096 「鳳雛会」の使命の舞
――青春の『誓い』を共々に果たせ!――
――広布開く闘将こそ新世紀の鳳凰――
――「行動」が君を勝利者に――
私が青春時代に愛読した、ドイツの詩人ヘルダーリンは謳った。
「活溌な活動を始めてからは、わたしの精神はいっそうしっかりし、機敏になった」
行動する人生は、常に精神が生き生きと躍動する。
その究極こそ、広宣流布を遂行しゆく学会活動である。
キューバ独立の父ホセ・マルティは叫んだ。
「歩かない者は到達しない」その通りである。
法のため、人びとのため、社会のため、労苦を惜しまず、一歩また一歩と、歩み続けるわが同志は、なんと尊く、なんと健気なことか。
この方々こそ、人間として、最極の栄光の高みへ、必ずや晴れ晴れと到達しゆく勝利者なのである。
昭和三十五年の五月三日、私は、第三代会長になった時から、“わが人生の勝負は二十一世紀だ”と、心中深く決意していた。
ゆえに広宣流布の先の先を見つめて、高等部、中等部、少年部という未来部を、いち早く結成していった。
共に学会を見つめていた、ある著名な作家が言われた。
「ああ、また学会は大きい手を打った。素晴らしき手を打った。学会は一段と伸びるだろう。ますます大発展するであろう」
私の胸は躍っていた。素晴らしき弟子たちと、共に生きることを、戦えることを、歴史を創ることを、深く知っていたからだ。
かつて「憲政の父」と讃えられた尾崎咢堂は慨嘆した。
「正義のために一人も立って真実を語るものがないということは、わが国民の大きな弱点」であると。
私は、一人立つ正義の師子を薫陶することを決意していたのである。
ともあれ、昭和四十一年の年頭から、私は毎月、高等部の代表に御書講義を始めた。
研鎖する御書は、「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」「佐渡御書」を選んだ。
少々難解であるが、偉大な使命を帯びた、新世紀の指導者と育ちゆく英才なればこそ、仏法の人間主義の真髄を学んでほしかった。
四月からは、中学生になった長男の博正も、御書講義に参加した。その時の教材である「佐渡御書」が、今でも一番好きな御言だという。
皆、懸命に予習し、何回、何十回と拝読して講義に臨んでくれた。司会が御文の拝読を求めると、先を争うように全員の手が挙がった。
瞳を輝かせた、その真剣な心が、本当に嬉しかった。
しかし、私も、君たち以上に真剣であったのだ。
寸暇を惜しんで重ねた一回一回の講義は、「今しかない、今しかない」と必死だった。「皆が大指導者に!全員が広布の大闘将に!」と祈り、叫ぶ思いであった。
だから私は、“まだ子どもだから”と、甘やかすことはしなかった。
真の弟子を育てようと本気になれば、自ずと指導にも力が入った。後継の弟子たちも、本気になってぶつかってきてくれた。
ソクラテスは、青年への彼の感化力を、触れる者を皆しびれさせてしまう海の「シビレエイ」に譬えた意見に対し、「自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせる」と応じた。
自分が燃えずして、どうして人を燃えさせられよう!
自分が戦わずして、どうして人がついてこよう!
皆の魂に、広宣流布に生き抜く「誓い」の炎を点火するのは、わが命を賭した闘魂の炎しかないのだ。
スタートから約半年が過ぎた六月、私は、一期生に修了証書を授与するとともに、二期生への講義を開始した。
この折、男子を「鳳雛会」、女子を「鳳雛グループ」と命名したのである。
「名は体を表す」―一。
鳳雛は、やがて鳳凰となって、大空に羽ばたき、希望の時代の到来を告げることを、私は確信してやまなかった。
師子の子は、やがて師子王となって、その師子吼で野干どもを震え上がらせる。野干とは狐の類である。
わが弟子よ!
広宣流布の前途の宝のすべてである、わが青年たちよ!
君たちは、必ず新世紀の鳳凰となり、師子王となって、この不安と混迷の時代を、平和と幸福の時代へと、力強く回天せしめゆく英雄なのだ!
それから間もなく、私は、箱根の仙石原にあった研修所(現・神奈川研修道場)で、鳳雛会、鳳雛グループの初の研修会を開催した。(なお、以下の表記では、鳳雛グループも一体として「鳳雛会」とさせていただく)
それは七月十六日、日蓮大聖人が「立正安国論」を幕府に提出された日であった。
皆でポプラの木を植樹したこと、メンバーが一生懸命作ってくれた“鳳雛汁”が美味しくて、お代わりしたこと、どれもこれも懐かしい。
参加者には、将来に不安を覚えていた子もいた。母親を亡くしたばかりの子もいた。
だが、わが使命を自覚し始めた友の顔は、悲嘆や感傷の雲を振り払い、深い決意に輝いていったのである。
全体の指導会の折、私は、率直な心情を語った。
「もし、諸君に広宣流布の総仕上げをしていこうという心がなく、団結もできないようならば、それは、もはや諸君が悪いのではなく、私の方に福運がないんだ。
私は、これからも、諸君のことを、十年、二十年、三十年と、見守り続けていきます」
それから十星霜――。
昭和五十一年の夏八月二十日、私の胸は弾んだ。
鹿児島・霧島の九州総合研修所(現・二十一世紀自然研修道場)で開催された「鳳雛会」結成十周年の大会に、使命の「一剣」を磨いた若人たちが勇んで集ってきたのだ。
今や、少年少女ではない。凛々しき青年であった。
私は、既に“若鳥”と成長した鳳雛たちに、広布のバトンを託そうと決めていた。
「将来、もし、学会が、一歩でも二歩でも後退するようなことがあったならば、全責任は諸君にある。諸君がだらしないからだ」
私が語ると、皆の顔に緊張が走った。
十年前は“私の責任”と言った。しかし、諸君は、もう子どもではない。広宣流布の全責任を決然と担ってこそ、わが鳳雛会である。
「責任」を担うとは、自分自身が広布の主体者として、「一人立つ」ことだ。その熾烈な戦場から、断じて逃げな.いことだ。
私も十九歳で、戸田先生の弟子になってより、広宣流布の前進のために、若き命をなげうって戦ってきた。
役職がどうあれ、立場がどうあれ、周りがどうあれ、自分は戦う! たった一人になっても、広布の大将軍であられる戸田先生を守る! 尊き創価の城を守る!
そして行く先々で、勝利の凱歌を轟かせてきた。
わが鳳雛会は、この「一人立つ」闘争を受け継ぐべき、まことの弟子なのだ。
「鳳雛会」が誕生してより、明年で意義深き四十周年になる。
尊き求道の連帯は、三期、四期……と広がり、全国各方面や定時制高校に通う友の鳳雛会も誕生していった。
高等部が結成された当時、一部の最高幹部は、“高等部にそこまで力を入れる必要があるのか”と、無理解の言を吐いた。全く浅はかな、愚劣な姿であった。
刮目して見るがいい!
二十一世紀の今、鳳雛会出身者は、東京で、神奈川で、関西で、沖縄で、東北で、全国各地で、縦横無尽に戦っているではないか!
そして全世界に、雄々しく飛翔しているではないか!
社会のあらゆる分野で信頼を勝ち得、勝利の実証を示しているではないか!
「君たちのためには、障害や闘争があった方がいいと思う。闘うことで君たちは強くなるだろう」とは、フランスの作家モロワが、青年たちに寄せた言葉だ。
彼は、この一節に続けて、こう言っている。
「(君たちは)五十歳または六十歳になったときには、嵐にたたかれたあの古い岩山のように、ごつごつしたたくましい姿になるだろう。敵と闘うことで、君たちの人物が彫刻されるのだ」
諸君もまた、そういう大事な年代に入ってきた。
まさに、今こそ、人生で一番脂ののった時代であり、自信に満ちあふれて戦える時である。
思えば、この八月二十四日は「壮年部の日」だ。
最も「壮」なる生命力で、そして、社会に根を張り、戦って鍛え上げた人間の底力で、勝利の決定打を打つのは、今この時である。
戸田先生のもとで学んだ中国の古典『十八史略』に、忘れられない場面がある。
それは、項羽と劉邦の大闘争の渦中であった。戦力で劣る劉邦の劣勢は明らかであった。
その時、劉邦の側近の張良のもとへ、親しい友人が訪ねてきて、今のうちに見切りをつけて、逃げるように勧めた。
しかし、張良は毅然と拒絶した。
「危難にあって、同志を見捨てて逃げるのは、義にもとる」というのである。
こうした心固き人材の力で、やがて劉邦は張良と共に天下統一を成し遂げたのである。
いざという時に、本当の心がわかる。
いついかなる時も、誇り高く、決然と「異体同心」の信心を貫いて勝ってきたのが、わが鳳雛会である。
臆病にも同志を裏切り、学会に弓を引いた卑怯者を見るがよい。その末路は、例外なく、哀れな敗残の姿を示しているではないか。
『十八史略』において、宋の時代の名宰相・司馬光はこう語った。
「私には特に人に優れた点などない。ただ、私は、今まで一度も、人に語れないようなことだけは、何一つしたことはない」
名聞の奴らが何だ!
出世主義の奴らが何だ!
恩知らずの人間が何だ!
「私は同志と共に戦い切った!」と、胸を張って言える人生こそが、勝利なのである。
私は、鳳雛会の一人ひとりの姿を目に焼き付けている。年齢を重ねてもなお、瞳の奥に輝く、あの真剣な決意! 鳳雛会と聞けば、五体にたぎり立つ、あの青春の活力!
そうだ! 君たちが誓いを果たし、鳳凰の姿を現ずる時は今だ。
君たちの“本門”の戦いで、大切な同志を栄光燦たる勝利の大空に運びゆく時は、今なのだ!
君たちと共に拝した「諸法実相抄」には、「いかにも今度・信心をいたして法華経の行者にてとをり、日蓮が一門となりとをし給うべし」(御書一三六〇ページ)と仰せである。
生涯を通して果たし抜いてこそ、まことの誓いなのだ。
さらに「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同ページ)と言われている。
われ、地涌の菩薩なり―一これこそが戸田先生の獄中の悟達の結論であった。
われらは、広宣流布のため、今、この時に出現した久遠の縁で結ばれた師弟であり、地涌の菩薩なのだ。
いわゆる、一般社会の名士や有名人などとは次元の違う、深き、深き使命をもった汝自身であることを、断じて忘れまい。
私が対談した、ローマクラブの名誉会長であるホフライトネル博士も、述懐されていた。
「理想と行動のない人生など、生きる意味がなくなってしまいます!」
その通りだ。理想と行動の毎日を送っている我らは、最極の勝利の人生を歩んでいるのだ。
♪霧雨けむる仙石に
未来を築く若武者の
師匠に誓いしこの意気は
天にこだまし地に響く
天にこだまし地に響く
あの懐かしき箱根の仙石原での決意を込めて、君たちが作った歌である。
わが胸には今も、鳳雛会の諸君の凛々しい歌声が、強く、また強く、響き渡っている。
大聖人は仰せである。
「諸天善神たちが、日蓮に力を合わせたがゆえに、(命に及ぶ)竜の口の法難をも勝ち越えることができたのだ」(同八四三ページ、通解)
ここに、広宣流布の勝利の重大な方程式がある。
仏は負けない。仏の軍勢は絶対に負けない。いな、断じて負けてはならないのだ。
わが鳳雛会、鳳雛グループよ! 二十一世紀の平和と勝利の鳳凰たちよ!
さあ、いよいよ、君たちの舞台が到来した。
断固として創価の師弟の勝利の旗を、堂々と打ち立ててくれ給え!