記念代表協議会〔中〕



◆◆◆ 善き友と「正義の道」を
     ── 社会で咲け! 花の王者の如く
◆≪スウェーデンの女性思想家≫  新しい社会は青年の双肩に!

【名誉会長のスピーチ】
 一、創価大学の「文学の池」や、東西の創価学園の蓮池(はすいけ)などでは、毎年、
この季節に、蓮や睡蓮が、素晴らしい花々を咲かせている。
 関西校には、「睡蓮」の絵で有名なフランス印象派の巨匠モネの旧宅から株分けさ
れた、ゆかりの睡蓮も薫っている。
 先日、創価大学や関西校の蓮保存会等の皆さんが、丹精込めて育てた蓮や睡蓮を
届けてくださった。それはそれは美しかった。
 朝になると、規則正しく花を開き、午後には花を閉じる。
 その不思議な天然のリズムを目の当たりにしながら、さまざまなことを勉強させてい
ただいた。
 そして、感謝を込めて、歌を贈らせていただいた。

   蓮の華
    深く見つめて
       思うらむ
      因果倶時なる
          法理は同じか

   仏法に
    深き縁の
      蓮の華
     花の王者か
         深き生命よ

◆蓮華の如き生命力で!
 一、法華経では、地涌の菩薩のことを「如蓮華在水」(にょれんげざいすい=蓮華の
水に在るが如し)と説かれている。
 蓮華は、泥の中から咲くが、泥水には染まらない。なぜ、蓮華は泥水に染まらない
のか。
 それは、葉の表面が、細かい毛のような突起で覆われているからである。
 葉の上に落ちる雨水なども、はじかれて、水滴が美しく輝く。
 「地涌の菩薩」もまた、世俗の汚濁(おじょく)に染まらず、高潔(こうけつ)な使命の
人生を生き抜くのである。
 さらに、蓮華の固い種は、数千年も生き続けることができるという。
 関西校や千葉の茂原(もばら)文化会館には、2000年の眠りから花を咲かせた、
かの「大賀(おおが)ハス」が育っている。
 まことに深遠なる生命力である。

◆≪タイの女性詩人≫
      花は咲いてこそ価値がある
      ゆっくりと、しかし永く咲け
      ここに、他の場所にもさわやかな花、みんなのために

◆「革新の信念に火をつけて進め」
 一、蓮は、インドの国花でもある。
 インド国立ガンジー記念館のラダクリシュナン前館長は、「灯台」誌上に連載中の対
談(「人道の世紀へ」)で、創価大学の蓮について語っておられた。
 「私は、これまで、創価大学を訪問し、『文学の池』に咲くさまざまな蓮の花を見るた
びに、大きな興奮を味わい、啓発を受けてきました」
 「蓮華は、“純粋さ”と、周囲に影響されずに無垢(むく)な状態を保つ“強固な決意”
を連想させる花です。
 ある意味では、人生において誰もが堅持すべき多くの大切な資質を、私たちに示し
ていると言えますね」と。
 わが女子部の皆さんの青春も、まさに白蓮のように毅然(きぜん)と、何ものにも負
けず、「勝利の華」を咲き誇らせていただきたい。
 その願いを込めて、現代タイの著名な女性詩人チラナン・ピットプリーチャーの詩を、
白蓮グループと出身者の皆さま、そして創価の女性の皆さま方に贈りたい。

 「花、花は咲くでしょう
  純真で勇気ある花が心の中に
  白い花、それは青年の憧れ
  断固たる革新の信念に火をつけて
  学び知り
  欺瞞(ぎまん)と戦い
  前進しよう、民衆の中へ」
 「花は咲いてこそ価値がある
  ゆっくりと、しかし永く咲け
  ここに、他の場所にもさわやかな花、みんなのために」
         (岩城雄次郎編訳『タイ現代詩選』大同生命国際文化基金

 私は、タイのプーミポン国王と3度お会いした。国王と私は同い年であり、国王が「同
じ年齢であるから、“同い年”として励まし合えることがうれしい」と語られたことも懐か
しい。

◆「タイに人間的価値を広げた」
 一、先日(7月3日)は、タイ国立メージョー大学の先生方をお迎えした。〈同大学か
ら名誉会長に「名誉管理学博士号」が授与された。これは、世界の大学等からの198
番目の名誉学術称号となった〉
 タイ創価学会は、タイ広布45周年の本年、麗(うるわ)しい異体同心の団結で、素晴
らしい模範の前進を続けておられる。
 首都バンコクなど、各地で行われた「法華経 ── 世界の精神遺産」展をはじめ、
さまざまな文化行事を通して、一段と大きく信頼を広げてこられた。
 メージョー大学のテープ学長も、お会いした際、タイ創価学会を「タイにおいて人間
的価値を創出する」組織として、深い共感をもって讃えておられた。
 わが創価の世界に寄せられる数々の顕彰、讃嘆の声は、すべて皆さま方一人ひと
りに対するものである。
 そして皆さまの子孫末代まで、栄誉を受けられるという証(あかし)である。それが妙
法の世界である。
 御書には、「悪知識を捨てて善友に親近(しんごん)せよ」(御書1244ページ)とあ
る。
 いかにして、善友と交わるか。正義の人と友情を結ぶか。これが、幸福を築く重要な
鍵である。


◆≪タイの思想家≫
   ── 不運は我々を打ち負かせぬ 我々が先に音を上げぬ限り

◆「労苦」が責任と信頼と勝利生む
 一、またテープ学長は、同大学にある“労苦は人を怠惰(たいだ)にしない”との言葉
が刻まれた像を通して、こう語っておられた。
 「この像は、『労苦は人を強くする』いう意義で、学生の根本です。
 労苦は責任感を生み、人の信頼を生みます。労苦があってこそ、勝利があるので
す」
 正しい哲学である。いわんや、広宣流布のための労苦は、一切が無量無辺の大福
運となって、生々世々、わが身を飾る。
 〈学長は、次のようにも語っている。
 「池田先生が世界から慕われるのは、労苦を惜しまない人だからです。先生が世界
の多くの教育機関から名誉学位を贈られているのは、そのことの証明にほかなりませ
ん。
 先生は、青年時代から78歳の現在まで労苦をされ続けています」
 「私はこの池田先生と同じ精神で、学生を育てていきたいと思っています」〉
 20世紀のタイの思想家ルワン・ウィチット・ワータカーンは、語っている。
 「確信すべき原則の一つは、我々が先に音(ね)を上げてしまわない限り、不運は、
我々を打ち負かすことはできないということである。
 強い人間は、不運に対しても『束になって襲いかかって来い』と立ち向かい、精神の
力で、これを撃退する。このような強さを持つ人間にとって、不運は存在しない」
 私たちにとっては、「信心」こそ、究極の「強さ」である。


◆◆ 「沖縄」が先頭に!!
    ── 7月に刻まれた立正安国の魂

◆沖縄健児の心
 一、この7月は、日蓮大聖人が「立正安国論」をもって、時の最高権力者を諫暁(か
んぎょう)された月である。
 それは、文応元年(1260年)の7月16日であった。
 その700年後の昭和35年(1960年)の7月16日、私は、戦争で最も苦しめられた
沖縄に第一歩をしるした。この日を、わが愛する沖縄の同志は、「沖縄原点の日」とし
て大切にしてくださっている。
 翌7月17日には、沖縄支部が晴れ晴れと誕生した。
 沖縄の同志は、平和の楽土を築きゆく、立正安国の戦いに、決然と立ち上がってく
ださった。
 その大いなるうねりのなかで、2カ月後の9月に誕生したのが、私も大好きな「沖縄
健児の歌」であった。
 「命をかけ てひと筋に 仏意を奉じ 示さんと」
 沖縄の友は、この歌を高らかに歌いながら、あらゆる困難を乗り越えて、広宣流布
の道なき道を開いてくれた。
 その足跡(そくせき)は、世界の宗教史のなかでも、奄美とともに、燦然(さんぜん)と
輝きわたる偉業であると、著名な宗教社会学者も讃えておられる。
 翌年の昭和36年には、私が初のアジア訪問に出発する1月、それに合わせて、沖
縄の同志は東洋広布の暁鐘を打ち鳴らすがごとく、日本一の折伏の金字塔を堂々と
打ち立ててくださった。
 そして、45年後の今再び、「沖縄原点」の7月から、「沖縄健児」の9月へ、にぎやか
に、勝利、勝利の前進をされている。
 世界最初の広宣流布のモデル地域 ── これこそ沖縄の誉れであり、使命であ
る。
 美しい海を望む沖縄研修道場も、世界平和へのメッセージを発信する城として、地
域の人々にも愛され、親しまれている。私も何度も訪れ、思い出は尽きない。
 私は心から、「沖縄健児、万歳!」「創価琉球家族、万歳!」と叫びたい。
 暑い中、体調を崩されないよう、ご一家のご健康とご繁栄を心から祈っています(大
拍手)。


◆◆◆ 皆を幸福に! それが私の使命
◆◆ 労苦が人を強くする
    ── 〔デューイ〕 権力は人を堕落させる

◆対話の文明は日々の挑戦から
 一、思えば、「立正安国論」も、「屡(しばしば)談話を致さん」(御書17ページ)と仰せ
の通り、「対話」の形式で論が進められている。
 この大聖人が示された通りに、「立正安国」すなわち「世界平和」への「対話の道」を
歩み抜いてきたのが、わが創価学会である。
 「第三文明」誌上で、1年半にわたって連載されてきた、ドゥ・ウェイミン博士と私の対
談は、この9月号で最終回の予定である。
 おかげさまで、連載中、各界の識者からも、多くの反響をいただいてきた。
 博士はハーバード大学の教授で、中国思想研究の第一人者であられる。
 ハーバード大学では、私は2度、講演させていただいた。〈1991年9月と、93年9
月〉
 今も、世界各地から、講演の要請をいただいている。
 ドゥ博士と私の対談は、「対話の文明 ─ 平和の希望哲学を語る」と題して進めら
れてきた。
 混迷と混沌の度を増す現代世界にあって、「対話の文明」の構築こそ、不可欠かつ
緊急の課題である。
 その「対話の文明」とは、決して遠くにあるのではない。
 それは、身近な隣人の方々と、胸襟(きょうきん)を開いて向き合い、語り合っていく
ことから始まる。そして、誠実に、粘り強く、対話を貫き、新たな価値創造の道を、共に
模索し、共に進んでいくことである。
 これが、私たちの対談の、一つの大きな結論であった。
 ドゥ博士も、「それこそが、世界の多くの人々が願っていることです。今こそ、新たな
対話の時代の潮流をつくらねばなりません」と強く訴えておられた。
 この世界の知性が求めてやまない「対話の道」を、日々、現実に切り開いておられる
のが、わが学会員の同志の皆さま方である。
 皆さまが進めておられる広宣流布の対話には、納得があり、共感がある。慈悲があ
り、尊敬がある。
 誠実があり、忍耐があり、勇気がある。正義があり、哲学があり、信念がある。
 そして、共に幸福と勝利に向かっていこうとする希望があり、向上がある。
 まさに、皆さま方こそ、「対話の文明」を生き生きと創出されゆく、人類先駆の開拓者
なのである。
 どうか、これからも、対話の達人となって、わが地域に、そして縁する人々に、友情と
理解の対話を、勇敢に、朗らかに広げていっていただきたい。(大拍手)
 〈ドゥ博士は、対談の結びに語っている。
 「私は、池田会長こそ、現代世界における最も熟達した対話の達人であると思って
います。
 会長は、あの有名なアーノルド・トインビーとの対談以来、半世紀にわたり、“相手の
話を深く聞き取る”という技術を備えた対話を通し、世界平和を促進する闘士として活
動してこられました。
 世界のあらゆる地域の多くの識者たちとの対話の出会いを通して、知性の地平を大
きく広げ、現代の幾多の思想家たちに、深く批判的自己省察(せいさつ)をする機会を
与えてこられました。
 世界の精神界への池田会長のご貢献は、極めて大きいものがあります」〉

◆悪い人間とは 善い人間とは
 一、世界の知性の箴言(しんげん)を贈りたい。
 アメリカの大哲学者デューイの言葉である。
 〈池田名誉会長は、世界随一のデューイ研究センターを擁する南イリノイ大学力ー
ボンデール校から、名誉人文学博士号を受章している〉
 「人類というものは、一たび大権(たいけん)が手中にはいれば、どんな好い人でも、
すべて自ら堕落して、大権を濫用(らんよう)するの趨勢(すうせい)をもっている。これ
は人類の一大欠点である」(永野芳夫訳・大浦猛編『デューイ:倫理・社会・教育 北京
大学哲学講義』飯塚書房)
 ゆえに、権力は、常に青年が厳しく監視しなければならないのである。
 同じく、デューイいわく。
 「悪い人間というのは、今まで善であったにせよ、現に堕落し始めている人間、善が
減り始めている人間のことである。
 善い人間というのは、今まで道徳的に無価値であったにせよ、善くなる方向へ動い
ている人間のことである。
 私たちは、こういう考え方によって、自分を裁くのに厳格になり、他人を裁くのに人間
的になる」(清水幾太郎・清水禮子訳『哲学の改造』岩波文庫
 まことに含蓄(がんちく)ある、深き人間観である。
 さらに、デューイの言葉に、「建設的力を生み出す最善の方法は、その力を実際に
働かせることである」「力は、活用と実践によって生まれる」(杉浦宏・田浦武雄編訳
『人間の問題』明治図害出版)と。
 責任をもち、実践することによって、人は、真の力を発揮するのである。

◆明るく スカッと「勝利の夏」を!
 一、牧口先生も注目されていた、スウェーデンの女性思想家工レン・ケイは叫んだ。
 「古い社会よりもすべての点で更によりよい新しい社会を造るという責任は一(いつ)
に彼等若い人々の双肩にかかっている」(本間久雄訳『来るべき時代の為に』北文館。
現代表記に改めた)
 青年の使命は、限りなく大きい。
 「7月3日」を記念して、愛する創価の青年たちに ──
 「君よ、正義の勝利王たれ!」
 「君よ、広布の勝利王たれ!」
 と呼びかけたい。
 さらに、創価の女性たちに ──
 「私の使命は
  広宣流布である
  私の使命は
  皆様方が幸福に
  なることである」
 との言葉を贈り、私の記念のスピーチとさせていただきたい。
 いよいよ、本格的な夏である。明るく、スカッとした振る舞いで、充実と勝利の日々を
送りたい。
 皆さまのご健康とご長寿を、心からお祈りします。
 お達者で! ありがとう! (大拍手)

             (2006・7・8)