創立記念日祝賀協議会〔下〕

◆◆◆ 不屈! 私は地域の幸福責任者
    ── 「明るく」「足音高く」「挑戦の心」で進め

◆◆ 文化は花 民衆は大地
    ── 「すべての勝利は民衆のおかげ」
                  〔ノーベル平和賞・マータイ博士〕
    ── 最高峰へ! 戦いはこれからだ


【名誉会長のスピーチ】
 一、先日、ノーベル平和賞の受賞者である、ケニアワンガリ・マータイ博士が、出
版されたばかりの自叙伝を私に贈ってくださった。
 博士は、アフリカで3000万本の植樹を推進した「グリーンベルト運動」の創始者
ある。
 〈マータイ傅士からは、池田名誉会長の200の名誉学術称号受章に際して、真心あ
ふれるビデオ・メッセージも寄せられた〉
 自叙伝のタイトルは、『不屈』 ── 。
 一人の母として、多くの女性たちと連帯し、未来の子どもたちのために、不屈の意志
で戦ってこられた壮絶な半生が、感動的に綴られている。

◆自分の“根(ね)”を忘れるな
 一、博士は自らの信念について、こう述べておられる。
 「自身にとって、大きすぎる責任を担うことは、むこうみずな場合もあります。
 しかし、ただひたむきに挑戦を続けていくならば、考えられないような結果を達成す
ることができるのです」
 素晴らしい言葉だ。
 次元は異なるが、皆さまもまた、学会のリーダーとして大きな責任を担っておられ
る。
 学会の役職は、その地域の「幸福責任者」であり、「勝利責任者」である。重責を担
う苦労は大きいが、それだけ充実も成長も、そして福運も大きい。
 マータイ博士は、こうも綴っておられる。
 「“恐れない”ということは“粘り強い”ということでもあるのです」
 博士は、さらにまた、民衆への「恩」と「感謝」について、次のようにも述べておられ
た。
 「木は、私の人生の重要な一部であり、多くの教訓を与えてくれました」「木は、その
根っこを大地に持ちながら、空に向かって伸びていきます。
 大志を持つためには、地に足をつけていなければならないし、どんなに高く伸びても、
私たちは、その根っこから滋養をもらっているのです。
 これは、どんなに成功しても、自分のルーツ(根っこ)を、決して忘れてはならないと
いう教訓です。
 政府のなかで、どれほど大きな力を持とうとも、どれほど多くの賞を受賞しようとも、
私たちが目標を達成するための力や活力、そして能力は、すべて民衆のおかげなの
です。
 私たちを育(はぐく)んでくれた大地であり、私たちをその肩で支えてくれる、民衆の
陰の働きのおかげなのです」
 あらゆる指導者が、胸に深く刻むべき言葉であろう。
 平和も、文化も、幸福の花も、民衆という大地に咲き薫る。
 すべてを育む大地である、かけがえのない民衆に一生涯、感謝し、恩に報いていく。
そこに真実の人間の偉大さがある。

◆庶民を守り抜け
 一、ともあれ、「民衆とともに」「民衆の中で」「民衆のために」 ── ここに、広宣流
布の大運動の永遠の軌道がある。
 日蓮大聖人が、なぜ「民の子」として御聖誕されたのか。ここに、民衆仏法の甚深
(じんじん)の意義がある。「民の子」に生まれたがゆえに、法華経の行者として三類
の強敵を招き寄せたのである。
 日寛(にちかん)上人は「悲門(ひもん)は下を妙と為す、即ちこれ慈悲の極(きわみ)
なり」と記しておられる。
 仏の慈悲の門は、庶民として生まれ、大勢の人々を救うことを「妙」となすのである。
 人類の99パーセントは「民衆」である。仏法は、一握りの特権階級のものなどでは
絶対にない。全民衆、全人類を救うためにある。
 そのために、御本仏自らが庶民として出現され、民衆を尊び、民衆の味方として戦
い、生き抜かれたのである。
 後継の日興(にっこう)上人も、また日目(にちもく)上人も、見栄っ張りな三位房(さ
んみぼう)らのように、当時の最高学府に当たる比叡山などに遊学されなかった。
 大聖人にどこまでも常随給仕して、師とともに法難を受けきっていかれたのである。
 創価の三代も、同じ精神である。
 大事なのは庶民だ。庶民を守り、大切にする。牧口先生も、戸田先生も、そして私も、
その一点に心を砕いてきた。
 無冠の庶民が一生懸命、戦ってくださった。それを諸天善神、そして大聖人が護っ
てくださった。だから学会は、ここまで発展した。
 無名の庶民の母が、幼子(おさなご)を背負って折伏に行き、馬鹿にされ、悪口を言
われながら、必死に戦ってきた。
 こういう方々の戦いで、広宣流布を成し遂げてきたのである。
 目的は庶民の幸福だ。幹部は、その目的のためにいる。このことを忘れてはならな
い。
 学歴や自らの地位に傲(おご)って、こうした庶民を馬鹿にするような人間を、絶対に
許してはならない。
 見栄っ張りは危ない。こういう人間が幹部となって、威張り出すと、学会が壊されて
しまう。利用されてしまう。
 そして結局、本人も仏罰を受けることになる。
 だからこそ、こうした人間には厳しく言っていくことだ。
 私は、庶民に尽くしゆくリーダーを育ててきた。訓練してきた。
 そして、庶民のための学会をつくってきたのである。
 私は、200の名誉学術称号の栄蛍も、大学に行けなかった同志に捧げる思いで拝
受している。
 ともあれ、創価学会は永遠に民衆の側に立って戦う。
 この一点を改めて確認しておきたい。
 戸田先生は高らかに宣言なされた。
 「いったい誰が、庶民を護(まも)るのか?それは、学会である! 」
 「庶民が強くなるとは、どういうことか?学会が強くなることである!」
 これが我らの永遠の精神である。

◆臆病は敗北
 一、日蓮大聖人は、御書の中で何度も次の涅槃経(ねはんぎょう)の文を引いてお
られる。
 「もし仏法者が、法を破る者を見ながら、そのまま放置して、相手の非を厳しく責め
ず、追い払わず、はっきり罪を挙げて処断しないのであれば、まさに知るべきである。
この仏法者は、仏法の中の怨敵(おんてき)である」(御書236ページ等、通解)
 戸田先生はこうした御文を拝し、叫ばれた。
 「『仏法中怨(ぶっぽうちゅうおん)』の責を知り、かつ仏敵を放置しておくわけにはい
かん」
 「内なる敵が最も卑怯だ。その敵は断固、追放せよ!」
 これまでも、嫉妬に狂い、私利私欲に溺れ、大恩ある学会に反逆した人間がいた。
学会を分裂させようと、もくろんだ輩がいた。
 仏法では、「嫉妬」は「提婆(だいば)の心」として戒(いまし)められている。
 嫉妬、陰口、陰湿 ── こうしたことから団結が破壊される。心が分断される。それ
は学会の世界ではない。
 悪の本質を鋭く見破っていかねばならない。
 さらに、こう教えられた。
 「戦うべき立場にありながら、敵を前にして戦わない、ずるい人間は必ず罰せよ!」
 臆病では、正義は守れない。
 私は青年時代、弟子として、戸田先生を守り抜いた。先生を守ることが正義を守り、
学会を守ることであると確信していたからだ。
 一番正しい人を守るなかに、すべてが含まれるのである。
 先生は、訴えておられた。
 「わが崇高なる学会に、一人たりとも魔を寄せ付けるな! 信心の利剣(りけん)で、
魔を断ち切っていけ」
 また、先生の講義をずる休みした幹部に対しては、「分かっていると思ったら大間違
いだよ。聞くたびに境涯がひらけるのだ」と厳しく叱咤しておられた。
 さらに、戸田先生のご指導に学びたい。
 「大聖人の哲学は深い。これでよいというときはない。途中で慢心(まんしん)を起こ
したら退転(たいてん)だ」
 「経文にも、信心強盛の人の処(ところ)は、我此土安穏(がしどあんのん)と説かれ
ている。
 なんで恐ろしいことがあろうか。
 さまざまな世情(せじょう)に、学会幹部は一喜一憂して紛動(ふんどう)されては断
じてなりません。そんな心弱い、惰弱なことでは、広宣流布の大業(たいぎょう)を遂行
(すいこう)することは、決してできない」
 時代が乱世であるからこそ、強盛な信心を奮い起こし、わが同志が一人ももれなく
「無事安穏」で、功徳を受けきっていけるように、聡明にして確信ある指揮をお願いし
たい。
 先生は青年部に、大きな期待を寄せておられた。
 「若人こそ、広宣流布の大使命を果たしうるのです。あなた方の使命は偉大です。
 信を起こし、御本尊を頂いた瞬間に、我々は『汝広く此の経を流布し、一切衆生を救
はんがために此の経を宣(の)べよ』との仏勅を蒙(こうむ)っているのである」
 私もまた、青年に未来の一切を託すつもりである。青年部の存在が、ますます重要
だ。

◆「大作を見よ! 」
 一、先生は、こうも言われた。
 「『和』の集いが大切である。この和の集いの中から、さあ、今月も、御本尊へのご奉
公をしようという意欲が湧いてくる」
 大切なのは団結だ。広宣流布へと心を合わせ、異体同心で進んでいく。そこに偉大
な前進がある。
 尊き仏子の集まりである学会の会合は、法華経の会座(えざ)そのものである。
 一回一回、真剣に、来られた方が、本当に良かったという会合にしていかなければ
いけない。そのために、リーダーは最大に心を砕いていくべきだ。
 また、戸田先生は、弟子の姿勢について、こう訴えておられた。
 「師匠の話を全身で受け止め、信仰の上でも、生活の上でも、信・行・学を実践して
いくべきである」
 「牧口先生の話を話として聞いては駄目で、耳でなく、また頭でもなく、体で聞くとい
う態度でなければなりませぬ」
 私もまた、戸田先生が言われる一言一句を全身で受けとめ、そのまま実践してきた。
すべてを実現した。
 先生は、周りの幹部に言われていた。
 「大作を見よ!」
 「大作は一を聞いて百を知る。お前たちは何十ぺん聞いてもわからない。格段の差
だ」
 先生が、どれほど私を大事にしてくださったか。
 私は体が弱く、医者からも30歳までしか生きられないと言われた。
 先生は、「大作さえ健康でいてくれたら! 」と何度も言っておられた。
 ある時は、私の妻の実家を訪れて、“大作には本当に苦労ばかりかけてしまった。
大作がいなければ、学会の将来は真っ暗だ”と大泣きして語られた。
 こういう師弟だった。師弟不二だった。
 どんなことがあっても、大作を丈夫にして、第3代の会長にしたい ── これが先生
の思いだった。
 昭和32年(1957年)の大阪事件で、私が大阪へ向かう途中、羽田空港で先生は
言われた。
 「もしも、お前が死ぬようなことになったら、私もすぐに駆けつけて、お前の上にうつ
ぶして一緒に死ぬからな」
 本当にありがたい師匠であった。
 創価の三代の師弟ありてこそ、学会はここまで世界的になった。あらゆる迫害をは
ねのけて、未曾有の大発展を遂げたのである。
 この一点を断じて忘れてはならない。未来のために、強く訴えておきたい。
 一、戸田先生の大確信は本当にすごかった。
 先生は叫ばれた。
 「民衆の万年の幸福を確立することが、創価学会の使命である」
 「民衆救済の大責務は、創価学会の肩にかかっている」
 「“闘争人”というのは、民衆を不幸にする邪悪を絶対に打ち砕いてみせるという、
赤々とした闘魂、情熱を燃え上がらせている人です。胸に炎をもつことです」
 そしてこう言われた。
 「現代の広宣流布は、不幸な民衆一人ひとりを救っていく活動である。辛抱つよく一
対一で、日蓮大聖人の真の仏法を説き、納得させて、一人が一人を救っていく以外に
方法はない。これが創価学会の使命とする実践活動だ」
 どこまでいっても、広宣流布の根本は「一対一の対話」である。
 一人一人の苦悩に耳を傾け、絶対的幸福への道を教えていくことだ。
 また、婦人部をはじめ、そうした実践をしておられる方々が最高に尊貴(そんき)なの
である。
 一、世界で初めてエベレストの登頂を成し遂げた、ニュージーランドの登山家エド
ンド・ヒラリー氏。
 氏はかつて私に、著書を贈ってくださった。
 自伝の最後に、氏は、こう述べておられる。
 「私はまだこれからなすべき仕事があることを何よりも感謝している」(吉沢一郎訳
『ヒラリー自伝』草思社
 一つの山を制覇したら、新たな山の踏破を!
 前進し、戦い続けるなかに人間としての成長がある。人生の醍醐味がある。
 世界に平和と幸福の大道を広げゆく広宣流布は、人間として最極(さいごく)の聖業
(せいぎょう)である。生ある限り、その聖業のために走り抜いてまいりたい。
 ブラジルの大作家ギマランエス・ローザは綴った。「指揮するということは、冷静を保
って、より勇敢になることなのである」(中川敏訳「大いなる奥地」、『筑摩世界文学大
系83』所収、筑摩書房
 リーダーは、だれよりも勇敢であれ! ── 私はこう強く訴えたい。
 「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
 リーダーは正義を叫び抜くことだ。学会を破壊しようとする敵に対しては、断固たる
破折の鉄槌(てっつい)を加えていくことだ。
 大聖人は、民衆を不幸に陥れる誤った思想を徹底して破折された。牧口先生もそう
だった。
 叫んだ分だけ、善は拡大していくのである。
 結びに、戸田先生の言葉を紹介し、私の記念のスピーチとしたい。
 「いま、私には、前進があるだけだ。
 闘争があるだけだ。そして勝利があるだけだ。
 前へ前へ向かって!」
 まっすぐに、伸び伸びと、攻撃精神を発揮して、明るく、足音高く、前へ進んでいく。
これが学会精神だ。
 「創立の月」から、ともに、新たな戦いを開始しよう!
 きょうは、本当にありがとう! (大拍手)

               (2006・10・28)