記念代表協議会〔中〕


◆◆◆ 自分らしく光れ! わが使命の舞台で



【名誉会長のスピーチ】
 一、夏は人材育成の季節である。
 これまでも私は、各地の研修道場で、未来を担いゆく友と、行学錬磨(ぎょうがくれ
んま)の汗を流してきた。
 湿原が広がる大自然の宝庫 ── 雄大な別海(べっかい)町の北海道研修道場。
 滝があり、緑光る奥入瀬(おいらせ)の東北研修道場。
 また、九州・霧島の研修道場(現・21世紀自然研修道場)で、“火の国”の若人と語
り合ったことも忘れられない。
 日本だけではない。
 由緒あるイギリスのタプロー・コート総合文化センターをはじめ、世界各地に、人材
育成の城がそびえ立っている。
 今こそ、新しい歴史をつくる時だ。「人をつくる」ことが「未来をつくる」ことである。


◆◆◆ 〔幸福〕と〔希望〕の花を世界へ
    ── 白蓮グループ「結成40周年」おめでとう!
    ── 仏法で《自分観》《人生観》《社会観》《宇宙観》を磨け

◆なぜ妙法を白蓮に譬(たと)えるのか?
 一、7月8日は女子部の「白蓮グループの日」
である。
 白蓮グループは1966年の7月8日に結成され、今年で40周年を迎えた。妻ととも
に、心からお祝い申し上げたい(大拍手)。
 白蓮グループは、諸行事の運営を陰で支える尊き存在として、また人材育成の組織
として、偉大な歴史を刻んでくださった。
 まさに創価の華である。すがすがしい姿を、皆が憧れ、讃えている。
 青春時代、白蓮グループで勇んで訓練を受けた方々は皆、立派な女性指導者に育
っている。見事な伝統ができあがった。
 ご存じの通り、妙法は白蓮(白蓮華)に譬えられる。
 日蓮大聖人は、南条時光の母にあてた御手紙で、こう仰せである。
 「妙法蓮華経というのは、蓮に譬えられています。天上界における摩訶曼陀羅華(ま
まんだらけ)、人間界における桜の花、これらがめでたい花ですが、これらの花を法
華経の譬えとしては、仏は取り上げられることはありませんでした。
 すべての花のなかで、とりわけ、この蓮の花を法華経に譬えられたことには、わけ
があります」(御書1580ページ、通解)
 そして、その理由について、蓮華は他の花々と異なって、花が咲くのと実がなるのが
同時だからだと仰せである。
 つまり、花が咲いてから実がなる ── 善根を積んでから、その後に成仏する、と
いうのではない。
 大聖人は,「法華経というのは、手に取れば、その手がただちに仏になり、口に唱え
れば、その口がそのまま仏になります」(同ページ、通解)と仰せである。その甚深(じ
んじん)の意義を、「白蓮」が象徴しているのである。
 さらに、大聖人は結論として、「この妙法を持つ人は、百人は百人すべての人が、千
人は千人すべての人が、一人も欠けずに仏になる」(同ページ、通解)と強調しておら
れる。
 皆が成仏できる。
 だれもが一人も残らず、自分らしく勝利し、、最高に幸福になっていける。それが妙
法の偉大さである。
 今、白蓮グループをはじめ、わが女子部の皆さま方は、婦人部の方々と一体になっ
て、拡大の波動を広げておられる。
 これこそ、五濁悪世(ごじょくあくせ)の末法に、清浄無比なる幸福と希望の人華を咲
かせゆく聖業(せいぎょう)であると讃えたい(大拍手)。

◆「今いる場所」が常寂光土(じょうじゃっこうど)と輝く
 一、また、有名な「当体義抄(とうたいぎしょう)」で、大聖人はこう仰せである。
 「所詮、妙法蓮華の当体とは、法華経を信ずる日蓮の弟子檀那等の、父母から生じ
た肉身そのものをいうのである。
 正直に方便の教えを捨て、ただ法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩
悩・業・苦の三道が、法身(ほっしん=仏が証得した真理)・般若(はんにゃ=真理を
悟る智慧)・解脱(げだつ=法身・般若の二徳が一如となり、生死の苦界から脱却した
状態)の三徳と転じて、三観(さんかん=三種の観法。観法とは法を観ずること)・三
諦(さんたい=仏が悟った究極の真理を三つの側面から捉えたもの)が、そのまま一
心に顕れ、その人が住するところは常寂光土となるのである」
 「法華経本門寿量品の当体蓮華の仏とは、正法を信受する日蓮の弟子檀那等のこ
とである」(同512ページ、通解)
 すなわち、大聖人に直結して広宣流布へと戦う学会員こそが、尊極の「妙法蓮華の
当体」なのである。
 そして、その一人ひとりが、凡夫の「三道」を仏の「三徳」へと転換し、今いる場所を、
常寂光土として光り輝かせていくことができる。
 これが、大聖人の御約束である。


◆◆◆ 青春の奮闘は悔いなき財宝に!

◆わが身に無量の智慧と力が
 一、さらに、日蓮大聖人は、健気(けなげ)な信心を貫く門下の日女御前に対して、こ
う仰せである。
 「法華経宝塔品の儀式には、多宝如来、釈迦如来、十方の諸仏、一切の菩薩が集
まられたのである。
 その宝塔品が今、どこにあられるかと考えてみると、それは、日女御前の胸中、八
葉の心蓮華(しんれんげ)の中にこそあられると日蓮は見るのである」(同1249ペー
ジ、通解)と。
 仏法は抽象論でもなければ、観念論でもない。現実に広宣流布のために真剣に戦
創価の同志こそ、全宇宙の仏菩薩の智慧と力を備えた、何よりも気高い妙法蓮華
の当体なのである。
 どうか皆さまは、この最高無上の生命の誇りと、無量無辺の大福運を深く強く自覚し
て、いかなる試練も、断固として勝ち越えていっていただきたい。

◆陰徳(いんとく)は陽報(ようほう)に!
 一、見栄を張ったり、虚栄でわが身を飾っても、真実の幸福は決して手に入らない。
 イギリスの劇作家シェークスピアも、地位や富がもたらす一時の栄華について、「そ
の華やかさも、地位にまつわるきらびやかさも、うわべだけの親友同様、実体のない
虚像にすぎないのだ」と綴っている(小田島雄志訳「アテネのタイモン」、『シェイクスピ
ア全集VII』所収、白水社)。
広宣流布に生き抜く創価の女性こそ、真実の「幸福博士」である。
 とりわけ白蓮グループや婦人部の香城(こうじょう)会など、陰で学会の前進を支え
てくださっている方々の福徳は、はかりしれない。
 「陰徳あれば陽報あり」(御書1178ページ)の原理のまま、偉大なる功徳に包まれ
ゆくことは間違いない。
 また、学会のリーダーの皆さま方は、こうした方々の尽力を決して当たり前と考えて
はならない。どうか、その功労を最大に讃え、深く感謝していっていただきたい(大拍
手)。

◆「恩知らず」を絶対に許すな!
 一、私は、広宣流布に青春のすべてを捧げた。そして今日の学会をつくりあげてき
た。
 高い山には烈風が吹く。世界一の平和の大師匠である戸田先生を、偉大なるがゆ
えに嫉妬し、歪め、悪罵するマスコミもあった。
 いわれなき中傷を目にするや、私は「行ってきます!」と敢然と飛び出した。徹底し
て抗議し、真実を訴えた。
 そんな私を、先生は温かく、ねぎらってくださった。美しい劇の一幕のようであった。
 師弟不二の道を進む限り、行き詰まることは絶対にない。
 ここで、戸田先生のご指導を拝しながら、未来のために、何点か確認し合っておきた
い。
 第1に、戸田先生が最も厳しかったのは、「恩知らず」に対してであった。
 先生は、峻厳に言われた。
 「恩を仇で返す者は、必ず地獄に堕ちる。
 そしてまた、傲慢な恩知らずほど、鬼畜の如き卑しい人間はいない」
 「学会の支えのおかげで、それなりの社会的地位を持てるようになりながら、同志を
見くだす。また、学会でお世話になった恩を忘れて、同志を守ろうとせず、反対に利用
するだけ利用する。こういった人間は、本当の異体同心ではない。学会の同志ではな
い」
 「恩知らずがそのままいると、学会が食い殺される。これは、どこの団体も同じだ」
 「一生、あのずる賢い、畜生の如き恩知らずを許すな! 叩き破るまで戦え!」
 戸田先生は、日蓮大聖人が南岳大師の言葉を引かれた御書を、しばしば拝してお
られた。
 「もし菩薩がいて、悪人をかばって、その罪を罰することができず、そのために悪を
増長させ、善人を悩乱させて正法を破壊させるならば、その人は、実は菩薩ではな
い」(御書1374ページ、通解)
 まったく、この仰せの通りである。
 悪を見ながら戦わない。正義のために戦わない人間は、結局は、自分が悪と同じに
なってしまう。
 悪に対しては、徹して責め抜くことだ。それが慈悲に通ずる。


◆≪トルストイ≫ 人間は威張りだすと臆病になる

◆幹部は会員や後輩に尽くせ
 一、第2に、「幹部は絶対に威張らない」ということである。
 先生は言われた。
 「幹部は、会員や後輩に仕え、尽くしていく存在である。威張って会員を苦しめるよう
なことは、絶対に許さない」
 「本当の立派な信心とは、後輩を心から尊敬し、大事にすることである。大切な学会
員を、下に見るようなことは断じてあってはならない」
 「ぼやぼやして、動かずにいて、戦いの邪魔になる幹部、また増上慢になり、威張り
散らして、皆の迷惑になる幹部は、いなくなってもらったほうがよい」
 あのロシアの大文豪トルストイも、こう綴っている。
 「人間てものは威張り出すが最後、すぐに臆病がさして来るもんだ」(米川正夫
「闇の力」、『トルストイ全集第13巻』所収、岩波書店
 文豪が喝破した通り、「威張り」と「臆病」は、表裏一体なのである。

◆戦い抜いた人を一生涯、讃えよ
 一、さらに第3として、戸田先生が強く言われたのは、「傲慢な幹部は、厳しくただ
せ」ということである。
 先生は、一段と強く言われた。
 「戦って戦って戦い抜いた人は、必ず賞讃せよ! 一生涯、また一家も、子孫までも
賞讃せよ!
 反対に、戦うべき立場にありながら、敵を前にして戦わない、ずるい人間は必ず罰
せよ!悪事をなした者には自らの行動の報いを受けさせよ!」
 「あまり、皆に守られ過ぎて、おかしくなっていく奴らを、絶対にのさばらせてはならな
い。
 権力は魔性であるからだ」
 戸田先生は、民衆のため、社会のために闘う、有為な指導者の出現を願っておられ
た。それだけに、同志のおかげで偉くなりながら、堕落した人間には厳しかった。

◆ペテン師どもにだまされるな!
 一、中国の「ペンの闘士」巴金(ぱきん)先生とは、私も4度にわたり、忘れ得ぬ出会
いを重ねた。
 その生涯のなかで、絶えずペテン師を糾弾してきた巴金先生は、こう指摘する。
 だれかがペテン師を軽視したり、“たいしたことはできない”と考えても、「ペテン師の
方ではひそかに毒気を発散し、影響力を広げる」。
 そして追放すべきペテン師に“養分を与え、成長させている”のは、ほかならぬ「だま
される人たち」なのだと。
 ゆえに、必要なことは何か。それは、今まさに、ペテン師どもにだまされている人々
に向かって、「大喝一声(だいかついっせい)、『目を大きく見開け』と怒鳴りつけるべき
なのだ!」。
 〈石上韶訳『巴金 真話集』『巴金 無題集』筑摩書房を参照〉
 文化大革命の迫害を耐え抜いた、巴金先生の血涙の叫びである。
 ペテン師や、忘恩の裏切り者の悪の根を断つために、正義の声を、いよいよ張り上
げていかねばならない。

◆青年が下から上を動かせ!
 一、そして第4に、戸田先生が常に訴えられたのは、「青年を伸ばす」ことである。青
年の力を最大に発揮させることである。
 先生はリーダーに対して、繰り返し言われた。
 「創価学会を愛し、そして青年の力を存分に養ってほしい」
 「青年を、青年時代のうちに徹して訓練することだ」
 そして青年に対しては、このように大きな期待を寄せておられた。
 「舞台を大きくもつことだ。正義のため、不幸の人びとのために。青年期の奮闘は、
やがて、悔
いなき財宝に変わろう」
 「青年の成長なくして広宣流布もない、時代の未来も開けない」
 「上からの指示で動くのではなく、青年が、下から上を動かしていけ」
 「悪い幹部も出るにちがいない。口のうまい人、学会を利用して自分の利害を考える
人等々 ── 常に青年は、濁ったそれらの人々を見抜き、戦っていかねばならない。
 そうでなければ、正法の永遠性も、信心の正しさも証明できなくなってしまうからであ
る」
 私は、この恩師の心のままに、万年の広宣流布の道、永遠の勝利の道を開いてき
た。

広宣流布は女性で決まる
 一、最後に第5は、「女性を大事にすること」である。
 先生は言われた。
 「女性の意見を最大に尊重せよ。女性は、ウソやごまかしを見破る鋭い感性を持っ
ているからだ。女性を大事にしないところは必ず衰退する」
 「壮年の幹部は、婦人部、女子部を、絶対に叱ってはならない」
 男女同権である。婦人部や女子部を下に見るような幹部がいたら、先生は厳しく戒
められた。
 戸田先生が繰り返し拝された御聖訓が、四条金吾の夫人である日眼女(にちげんに
ょ)への一節である。
 「この法華経だけには、『この経を受持する女性は、他の一切の女性にすぐれるだ
けでなく、一切の男性にも超えている』と説かれている」(御書1134ページ、通解)
 妙法を受持し、広宣流布という崇高な人生を歩む女性は、何と尊い存在か ──
御本仏は、女性門下を心から賞讃されたのである。
 また先生は、婦人部に言われた。
 「信心をやりとげていけば、家庭も、すべて幸福になるに決まっている。信心強く、自
らの生命に生き切って、幸福になり切っていけばいいではないか」
 さらに女子部には、「『自分観』『人生観』『社会観』『宇宙観』 ── この四つをきちっ
とまとめているのが仏法なのです」とも教えておられた。
 女子部は「教学で立て」、そして「一人ももれなく幸福になれ」と祈り、訴えられたこと
は、ご存じの通りである。
 ともあれ、「広宣流布は女性で決まる」。
 これが、戸田先生の提唱された合言葉であった。

           (〔下〕に続く)