信越最高合同会議〔上〕


◆◆◆ 限界を破れ! 新しい波を

                ◇
 信越最高合同会議が8月24日、長野研修道場で行われ、池田名誉会長がスピー
チした。
                ◇



【名誉会長のスピーチ】
 一、今、うれしいことに、全同志の真剣な弘教によって、新しい広宣流布の拡大の波
が広がっている。
 新たな「地涌の友」が続々と誕生している。
 日蓮大聖人は、有名な「諸法実相抄」で仰せである。
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩
薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱
へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地
涌の義に非ずや、剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱
へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」
(御書1360ページ)
 この御聖訓を、厳然と証明しているのが、わが創価学会なのである。
 思えば、戸田先生が第2代会長に就任した1951年(昭和26年)当時、学会の折伏
は、なかなか進まなかった。
 支部として1カ月の折伏が100世帯を超えることさえ難しく、数十世帯がほとんどだ
った。
 「これでは、広宣流布に何千年もかかってしまう。大作、私はそんなに長生きできな
いよ」 ── 戸田先生はこう言われて、折伏の突破口を開くよう、私に託されたので
ある。
 翌年の2月、私は東京・蒲田支部支部幹事として指揮を執り、1カ月で200世帯
を超える弘教を成し遂げた。
 それまでの限界を大きく打ち破るこの闘争が、先生の願業である75万世帯の折伏
達成への突破口を開いたのである。
 戸田先生は、私に対しては絶対的な信頼を持っておられた。当時、私より先輩の大
幹部は大勢いた。
 しかし先生は、「大(だい)、大」と言って私を頼りにし、何か重要なことがあれば、す
ぐに私を呼ばれたのである。

◆恩師との出会い
 一、私が戸田先生と初めてお会いしたのは、戦後間もない、1947年8月のことであ
る。
 当時、私は19歳であった。
 私は青年らしく、先生に、率直に質問をした。
 「正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」
 先生は、「これは難間中の難問だな」と言いながら、誠実に、明快に答えてくださっ
た。
 そして最後に、こう言われたのである。
 「正しい人生とは何かと考えるのも良い。しかし、考える間に日蓮大聖人の哲学を実
践してごらんなさい。
 青年じゃないか。必ずいつか、自然に自分が正しい人生を歩んでいることを発見す
るでしょう。
 私は、これだけは間違いないと言える」
 先生の言葉は、大確信に満ちあふれていた。
 私は戸田先生を信じ、8月24日に入信した。そして、戸田先生が言われた通りに、
真実の「正しい人生」を、歩んでくることができた。
 恩師・戸田先生への感謝は尽きない。
 今や、わが創価学会が「正しい人生」と「永遠の平和」への指標を、全世界の青年に
示していることを、各国の知性から高く評価される時代となった。
 国連のチョウドリ事務次長からも、かねてより講演の要請をいただいている。
 〈8月30日に東京で会談。名誉会長は国連提言を手渡した〉
 私が皆さまを代表して受章した、世界の諸大学などからの名誉学術称号も、200に
迫っている。私はこの“知性の宝冠”を、偉大なるわが師匠に謹んで捧げたい(大拍
手)。
 〈アメリカ実践哲学協会会長のマリノフ博士は、こう語っている。
 「池田SGI会長に贈られた200に迫る名誉学術称号の真の意義は、『人生のあり
方』の博士号にあります。
 博士号には、こうした分類はありませんが、これこそが最も大切な分野であるといえ
ます。
 『人生のあり方』とはすなわち、人間はどのように生きるべきかと考える学問であり、
価値と目的を持って人生を生きるための学問なのです。
 そのなかでも、“他人の幸福に寄与する”“自身の幸福は、そうした生き方の中に達
成される”との視点が大切です。これこそが、SGIが世界に発信しているメッセージな
のです」
 「“良き生き方”の実践とは、人と会い、良きメッセージを与えていくことです。それは
小さいことのようですが、じつに大切なことなのです。
 私たちが、一人の人間に啓発を与えることができれば、その一人が、他の人に良き
影響を与えていきます。それによって、社会に“善”が広がります。
 池田会長の実践の真髄も、そこにあるのではないでしょうか」
 「会長は名誉博士号の受章を通して、多くの貢献に対する評価を得ておられます。
しかし、根本的に評価されるべきは、良き人生を築くという会長の貢献であります。
 世界には、池田会長のような指導者が不可欠なのです」〉

◆対話から溌刺(はつらつ)たる創造が!
 一、このほど、ソロー、エマソン研究の大家として知られるボスコ博士(ソロー協会前
会長)、マイアソン博士(同協会前事務総長)との語らいをまとめた書籍が、毎日新聞
社から発刊の運びとなった。〈タイトルは『美しき生命 地球と生きる ── 哲人ソロ
ーとエマソンを語る』>
 19世紀のアメリカ・ルネサンスの旗手であるソローとエマソンは、私が青春時代か
ら親しんできた偉大な思想家であり、詩人であり、作家である。
 語らいでは、この二人の哲人の出会いをはじめ、文学や教育、人権や環境、さらに
は生死の問題や生命論など、さまざまなテーマをめぐって縦横に論じ合った。
 ボスコ博士もマイアソン博士も、私どもの語らいが、大変有意義なものとなったこと
を、非常に喜んでくださった。
 ボスコ博士は、語らいの結びで語っておられる。
 「私たちはエマソンとソローの二人が取り組んだ会話の手法 ── あるいはより適
切と思われる言葉を使わせていただければ、池田会長が生涯をかけて取り組まれて
いるSGIの理念を反映した『対話』の手法1を実践に移す絶好の機会を得ることがで
きました。
 まさに、私たちが参画(さんかく)したような交流を通して、初めて人々の真実の出あ
いがあるのです」
 皆さま方が、日々、実践されている創価の対話運動のなかにこそ、新しいルネサン
スへのはつらつたる創造の息吹がある。
 エマソンもソローも、偉大なる魂を求め、偉大なる人生を常に志向していた。
 そして、卑劣な魂、卑劣な人生を悠然と見おろしていた。
 エマソンは、『日記』にこう綴っている。
 「私自身が見てきた有名ではない多くの人に、私を驚嘆させ、熟考(じゅっこう)させ、
喜ばせる天分を持っている人が、なんと多いことか」
 無名無冠(むめいむかん)の庶民のなかにこそ、真に偉大な魂、真に偉大な人生が
光っている。
 私も、入信以来、そうした偉大な「三世の同志」「三世の家族」とともに、戦ってきたこ
とが、無上の喜びであり、誇りである。


◆◆ 尊き母ありて学会は大前進
◆≪エマソン≫ 無名の庶民の中に多くの“偉人”がいる

◆忘れ得ぬ同志
 一、12年前の1994年、私は入信記念日の8月24日を、青森県の東北研修道場
で、健気な東北の同志とともに迎えた。
 その折、尊き広宣流布の母への敬愛と尊敬を込めて、一句を詠んだ。

 入信日
  この日が来たると
       母想う
 この8月24日は、私がともに広宣流布の不滅の歴史を刻んだ、二人の忘れ得ぬ
「母」が、霊山へと旅立った命日にも当たっている。
 一人は、あの「2月闘争」を一緒に戦った、蒲田支部の初代支部婦人部長・白木静
子さん(2000年8月24日逝去)。
 そしてもう一人は、ともに「文京革命」を成し遂げた、文京支部支部長であった田
中都伎子(つぎこ)さん(2001年8月24日逝去)である。
 広宣流布の歴史に偉大な足跡を残されたお二人に対し、今なお多くの人から感謝と
賞讃の声が寄せられている。
 私が、お二人について「わが忘れ得ぬ尊き同志たちよ」で綴った時も、じつに、多く
の反響が寄せられた。
 〈例えば、白木さんについて、大阪のある婦人部の友からは、次のような声が寄せら
れた。
 「私たち関西草創の友は、庶民的で気さくな大先輩に、親しみを込めて“白木のおば
さん”と呼ばせていただいていました」
 「(激励してくださった同志の中に)股関節(こかんせつ)に障害のある女子部がいま
した。彼女の家族は信心反対、その上、交通の便が極めて悪い中を活動していまし
た。
 おばさんは、そんな彼女を、わが娘のように包み込み、励まし続けてくださいました。
おばさんの温かい言葉と信心の確信に触れ、喜々として戦う彼女。私は、何度、涙し
たかしれません」
 「ほかにも、関西の広布の舞台には、おばさんの激励で幸(さち)の人生を開いた女
子部、婦人部の方々がたくさんいます」
 また、秋田のある婦人部の友は、こう綴る。
 「特急列車もないころでした。(白木婦人部長は)夜行列車で十数時間もかけて秋田
に通ってくださり、創価学会の“歴史と確信”を、私たちの心に染み入るように語ってく
ださいました」
 「品位と優しさ。だれもが慕う笑顔。信心の確信。そのさわやかで、温かな人柄は、
私たち婦人部の最高のお手本でした。
 『折伏』『個人指導』『家庭指導』を、一つ一つ丁寧に教えられました。そして、どんな
質問も包み込むような心で聞いてくださいました。
 私たちが勝手に、ぎっしりつまった日程を組み活動した日々。今度はここへと、皆が
“白木のおばさん”と連れだって折伏に歩きに歩きました。ハードなスケジュールでし
た。今考えると、申し訳なくて……。
 手塩にかけて育てていただいた秋田婦人部。どんな障害も、どんな広布の敵にも、
一歩も退かず責め抜き、勝利の道を開くことができました。
 初代婦人部長の『学会厳護』の精神が、私たちの心に脈々と生き続けているからで
す」〉

◆報恩感謝の心で
 一、御聖訓には、「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧(すすめ)んの
みこそ今生(こんじょう)人界の思出なるべき」(御書467ページ)と説かれている。
 どんなに華やかな出来事も、やがて時とともに色褪(あ)せ、いずれは忘れ去られて
しまう。
 しかし、地味であったとしても、広宣流布のために動いたこと、語ったこと、苦労した
こと、戦い切ったことは、時が経てば経つほど、深い光を放っていくものだ。
 二人に共通するのは、一生涯、生き生きと「行学の二道」に励み抜いたことである。
 さらに、報恩感謝の心で、一生涯、「師弟の道」を歩み抜かれたことである。
そして一生涯、「学会厳護」のために、破邪顕正の勇気で戦い切ったことである。
 田中さんのご家族も、お母さんの思い出といえば、学会活動をしている「後ろ姿」だ
という。
 田中さんは、家族に対しても、師弟の精神について、さまざま語っておられたとうか
がった。
 〈田中さんは、こう述べていたという。
 「過去のことばかり話す人がいる。しかし、それは成長していないということです。
 もちろん歴史の事実や精神を語り残していくことは大事です。
 しかし、本当に大事なのは、過去ではない。今の池田先生の呼吸 ── 池田先生
が、今、何を指導されているか。池田先生の今の呼吸は何か。
 ここに、自分の一念を合わせて戦っていくことが根本です。だから、成長し続けなけ
ればならないし、成長し続けられるのです」
 「池田先生は『文京支部の人は、いい人ばかりだ』と言ってくださる。
 しかし、それは違う。池田先生が、一人一人の良いところを引き出してくださった。使
命を果たさせてくださったのです」
 「先生が指揮を執(と)ってくださった。先生に全部教えていただいて、夢中でついて
いって、ただただうれしくて、知らないうちに結果が出ていたのです」
 「幹部が、池田先生のおっしゃる通りに、ただ
ただ真面目に、先生についていけば、組織は必ず勝ち、発展する。
 『師匠のおっしゃる通り』 ── これに尽きる。人に紛動(ふんどう)される人は、心
に先生がない。先生がないと魔につけいられる」
 「いつも、ひどい目にあわされているのは、池田先生お一人である。
 言論問題の時も、宗門問題の時も、いつも矢面(やおもて)に立ち、一切を、お一人
で受け切ってくださっている。
 そして、それを敢然と打ち破って、今日の世界広布の基盤をつくってくださった大恩
は、到底、口では言い表すことはできない」、
 「一生涯、どんな立場にあろうとも、報恩感謝の実践あるのみです」>

◆「婦人の尽力で学会は発展」
 一、偉大なる婦人部の大先輩の激闘があればこそ、学会は未曾有の大発展を遂げ
ることができた。
 私は、ともに戦ってくださった皆さまのことを決して忘れない。日本中、世界中の功
労者の方々の追善回向を、日々、妻とともに真剣に行っている。お題目を送り続けて
いる。
 〈上智大学の故・安斎伸(あんざいしん)名誉教授は、かつてこう述べていた。
 「注目すべきは、このような会員への指導性(=青年の育成と教学の深化)を広く浸
透させるなかで、創価学会における婦人層の活動を高められたことです。名誉会長
は折々の指導のなかで、広宣流布における婦人の使命と希望への道を示されていま
す。
 名誉会長のこれらの期待に応え、婦人が広宣流布に惜しみなく力を注いだからこそ、
今日の学会があると言っても過言ではありません。これはまた、21世紀に更に学会
が発展する大切な基盤でもあります」〉


◆◆ 正しい人生は創価の大道に
    ── 〔カーライル〕 誠実こそ英雄の第一の特性
    ── 〔歴史家ギボン〕 権力欲はもっとも「傲慢」で「非社会的」

◆カント「高慢は阿呆である」
 一、ここで、世界の英知の言葉を幾つか紹介したい。
 18世紀イギリスの歴史家ギボンは書いている。
 「人間のあらゆる感情欲望のうち権力欲は最も傲岸(ごうがん)な非社会的性質に
属する。けだし一人の人間の傲慢が多衆の服従を要求するからである」(村山勇三訳
ローマ帝国衰亡史(1)』岩波書店
 権力の魔性ほど恐ろしいものはない。戸田先生は、このことを繰り返し訴えておられ
た。
 古来、「帝王学の教科書」とされてきた中国の『貞観政要(じょうがんせいよう)』には、
こう記されている。
 「そもそも〔天下を取ろうとして〕深く憂い悩んでいるときには、必ず誠意を尽くして下
の者を厚く待遇するが、志を達してしまえば欲情をほしいままにして人に対して傲慢
になります」(原田種成著『新釈漢文大系第95巻』明治書院
 鋭い指摘である。
 牧口先生が獄中で読まれ、戸田先生も学ばれたドイツの哲学者・カントは「高慢は
阿呆である」(清水清訳『人間学・教育学』玉川大学出版部)と述べている。
 人々の恩を忘れ、自分の力で偉くなったと思い上がる! 傲慢ほど、愚かなことは
ない。
 戸田先生は、傲慢な人間には容赦なかった。
 庶民の尊い真心に支えられて偉くなりながら、その大恩を忘れ、仇で返すような悪
党は絶対に許すなと叫ばれた。
 学会は王者の世界である。卑しき人間とは断じて戦え! 追撃の手をゆるめる
な! ── これが師の遺言であった。
 一、中国の『十八史略』には、3世紀の中国で「竹林の七賢(ちくりんのしちけん)」と
言われた一人、山濤(さんとう)が語った言葉がある。
 「外患が治まれば、かならず内憂が起こる。これは聖王(せいおう)でもないかぎり避
けることのできぬ運命なのだ」(奥平卓・和田武司訳『十八史略III』徳間書店
外部に敵がいなくなれば、今度は内部に問題が、起こってくるとの指摘である。
 アメリカの女性参政権の獲得に奔走(ほんそう)した、19世紀の作家オルコットは、
小説の中で綴っている。
 「貧乏は何も恥ずべきことではない、不正こそ恥ずべきことだ」(吉田勝江訳『昔気質
の一少女』角川害店)
 また、古代ギリシャの哲学者プラトンは述べている。
 「智慧は善く、無学は悪いのだろう」(岡田正三訳『プラトン全集第1巻』全国書房、現
代表記に改めた)
 「学は光」である。
 生涯、学び続けることだ。成長し続けることだ。その人が、人生の勝利者と光ってい
くことができる。

◆「宗教が最大の偉人をつくった」
 一、『十八史略』には、次のようなエピソードが綴られている。
 後漢(ごかん)の時代、賢人と名高かった知事の楊震(ようしん)が、ある人物から賄
賂を差し出された。
 「夜中のことゆえ、だれも気づいておりませぬ。安心してお受け取りください」
 しかし楊震は、きっぱりと拒絶した。
 「天が気づいておるし、地が気づいておる。きみも気づいておるし、わしも気づいて
おる。どうして、だれも気づいていないなどといえるのだ」(前掲『十八史略III』から)
 天知る、地知る、子(し=きみ)知る、われ知る ── 「楊震の四知(しち)」と言われ
る名言である。
 どんな悪事も、必ず露見する。ましてや自分の心をごまかすことはできない。指導者
には、だれよりも潔癖さが求められるのである。
 自身のなかに確固たる規範はあるか。哲学はあるか ── それによって、人物の
偉大さは決まる。
 近代日本の思想家・内村鑑三(うちむらかんぞう)は、こう述べている。
 「本当の宗教は最大の偉人を作った、最大の哲学者、最大の詩人、最大の美術家、
最大の政治家、最大の実業家はすべて熱心なる宗教家であった」(『内村鑑三著作集
第17巻』岩波書店、現代表記に改めた)
 「国民は宗教を信ずるを可(よし)とし、政治家は之を信ずるの必要なしと云う理由は
少しもありません」(『内村鑑三著作集第4巻』同)
 傾聴すべき言葉であろう。

◆最高に価値ある一日一日を!
 一、中国の大詩人・白楽天(はくらくてん)は、生命を支える農業を放棄して金や銀を
探すのに夢中になっている人々のことを慨嘆(がいたん)し、こう綴った。
 「本(もと)を棄てて末(すえ)に趨(はし)り、本業を廃して金銀を貪(むさぼ)っている。
こんな事をしていると一時の富は得られようが永久の損失を招くことになる」(佐久節
訳注『白楽天全詩集第1巻』日本図書センター、現代表記に改めた)
 一獲千金ばかりを夢見て、地道な本来の仕事を放棄すれば、取り返しのつかないこ
とになるとの警句である。
 内村鑑三は、成功の秘訣として、「濫費(らんぴ)は罪悪なりと知るべし」(前掲『内村
鑑三著作集第17巻』)と記した。
 贅沢(ぜいたく)に染まれば、やがて人間は堕落していく。
 多くの歴史が教えるところである。
 内村鑑三はまた、「誠実に由(よ)りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし」(同)
とも書き残している。
 誠実に勝る財産はない。戸田先生も、このことを何度も言われていた。
 イギリスの歴史家カーライルも述べている。
 「誠実 ── 深く、大きく、純なる誠実こそ、総じて苟(いやし)くも英雄的なる人物の
第一の特性ともいえよう」(老田三郎訳『英雄崇拝論』岩波書店
 誠実が、人々の心を動かす。われわれは誠実の行動で勝つのだ。
 私は毎日、広宣流布のため、全世界の友のために、真剣に戦っている。誠心誠意、
あらゆる手を打っている。
 どうか全リーダーの皆さまも、私とともに、最高に価値ある一日一日を築いていって
いただきたい(大拍手)。

                (〔下〕に続く)