最高協議会
全同志の奮闘に心から感謝!
<大勝利の5月3日>本当にありがとう!!
戦う人間こそ王者!
◆《戸田先生》「広布に尽くす同志を永遠に讃えよ」
【池田名誉会長のスピーチ】
一、5月3日、おめでとう!(大拍手)
皆さま方のおかげで、創立75周年の「創価学会の日」を、すべてに勝利して、最高に晴れ晴れと迎えることができた。
日本の全方面、そしてまた、世界190力国・地域の尊き同志に、最敬礼して感謝申し上げたい。
今、全国の同志が、広宣流布のために、一生懸命に動き、戦っておられる。あまりにも尊いお姿である。
学会本部にも、全国から、多くの友がお見えになり、5月3日を祝賀してくださっている。
法華経に「当(まさ)に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」とある。
私は、大切な同志を、この経文の心のままに、「仏を敬うが如く」お迎えし、題目を送らせていただいている。
どうすれば皆が「来てよかった」と喜んでくださるか。私は真剣である。
リーダーの奥底の一念が「学会のため」「会員のため」なのか、結局は「自分中心」なのか。この一念の差で、前進か後退かが決してしまう。
広布のリーダーは「創価学会は私が守る」と決めることだ。そして、その責任感の上に、「異体同心」で進むことである。
一、日蓮大聖人は仰せである。
「(第六天の魔王自身が邪魔をしてきても)諸天善神等は日蓮に力を合わせてくださったゆえに、竜の口の法難さえも勝つことができた。そのほかの大難をも切り抜けることができた。今は魔王も、こりていることであろう」(御書843ページ、通解)
仏法は勝負である。
広宣流布は、永遠に仏と魔との戦いである。その大闘争を、魔王さえもこりるほどの強さと執念をもって勝ち抜いていくよう、大聖人は教えておられる。
わが創価学会は、法華経と御書に説かれる通りの大きな難を受けてきた。
特に「言論問題」「第1次宗門事件」「第2次宗門事件」など、10年ごとに「三類の強敵」の迫害を乗り越え、勝ち越えながら、この5月3日を迎えてきたことは、ご存じの通りである。
そして、創立75周年の今年は、ありとあらゆる広宣流布の戦いに、「全面勝利」の晴れやかな実証を示し切っての5月3日となった。
この学会の威風堂々たる前進に、日本の各界が注目し、驚嘆している。私のもとに、そういう声が数多く寄せられてくる。
これもひとえに、諸天善神であり、菩薩であり、仏にも等しい学会員の皆さま方が、仏意仏勅の創価学会に「力を合わせて」、勇敢に、忍耐強く戦い抜いてくださったおかげである。
正法の敵と戦った人、まっすぐに自分自身の責任を果たし抜いた人は仏となり、三世にわたって、王者の境涯を得る。戦わなければ、仏にはなれない。仏法は厳しい。
人間、だれが偉いのか。
「広宣流布のために戦った人」が偉いのである。
なかんずく、婦人部の皆さま方の奮闘は、あまりにも偉大である。
御聖訓どおりの下劣な「悪口罵詈」「讒言(ざんげん)」「讒訴(ざんそ)」の難にも、婦人部の皆さまは微動だにしなかった。
御聖訓に「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(同237ページ)とある。
牧口先生は、「愚人に憎まれたるは第一の光栄なり」と言われた。
この教えのままに、皆さまは、三障四魔が競い起これば競い起こるほど、「師弟の心」を一段と燃え上がらせ、「正義の眼」を一段と研ぎ澄まし、広布の組織を守り抜いてくださった。
だから学会は強い。
だから学会は勝った。
私たちは、最大の感謝と賞讃の心をもって、崇高なる5月3日「創価学会母の日」をお祝い申し上げたい(大拍手)。
◆ 覚悟の5月3日
一、戸田先生は、会長に就任された日の決意をこう語っておられた。
「私は自分のからだ全体を学会のなかに投げ出し、世の苦悩の民衆のなかに葬ると決意したのである。この決意の日が、昭和26年5月3日であったのである」
私は、昭和35年(1960年)の5月3日、第3代会長就任のこの日、戸田先生を偲(しの)びながら詠んだ。
五月晴れ この日この時 久遠より 覚悟の旅路 ついに来れり
妻も、この日を、「わが家の葬式の日」との決心で迎えた。
これが、「5月3日」を貫く師弟の決意であり、覚悟なのである。
◆ 学会は庶民の城
一、戸田先生のご指導を拝しながら、学会精神の原点を、ともどもに確認しておきたい。
はじめに「会員こそ仏なり」ということである。
戸田先生は、何よりも会員を大切にされた。
「学会のために一切をなげうって、一生涯を学会に尽くされた人を、永遠に讃えゆくことだ。
永遠に、その人の名を忘れてはならない。
大作、それが学会精神だよな。これが学会の崇高なる仏法の真髄だよな」
この先生の言葉は、私の胸奥(きょうおう)から離れない。
日蓮大聖人は、あらゆる権威と差別の壁を崩し、人間の平等と尊厳を高らかに宣言された。
「(色相荘厳の)仏が上」「凡夫が下」ではない。「凡夫こそ仏」である ―― この成仏観、人間観の革命に、日蓮仏法の真髄がある。
学歴や名声で信心は決まらない。学会は民衆の城である。
名誉もいらない。財産もいらない。「ただ広宣流布のために」。こういう庶民が、学会を築き上げてきたことを絶対に忘れてはならない。
戸田先生は言われた。
「広宣流布に戦っている人を尊敬しなければ、真の信仰はできないし、自分たちの率いる組織の発展もありえない」
会員こそ、仏である。菩薩である。
学会のリーダーは、会員に尽くして尽くし抜いて、会員の方々から慕われ、頼りにされる存在になることだ。
戸田先生は「指導といっても、皆に嫌われたら、おしまいだ。通じるはずがない」と言われていた。
今一度、この根幹の指導を銘記してまいりたい。
一、そして、リーダーは常に生き生きと前進していくことである。
「指導者は、どんなに辛かろうが、人前では、生き生きとしていなければならない。
その姿に同志は安心し、ついてくる。
皆に希望を与え、確信を与えるのが幹部である」
これも、忘れ得ぬ先生のご指導である。
そのためにも大事なのは、祈りである。
先生は教えられた。
「広宣流布のために戦わせてくださいと祈ることだ。
はじけるような題目をあげよ!」
妙法に勝る兵法はない。「祈りとして叶わざるなし」の信心である。
白馬が大草原を颯爽と駆けていくような清々しい勤行・唱題を、心がけていきたい。
そして満々たる生命力をみなぎらせながら、常に希望に燃えて、広宣流布の仏の軍勢を、勝利へ勝利へと、牽引していっていただきたい。
〔和合の組織〕を断じて護れ
《御聖訓》「恩を知るのが人 恩知らずは畜生」
◆ 厳愛の指導
一、戸田先生の幹部への指導は峻厳だった。
時には、部屋のガラスが音を立てて震えるくらい大声で叱咤されることあった。 、
しかし、その陰で、「君が同志だから私は言うのだよ。君を頼りにしているから言うのだよ。人間は、厳しく言われなくなったら、おしまいじゃないか」と肩を抱きかかえるように励ましておられたのである。
本当に慈愛深い先生であった。
一、戸田先生は遺言のごとく叫ばれた。
「創価学会のなかで最高の仏法を教えてもらいながら、その恩を忘れ、学会を裏切り、師敵対する。これほどの畜生はいない!」
牧口先生の時代には、先生にお世話になった最高幹部が、軍部の弾圧に負けて、次々と退転していった。
戸田先生の時代に理事長まで務めた幹部が、後に、恩知らずにも退転したことも事実である。
方程式は、今も同じである。
学会のおかげで偉くなり、幹部になりながら、退転し、反逆していった人間たち ―― その本性は傲慢であり、恩知らずであった。
◆ 不知恩になるな
一、大聖人は仰せである。
「(聖人は)恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一としてきた。世の中には、四つの恩がある。これを知る者を人倫(人の道に適った
人間)と名づけ、知らない者を畜生というのである」(同491ページ、通解)
恩を知ってこそ、人間である。いかに世間的に偉くても、恩知らずであれば畜生に等しい。人間失格である。
恩に報いる生き方のなかに、真実の偉大さがあり、人間としての完成があるのだ。
「報恩の人生」か。
「不知恩の人生」か。
所詮、このどちらかしかない。
最高の報恩の道を教えたのが仏法である。私たちは、断じて「不知恩」になってはならない。
〔識者の声〕「学会の大発展は宗教史に燦然(さんぜん)」
青年よ最高峰に挑め!
《戸田先生》体も強く 頭も強く 心も強い人に
◆ 「誰かが何とかする」は無責任
一、戸田先生は、傲慢な人間、恩の人間に対して、それはそれは厳しかった。
「尊大ぶった傲慢な人間を信用するな。傲(おご)った人間には、こちらの真心も通じない。心の根が腐っている者とは付き合うな」と強く叫ばれた。
傲り高ぶった忘恩の人間が、勝手気ままに振る舞うようなことがあれば、断じて許してはいけない。戦わなければならない。
戸田先生は言われている。
「臆病な幹部はいらない。本当に、一緒に広宣流布をしよう、大聖人の仏法を広めよう、不幸の人を救おうという心を失った幹部は、学会から出ていってもらいたい。
こういう人間には、いてもらっては困る。邪魔になる。不潔になる。学会が濁ってしまう」
厳しい指導であるが、すべて真実である。
“自分がやらなくても、だれかが何とかするだろう”では、幹部として、あまりに無責任である。臆病である。
勇者は常に「一人立つ」のである。それが学会の魂だ。すべては、自分自身で決まるのだ。
当然、何人かで集まって智慧を出し合い、協力していくことは大事だ。
しかし、その根幹に「勇気」がなければ、自身の成長はないし、広宣流布の前進もない。
「戸田の命よりも大切な創価学会の組織」である。
この「和合僧」を厳として護り抜くことこそが、「広宣流布の命脈」を護り抜くことだ。
戸田先生は、学会に弓を引いた輩の末路について、「反逆者は、堕地獄(だじごく)の姿を見せて回る」と断言された。
その通りの現証は、皆さまがご存じの通りである。
◆ 悪と戦ったから広布の大道が!
一、戸田先生は、いち早く喝破しておられた。
「坊主には絶対にだまされるな。日蓮正宗も同じだぞ。御本尊と御書以外は信じてはいけない」
本当に鋭い先生であられた。
「御本尊根本」「御書根本」であるがゆえに、学会は強い。
「法に依って人に依らざれ」である。
戸田先生は宣言された。
「邪(よこしま)な坊主こそ、最高の幸福たる成仏を阻(はば)む大悪人である」と。
この通りに、極悪の邪宗門と戦い切ったからこそ、創価学会は世界広宣流布の大道を、限りなく広々と開くことができたのである。
牧口先生は、「善いことをしないことは悪いことをしたのと同じである」と喝破された。
悪と戦わないのは、結果として、悪と同じになってしまう。
大聖人は「法華経の敵をだにも・せ(責)めざれば得道ありがたし」(御書1494ページ)と仰せである。
仏敵を責め抜いていくことが、成仏の直道であり、仏法の根幹である。攻撃精神、破折精神が、学会の根本精神である。
30年前のSGI(創価学会インタナショナル)発足の折(1975年1月26日)、そこに集ったのは、51カ国・地域の同志であった。
それが、2度の宗門事件を勝ち切って、今や190力国・地域の大連帯へと広がった。皆が戦ったからである。大悪と戦ったからこそ、大善が生じたのである。その一点を忘れてはならない。
◆ 熱く語り抜け!鋼(はがね)も溶かすほど
一、今年の7月3日は、軍部権力と戦い抜かれた戸田先生が出獄して、創価学会の再建を開始されてより、満60年の節となる。
先生の師子吼を、生命に刻みたい。
「正義の学会を弾圧し、迫害し、愚弄した権力者は、永久に忘れてはならない。
とともに、善良な学会人を苦しめ、嘲笑(あざわら)い、侮辱してきた権力者を、断じて許してはならない。『仏法と申すは勝負をさきとし』である。
厳しき因果の実相を、明確に見抜き、そして圧倒的な創価の完勝をもって、末法万年尽未来際(=永遠の未来)への鑑(かがみ)としていくべきだ」
我らも、師子となって、堂々と正義を叫んでまいりたい。
鋼をも溶かすような情熱と執念の対話で、いかなる“壁”も打ち破っていこうではないか。
そして各地に圧倒的な勝利の金字塔を打ち立ててまいりたい!(大拍手)
◆ 青年よ伸びゆけ
一、青年よ、強く伸びゆけ! ―― これが戸田先生のお心であった。
だれよりも青年を愛した。青年を信じた。青年に期待した。
「日蓮大聖人の大仏法を信じ、実践する、おおぜいの青年の仲間ができたとき、広宣流布は絶対にできる」
これが、先生の大確信であられた。
今まさしく、新たな地涌の青年群が澎湃(ほうはい)と躍り出てきた。
私は本当にうれしい。
青年は、どんどん動くことだ。実践の中で、青年を大いに伸ばしていきたい。青年に広宣流布の一切をバトンタッチしていくのだ。この数年が大事である。本格的に「新しい陣列」をつくり上げてまいりたい。
青年は、戦って戦って戦い抜いて、どんな嵐にも微動だにしない、強き自分自身を鍛え上げていただきたい。
先生は、つねつね、青年に語られていた。
「体が強く、頭も強く、心も強い人間になれ」
「青年は、いくら踏みつけられても、伸びていくのだ。それが青年じゃないか」
青年部の一層の成長と拡大を、私は祈り、待っている。
青年部の諸君、しっかりと頼む。人生の最高峰に挑むのだ。君たちの時代である。
一、また、後輩を生かし、後輩を偉くするのが、先輩の役目である。
後輩を日本一の指導者にしよう! ―― この決心に立てば、自分も光る。
戦う心を失い、手を抜いて、空転するようになれば、自分が苦しむ。
最後の最後まで、後輩の道を開くのだ。それをやり切ってこそ、模範の指導者と輝くのである。
先頭に立ち、壁を破るのがリーダーの責務
生き生きと道を開け!広宣流布へ異体同心で
◆ 「師と苦楽を共にする弟子たれ!」
一、戸田先生の忘れ得ぬ指導に、こうある。
「弟子は偉くなっていかねばならぬ。
師匠が偉いと言われることは、後生(こうせい)すなわち弟子が偉くなったことが師匠が偉くなったことに通ずるのである」
師弟といっても、「弟子」で決まるのだ。
「師と苦楽をともにする弟子たれ!」
「師と勝利をともにする弟子たれ!」
これが、先生の叫びであった。
戦後、戸田先生の事業は窮地に陥った。莫大な負債を抱え、債権者が、会社にも、先生の自宅にも押しかけてきた。
私は一人、先生を守った。渉外戦(しょうがいせん)の矢面に立った。難しい相手とも誠意を尽くして対話した。
一生懸命に働いた。しばらくの間、給料もなかった。寒くても、開襟シャツ1枚で過ごしたこともあった。
それは体にこたえた。私は肺病を患っていた。痩せた胸には肋骨が浮き出ていた。
戸田先生は深く嘆いておられた。
「何とか、大作を長生きさせてあげたい。だが心配だ。30まで生きられるかどうか、わからない。大作が死んだら、おれの後継ぎはどうなるか。学会はどうなるか」 ―― そう言って落涙された。
これが師弟である。
これが同志である。
この「人間の道」が、「仏法の道」である。
「師弟の道」 ―― この一本の道を進むことだ。
広宣流布の大道を、現代に開いてきたのが、牧口先生であり、戸田先生であり、私である。
大聖人直結の広宣流布の道は、創価学会にしかない。ここに、人類の苦悩を救う根本の軌道があるのである。
◆ 女子部は全員が「幸福博士」に!
一、女子部を大切に! ―― これも戸田先生が強調された一点である。
戸田先生は、女子部を、こよなく大事にされた。
先生は、女子部の友に、こう教えられた。
「女子部の皆さんには、尊き婦人部という多くの見本があります。
ただ題目を唱え、御本尊を信じて、幸福に華やかに生きている見本であります。
だから貴女方も妙法を信じて、幸せになっていきなさい」
わが忘れ得ぬ、尊き婦人部の友が、たくさんおられる。
ある方は、逝去の際、私にあてて、お手紙を残された。そこには、あまりにも深く美しき広布の心が綴られていた。
清き心の庭に、福徳の花は永遠に咲き薫る。
ますます「婦女一体の合金のスクラム」で進んでいただきたい。
そして、女子部は一人ももれなく、健康で、無事故で、尊き青春の「幸福博士」「勝利博士」と輝いてください!(大拍手)
◆ 婦人部に最敬礼
一、男性のリーダーは、創価の母に最敬礼していくことである。
戸田先生は、しみじみと言われた。
「女性の力は偉大なものであります。学会の発展に活動する姿をみても、女性の方が常に男性より一歩前進している」
その通りである。
何があっても、学会から離れない。使命の道から離れない。こう心を定めた人は強い。
さらに先生は、婦人部の会合で、こうも語られた。
「いったい世界のどこに、民衆のために憂え、21世紀から末法万年尽未来際の世界を論じている女性がいるだろうか。
それは、今、私とともにここにいるあなたたちだけでしょう。
この事実をおろそかに考えてはいけない。
あなたたちは、久遠の約束のもとに、選ばれてあるのです」
21世紀は「創価女性の世紀」である。
婦人部を最大に大事にすること。
婦人部の意見を最大に尊重すること。
そして、婦人部が伸び伸びと力を発揮できるようにすること。
ここに、永久に行き詰まりのない広宣流布の前進の要諦がある。
一、時代は、ますます乱世の様相である。
戸田先生は鋭く喝破された。
「根本は強き生命力と、たくましき智慧とによって、わが人生を支配していかなくては、ほんとうの幸福は得られないことを知らねばならぬ」
「強き生命力」と「たくましき智慧」の源泉こそ、妙法である。
先生は、“現状に甘んじることなく、常に、新しい「何か」を生み出していけ! それが信仰である”と叫ばれた。
仏法の魂は「行動」である。挑戦の心意気を失ってはならない。逡巡(しゅんじゅん)や躊躇(ちゅうちょ)があってはならない。
常にリーダーが先頭に立って、壁を破れ!新しい勝利の道を開け!
この恩師の叫びを、わが心に響かせながら、「月月・日日」に「偉大なる価値の創造」を成し遂げていきましょう!(大拍手)
明年の〔5・3〕へ圧倒的な勝利の歴史を
《アメリカの宗教学者》 「学会の運動は 人間の魂に訴えかけ 人生を意味あるものにする」
<婦人部>草の根対話こそ時代の最先端
◆ 「学会には自由な発想と情熱が」
一、創立75周年の5月3日に寄せて、世界の多くの識者・指導者から、お祝いのメッセージや祝電などが届けられている。この席をお借りして、心から御礼を申し上げたい。
アメリカの名門タフツ大学の元宗教学部長で、仏教研究で著名なハワード・ハンター博士も、「5・3」を祝福し、こう語ってくださった。
「創価学会のこの75年間の発展には、まさに驚嘆するほかありません。宗教の運動の歴史から見ても、これほどの発展をだれが予測できたでしょうか」
そして、学会が発展した理由について、次のように述べておられた。
「創価学会の大発展の理由の一つは、この運動が、人間の魂に訴えかける運動だからです。自身の人生、さらには、周囲の人々の人生を意味あるものにするという価値創造の運動が、人々の心にアピールするのです。
そのうえで、創価学会には、洗練された組織力があります。学会の思想を、会員に伝えていく体制が整っています。
さらに、小単位のグループに焦点をあて、それを発展させていくところにも学会の強さがあります」
明快な洞察である。
大切なのは、会員一人ひとりである。小単位の集いである。
婦人部の少人数の会合をはじめ、座談会などの“草の根の語らい”こそ、時代の最先端を行く民衆運動なのである。
博士は、次のようにも語っておられた。
「学会には、“仏教の実践で得た喜びを他人に伝えずにはいられない”との情熱があります。
また学会の魅力は、一般の市民から学識者まで、幅広い階層の人々が参加しているところにあります。
そして学会には、自由な発想があります。自分自身の主張を活発に展開していける自由の気風が、人々を引きつけているのだと思います」
深いご理解に感謝したい。
<ハンター博士は、こうも語っていた。
「何よりも、指導者である池田SGI会長が、あらゆる分野にわたる知識を持ち、あらゆる階層の人々に語りかける力を持っておられることに驚嘆しますし、それが魅力となっているのです」>
ともあれ、多くの知性が、創価学会の前進に目を見張り、21世紀の希望を見いだしている。
日蓮大聖人は「力あらば一文一句なりともかた(談)らせ給うべし」(御書1361ページ)と仰せである。
わが力の及ぶ限り、人間主義の大哲学を語り抜いていくことだ。自分らしく、勝利の歴史を築いていくことだ。
世界が讃える“創価の道”を、堂々と進んでまいりたい。
◆ 会長就任の日の「ザ・タイムズ」
一、凛々(りり)しき関西創価学園生の代表と先日、お会いした。大切な関西学園生の元気な姿に触れ、私は本当にうれしかった。
<南米パラグアイの国立イタプア大学から先月29日、名誉会長に「名誉博士号」が贈られた。関西創価学園生の代表が、その授与式(東京・創価国際友好会館)に参加。創立者への栄誉を祝福した>
今、小説『新・人間革命』の「希望」の章で、関西創価学園(創価女子学園として開学)の歴史を綴っている。
そのなかで、学校新聞「創価女子新聞」の創刊の歩みについても紹介した。当時、この新聞の執筆や制作に尽力した学園生たちも、今や立派な女性リーダーとして、各地、各界で活躍しておられる。
彼女たちが、そのはつらつたる近況の報告とともに、私が第3代会長に就任した1960年5月3日付の「ザ・タイムズ」紙を記念に届けてくださった。ご存じのように、イギリスを代表する日刊紙である。
そこには、インドのネ.ルー首相(当時)の記者会見の記事が掲載されていた。
ネルー首相はこの中で中国の重要性を見抜き、こう発言しておられる。
「中国を国連に加盟させるべきである」「世界の諸問題を議論する際に、世界最大の人口を擁する国を無視するのは、非現実的であるからだ」
これは、後に私が行った「日中国交正常化提言」(1968年)とも軌(き)を一(いつ)にする主張である。
昨年、私はインドの哲人指導者であるナラヤナン前大統領と再会し、インドと中国の友好の未来を展望して語り合った。
インドと中国はアジア一の大国である。世界の平和と安定にとって、また人類の未来にとって重要な国である。
私はこれまで両国を何度も訪れ、多くの人々と深い友情と信頼を結んできた。教育・文化交流にも力を注いできた。<名誉会長の訪中は10度、訪印は6度に及ぶ>
この平和と友好の大道に、わが学園生、創大生、アメリカ創大生をはじめ、後継の青年たちが陸続と続いてくれている。私にとって、これ以上の喜びはない。 なお、新聞といえば、聖教新聞は、全国の同志の皆さまの奮闘により、素晴らしい拡大で、この5月3日を飾ることができた。厚く厚く、御礼を申し上げたい。
◆ 誠実の対話で友情の山脈を
一、世界の会館でも、晴れ晴れと5月3日の祝賀の行事が行われている。ドイツのビンゲン市にあり、ヨーロッパの「河の王者」ライン川に臨むヴィラ・ザクセン総合文化センターにも、多くの人々が訪れている。
同市は「ここから見るライン川が一番美しい」と、文豪ゲーテが讃えたといわれる景勝の天地である。周辺のライン川流域はユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産に登録されている。
<同センターを通じた多大な文化貢献を讃え、ビンゲン市から、市の最高栄誉である「金のペン」特別顕彰(2002年10月)、また銀製の「市の紋章」と特別顕彰(本年3月)等が名誉会長に贈られている>
ゲーテは謳った。
「これからもいつに変らず/心と心を寄せ合おう。/ われわれの友情には/つまらぬことで水が入ったりしないのだ」(松本道介訳「つどいの歌」、『ゲーテ全集1』所収、潮出版社)
友情ほど尊いものはない。信頼の絆で結ばれた友情が、人生を豊かなものにしていく。
ゲーテは、こうも記している。
「(友人との)関係が完全なものになるためには、より深いものが開かれなければならない。すなわち宗教的心情、不滅なものにかかわる心の問題である。そしてこれが、友情の基礎を固めるとともに、その頂点を飾るのである」(山崎章甫訳『詩と真実』岩波文庫)
率直に、誠実に、信念の対話を重ねていくことだ。真剣に語り抜けば、強固な友情の土台ができる。やがては、最高峰の友情の山脈が大きく広がっていくのである。
一、さらに、いくつかの箴言(しんげん)を紹介したい。
ゲーテは、「義であること、正義をまもること、これはがんらい人間のつとめである」との格言を残した(大山定一訳『ゲーテ全集第11巻』人文魯院)。
正義に生きる人生は美しい。永遠に光る。
「より一層幸福に生きるためには、より一層正しく生きねばなりません」(茂手木元蔵訳『道徳書簡集』東海大学出版会)
“三重苦”と戦ったアメリカの社会福祉事業家ヘレン・ケラーも、こう語っている。
「悪が存在するゆえに悪と戦えるということは、最高の幸福の一つであると、私は確信をもって断言することができます」
正義のなかの正義である日蓮大聖人の仏法を根本にして、破邪顕正の戦いに邁進する人生は、何と幸福であろうか。
我らの「5・3」には、この誇りと喜びが満ちあふれている。
私利私欲にかられ、同志を裏切り、信念を裏切って、反逆した極悪の人間は、我らの団結が羨ましく、また妬ましくてならないのである。
◆ 団結こそ力
一、19世紀、ロシア教育学の父ウシンスキーが編集・執筆した教科書には、こう記されている。
「動物でも、自分に親切にしてくれた人には恩を感じます。まして人間が恩知らずであっていいはずがありません」(西郷竹彦訳『ウシンスキー教育学全集3』明治図書出版)
恩知らずの悪党に、正しき人間の世界を蹂躙(じゅうりん)させてはならない。
だからこそ、善が団結することだ。
「団結していることは強いということであり、離ればなれになっていることは危険におちいるということであります」(村上光彦訳『ド・ゴール大戦回顧録5』みすず書房)
皆の心がバラバラであれば、本来持っている力も発揮できない。
御聖訓に「一つ心なれば必ず事を成ず」(御書1463ページ)と仰せの通りである。
一、フィリピン独立の英雄ホセ・リサール博士は喝破した。
「真実を与えられないものには、虚偽が与えられます」(岩崎玄訳『反逆・暴力・革命』勁草書房)
民衆をだまし、真実を伝えない ―― これが社会を転倒させた要因であると博士は叫ぶ。
だからこそ、何度でも真実を訴えねばならない。虚偽を打ち負かさねばならない。
中国の文豪・魯迅の言葉に、「魂が眠っていて、立派な言葉が出てくるはずはない」とあった(松枝茂夫訳『魯迅選集第5巻』岩波雷店)。
生き生きとした魂で、生き生きとした声をあげ、叫び切ったほうが勝つ。
「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
◆ 海より深いものそれは人間の心
一、キューバ独立の父、ホセ・マルティは綴った。
「世界のどの国民も、ひとしく、偉大で崇高なものを、空よりも無窮(むきゅう)で、大地よりも広大で、星よりも明るく輝き、海よりも深いものを持っている。人間としての心である」(青木康征訳「外国人」、『ホセ・マルティ選集第2巻』所収、日本経済評論社)
SGIの同志は、それぞれの使命の国土で、愛する地域で、良き市民として、人間主義の仏法の旗を掲げて戦っておられる。
健気なる同志の心が、どれほど偉大で、崇高であるか。
真面目で真剣な同志の信心があればこそ、創価学会は、ここまで発展することができた。
今や、この英雄マルティの国キューバでも、SGIの友が活躍している。
「心こそ大切なれ」(御書1192潜)と大聖人が仰せの通り、真剣な心、大誠実の心の力で、学会は勝った。
これからも、この「心」の結合で、私たちは勝ち続けていくのである。
創価学会は、大聖人の厳粛な御精神にまっすぐつながり、広宣流布のために、永遠に「異体同心」で戦う。そして永遠に「異体同心」で勝利する。
このことを決意しあって、記念のスピーチとしたい。
全同志のご健康とご多幸を、心から祈っております。
本日より、明年の5月3日を目指し、大いなる目標を掲げて、ともに戦おう!(大拍手)
(2005・5・3)