各部代表勤行会

◆◆◆ 人生は最後の勝利が最高の幸福
◆◆◆ 逆境の時こそ勇気!
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 各部代表研修会が8月23日、長野研修道場で行われ、池田名誉会長が、参加者とともに勤行した後、スピーチした。
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【名誉会長のスピーチ】
 一、きょうもまた、世界の知性の言葉などを通し、懇談的に語りたい。
 皆、研修をするために集ってくださっている。
 何かを新しく学ぶ。吸収する。
 信心を深め、自身を鍛えていく ── そのための研修道場である。
 なお、この夏、長野研修道場を訪れた映画俳優で、SGI(創価学会インタナショナ
ル)メンバーであるオーランド・ブルームさんから、「皆さまのご多幸を祈っています」と
の伝言が寄せられたので、ご紹介させていただく(大拍手)。

◆自身を磨け
 一、“ウクライナソクラテス”と謳われる哲学者のスコヴォロダは述べている。
 「人間の心は鍛えなくてはならない。それを避けると、高潔な思想も、真理の理解も、
英知の精神も、すぐさま高貴な素性とは相容れない、卑劣なものに染まってしまう」
 心を鍛えるのが仏法である。信心である。
 鍛錬がなければ、人間は堕落してしまう。
 ドイツの哲学者カントも述べている。
 「何人たりとも訓練なくして有徳であることはできない」(御子柴善之訳「コリンズ道徳
哲学」、『カント全集20』所収、岩波書店
 本当にその通りだ。
 リーダーこそ、率先して自身を訓練していかねばならない。
 牧口先生が傍線を引かれ、拝読しておられた御書の一節に、こう仰せである。
 「摩訶止観(まかしかん)に『師にあわなければ邪(よこしま)「な智慧が日ごとに増し、
生死の迷い、苦しみは月ごとに甚だしい。密林で曲がった木を引きずるように、そこか
ら出る時期がない』とある」(御書153ページ、通解)
 だれの指導も受けない。だれからも、何も言われない。それでは、だんだんおかしく
なってしまう。
 師匠がいればこそ、自身の弱さを見つめ、それと向き合うことができる。正しい人生
の道を歩み抜くことができる。
 だからこそ、師弟が大切なのだ。
 一、アメリカ実践哲学協会会長のマリノフ博士は述べている。
 「苦境こそ真に人間が試されるときだ(中略)自分のなかの基本的な信念が最も輝
かしく照らし出されるときでもある」(吉田利子訳『元気哲学 ── 生命篇』アーティス
トハウスパブリッシャーズ! 角川書店
 マリノブ博士とは、3年ほど前に、21世紀に求められる哲学をめぐって語り合った。
〈2003年2月。その際、同協会から名誉会長に「人間哲学貢献賞」が贈られた〉逆境
の時に、どう生きるか ── そこに人間の真価が現れる。
 イギリスの思想家ラスキンは述べている。
 「試練を受けた心情と知性だけが最良の実を結び、他は結ばない」(内藤史朗訳『世
界教育学選集46 芸術教育論』明治図書出版
 なんの試練もない。また、試練から逃げる。そういう人はい真の幸福をつかむことは
できない。勝利者にもなれない。
 仏法においても、法難を避け、ずる賢く立ち回っているような人間は、絶対に仏には
なれないのである。

◆善のために戦え
 一、「キューバ独立の父」ホセ・マルティは訴えた。
 「生きるということは世の中のために善を行うということである」(青木康征・柳沼孝
一郎訳『ホセ・マルティ選集第2巻』日本経済評論社
 友の幸福のため、よりよき社会の建設のために祈り、語り、行動する。
 広宣流布に生き抜く私たちは、最高の善の人生を歩んでいる。
 デンマークの思想家キルケゴールは綴っている。
 「およそ善の存在するところには、必ず勇気がともなっているものである」(『キルケ
ゴールの講話・遺稿集4』、岩永達郎訳、新地書房)
 信仰で大切なのは勇気である。人生で重要なのも勇気だ。勇気がなければ、敵とも
戦えない。
 私は青年時代、学会や戸田先生を誹謗する人間とは、徹底して戦った。厳然と、言
論で勝ち抜いた。
 勇気がない。臆病。卑怯。そんなことでは、学会を守ることなどできない。特に青年
部の諸君には、先頭に立って、一切の悪を打ち破ってもらいたい。

◆恐れるな! 我に哲学あり
 一、フランスの文豪ユゴーは、若き友に、こう書き送っている。
 「若い立派な才の持主であり高尚(こうしょう)」なる精神の持主たる諸君に依って漸
次(ぜんじ)光明は輝いて来る」「諸君の如き若き人々が勝利をかちうるのである」(神
津道一訳「追放」、『ユーゴー全集』所収、ユーゴー全集刊行会、現代表記に改めた)
 未来を開くのは青年である。
 皆さんに、すべてを託す以外にない。
 ユゴーは、こうも綴っている。
 「信念をもっているわれわれは、何をおそれることがあろうか?」(井上究一郎
レ・ミゼラブル」、『世界文学全集第44巻』所収、河出書房新社
 学会には最高峰の哲学がある。信念がある。理念がある。それを庶民が真剣に実
践しているのだ。
 超一流の哲学者と同じである。
 我々には、恐れるものなど何もないのだ。

◆「第2の関西」を
 一、戸田先生は、本当に厳しかった。
 私は、ずいぶん叱られた。一つ一つ徹底して訓練された。
 10年間、先生から万般の学問の教授も受けた。あまりにも偉大な先生であった。
 私には、弟子としての責任がある。約束がある ── そういう思いで、今も戦ってい
る。
 御聖訓には、「師匠となり、弟子となることは三世にわたる約束である」(御書1070
ページ、通解)と仰せである。
 これも、牧口先生が傍線を引いて拝しておられた御文である。
 仏法の師弟は厳粛である。決して簡単に考えてはならない。
 一、若き日に、私は東京の文京支部支部長代理として戦った。
 当時(1953年)、文京支部折伏成果は全国で最下位クラス。支部長は、田中都
伎子(つぎこ)さんという女性であった。
 支部のあまりの窮状(きゅうじょう)を見かねた戸田先生が、「僕の懐刀(ふところが
たな)を送ることにしよう」と言って、私を派遣されたのである。
 そして、1年もたたないうちに、文京は第一級の支部へと発展を遂げた。
 私は蒲田(かまた)支部でも、拡大の突破口を開いた。あらゆる戦いに勝利してきた。
師匠の期待に応えてきた。
 戸田先生亡き後も、世界広布への道を開いた。
 私は、すべてをやり切ってきた。だから、何の後悔もない。
 なかでも関西は、私が師弟不二の闘争で築いた常勝の城である。
 関西には、頭のてっぺんから足のつま先まで「師弟」の精神が脈動している。だから
関西は強い。微動だにしない。
 私は「第2の関西」というべき師弟の城を、この信越をはじめ、各地に築きたい。
 もう一度、新しい学会を築く思いで、戦っていく決意である。

◆団結こそ力!
 一、大切なのは異体同心の団結である。リーダーが師弟不二の精神に立って、互
いに団結していくことだ。
 皆が一つになって戦えれば、これほど楽しいことはない。
 大聖人は池上兄弟に対して、こう仰せである。
 「二人が一体で進む姿は車の両輪のようである。鳥の二つの翼のようである。
 たとえ、妻子などが仲違(なかたが)いをされることがあっても、兄弟二人の仲は、不
和になってはなりません。
 こう言うと恐縮ですが、二人がともに日蓮のことを(師匠として)尊いと思って(心を合
わせて)いきなさい。
 もし二人の仲が不和になられたならば、二人に対する(諸仏・諸天等の)加護がどう
なってしまうかと考えていきなさい」(同l108ページ、通解)
 重要な御文である。
 同志の間に不和があり、異体同心でなかったら、何をやってもうまくいかない。広宣
流布は進まない。
 それどころか、かえって広宣流布を妨げる存在となってしまう。
 中国の女性革命家である秋瑾(しゅうきん)は述べている。
 「(ニセ革命家とは)いたずらに虚名をうらやみ、現実の行動がなく、互いに排斥(は
いせき)し、互いに欺(あざむ)き合い、人に損を与えることで自己を利する者である」
 こうした存在には絶対になってはならない。
 一、フランスの大画家ドラクロアは、同じく画家であったプッサンの次の言葉を記して
いる。
 「私は年をとる毎(ごと)に進む気がする。そしてますます向上しよう、もっともっと完
全なものに近づこうという熱望に心の燃えるのを覚える」(植村鷹千代訳『芸術論』創
元社、現代表記に改めた)
 年を取ったからといって、情熱を失ってはならない。
 いつまでも、心は青年のごとく! 永遠に向上の人生を! これが妙法を持った私
どもの生き方である。


◆◆◆ わが天地に新たな常勝城を
     ── つくろうな 見栄を張るな  
      ── リーダーは「朗らかに」「皆に尽くせ」
◆≪フランスの大芸術家≫ ますます向上しよう! もっと完全に

◆自分を飾るな 皆を讃えよ
 一、リーダーは、徹して誠実であっていただきたい。
 「はたらかさず・つくろわず・もとの儘(まま)」(御書759ページ) ── 仏法では「本
有無作の三身」を説く。
 形式ではない。変につくろったり、自分を偉く見せる必要もない。
 「心こそ大切」(同1192ページ)である。誠実に、ありのままの自分の良さを出して
いけばいいのだ。
 皆に心で訴える。心で感動を与える ── そういう一人一人であっていただきた
い。
 学会の幹部は皆に奉仕する存在である。自分の思うとおりに皆を動かそうなどと考
えるのは、とんでもないことだ。
 意見が合わない人もいるだろう。しかし、そういう時こそ謙虚になって、相手の話に
よく耳を傾けていくことだ。
 会員の皆さんは、本当に頑張ってくださっている。そうした方々を最大に讃え、ほめ
ていくのがリーダーである。
 また、リーダーは朗らかであってほしい。そうであれば、皆、楽しい。
 そして、すべてに責任感をもつ存在であってもらいたい。それが本当の指導者だ。
 統一ドイツのヴァイツゼッカー初代大統領は述べている。
 「繁栄の中で漫然とそれを享受するだけではなくて、責任をまっとうしていくという生
き方をすれば、その人の生き方はさらに生きがいのあるもの、意味のあるものにな
る」(「琉球新報」朝刊、1999年4月17日付)
 重要な指摘であると思う。大統領とは、ドイツの大統領府で語り合ったことが懐かし
い。
 スペインの作家セルバンテスの小説『ドン・キホーテ』。その中で、主人公のドン・キ
ホーテが、従者のサンチョ・パンサにこう語る場面がある。
 「お前に起こるあらゆる問題を過つことなく見事に解決するという、固い意志と信念
をつねに保持せよということじゃ」(牛島信明訳『ドン・キホーテ後篇(二)』岩波督店)
 目標に向かって進んでいけば、必ず何か問題は起こってくるだろう。
 それから逃げないことだ。断じて乗り越えていく ── その強き意志を持つことだ。

◆◆≪御聖訓≫
      花が実をつけ、月が満ちるように ── 広布の人は必ず栄える

◆全魂の指揮を!
 一、御聖訓には仰せである。
 「この曼陀羅(まんだら=御本尊)を身に持(たも)てば、王を武士が護るように、子を
親が愛するように、魚が水を頼みとするように、草木が雨を願うように、鳥が木を頼み
とするように、一切の仏・神等が集まって、昼夜にわたって影のように護られるであり
ましょう」(御書1477ページ、通解)
 御本尊を持ち、妙法に生き抜くならば、諸天が守ることは間違いない。
 凡夫は疑い深いため、なかなか信じられない。しかし、必ずそうなっていくのである。
 また、大聖人は「法華経を信ずる人は、幸いを
万里の外から集めることでしょう」(同1492ページ、通解)とも仰せである。
 妙法に生き抜く人が、幸せにならないわけがない。
 それを、ちょっとしたことで疑う。不平や文句ばかり言う。それでは、せっかくの福運
も消えてしまう。結局、損である。
 大聖人は、こうも述べておられる。
 「花は咲いて木の実となり、月は出て必ず満ち、灯火は油をさせば光を増し、草木は
雨が降れば茂っていく。(それと同じように)人は善根を積めば、必ず栄える」(同156
2ページ、通解)
 学会活動によって私たちは最高の善根を積むことができる。一家一族が大福徳に
包まれ、栄えていくことは間違いないのである。
 人生は、最後の勝利が最高の幸福である。私は、全同志の人生の勝利と栄光を毎
日、心から祈っている。
 それでは、どうかお元気で! 下半期、そして明年の晴れやかな勝利へ、全魂の指
揮を頼みます! (大拍手)
 
                       (2006・8・23)