創立75周年記念代表者会議
○○○ 栄光の山頂(ゴール)へ! 勝利の舞を!
── さわやかに祈り さわやかに勝て! ──
○○○ 嵐に揺るがぬ「人間王者」に
○○ 皆が幸福に! 大満足の人生を 広布に生き抜く福徳は無量
【名誉会長のスピーチ】
学会創立75周年を記念する代表者会議が2日、山梨研修道場で行われ、池田名誉会長がスピーチした。
◇
一、きょうは、お忙しいなか、本当にご苦労さま!
他の人々が休んでいる時も、わが学会の同志は、友のため、広布のために懸命に働いておられるそれが、どれほど尊いことか。
戸田先生は語っておられた。
「我々仏弟子は、他の者が寝ている時、遊んでいる時、一生懸命に仏の使いをしているゆえに、宿命を打破することができ、福運も積んでいけるのだ」
皆さまの功徳は計り知れない。諸天善神が、皆さまを守らないわけがない。
そのことを、深く確信していただきたい(大拍手)。
○ 富士のごとく悠然と戦え!
一、かつて戸田先生は、富士山を見つめながら、こう言われたことがある。
「学会は、宗教界の王者である。いな、世界平和に戦う王者なのだ。
君たちよ、心を尽くして、立派に使命を果たすのだ。断じて負けるな! 最高の王であり、最高の智慧者である富士を仰ぎながら、語りゆくのだ」
戸田先生は、堂々たる富士の山が大好きであった。
1955年6月、戸田先生が「水滸会」の最後の野外訓練を行ったのも、富士山を仰ぐ天地(河口湖・山中湖畔)であった。
「富士山が、きれいだな」「きれいだな」と、何度も語っておられた。
戸田先生は、水滸会の中から、次の学会を担う青年を育てようとされていた。
まだまだ人材が足りない。大切なのは、青年の連帯である。団結である ── そういう思いで、青年を訓練してくださった。
富士のごとくあれ!
富士のごとく、堂々と生きよ! 悠然と戦え!
烈風を打ち破って、そびえ立つ雄々しき人間になれ!
これが、戸田先生の叫びであった。
先生は、水滸会の訓練を通して、師弟の深い歴史をつくってくださった。忘れ得ぬ黄金の思い出である。
一、先生は、いつも私をそばに置いて、訓練しようとされた。そのお心にお応えしょうと、私は懸命に戦った。
大変だと思う時もあった。しかし、真剣に、また徹して戸田先生に仕えたからこそ、今の私がある。だからこそ、師弟の精神の深さ、尊さがわかる。
ともあれ、リーダーの皆さま方は、学会のため、同志のため、広宣流布のために、尽くしていっていただきたい。
その行動にこそ、「師弟」の精神が脈打つ。日蓮大聖人が仰せの通りの強き信心が脈動するのである。
○ 生命の大長者に
一、富士山といえば、徳川家康は江戸城をはじめ、生涯の大半にわたって、富士の見える場所に城を構えた。
作家の吉川英治氏は、小説『宮本武蔵』で、「あれになろう、これに成ろうと焦心(あせ)るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」と綴っている。
私はかつて、東京・青梅(おうめ)市にある吉川英治記念館を訪れ、吉川氏の夫人と語り合う機会を得た。<1987年5月>
この記念館訪問の感慨を胸に「富士のごとくに」と題する詩を詠み、夫人に贈呈したことを、懐かしく思い出す。
戸田先生は叫ばれた。
「広宣流布の闘士は、人間の大王である。この気概と誇りを持ち続けるのだ」
広布のために生き抜く人生ほど、崇高なものはない。学会とともに、広宣流布へと進んでいくならば、富士のような、大王のような偉大な境涯を築くことができる。不動の幸福、不動の勝利が約束されている。
生々世々にわたり、生命の大長者として、輝いていくことができるのである。
御聖訓には、「王」の意義について、「須弥山(しゅみせん)という山が、大地を貫き通して傾かないようなものです。天・地・人を貫いて少しも傾かないのを王と名づけたのです」(御書1422頁、通解)と仰せである。
どのような難が来ても動じない。退(しりぞ)かない。
烈風をはね返す、いな、烈風の中でこそ、堂々たる輝きを放つ存在となっていただきたい(大拍手)。
○ 指導者は「民衆のために」学べ
一、「議会政治の父」と呼ばれた尾崎咢堂は、「人間は如何なるえらい人と雖(いえど)も、始終学ばなければ愚人になる」と喝破した(尾崎咢堂全集第6巻』公論社)。
そう訴えた尾崎咢堂自身が、一生涯、勉強し続けた人であった。
たとえ、立派な地位を築いたとしても、名声を得たとしても、そこで慢心を起こして、学ぶ姿勢を捨てれば、愚かな人間になってしまう。
人間の評価は、過去ではなく、現在の姿勢で決まる。ゆえに、表面的な権威や立場にだまされてはならない。
特に指導者に対しては、その人物が「民衆のため」に生きているのかどうかを、正しく見定めていかねばならない。
日蓮大聖人の仏法は、常に変化し続ける現実のなかで、賢明に生き、永遠の幸福を確立するための生命論であり、哲学である。
いわば、生命の本質、人間の真実を極める"最高の学問"であるといえよう。
妙法の求道心をますます燃やして、「生涯勉強」「生涯前進」の人生を見事に飾っていただきたい(大拍手)。
○ 政治には「人間性の探求」が必要!
一、統一ドイツの初代大統領、ヴァイツゼッカー氏とは、1991年6月にお会いした。「物質主義」をどのように克服するかをはじめ、教育、国連改革
の課題など、多岐にわたって語り合った。
氏は、来日した折に、沖縄の青年に語りかけた。
「国の政治を政治家や古い制度に任せず、若者が積極的にかかわっていくことが大切だ」(毎日新聞1999年5月7日付)
青年をこよなく愛し、若い力を信じるヴァイツゼッカー氏の一言である。
政治家のなかには、議員になると、"自分が一番、偉い"と錯覚する者が出てくる。卑しい"政治屋"に堕落する者もいる。自分を支えてきてくれた恩人を裏切る者さえいる。
そうした腐敗をただして、改革していくには、青年の参加こそ重要なのである。
また、アメリカの社会活動家エレノア・ルーズベルト女史は主張する。
「政治を理解しようと努める市民にとってだいじなことの一つは、人間性を研究することである」(佐藤佐智子・伊藤ゆり子訳『生きる姿勢について』大和書房)
どうすれば、本当に平和な社会になるか。皆が幸福な社会を築けるか。
この課題に真剣に向き合えば、どうしても「人間性」を深く探求していかざるをえない。
「自分自身」を磨かない政治家は、お金に目がくらみ、利権に流されてしまう。まさに権力は魔性である。
ゆえに、日々、人間性を鍛えゆく民衆が、真剣に、厳しい目で政治に関わって、リードしていかねばならない。
○ 「信」ある言論を
一、オーストリアの作家ツヴァイクは綴った。
「生命をかけて自己の言葉を保証しないならば、その人の言論は煙にひとしい」(河原忠彦著『シュテファン・ツヴァイク』中央公論社から)
戸田先生も、「信なき言論、煙のごとし」との烈々たる信念であられた。これが、わが学会の言論戦の根本である。
嫉妬ゆえのデマ、売らんがための悪口雑言は、吹けば消え去る煙のごとき、はかないものだ。
一度、世に出したにもかかわらず、自分の言葉に責任を持てない。そのようないい加減な言論に惑わされては、あまりにも愚かである。断じて打ち破らねばならない。
私たちの広宣流布の戦いは、大聖人の御遺命であり、大いなる理想に燃える言論戦である。
何よりも力強い「信」の柱がある言論だ。
どうか自信をもって、勢いよく、大誠実の言論、破折の言論を、これからも、勇敢に貫いていっていただきたい。
○○≪戸田先生≫ リーダーは生き生きと! 皆を讃えよ! 笑顔を忘れるな
○ 「もう一息だ! 」と友に励ましを
一、戸田先生は語っておられた。
「指導者は、どんなにつらかろうが、人前では、生き生きとしていなければならない。その姿に同志は安心し、ついてくる」
広宣流布の戦いは、闘争の連続である。
「大変だ」「疲れたな」と思う時もあるかもしれない。
しかし、そういう時こそリーダーは、生き生きと、笑顔で、皆に接していくことだ。友を讃え、励ましていくことだ。
そうすれば、不思議と自分自身も元気になる。組織も、生き生きとしてくるものだ。
反対に、中心者が疲れて、つらそうな顔をしていては、皆も元気がなくなってしまう。いやになってしまう。
リーダーは自分から、「さあ、頑張りましょう! 」「もう一息ですよ!」「一緒に勝ちましょう! 」と笑顔で、声をかけていってほしい。
そこから、壁を破りゆく前進への力が生まれる。
○ 最後まで悔いなく走り抜け!
一、特に青年は、さわやかに、心晴れ晴れと戦い抜いてほしい。
「さわやかに」題目をあげ、「さわやかに」学会の組織について、多くの同志とともに、広布のため、自身のために活動してもらいたい。
組織というと、固いイメージを持つ人がいるかもしれない。
しかし、人間の体も「組織」だ。
さまざまな機能から成り立つ建築物も、いわば「組織体」である。
大宇宙もまた、妙(たえ)なる法則に則(のっと)って運行する「組織」といえよう。
どんな団体や存在も、組織があるからこそ、十分に活動を行うことができる。
目的に向かって、正しい軌道を進んでいくことができるのである。
学会は、広宣流布のための組織である。何よりも大切な妙法の組織だ。
この学会とともに進む限り、不幸になることは絶対にない。
皆、偉大なる使命をもった「地涌の菩薩」である。
「最高に幸せだった! 」「満足した! 」と言い切れる人生を歩んでいけるのである。
私は、全同志の大勝利と健康を毎日、真剣に祈っている。
栄光の山頂は、目前である。どうか、最後のゴールまで悔いなく走り抜いていただきたい。
きょうは、本当にありがとう!
創立75周年の大闘争を完勝で飾り、元気な姿で、またお会いしましよう!
(大拍手)