(076)   「荒川に轟け庶民の勝鬨」  



  

 嵐に真の力を新しき力を! 

  麗しき「地域友好」と「人間共和」の模範 

感激の同志よ 共に東京革命へ! 

  御聖訓「法華経の兵法」に“不可能はない” 

 使命ある 夫婦の幸福 諸天らも 守り讃えむ 勝利勝利と   二〇〇五年四月二十日

 偉大なる荒川は、悠然と、すべての広宣流布の闘争に勝ちに勝った。その福徳は、三世永遠に子孫へつながっていくことは、御聖訓に照らして間違いない。

 それは、今年の一月四日の朝のことである。

 手にした聖教新聞には、全国千会館にわたって行われた日本最大の新年勤行会の模様が、明るく賑やかに報じられていた。

 私は嬉しかった。牧口先生も、戸田先生も、いかばかりお喜びのことであるかと、妻と共に勤行をし、深く、そして楽しく唱題をさせていただいた。

 この日の聖教の一面には、明るい、晴れ晴れとした元旦、わが創価学会本部に集われた友の写真が写っていた。その最前列に、晴れ着姿の五人の乙女の、お伽話を思い出すような清々しい笑顔があった。

 それは、大東京の原動力となっている、荒川創価の女子部員の方である。私と一緒に戦ってくださった父や母のお孫さんであり、お嬢さんであると、笑顔で見つめた。

 私は、側にあった赤ペンをとると、聖教新聞の写真の下に綴った。

 「幸福に!

  一生涯、勝利者に!

  五人娘に!」

 あとで聞くと、既に、この一月四日から、荒川婦人部の有志は、会館に集って唱題をしておられた。

 あの五人娘の祖母や母たちの真剣な姿も、そこにあった。

 凱歌の響きをもって、「青年・拡大の年」は、わが荒川家族との心の交流から始まったのである。

 牧口先生が注目されていたスウェーデンの女性教育者エレン・ケイは語っている。

 「女性の参加なしで、深刻な精神的社会革新が達成されたことは一度もなかった」

 女性を大事にすることだ。婦人部、女子部に、一層、力を入れていかねばならない。

 崇高な  使命に走らん  荒川の  尊き母をば  仏天護らむ

 御聖訓には、仰せである。

 「今日本国を見るに当時五濁の障重く闘諍堅固にして瞋恚の心猛く嫉妬の思い甚し」(御書五四四ページ)

 全く、その通りだ。皆様の体験通りだ。

 私をはじめ学会に対する数限りない中傷誹謗も、悉く嫉妬と悪意による全くの作り話であり、全くの嘘八百である。

◆「猶多怨嫉」の法難

 英国の大思想家フランシス・ベーコンは鋭く論じた。

 「嫉妬はすべての感情中最も執拗で持続的なものである」「これは又最も邪悪卑劣な感情である」と。

 これまで、わが学会の偉大な前進に対して、嫉妬に狂った迫害の嵐が、毎日のように吹き荒れてきた。

 それはそれは邪悪卑劣きわまりない、反逆者と悪坊主が結託した陰謀であった。

 「猶多怨嫉、況滅度後」と経文に説かれる法難である。

 尊き供養をし抜いて大事にしてあげた坊主どもが、宗門はもうたくさんの金があるから、あとは学会を潰せとばかりに襲いかかってきたのであった。

 「まるで宗門は畜生ですね」と、世間の人びとまでも憤慨し始めた。

 広宣流布のため、仏意仏勅のままに、来る日も来る日も、不惜身命の決心で戦っている我ら仏子に対して、卑怯にも卑劣にも、背後から斬りつけてきたのだ。なんと残忍な宗門か!悪口雑言の限りを尽くした、嫉妬に狂いに狂った悪坊主どもよ!

 この冷酷、悪逆、そして忘恩の連中の名は、永久に消えない。仏法が真実ならば、大聖人より、さらにまた仏菩薩より、厳しき怒りの呵責を永劫に受ける大罪だ。

 「この法華経を読誦し、書写し、受持する者を見て、軽んじ賤しみ、憎み嫉んで、恨みを抱くならば……その者は命が終わって阿鼻地獄に堕ちる。

 その一劫が尽きてまた阿鼻地獄に生まれ、このように繰り返して、無数劫に至るであろう」(創価学会法華経一九九ページ、通解)と説かれているではないか。

 わが創価の同志は、正義にして偉大であるがゆえに、常に御聖訓通りの難を受けながら、戦い勝利し抜いたのであった。

 いかに嫉妬狂乱の悪党が、わが創価の師弟の不変の絆を引き裂こうとしても、断じて学会は微動だにしないのだ。

 あまりにも素晴らしき正義の団結の姿に、宗門の坊主も唖然としたに違いない。内心は「こんなはずじゃなかった。まずいことをしてしまった」と恐れおののいていたことであろう。

 我らは、下劣な黒雲など吹き飛ばし、晴れ晴れとした大空のもと、新舞台を創った。

 ともあれ、わが師子の軍勢の先頭に立って、私は全国の同志のもとへ、走りに走った。 私は深く深く誓っていた。御聖訓を信じていた。大難があればあるほど、その誓いの力は倍増していった。

 そして、最も大切な学会員を断じて護り抜く決意は、日ごとに高まった。

 私の決意は、一段と強くなった。私は、勝利のために、断じて強くなった。

 有名な「佐渡御書」には、「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(御書九五七ページ)と明確に残されている。

 私は、今こそ、わが同志の胸中深く、この「師子王の心」を燃え上がらせていきたかったのだ。

 四半世紀前、わが学会が創立五十周年へ前進していた当時、本陣・大東京にあっては、わが荒川こそが、創価と広布の「正義の闘争」の一大拠点となったのだ。

 私は荒川が大好きである。この愛する「庶民の都」に待望の荒川文化会館がオープンしたのは、昭和五十三年の春三月であった。

 晴れ晴れとした荒川の同志の姿が、今もって、私の目に焼き付いている。

 荒川は庶民の街だ。たくましき庶民の底力がみなぎる大地だ。

 西尾久、東尾久、町屋、荒川、東日暮里、西日暮里、南千住……。

 ここには、創価学会という広宣流布の「民衆城」の縮図がある。麗しき「地域友好」と「人間共和」のモデルがある。

 とりわけ、懐かしき荒川の「宝寿会」の皆様方は、高齢社会の希望の太陽となって、今でも、はつらつと活躍されている。

 この昭和五十三年、私は、荒川から、大反撃の攻勢をかける決心であった。

 一年で、実に八度に及ぶ荒川訪問となった時である。

 「難来るを以て安楽と意得可きなり」(同七五〇ページ)との一節を、荒川の友と幾たびとなく拝した。そして、この荒川から、新たな“革命の歌”“勝利の歌”が東京中、日本中に轟き渡っていったのである。

 「荒川」という川の名前は、一般に“荒ぶる川”の意義と言われる。それはそれとして、私たちは、「荒川」は「新川」であり、新たな勝利の流れは荒川から起こすのだと、語り合ったものだ。

 その第一波は、英知の学生部の「結成の日」である六月三十日。荒川文化会館で行われた学生部幹部会での、学会歌「広布に走れ」の発表であった。

 私自身、何度も推敲を重ね、一節一節、口ずさみながら作詞・作曲した歌である。

 私は、荒川から創価常勝の火の手を上げようと、この日、この場所で、電撃的に発表することにしたのであった。

 幹部会は、歌で始まり、歌で終わった。「広布に走れ」が歌われること実に十二回。最後は、一人の学生の呼び掛けで、皆が肩を組み、大波の如き大合唱となっていった。

歴史を創るは  この船たしか  我と 我が友よ  広布に走れ

 この若き逞しきスクラムの勇壮な歌声は天高く響き、腐り切った邪悪な者どもと戦わんと、わが友は、決然と立ち上がったのである。

 そして、新しき世紀の勝利の前進は、栄光輝く誓いと変わっていった。

 我が友よ、広布に走れ!

 師弟一体で、偉大なる勝利の歴史を創るのだ!

 私は、幹部会が終わるや、同じ荒川文化会館の「草創の間」で行われていた尾久本町支部の会合に飛び込んだ。

 皆さんが万雷の拍手で迎えてくれた。

 「インテリには陰がある。有名人には裏がある。庶民の喜びこそが、人間の最高の喜びである」――と叫んだ歌人がいる。

 その心は「庶民の幸福のために戦うことが一番偉い人だ」と結論していた。

◆名聞名利を戒めよ

 新池御書にお認めの一節に「名聞名利の風はげしく仏道修行の灯は消えやすし」(御書一四四〇ページ)とある。

 厳しくも深く心得ていかねばならない鉄則である。

 この名聞名利によって、広宣流布の信心を破壊し、同志に多大な迷惑をかけた、議員や幹部の愚劣な連中も出た。

 しかし、仏法の世界はあまりにも峻厳である。

 一つの例外もなく仏罰、法罰を受け、断末魔の苦しみに喘いでいることは、皆様ご存じの通りだ。

 「死後の苦悩の世界に行った時には、王の位や将軍も、ものの数ではない。獄卒の責

めにあっている姿は、猿回しの猿と異なるところがない。この時は、どうして名聞名利や我慢偏執の心でいられようか」(同一四三九一ページ、通解)

 同じく、新池御書の仰せである。

 虚栄と虚勢の輩を歯牙にもかけず、広宣流布ひとすじに生き抜いた庶民の英雄たちは、なんと気高く常楽我浄の香風に包まれていることか。

 大聖人は、お約束である。

 「すでに、法華経の大行者を謗る者に大罰があるのである。どうして、信ずる者に大福徳がないことがあろうか」(同一〇三九ページ、通解)

 昭和五十三年は、八月にも、荒川が、新しい“東京の歌”「ああ感激の同志あり」の発表の場となった。

 地涌の友等は  走りゆく  彼方の法戦 満々と  ああ感激の 同志あり

 ともあれ、すべての生命は生きている。

 そして、都市も生きている。

◆首都で戦う大使命

 なかんずく、首都・大東京は、創価学会発祥の原点の天地だ。

 遡れば、御本仏が「末法万年尽未来際」への令法久住の魂魄を留められて入滅されたのは、他のどこでもない大東京である。

 ここ東京から、先師・牧□先生も、恩師・戸田先生も、広宣流布の火蓋を切られた。

 そして私も、東京で戸田先生の弟子となり、東京を広布の本陣として、若き生命をなげうって戦った。

 それはそれは荒れ狂う悪戦苦闘の日々であった。

 しかし、あまりにも懐かしき、有意義な青春であった。いかなる時も、この最高に充実した栄光の青春を創っていることに、私は常に喜びと誇りを忘れなかった。

 現在の大勝利の世界的な創価学会の基礎を築いた一つも、この東京の戦いであったのだ。

 著名なドイツの哲学者フィヒテは、「最高の最も真実な人間の使命はいかなるものであろうか」というテーマこそ、「あらゆる哲学的探究の最後の課題である」と綴った。

 この通りである。私は以前から、この言葉が好きであった。その人間道の間違いなき価値ある探究は、もう一段、深き生命の法則を教える仏法の実践に通じている。

 御義口伝には、「南無妙法蓮華経歓喜の中の大歓喜なり」(同七八八ページ)と説かれている。

 ゆえに、我らの「東京革命」は、師弟共戦の「歓喜」と「感激」から発するのだ。

 熱き「歓喜」のあるところ、打ち破れぬ壁はない。

 使命を自覚した「感激」のあるところ、滾々と力が湧き、勇気は爆発的に拡大する。

 広宣流布の本陣・大東京の完全勝利は、創価の全同志の願いであり、我々の深き使命と決意である。

 首都で戦い勝つことこそ、大聖人が御自ら、大難を勝ち越えられながら、示してくださった「立正安国」の必然の道であるからだ。

 堂々と  連戦連勝  荒川城  仏の軍と  再び立ちゆけ

 今年の二月二十日、私は、ベラルーシ共和国ミンスク国立言語大学から、光栄にも名誉教授の称号を拝受した。

 聖教新聞本社に到着された、共和国をリードする女性教育者のバラノワ総長はじめ同大学ご一行を、大勢の青年たちとともに歓迎した。

 わが荒川の青年部代表も、生き生きと参加してくれた。この日、結成された「新世紀荒川常勝会」のメンバーである。

 実に嬉しく、実に頼もしかった。

 奇しくも、この日、二月二十日は「荒川の日」であった。

 総長は、私との語らいのなかで、ベラルーシから一人の女子留学生が創価大学に学んでいることを大変喜ばれながら、大事な哲学を語っておられた。

 「どんなことでも、小さな一歩から始まります。

 小川の流れも、やがて大河のように大きく広がっていくではありませんか」

 偉大な勝利は、真剣に行動を開始する「勇気の一歩」から始まる。

 そして、その歩みを、力の限り、最後まで「貫き通す執念」で決するのだ。

 アメリカの女性作家エレナ・ポーターは、語った。

 「人間が自分のせいいっぱいの力を出して、最上のものを創っている時ぐらい愉快なことはない」

 あの昭和三十二年の暑き、熱き夏、私は荒川の同志と常に御書を拝しながら戦った。

 「日蓮が一類は異体同心なれば人人すくなく候へども大事を成じて・一定法華経ひろまりなんと覚へ候、悪は多けれども一善にかつ事なし」(同一四六三ページ)

 さらにまた――

 「師弟相違せばなに事も成べからず」(同九〇〇一ページ)

 そしてまた――

 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」(同一一九二ページ)

 「異体同心」「師弟不二」そして「法華経の兵法」。

 これが、創価の常勝の方程式である。

 荒川が盤石であれば、学会も盤石であると、今でも私は確信している。

 荒川が勝てば、わが学会は永遠に大勝利の道が構築されていくにちがいない。

 二十一世紀の真の主役は、我ら民衆であり、庶民である。

 ゆえに、庶民の都・荒川の連戦連勝こそが、新たな歴史を祝賀しゆく勝鬨なのだ。

 「荒川大勝利、万歳!」と日本中が喝采する戦いを、皆が待っているのだ。