100 世界広布と青年
―― 一人立て君のいる場所で勝て!――
――平和の世紀へ「人間革命」の光を――
激しい変革期を生き抜いた文豪ユゴーは、変化を恐れなかった。むしろ、勇んでその渦に飛び込んでいった。
「革命という名の、すばらしい大股歩きの時代に私たちはいるのです」
これは、ユゴーが、イタリアの革命家マッツィーニからの要請にこたえ、イタリア統一運動に戦う民衆に送った檄文の一節である。
国家や民族の壁も超えて、彼は“同志”に訴えた。
「まっすぐに歩きましょう。もはや『まあ、このあたりで』などと言っている場合ではないのです」
今、私たちも、この地球を大舞台として人間主義の連帯を広げ、人類の平和と幸福のために、「大いなる革命」に突き進んでいる。
過去に繰り返された流血の革命では決してない。
それは、自分は幸福になれないとあきらめる、その心の闇を破る希望の革命だ。
世界平和など不可能だと冷笑する、暗い諦観を打ち破る、精神の革命である。
私たちは、それを「人間革命」と呼ぶ。
二十一世紀を「人間革命の世紀」へ! その行進の先頭に躍り出たのが、世界広布の大使命に生きる、尊きSGIの皆様である。
私は、この大切な、大切な世界の友を、今月の本部幹部会でも心から歓迎した。
また、過ぎし九月は、伝統の「SGI青年研修会」に、若き「地涌の菩薩」である二百五十人もの男女青年が、五十五カ国・地域から生き生きと集って来られた。
お会いするその時を、私は心待ちに待っていた。
来日直後の本部幹部会(九月十四日)で、入場した私の目に、満面の笑顔で手を振り、全身で喜びを表す諸君の姿が飛び込んできた。
ああ、不思議な地涌の使命の青年たちよ!
私は、妻と二人して、諸君を見つめながら、高々と腕を掲げた。
共に戦おう!
共に生き抜こう!
共に必ず勝利しよう!
――あの日の、響き合う生命の劇は一生涯忘れない。
本年はSGI発足三十周年であり、一九六〇年(昭和三十五年)十月二日、私が初めて世界平和の旅に出発してより四十五周年であった。
今回の研修会には、“学会二世”のメンバーも多く来日していた。親かち子へ、正義の闘魂の継承は、いよいよ世界中に広がってきた。
世界のあの地、この地で、青年たちは、いかなる労苦をも先駆者の誉れとして、懸命に奮闘している。
会合一つ開くにも、何時間も車や列車に乗り、やっと皆が参集できる国もある。一人の友を激励するために、百キロ、二百キロの遠路を地道に通うメンバーもいる。
青年たちには、日本に来ること自体も戦いだ。
不安定な国情のなか、祖国の平和を何年間も祈り続け、研修に参加した友もいた。
給料の何カ月分にもあたる旅費を捻出しようと、必死に働き、生活費を切りつめて、初めての来日を勝ち取った青年も数多くいる。
日蓮大聖人は、幼子を連れて佐渡まで訪ねて来た女性信徒を、“あなたが仏になれずして、いったい誰が仏になれるでしょうか”といわんばかりに讃えられた。
同じように、世界の青年の求道心を、必ず御本仏が絶讃されているにちがいない。
大聖人は、この婦人に「道のとを(遠)きに心ざしのあらわるるにや」(御書一二二三ページ)と書き送られている。
「道の遠き」とは、「困難な状況」ともいえよう。苦難に負けず、法を求め、法を弘め抜いてこそ、不動の幸福の軌道を開いていける。
「心ざし」とは、「奥底の一念」である。誰が見ていようがいまいが、自分自身の心はごまかせない。
自身の勝利へ、不動の決意があるか。広宣流布の大願が脈打っているか。師弟共戦の誓いがあるか――。
その一歩深き心が、人生を決めていくのである。
アメリカの詩人エミリ・ディキンスンは詠った。
「大声あげて戦うのはとても勇しい/だが胸の中で/苦悩の騎兵隊と戦う者こそ/さらに雄々しいと私は思う」
苦悩に負けないからこそ、自己の成長がある。正義のために苦難と戦い抜くなかに、偉大な人間革命がある。
自分が動かなければ、広布の前進が止まる。祖国の立正安国もない。だから、自分が勇敢に戦うのだ――と、わが身を叱咤し、雄々しく活動に飛び出す君たちよ!
私も、若き日より、そうして戦ってきた。一番大変なところで、一人、先駆の大道を切り開いてきた。
君が存在するその場所で、一人立て! 断じて勝て!
君たちの頭には、私と師弟不二の、「一人立つ」という尊き学会精神の宝冠が輝いているのだ!
今日、百九十カ国・地域に広がったSGIの連帯も、出発点はこの闘魂である。
日本の青年も、この真剣な心を学ばねばならない。
恵まれすぎて、甘ったれた愚者になってはならない。
本来、非難・中傷の嵐など悪条件のなかで、血のにじむような苦闘を重ねて、一から開拓してこそ、真の革命児であるからだ。
苦労知らずは、悪への破折精神の衰弱に通じる。
「悪事においても進歩がある。そのままに放置しておくと、漸次に途方もないことが生じる。野獣性においても、残忍性においても、偽信その他においても」とは、十八世紀ドイツの詩人ノバーリスの鋭き言葉である。
あまりにも尊き広宣流布の正義の道を、畜生の如き偽信心の悪党どもに崩されては、絶対にならない。
戦うことだ。断じて、悪とは戦うことだ。
大聖人は仰せである。
「日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一除|・一微塵のごとし、法華経を二人・三人・十人・百千万億人・唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし」(同二八八ページ)
広宣流布とは、仏縁の拡大である。対話の拡大であり、友情の拡大である。
わがSGIの皆様は、着実に、信頼と共感の輪を広げに広げ抜いている。
なかでも、「百万人アミーゴ(友人)運動」を掲げたブラジル青年部は、その目標をはるかに超え、現在までに、百二十万人との対話を堂々と達成した。
「一人が百人に話すより、百人がそれぞれ一人に語り抜こう!」
これを合言葉として、青年が青年に、語りに語った。
仏法とは何か。創価学会とは、いかなる団体か。幸福な人生とは何か。青年としていかに生きるべきか――。
「一対一」の粘り強い対話で勝ち得た信頼は、何ものにも揺るがない。たとえ低俗な悪口等にさらされようとも、決して崩れない。
何より対話のなかで、自分自身が鍛えられ、強くなる。
ここに、最も着実な平和と正義の拡大があることを知らねばならない。
「青年・躍進の年」へ!
今、我らは若々しき青年の大生命力で、新たな広宣流布の大前進を開始した。
希望の風よ、吹け!
勇気の波よ、起これ!
偉大なる「躍進」を誓った我らは、威風堂々と帆を上げて、出発したのだ。
“あなたは勝たねばなりません”――これは、文豪ロマン・ロランが二十代のころ、五十歳も年長のドイツの作家マルビーダ・フォン・マイゼンブークから贈られた激励の言葉である。
「この厳しい戦いであなたを援助するために、私の力の及ぶ限りのことをするのは、それは私にとって一つの神聖な義務です」と。
今の私の心境も、まったくこの通りである。
青年の君よ、今、君がどこにいようとも、いかなる戦いの渦中にあろうとも、忍耐し抜いて断じて負けるな!
君の懸命な人間革命の戦いとともに、世界広布の太陽は赫々と昇りゆくのだ!
若き地涌の開拓者の君よ!
決然と進む君の顔は、今、希望の太陽に照らされ、紅に輝いている!
古代ローマの英雄シーザーは叫んだ。
「確固不動の決意が、それだけでもどんなに大きな成果をあげるかがわかろう」