第2総東京最高協議会〔下〕
君も勝て
我も勝ちなむ 不二の山
リーダーは迅速に手を打て
―― 広布の役職には重大な使命と意義が ――
不幸な人の味方に 共に充実と価値光る人生を
【池田名誉会長のスピーチ】
一、創価学会は、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の広宣流布の団体である。
ゆえに、創価学会の役職は、広宣流布のための役職である。そこには、重大な意義がある。
その重大さを自覚し、責任をもって自分の役職を全うしていく人は、最も価値ある、最も充実した人生を生きることができる。永遠にわたる福徳を積みな
がら、勝利の方向へ、幸福の方向へと、確固たる軌道(きどう)を歩んでいくことができる。
国家にも、会社にも、さまざまな団体にも、役職はある。しかし、学会の役職は、それらとまったく次元が違う。三世の生命を貫く、妙法を根幹としてい
るからである。
社会的な肩書などを優先して、学会の役職を下に見るようなことがあってはならない。
愚かな人間は、学会の役職を軽んじ、いい加減に考える。その人は結局、自分自身の福運を破壊し、不幸と敗北の坂道を転落していく。
もちろん、役職で信心が決まるわけではない。幹部がいばるのは論外(ろんがい)であり、人間として最低である。リーダーは、多くの会員に尽くし、奉
仕していく責務(せきむ)がある。
また、役職で人を縛(しば)ることもない。心は自由自在でよいのである。
大切なのは、あくまでも信心である。問題は、役職を担(にな)った人の自覚である。
学会は、人を救うための組織である。悩める人々に信心を教え、皆が幸福になっていくための組織である。その組織における役職は、これほど尊いものは
ない。
自(みずか)らの責任を一段と深く自覚し、立派に果たし抜いていくことだ。
その功徳は絶大であり、生々世々、三世にわたって、崩れざる幸福を約束する生命の位を得ていくのである。
○「SGIには普遍の思想がある」
一、先日、世界的な国際法学者である、デンバー大学副学長のベッド・ナンダ博士が、SGI(創価学会インタナショナル)の発足30周年を祝福し、期
待の声を寄せてくださった。
ナンダ博士と私は、「東洋学術研究」誌上で対談を連載したが、その対談集が、まもなく発刊される予定である。
<『インドの精神 ―― 仏教とヒンズー教』が今春、発刊される>
博士は、先月ハワイで開催された、SGI発足30周年の記念行事にも、わざわざデンバーから駆けつけてくださった。深い友情と連帯の心に、厚く御礼
申し上げたい。
この30年の間にSGIが大いなる発展を遂げたことに関して、博士は、こう述べておられた。
「私は、宗教には、二つの宗教があると思います。
一つは、特定のドグマ(教義)に閉ざされた宗教。もう一つは、特定の国や特定のドグマを超えて、普遍の思想を説く宗教です。私は、後者に注目してお
ります。
そして、SGIには、それ(普遍の思想)があります。そうでなければ、世界の190に及ぶ国や地域にまで広がることはなかったでしょう」
宗教は、人間のためにある。宗教のために、人間があるのではない。
独善的な教義は人間を"差別化"し、"奴隷化"する。歴史的にも、世界的にも、こうした転倒がしばしば見られる。
それに対し、万人の生命の尊厳性を訴え、民衆の連帯を拡大してきたのが、SGI運動である。
ドグマに閉ざされた宗教は、やがて行き詰まり、滅んでいく運命にある。邪宗門と化した日顕宗は、まさにその象徴である。
幸福の種を蒔(ま)く人に!
《デンバー大学 ナンダ副学長》
「SGIの世界的な大発展に感銘 最も大切なのは種を蒔く労苦です」
○「青年を育てずして発展はない」
一、ナンダ博士は、本年の私どものテーマについて、こう述べておられた。
「『青年・拡大の年』 ―― 。このテーマほど、私の心を深く打つものはありません。青年を育成せずして、また、次の世代に精神を継承せずして、思想
の発展はないからです。
私たちは、池田会長が示されるように、種を蒔(ま)き、育てなければなりません。
そして、人間の持つ可能性を、最大に開いていくことです。それが、人間の拡大、社会の拡大、国の拡大、国際間の拡大へとつながっていくのです」
私は30年前、SGIの発足に際し、世界各地から集った地涌の同志に向かい、自らの決意を込めつつ、こう語った。
「自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に平和という妙法の種をまいて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」
この言葉にも、ナンダ博士は次のように深い共感を示してくださった。
「物事を成功に導くために最も大切な労苦は、『種を蒔く』という作業です。
一度、蒔かれた種は、必ず大樹に育つのです。
それと同時にSGI会長が言わんとされているのは、だからこそ、忍耐と持続が不可欠であるということではないでしょうか」
博士の温かなご理解に、心から感謝したい。また、世界の良識が、私どもの日々の活動を、このように高く評価してくださっていることに、皆さんは誇り
を持っていただきたい。
自分の蒔いた種が必ず大輪の花を咲かせることを信じて、忍耐強く、粘り強く、妙法という平和と幸福の種を蒔き、育てていく。その人こそ、最も尊い存
在である。
<ナンダ博士は、「今やSGIは、国連加盟国の数に匹敵するほどの国々で運動を展開するに至りました。30年前に蒔かれた種が、これほどの運動とな
って展開されるに至ったのは、ひとえにSGI会長の功績です。また、すべてのSGIのメンバーも、その功績を分かち合うことでしょう」
とも語っている>
ともあれ、何事も、一つ一つ種を蒔いていくことから始まる。蒔かぬ種は生えない。
未来のために、何か行動を起こすことである。そして、迅速に、的確に、手を打っていくことである。
○「法華経の兵法(へいほう)」に敵(かな)うものなし
一、日蓮大聖人は、弘安2年10月20日、弟子の日朗と池上宗仲(いけがみむねなか)にあてた御手紙の中で、同志のため、広宣流布のために、具体的
な指示を的確に出されながら、こう結ばれている。
「この手紙が着き次第、2、3日の間に、一切を落着(らくちゃく)させて、おのおのが私あてに返事をください」(御書1101ページ、通解)
大聖人御自身、妙法流布のため、また門下のために、寸時(すんじ)も無駄にせず、戦いの手、激励の手、指導の手を、細かく矢継ぎ早に打っていかれた。
この御手紙から3日後には、四条金吾に励ましの御手紙をしたためられている。
金吾が、何者かに襲われたが事なきを得たとの報告に対して、すぐさま手を打たれたのである。
その御手紙では、こう仰せである。
「いっそう自分自身を励まして、強盛な信力を出していきなさい。先日、強敵にあいながら、命を永らえたのは、まったく御本尊の不思議な功力であると
思いなさい。どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていきなさい。(法華経薬王品(やくおうほん)の)『諸余(しょよ)の怨敵(おんてき)は、皆
悉(ことごと)く摧滅(さいめつ)せり』との金言は決して空しいはずがない。
兵法や剣術の真髄(しんずい)も、この妙法から出たものである。深く信心を起こしなさい。決して臆病であってはならないのである」 (同l192ペー
ジ、通解)
法華経の兵法 ―― すなわち「信心」に勝(まさ)る兵法はない。いかなる強敵であっても、仏の正義の陣列の前には、必ず敗れ去っていくのである。
○世界のおもちゃ展 100カ国・地域から1千点を展示
一、今月1日、東京の荒川文化会館で「世界のおもちゃ展」が開幕した。<きょう7日まで>
荒川区の日暮里(にっぽり)は、上野、錦糸町(きんしちょう)とともに「東京の三大駄菓子問屋街」と呼ばれ、菓子やおもちゃの問屋街として栄(さか)
えてきた歴史をもつ。おもちゃと縁(えにし)の深い地である。
開幕式には、日本おもちゃ図書館財団の山科誠(やましなまこと)理事長も見えられた。荒川各界からも多数の来賓(らいひん)が出席してくださった。
来賓の方々が「これほど荒川中の名士が一堂に会することはない」と言われるほどのにぎわいであったとうかがった。
これもすべて、真剣に誠実に「近隣友好」と「地域貢献」を進めてこられた荒川の同志への、厚い信頼の実証である。
「世界のおもちゃ展」は、100カ国・地域から集められた約1000点の代表的なおもちゃを紹介する展示である。
私が提案させていただき、1990年に「世界のおもちゃと教育展」として始まった。現在まで国内の100を超す会場で開かれ、150万人以上の方々
が来場した。
○「おもちゃ」の起こりは?
一、牧口先生と交流のあった民俗学者の柳田国男(やなぎだくにお)氏は、日本における「おもちゃの起こり」について、その一つとして、次のような説
を紹介している。
―― おもちゃという語のもとは、関西で言う「モチャソビ(弄〔もてあそ〕び)」の語に「オ」をつけたものにちがいない。
これは地域によっては「ワルサモノ」などと言って、母や姉の喜ばない玩具であった。
最も普通に使われるのは物差しや箆(へら)の類(たぐい)、時にはハサミや針まで持ち出す子がいて、危ないし、なくしたり壊したりするので、親たち
は代わりになるものを、かわいい子のためにこしらえた。
最初は籠(かご)や桶(おけ)、箒(ほうき)や農具など実用品のやや小形の物を子どもに与えた。
子どもは、大人と同格になったと思って喜んだようだ ―― と(筑摩書房『定本柳田國男集第21巻』所収「こども風土記」から)。
おもちゃは、子どもたちを守り、のびのびと育(はぐく)むために生まれた"愛情の結晶"といえよう。
「世界のおもちゃ展」で展示されている一点一点にも、世界各地のお母さん方の真心と工夫が込められている。
わがヤング・ミセスの同志の皆さま方も、多忙ななか、慈愛と創意で、懸命に"未来の宝"を育んでおられる。
1986年(昭和61年)4月11日、前日に桜花爛漫(おうからんまん)の創価学園の入学式に出席した私は、妻とともに東京の小平文化会館を訪問し
た。居合わせたヤング・ミセスの方々と一緒に勤行・唱題したことを、懐かしく思い出す。
ご存じの通り、この日が、後に「ヤング・ミセスの日」となった。
一、「子どものためのおもちゃ」は、法華経にも登場する。
有名な譬喩品(ひゆほん)の「三車火宅(さんしゃかたく)の譬え」である。
炎に包まれた家の中で遊びに夢中になっている子どもたちを、安全な屋外に導き出すため、父が説得する。
父は言う。
―― あなたたちが好むおもちゃは数少なく、手に入れるのが難しい。もし、取らなければ、後で、きっと悲しみ悔やむでしょう。そのようなさまざまな羊
車(ようしゃ)、鹿車(ろくしゃ)、牛車(ごしゃ)が、今、門の外にあるから、それで遊びなさい 喜んで家の外に出てきた子どもたちに父が与えたのは、
それよりはるかに素晴らしい大白牛車(だいびゃくごしゃ)であった。父は、子どもたちを救うとともに、無上の宝を授けたのである。
これは「開三顕一(かいさんけんいち)」の法理を示しているが、仏が衆生を救う巧みな智慧と大慈悲が表されている。
この譬(たと)えには重要な意義が含まれているのだが、おもちゃが大好きな子どもの心をとらえた、見事な譬喩ともいえよう。
○「人生の山を登る手助けをしたい」
一、玩具評論家の故・斎藤良輔(さいとうりょうすけ)氏は"日本はシルクロード(絹の道)やシーロード(海の道)の終着地でもあったため、人形玩具
文化が豊かで多彩である。異国の玩具文化財が、歴史的にこれほど豊かに集まった例は、そう多くないはずだ"と論じておられる(『おもちゃ博物誌』騒人
社)。
氏は、学会の「世界のおもちゃと教育展」もご覧になり、「文化は遊びのなかから生まれると言われますが、その土壌(どじょう)になっているのが子ど
も時代の玩具です。玩具のない国は滅びる ―― この展示を見て、世界の国々が子どもの遊びをいかに大切にしているかを、改めて実感しました」と語って
おられた。
まさしく、「おもちゃは平和の象徴(しょうちょう)」である。
私の大事な友人である、世界最高峰の絵本作家ワイルドスミス画伯は言われた。
「私は子どもたちが人生という山を登り、喜びと充実という頂(いただき)に到達する助けをしたいと願っております。
これは、この地球上に生を受けた一人一人の子どもたちに与えられた大切な権利であります」
<ワイルドスミス氏は池田名誉会長の創作童話4作に、自らの提案で挿絵を寄せている。それぞれオックスフォード大学出版局から発刊された。
また「ワイルドスミス・絵本の世界 ―― おとぎの国のファンタジア」展が、東京富士美術館の企画により、全国各地で行われている>
画伯と私は、子どもたちの幸福のために語り合った。文化の退廃をもたらすのは、人間の愚かさや傲慢(ごうまん)である。それらに断じて負けてはなら
ない ―― そう約(やく)し合ったのである。
「21世紀の主役」である子どもたちのため、私たちは、平和と文化と教育の運動を、いやまして力強く進めてまいりたい。
―― いかなる邪悪も言論で打ち破れ ――
師子吼せよ 勇気を忘れるな
○破折(はしゃく)精神をもて
一、皆さまの勝利また勝利の前進のために、御聖訓を拝したい。
「仏になる道には、我慢偏執(がまんへんしゅう=我をたのんでおごり、偏〔かたよ〕った考えに執着する)の心なく、南無妙法蓮華経と唱えるべきであ
る」(御書557ページ、通解)
妙法を唱えれば、自分の中に偉大な仏の生命がわき上がる。ここにしか幸福の道はない。小さな執着にとらわれるな。慢心を排せ ―― そう大聖人は教え
ておられる。
また、迫害の渦中(かちゅう)にあった四条金吾には、周囲の人を大事にし、味方にしていくよう諭された。
「(弟たちに)少々の過失があっても見逃してあげなさい。また女性には、いかなる過失があっても、戒める必要などない。まして争ってはならない」(同
1176ページ、通解)
これが賢人である。あらゆる人を活かしていくのが、仏法なのである。
大聖人は、こうも記されている。
「法華経を信じる人は、用心に用心を重ねて、法華経の敵に対して心を引き締めていきなさい」「なにが仏道修行の敵であるかを知らなければ、敵にだま
されてしまう」(同931ページ、通解)
愚かであってはならない。油断があってはならない。
鋭く厳しく魔性を見破り、民衆を苦しめる悪を責め抜いていくことだ。
勇気を忘れてはならない。破折精神を失ってはならない。これが根幹である。
いかなる強敵に対しても、正義を師子吼し、言論の剣で打ち破ってきたからこそ、今日の学会があることを心に刻みつけていただきたい。
そしてまた、大聖人はこう断言なされている。
「法華経の行者は、信心において退転することなく、身に詐(いつわ)り親しむことなく、一切、法華経にその身を任せて、仏の金言のとおりに修行する
ならば、たしかに、来世はいうまでもなく、今世においても無事で寿命を延ばし、最高に勝れた大果報を得て、広宣流布の大願をも成就できるであろう」(同
1357ページ、通解)
妙法を持(たも)ち、誠実に、真剣に、わが信念を貫き通した人が、必ず勝利する。
世界平和の開拓者として、永遠の誉れの歴史を残していけるのである。
○富士を仰(あお)いで
一、詩人・国木田独歩(くにきだどっぽ)は、『武蔵野』に、こう綴った。
「丘に立(たち)て望めば富士山真白うに連山の上に聳(そび)ゆ。風清(きよ)く気澄(す)めり」
独歩は、富士を仰ぎつつ、たゆみなき自分自身の建設を決意していった一人である。
ここで、富士を望んで詠んだ句を、愛するわが同志に贈りたい。
まず、壮年部の同志には ――
勝ちまくれ
白雪富士は
厳たりと
婦人部の皆さまに ――
この一生
富士の如くに
悠然と
女子部の皆さまに ――
晴ればれと
常に胸中
富士の山
そして、男子部、学生部の友には ――
君も勝て
我も勝ちなむ
不二の山
と贈りたい(大拍手)。
○人材をつくれ!
一、大聖人は仰せである。
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是(これ)あに地涌の義に非ずや、
剰へ(あまつさえ=そればかりか)広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまか
せ給うべし」(御書1360ページ)
大事なことは、素晴らしい人材をつくることだ。広宣流布の勢力を拡大することである。
昨年も、わが学会、SGIは、日本は当然のこととして、全世界で未曽有(みぞう)の大発展を遂げた。心から感謝したい。
本年もまた、皆さまが健康第一で、朗らかに、勇敢に、そして断じて事故なく、永遠にわたる絶対の「幸福博士」として戦いゆかれんことを心よりお願い
して、私のスピーチとさせていただきます。
多くの大切な大切な同志の方々に、よろしくお伝えいただければ、うれしく思います。
長時間、ご苦労さま! ありがとう!(大拍手)
(2005・2・3)