切に
一、仏法は、「振る舞い」である。振る舞いとは、「行動」である。
SGIの皆さまは、本当に立派な行動をされている。遠い道のりを、はるばるやって来られたこと自体に、深い信心があらわれている。
古代ローマの哲人皇帝マルクス・アウレリウスは語った。
「人生を建設するには一つ一つの行動からやって行かなくてはならない」(神谷美恵子訳『自省録』岩波文庫)
深き英知の言葉である。大事業は、一朝一夕には成らない。一つ一つの行動を、確実に、粘り強く積み重ねていくしかない。
今の世の中は、苦労を避け、要領よくやって、早く偉くなろう、早く金儲けしようという人間が、あまりにも多くなってしまった。
私どもの仏法の世界は、そうではない。朝はまず、朗々たる勤行・唱題でスタート。わが生命を大宇宙と交流させながら、その日の目標を明確にして、生
き生きとした生命力で出発する。そして、目前(もくぜん)の課題一つ一つに、決して手を抜かず、全力で取り組んでいく。
そのように、一日一日を、一切の行動を大切にして生き抜いている。
生き生きと動いているところが、必ず勝つ。これは鉄則である。
今、このとき、具体的な手を打っていくことが、未来の勝利の原動力である。
その通りにやってきたから、学会は大発展したのである。
三宅島に勝利の春よ 来(きた)れ!
○三宅島で音声中継が再開!
一、さて、4年半ぶりに帰島が始まった三宅島(東京・三宅村)では、今回の本部幹部会から、地区部長の木村王二さんのお宅で、音声中継が再開される
(大拍手)。
100世帯を超える三宅島の偉大な同志は、大きな災難を厳然と変毒為薬(へんどくいやく)されながら、各地で、戦いを開始している。
<「変毒為薬」とは、「毒を変じて薬と為す」の意味>
私たちは、わが三宅家族に「大善(だいぜん)、来れ!」「勝利の春よ、来れ!」と大拍手を送りましょう!応援しましょう!(大拍手)
○敢闘精神の関東
一、きょうは、関東総会、おめでとう!(大拍手)
「青年・拡大の年」のスタートにあたり、誇り高き関東では、2万1500人を超える新入会の友が誕生した。素晴らしい歴史である。
私は、「関東は立ち上がった!」と、心から讃嘆したい。突き刺すような空(から)っ風のなか、本当によく頑張られた。
聖教新聞の拡大も、青年の結集も、法華講員の救済も、すべて学会模範(もはん)の「敢闘精神」の勝利である。
広宣流布の敢闘精神は関東から始まった。<戦後初の地方折伏が昭和21年関東で行われた>
そして、名実ともに、「関東の精神」となった。
「関東、万歳!」「関東、天晴れ!」と、ともどもに叫んでいきましょう!
(大拍手)
古来、「関八州(かんはっしゅう)を制する者は日本を制す」と言われる。
関八州を制した徳川家康は、江戸幕府を開いた。
広宣流布も、関東は、まさに"要(かなめ)の中の要の天地"なのである。
○若い人たちをぐんぐん伸ばせ
一、関東の群馬ゆかりの哲学者、内村鑑三(うちむらかんぞう)は、こう記している。
「人を作らんかな、人を作らんかな、人を作(つくっ)て而(しこう)して後に社会を改良せんかな」(『内村鑑三著作集 第四巻』岩波書店)
その通りである。
すべての根幹は「人をつくる」ことにある。
学会も、この一点に焦点を定めて、前進してきた。仏法も、この一点を多角的に説いている。
良き人材をつくり、正義の連帯を広げる以外に世界の平和も、日本の繁栄もない。
一切は「人」で決まる。
戸田先生は、いつも言われていた。
「若い人が、ぐんぐん伸びていく創価学会にしていけ」
さらに、次のようにも語られていた。
「若い人のために、学会はあるのだ。
年をとって、多少えらくなると、いばって、若手をおさえたり、怒ったりする。そんな者は学会に必要ない。絶対に、いばらせてはならない。
先輩は、後輩にヤキモチを焼いたりしないで、成長を祈っていけ。
日本のため、人類のため、社会のために活躍する若い人を育てるのだ。
これが、学会の目的である」
先輩の皆さま、どうかよろしく頼みます!(大拍手)
一、先ほども申し上げた通り、2月11日は、「広宣流布の大王(だいおう)」であられた戸田先生の105回目の誕生日である。
私たちは、この日を、「学会創立75周年」の最高にして最大の勝利の上げ潮のなかで、晴れ晴れと、お祝いしたい(大拍手)。
この一年、断じて勝ちましょう!
広宣流布のため、学会のために働いた人は、無量の功徳を受け、最後は必ず勝つのである。
―― 世界の識者が注目 ――
<なぜ学会は強いのか> 「師弟の精神」があるから!
○仏法の真髄は「師弟」にあり
一、ここで、文永9年(1272年)の2月11日、最蓮房(さいれんぼう)へ送られた「生死一大事血脈抄」の一節を拝したい。
「日蓮は日本国の一切衆生に法華経(妙法)を信じさせて、仏に成る血脈を継がせようとしているのに、かえって日蓮を種々の難にあわせ、あげくのはて
には、この佐渡の島にまで流罪した」(御書1337頁、通解)
日蓮大聖人は、卑劣な讒言(ざんげん)と戦い続けた御生涯であった。
嫉妬に狂った者が、正義の人をデタラメな嘘で陥れようとする。その汚らわしいやり口は、昔も今も変わらない。
「ところが、そうしたなかで、あなた(最蓮房)は日蓮に随順(ずいじゅん)し、また法華経のゆえに難にあわれており、その心中が思いやられ、心を痛め
ております」(同頁、通解)
このように、大聖人は慈愛深いお便りを綴っておられる。
仏法の真髄は「師弟」である。
―― 正しき師匠は、経文通りに「三類の強敵」と戦い、種々の大難を受けきりながら、身命を借しまず、妙法蓮華経を広宣流布なされている。
ならば、その弟子は、師匠を護りきることだ。師匠に代わって、敵を打ち破ることだ。
そして、師匠と「同じ心」で仏法を弘め抜いていくのだ ―― これこそ「師弟不二」である。
師弟の道を生き抜いた人は、仏法に照らして、子孫末代まで繁栄していく。
師弟という根本がわからなければ、たとえ一時は栄えようと、原点を見失い、結局は衰微(すいび)してしまう。
わかるか、わからないか。それは、目に見えない一念の違いである。しかし、この違いが大きい。
大聖人は最蓮房を、このように讃えている。
「金(こがね)は大火にも焼けないし、大水にも流されず、朽ちることもない。鉄(くろがね)は水にも火にも、ともに耐えることができない。
賢人は金のようであり、愚人は鉄のようなものである。
あなたは、法華経の金(こがね)を持(たも)つゆえに、まさしく真金(しんきん)の人である」(同頁、通解)
妙法という不滅の黄金を持ち続けた人は、「金の人」である。その福徳は、永遠に朽ちず、輝きわたっていく。
金となるか、鉄となるか。賢人となるか、愚人となるか。人生の勝利は、この一点にかかっている。
広宣流布の師弟に徹する人生ほど、光り輝く「生命の道」はない。
師弟に徹しない信仰、徹しない人生は、利己主義に流れる。エゴと勝手気ままに陥り、仏法という、宇宙本来の法則の軌道から、はずれてしまうのである。
さらに同抄で大聖人は、真剣に信心を貫いた人の臨終について、次のように仰せである。
「何と喜ばしいことか。一人や二人の仏ではない。百人や二百人の仏ではない。千人もの仏が迎えに来てくださり、我らの手を取って(霊山〔りょうぜん〕
に導いて)くださる。それを思えば、歓喜の感涙を抑えられない」(同頁、通解)
まさしく「生も歓喜、死も歓喜」である。私どもは、この御聖訓を胸に、わが人生を悔いなく戦い切ってまいりたい。
○「創価の理念よ地球上に広がれ」
一、今、世界の知性も、創価学会の「師弟の闘争」に注目し、その歴史を讃えている。
なぜ、創価学会は強いのか。
インドの哲学者で、ガンジー記念館館長を務めたN・ラダクリシュナン博士は、創価の「師弟の精神」が、生き生きとした、創造的なものである点に着目されている。
<博士は、師弟の絆(きずな)とは「人間の結びつきのなかで、非常に創造的かつ強力なものであり、他のすべての結びつきを超越するものである」と強調。「牧口会長から戸田会長へ、そして今、池田博士へと流れる『師弟の精神』は、至る所で多くの人々を奮い立たせている」と述べている>
なぜ、創価の前進が、共感を集めるのか。
ロシア最高峰の数学者であるモスクワ大学のサドーヴニチィ総長は、師匠を忘れない私たちの生き方に、心の豊かさ、深さを見いだしておられる。
師匠への報恩こそ、人間の道である。
<総長は語っている。「池田会長は、常に、自分を育んでくれた恩師・戸田先生のこと、またその師匠である先師・牧口先生のことを語られます。そこに私は、本当の心の豊かさ、知恵の豊かさ、人格の深さを感じるのです。
二人の師匠の"創価の理念"を、ご自身の中で昇華(しょうか)され、大きく展開されている池田会長 ―― 。私は、この"創価の理念"が、地球上の多くの人々の心の中へと広がり、万年にわたって輝き続けることを念願しています」>
一、教育においても、「師弟」の人間の錬磨(れんま)が大事である。
中国の傑出(けっしゅつ)した教育者である福建(ふっけん)師範大学の鄭一書(ていいっしょ)副学長は、創価教育の各校を参観した感想を、次のように述べておられる。
「創価教育の根幹には、"師弟"の確かな道が貫かれている。麗(うるわ)しい"師弟"の血流(けつりゅう)が流れている。
これが、日本で創価大学・創価学園を訪ね、『なぜ、これほど素晴らしい学生(生徒)が育つのか』との問いに、私が見いだした答えでした」
誠実とは先頭に立つ勇気!
《楽聖》 苦労は宝! 人生を千倍に生きられる
○弟子ならば「新たな戦い」を起こせ
一、師弟が一体であれば、無限の力がわく。何事も成就できる。これが仏法の定理である。
広布史に名高い、あの「2月闘争」の拡大も、戸田先生と私の、師弟不二の勝利であった。
<昭和27年(1952年)2月、若き名誉会長は、東京・蒲田(かまた)支部の支部幹事として折伏の指揮を執った。それまでの限界だった支部で月100世帯前後という壁を大きく破り、どの支部も成しえなかった「月201世帯の折伏」を達成した>
当時の折伏の進展からみれば、戸田先生の願業である75万世帯の成就は、夢のまた夢であった。
このままでは、いつの日に目的を達成できるのか ―― そのとき戸田先生は、24歳の私を蒲田に派遣されたのである。
私は、戸田先生の弟子として立ち上がり、同志とともに勝利の結果を残した。
この2月闘争から、創価学会は、うねりを起こし、本格的な驀進(ばくしん)を開始したのである。
私は関西でも戦った。
昭和31年(1956年)の大阪の戦いでは、「まさかが実現」と世間をあっといわせる勝利を勝ちとった。
会長になってからは、事実のうえで、世界広宣流布の大道を開いた。
私は、だれも想像すらしない、新たな戦いを起こし、勝利していった。
その大いなる前進に対し、いわれなき非難中傷が嵐のように襲いかかった。
しかし、一切の障魔(しょうま)を打ち破り、学会は大発展を続けてきたのである。
"師弟不二の闘争"の真実は、すべて歴史が証明すると断言しておきたい(大拍手)。
○運命に打ち勝て
一、話は変わる。
音楽の英雄である楽聖ベートーベンの言葉を、「信心の英雄」「広宣流布の英雄」である皆さんに贈りたい。
「どんなことがあっても運命に打ち負かされきりになってはやらない。 ――
おお、生命を千倍生きることはまったくすばらしい!」(ロマン・ロラン著、片山敏彦訳『ベートーヴェンの生涯』岩波文庫)
千倍生きる ―― まさに信心の世界である。
妙法に生きゆく人は、「百千万億倍」尊貴(そんき)な人生を歩むことができる。
とくに青年にとって、苦労して自らの可能性を伸ばしていくことは、最大に幸福なことである。
苦労はいやだ、自由気ままに生きよう ―― それは、一見、いいようだが、動物的な生(せい)になり、一番不自由な日々になってしまうものだ。
わが青年部は、どうか価値ある人生を歩んでいただきたい。永遠の功徳を積むために、今の「千倍の力」を発揮してもらいたい。
頑張ろう!<会場から「ハイ!」と力強い返事が>
○社会部、専門部の活躍に万歳!
一、今、「社会部」「専門部」の活躍が目覚ましい(大拍手)。
婦人部や女子部からも、「生き生きとした部になってきた」という声が寄せられている。
社会部、専門部が誕生したのは、昭和48年(1973年)、オイルショックで、日本経済が深刻な危機に瀕(ひん)していた時であった。
私は心に決めていた。「価値創造」の仏法を掲(かか)げる私たちこそが、人生に勝ち、社会で勝ち、勇気と希望と智慧の偉大な光明となって、時代を照らしていこう、と。
その深き決意で、社会の第一線で奮闘(ふんとう)する友とともに、社会部と専門部を結成したのである。
以来、わが同志は励まし合いながら、バブル経済崩壊(ほうかい)後の荒波も乗り越え、勝利の実証を示してこられた。
私が対談集を発刊した、フランスの行動する文化人アンドレ・マルロー氏は明言している。
「大事はつねに苦境のなかで成しとげられる」(竹本忠雄著『マルローとの対話』人文書院)
乱世だからこそ、「仏法即社会」の智慧が光る。大事業を成し遂げるチャンスがある。
さらに、「大事業というものは、きびしい誠実さの上にだけ築きあげられるもので、それ以外のなにも要求しないのである」とは、アメリカの鉄鋼王カーネギーの哲学であった(坂西志保訳『カーネギー自伝』中央公論新社)。
社会部、専門部の皆さんの勝利も、大誠実の勝利である。
日蓮大聖人は門下一同に厳命された。
「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐(ぐんこ=キツネの群れ)に笑わるる事なかれ」(御書1589頁)
創価学会は、「戦う師子」の集いである。
ゆえに、何ものにも侮(あなど)られてはならない。意気揚々(ようよう)と、すべてに勝ち抜いていく究極の力こそ、「法華経の兵法」であるからだ。
「、フランスの大作家サン=テグジュペリは、「勝利だけが人びとを結び合わせる」(山崎庸一郎訳『戦う操縦士』みすず書房)と述べている。
希望あるところ、勝利あるところに、自然と人は集まる。
「今回も勝った。次もまた勝とうではないか」と、勢いよく勝利の息吹に満ちあふれているところにしか、多くの人は集まらないものだ。
反対に、負けた場合には、疑心暗鬼(ぎしんあんき)になる人がいる。裏切る人間も出る。これほど惨(みじ)めなものはない。
人生は、勝つか負けるかしかない。ゆえに、断じて勝たねばならない。
仏法は勝負である。大聖人が「仏法と申すは勝負をさきとし」(御書1165頁)と仰せの通りだ。
断じて勝利しゆく永遠の法則 ―― それが妙法なのである。
《ドイツの哲学者》 若い時代に叩き込んだことはいつまでも残る
《フランスの哲学者》 虚偽を見出したらあざ笑ってやれ!
《フランスの作家》 勝利だけが人々を結び付ける
○傲慢(ごうまん)とは「錯乱(さくらん)」
一、ここで、フランスの哲学者パスカルの言葉をいくつか紹介したい。
まず、「傲慢とは、さても奇妙な怪物であり、だれの目にも明らかな錯乱である」(『パスカル著作集7』所収「パンセ」田辺保訳、教文館)。
傲慢な人間には、断じて負けてはいけない。そうでなければ、善人の団結が破壊されるからだ。
「虚偽が見出せればあざ笑ってやればいいのだ」(『パスカル著作集4』所収「プロヴァンシアル」田辺保訳、教文館)
愚劣(ぐれつ)なウソなど、痛烈に笑い飛ばせ!
―― 戸田先生も、よくそう言われていた。
「中傷すること、『それは、心の目がはなはだしくくらんでいることである。』
中傷が悪であるとさとらないこと、『それは、心の目がこの上なくくらんでいることである。』」(前掲「パンセ」)
パスカルは、宗教の権威主義と戦い、根も葉もない中傷をされた。
彼は、論争相手の非を示しつつ、中傷は「犯罪行為」「重大な罪」であると喝破(かっぱ)した。その犯罪を許すな ―― これがパスカルの叫びであった。
わが信念に生き抜いた一流の人物は、皆、中傷を浴びている。
日蓮大聖人が、法華経に「悪口罵詈(あっくめり)」と説かれた通りの迫害の連続であられたことは、皆さまがご存じの通りである。
一、インド独立の英雄ガンジーは、「権威のための宗教」から「人間のための宗教」を展望し、こう語ったという。
「宗教儀式は聖職者が作り出したもので、それは"商売"になっている」
仏教においても、釈尊の当時には存在しなかった儀式を、聖職者が金儲けに利用する歴史があった。それは宗教ではなく"商売"である。
<たとえば、葬儀に僧を呼ぶ習慣、塔婆による追善回向(ついぜんえこう)の習慣などは、釈尊の時代には存在せず、後世の僧によって始められた>
大事なことは、自他ともに幸福になることだ。
そのために祈り、折伏し、広宣流布を成し遂げることである。
○「幸福の泉はあなたの中に」
一、信仰は形式ではない。自分自身を変革していく戦いである。
ロシアの文豪トルストイは、『戦争と平和』に綴っている。
「幸福の泉はあなたの外ではなく、あなたの内にあるのです」(北御門二郎訳、東海大学出版会)
仏法に通じる、真理の言葉である。
そして、幸福な人生を開いていくためには、青年時代に自分自身を鍛えることが大事である。
ドイツの哲学者ショーペンハウアーは「若い時代にたたきこんだことは、いついつまでも残る」(秋山英夫訳『ショーペンハウアー全集14』白水社)と論じている。
青年を、青年時代のうちに徹して訓練する ―― これが、戸田先生の人材育成であった。
青年部の諸君は、うんと自らを鍛えていただきたい。今こそ、人生の骨格を築く時である。
○悪の根を断て!
一、「悪しきことを看過することは誤りであります。何故かといえばそうすることは、人々を怠(おこた)りがちにして、やがて災害を招く結果になるか
らです」(岩橋武夫・遠藤貞吉共訳、現代表記に改めた)
こう語るのは、アメリカの社会福祉事業家ヘレン・ケラーである。彼女は、埼玉の天地に、度々、足を運んだことでも知られる。
広宣流布を破壊する邪悪な人間は、これまでもいた。極悪(ごくあく)を打ち破ってこそ極善(ごくぜん)である。
麗(うるわ)しい和合の世界を、悪にかき乱させてはならない。鋭く見破り、峻厳(しゅんげん)に正していくことだ。
日興上人は、大聖人に違背した五老僧の一人、日向(にこう)の謗法を厳しく破折し、「日蓮大聖人の正義に背く師匠たちを捨てないことが、かえって罪になるというのが、この法門である」(編年体御書1734頁、通解)と仰せである。
悪は際限なく伝染し、皆を不幸にさせてしまう。ゆえに、徹底して破折し、その根を断ち切っていかねばならない。
そうでなければ、まじめで善良な同志が、あまりにも可哀想であるからだ。
○新しい友情を!
一、日本中、そして世界中で、創価の新しい友情が幾重にも誕生している。
昨年、ノーベル文学賞を受賞された、オーストリアの女性作家エルフリーデ・イェリネクさんも、その一人である。
イェリネクさんは、勇気ある人権の戦いでも名高い女性である。<極右(きょくう)政党の外国人排斥(はいせき)に抗議してデモ行進に参加したことも有名>
このほど、真心あふれる献辞(けんじ)が記された、意義深き著書を、お贈りいただいた。
きょうの幹部会に出席されている、オーストリアSGIの婦人部本部長であるエリザベート・メリヒャー・オーガスチンさんが、イェリネクさんの親しい友人であり、ご本人から託されて届けてくださったのである。
メリヒャーさんは、王宮劇場のベテラン女優であり、オーストリアSGIの広報部長でもある。
「女性の世紀」のリーダーが、旭日(きょくじつ)のごとく、全世界で、新たな広宣流布の未来を、赫々(かっかく)と照らしている。
○「一人の人間が強くなることだ」
一、アメリカのリンカーン大統領は述べている。
「自分の敵を友に変えてしまう時、敵を滅したことにはならないでしょうか」
(M・L・キング著、蓮見博昭訳『汝の敵を愛せよ』新教出版社)
異なる意見の人をも友人に変えていくことだ。信頼の輪を大きく広げてまいりたい。
光栄なことに、現在、アメリカで、私の英文詩集『平和への闘争』が共感を集めているとの報告をうかがった。
出版社の企画で、私の詩の朗読会が、ニューヨーク、サンフランシスコ、シアトルなどで行われている。
<詩の朗読会では、ピアノやドラムの音楽が奏でられるなか、アメリカの著名な詩人で、名誉会長の詩集に序文を寄せたイシュマエル・リード氏が詩を朗読している。
平和と人権の闘士であるリード氏は語っている。「混沌(こんとん)とした時代にあって、(池田氏の詩は)時代の緊急性(きんきゅうせい)を訴える、
未来への偉大な楽観主義のメッセージです。池田氏は、確信と忍耐こそが、『平和』という我々の夢を成し遂げることを教えています」
朗読会の模様は、地元のテレビや新聞などでも報道された>
この詩集に収められている詩の一節を、平和建設の後継者である青年部の皆さんに贈りたい。
「一人の人間が
強くなることだ!
断じて権力を抑え
勝ってゆくことだ!
それが
我々の権利である。
素晴らしき人生を
生き抜くために
私たちは
戦い そして叫べ!」
(長編詩「勇敢に開け!人間革命の世紀」)
時代もへ社会も、そして世界も、創価の人間主義の「哲学の声」を待っている。希望に燃えた「信念の声」を望んでいるのである。
○「病は高い人生観への飛躍台」
一、どうか、いつまでもお元気で、朗らかに進んでいただきたい。皆さんの健康第一の前進を、心から祈りたい。
なかには、病(やまい)と懸命に闘っておられる方もいらっしゃるにちがいない。しかし、病気になること自体は、決して敗北ではない。
日蓮大聖人は、病の子をもつ門下を「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや」 (御書l124頁)と励まされている。
病気との闘いを、宿命転換の好機と定めていく。その強き一念が、障魔を打ち破り、崩れざる幸福への軌道(きどう)を広げていくのである。
トルストイも述べている。「病気はなんとありがたいことか! それは、我々が何ものであり、我々の一生の仕事は何であるかを、はっきりと示してくれる」
また、スイスの思想家ヒルティの言葉に「病気もまた、大きな幸福でありうる。すなわち一つの浄化(カタルシス)であり、また健康の時には考えられな
かったような、高い人生観への飛躍でありうる」(前田護郎・杉山好訳『ヒルティ著作集第3巻』白水社)とある。
ともあれ、学会創立75周年を飾りゆく皆さまの奮闘と活躍に、最大に感謝申し上げたい。
そして、「21世紀の新たな師弟の原点」と光る、この2月を、生き生きと戦い、若々しく語り、朗らかに勝ち飾っていくことを決意しあって、スピーチを終わりたい。
お帰りになられたら、同志の皆さまによろしくお伝えください。
本当に、ありがとう!(大拍手)
(2005・2・10)