我が勝利の大関東の同志に贈る



 埼玉・千葉・茨城・群馬・栃木

正義の陣列は連戦連勝たれ! 池田 大作

「春は

 百万の声を出して、

 勝利の凱歌を

 歌っている。

 色あざやかな春。

 喜びに満ちた春。

 善をもたらす

 聖なる春」

ノーベル文学賞に輝く

ポーランドの作家

レイモントのこの詩が

私は好きだった。

友だちと

声高らかに語り

歌い 喋り

正義の人生を

鍛え上げよう!

戦い抜き

勝ち抜こうとする

青春の生命に

響いて離れない言葉だ。

勇気の魂光る文化の大国

ポーランドのSGIも

今年で支部結成から

十五周年となった。

わが友は皆元気に

名誉ある人生を

はつらつと

戦い進んでおられる。

三百年の伝統に輝く

ポーランド

国立ヴロツワフ大学でも

トインビー博士と私の

対談集が 教材として

学ばれていることは、

多くの若き英才たちが

誇りとしていることだ。

「正義の陣列は

 連戦連勝たれ!」

これは

師・戸田城壁先生が

愛弟子に贈られたる

遺訓である。

正義なればこそ

厳として光れ!

正義なればこそ

徹して強くあれ!

正義なればこそ

断じて勝ち誇れ!

 偉大なる

  勇気の友の

   関東は

  断固勝ちたり

   蓮祖も讃えむ

ああ 御本仏が出現された

あまりにも尊く

宿福深厚(しゅくふくじんこう)なる天地

我らの関東よ!

御聖訓には

高らかに宣言されている。

日蓮

 中国(なかつくに)・都の者にもあらず

 辺国(へんごく)の将軍等の

 子息にもあらず

 遠国の者・民が子にて候」

かの釈尊

世界第一の最高峰

ヒマラヤを仰ぎゆく

ネパールの王家に

王子として誕生された。

そして蓮祖は

世界第一の大海原

太平洋を見晴らしゆく

房総半島の漁村に

「民が子」として

聖誕なされたのだ。

貴族でもなければ

豪族でもない。

最も虐げられてきた

庶民の人間群の中であられた。

それは

人間を軽賎し

民衆を不幸に陥れる

ありとあらゆる増上慢

戦い抜かれるためであった。

そして

常に見下されてきた

いじらしき庶民が

尊極なる仏の生命を

勝ち開いていけるように!

蓮祖は

全人類を照らしゆく

民衆仏法の太陽を

ここ関東から

輝かせてくださったのだ。

だからこそ

本末究竟して等しく

関東の我らの勝利か

一閻浮提

そして尽未来際へ

全民衆の勝利を

決定づけていくことを

誇りも高く銘記し合いたい。

ともあれ

関八州を制する者は

天下を制する。

これは日本史の

確固たる方程式てある。

ゆえに我らは

ここ大関東で

真剣勝負に挑むのだ!

ここ大関東で

完勝の旗を振るのだ!

 千年の

  歴史に残らむ

   関東の

  陣列輝く

   学会城かな

フランスの行動する作家

ロマン ロランは叫んだ。

「勇気なくしては、

 いっさいが空虚である」

その通りだ。

勇気ある一歩から

すベては始まる。

昭和二十一年の秋

恩師 戸田先生の

戦後初の地方指導は

栃木県と群馬県──

つまり関東であった。

田舎道を何キロも

一歩また一歩

歩きに歩いて

大法私通の種を蒔かれた。

世界の民衆史を画する

「座談会」運動は

誠実にして粘り強い

関東が源流である。

「屡(しばしば)談話を致さん」

この「立正安国論」の

大精神を滾(たぎ)らせて

わが関東の父母たちは

雨の日も 風の日も

何ものをも恐れずに

信念の対話を広げてきたのだ。

仰ぐベき正しき師匠とは

いかなる存在か。

御聖訓には

蓮祖御自身のお姿を通して

「三類の強敵を蒙り

 種種の災難に相値(あいあ)って

 身命を惜まずして

 南無妙法蓮華経と唱え候」と

示されている。

すなわち

「三類の強敵」に立ち向かい

「法難」を一身に受けながら

「不惜身命」で

広宣流布」のために戦う。

これこそが正しき師である。

大聖人に直結せる

創価三代の師弟の

誉れもここにある。

戸田先生の事業が

断崖絶壁の苦境に

立たされた その時──

狡賢い弟子たちは

皆卑怯にも逃げ去った。

ただ一人

阿修羅の如く

師を厳護する私が

打開の活路を開かんと

幾たびも奔走したのは

埼玉の大地てある。

この大難を勝ち越えて

戸田先生に

必ず必ず第二代会長として

指揮を執っていただくのだ!

不二の弟子の誓願

炎となって燃え盛った。

ここにこそ

今日にまで至る学会の

奇跡の発展の本因がある。

昭和二十六年の五月

晴れ晴れと

会長に就任なされた

凱旋の師の心を心として

私は栃木へ向かった。

学会の宗教法人の

設立を妨害する勢力に

痛烈な楔を打ち込むために

宗門の寺に乗り込み

創価の正義を叫び抜いた。

いま 不思議にも

時来りて

この寺院で護持されてきた

日寛上人の御書写の御本尊が

「法華弘通のはたじるし」として

全世界の学会員に

授与されているのだ。

関東の御出身であられる

日寛上人は明言なされた。

「この本尊を信じて

 南無妙法蓮華経と唱うれば

 則ち

 祈りとして叶わざるなく

 罪として滅せざるなく

 福として来らざるなく

 理として顕れざるなきなり」

さらにまた

「我等、妙法の力用に依って

 即蓮祖大聖人と顕るるなり」

この深遠なる大仏法の

常勝の法則をば

友の生命に刻みつけんと

御書根本の指導に

私は三年にわたって

愛する川越へ通い続けた。

そしてまた

男子部の第一部隊で

私と一体の呼吸で

執念の拡大を

成し遂げてくれたのは

羽生(はにゅう)の革命児たちである。

思えば──

創価の父・牧口常三郎先生は

茨城の同志のお子さんが

病気だと聞かれて

遠路をいとわず

見舞いに駆けつけられた。

一番大変なところに

真っ先に駆けつける!

一番苦闘している同志に

真っ先に励ましを送る!

最も激戦の最前線で

勝利の突破口を開く!

これが

異体同心の関東の心だ。

ああ 幾重にも

また幾重にも

「今生人界の思出」深き

埼玉よ!

そして関東よ!

大関東を舞台にした

師弟不二の闘魂から

日本全国へ

広宣流布のうねりが

怒濤の如く

沸き起こっていったのだ!

 あの山を

  また この谷を

   乗り越えて

  埼玉勝利を

   夢の凱歌を

昭和三十年の二月1

某新聞の埼玉版が

悪意に満ちたデマ記事を載せた。

あろうことか学会を

"暴力宗教"呼ばわりしたのだ。

まったく根拠のない噂話で!

私は憤激した。

即座に抗議に立ち上がった。

デマで冒涜された

師弟の尊厳のために!

学会の名誉のために!

悔し涙を呑む

愛する同志を守るために!

イタリア統一の

英雄マッツィーニは言った。

「同胞の善のために

 到るところで

 不正や誤謬と戦うことは

 権利であるのみならず

 義務である」

都内の本社に乗り込み

一つ一つ誤りを追及した。

埼玉の支局に走り

一つ一つ明確に反論した。

そして謝罪させ

わが学会の「正論」を

紙面に厳然と掲載させたのだ。

「一つの嘘から

 百の嘘が生まれる」と

スペインの箴言にある。

嘘もデマも

放っておけば増殖する。

毒が後世まで蔓延する。

なればこそ

間髪いれずに

邪悪を打ち破るのだ!

虚偽の根を断つのだ!

ドイツの革命詩人ハイネが

慨嘆した如く

いざという時の沈黙は

裏切りに等しいのだ。

中途半端は禍根を残す。

「源を塞ぎ

 根を截(たつ)べし」とは

蓮祖の厳命であられた。

「破邪」なくして

「顕正」はない。

これが仏法の戦う魂だ。

大聖人が御自ら

「一度も

 しりぞく心なし」と

間断なき攻防戦を

闘い抜かれ

勝ち切られたではないか!

そして

「今は魔王も

 こりてや候うらん」と

悠然と言い放たれた。

第六天の魔王どもが

懲りるまで

打ち返し責め返し

追撃の手を緩めぬことだ。

「此れより後も

 いかなる事ありとも

 すこしもたゆむ事なかれ

 いよいよ・はりあげて

 せむべし」

悪を責め抜かなければ

もはや仏法ではない。

 大関

  獅子の如くに

   立ちにけり

  恐るるものなき

   宝剣光りぬ

草創期の学会にあって

「関東の一番星」と

期待されたのが

志木支部であった。

しかし

苦しい低迷が続いた。

本部から遠い。

師の心を伝える幹部もいない。

大いなる力があるのに

駄目だと下を向いている。

かわいそうだった。

何とかしてあげたかった。

「正義の師弟」という

根本さえ定まれば

勝利の金字塔は

絶対に築けるからだ。

それは昭和二十九年──。

慢心の幹部によって

組織攪乱の蠢動があった。

私は決然と

志木支部に飛び込み

破和合僧の悪行を断破した。

御書には涅槃経を引かれて

鋭く破折されている。

「もし仏の所説に順わない

 増上慢がいれば

 まさに知りなさい。

 この人は魔の眷属である」

私は断じて

宿縁深き志木支部

わが文京支部と同じく

第一級の支部に押し上げんと

陰に陽に最善の応援の手を

打ち続けていった。

イギリスの大詩人

シェークスピアは謳った。

「天地を揺るがす雷よ」

「恩知らずな人間を

 作り出す種を打ち砕け!」

 埼玉は

  心と心が

   熱し合う

  久遠の同志の

    栄光城かな

やがて──

恩師亡き学会に

新しき夜明けを告げる

青年の大音声が

暁鐘のように轟きわたった。

「第三代会長の推戴を急げ!」

その覚醒の声こそ

わが埼玉 そして

大関東から湧き上がる

広布第二幕の叫びとなった。

おお

師弟の埼玉よ!

旭日の千葉よ!

常勝の茨城よ!

人材の群馬よ!

攻勢の栃木よ!

威風も堂々たる

"五大州"の連合たる

我らの大関東は

太陽の如く一丸となって

どこよりも鮮烈に

必勝の大光を放ちゆくのだ!

日蓮心ざす事は

 生処(しょうしょ)なり

 日本国よりも大切に

 をもひ候」

公平無私であられる

御本仏が それほどまで

大事に思われた故郷こそ

わが関東なのである。

今やわが関東の五県に

東京都と山梨県

そして神奈川県を合わせた

人口は

四千二百三十七万人を数える。

日本列島の

実に三十三パーセントだ。

わが埼玉を心臓部とする

この"大東京合衆国"の力で

全日本

いな全世界の広宣流布

万般において

盤石ならしめるのだ!

これが

私の一貫した

祈りであり悲願である。

使命深きゆえに

闘争は

常に激しく

常に厳しい。

されど関東の弟子へ

大聖人は

峻厳に仰せられた。

「一生空しく過して

 万歳悔ゆること勿れ」

永遠の生命から

達観するならば

今の労苦など

一瞬に過ぎない。

この一瞬を思い切って

走り抜いていくなかに

未来永劫に悔いなき

勝利と栄光の大境涯が

広々と開かれていくのだ。

 友情の

  連帯ふかき

   埼玉の

  母の集いは

   世界一かな

蓮祖は

関東のけなげな母たちを

御自身の慈母の如く

それはそれは大切になされた。

老いたる姑を

真心込めて介護し

自らも持病と戦いながら

妙法広布に生き抜く

気高き母には──

「あなたのご病気のことは

 わが身の上のことと思い

 昼も夜も

 諸天に祈っています」と

仰せになられた。

わが関東の婦人部は

いずこにもまして

真剣であられる。

いずこにもまして

明るく仲が良い。

いずこにもまして

一心不乱であられる。

ゆえに諸天も諸仏も

必ず必ず護るのだ。

牧口先生の生誕記念日の

六月六日はまた

「関東婦人部の日」である。

牧口先生は

「教育の目的は幸福なり」と

全生命を賭して訴え抜かれた。

この牧口先生が

高く高く評価された

哲学者デューイの洞察がある。

それは──

「生活のために

 生活において

 生活によって」と。

足元の生活から始めよ!

現実の生活において

聡明に幸福を

快活に勝利を

毅然と信頼を

勝ち取っていくことだ!

その源泉こそ

「信心即生活」

「仏法即社会」の

法理である。

妙法流布の

正義の大道を進む我らには

何一つ無駄はない。

流した汗も

歩んだ足跡も

語った声も

苦楽ともに一切が

汝自身の生命を荘厳する

無上の財宝と輝いていくのだ。

そしてまた

一人も残らずれ

楽しき幸福女王として

この人生を謳歌しゆく

智慧と力と福徳を

円満に具足していくのだ。

その方々こそ

関東の婦人部であり

関東の女子部なのである。

 新関東

  貴女の勇気で

   切り開け

  三世に崩れぬ

    功徳を集めて

イギリスの歴史家カーライルは

烈々と書き留めた。

「強きもの──

 それは正義であり

 真実である」

「戦い続けるのだ

 勇敢で誠実な人よ。

 暗黒の運命の時も

 また明るい運命の時にも

 戦いをゆるめてはならない。

 あなたが戦う目的が

 正しければ正しい分

 勝利は確かなのだ」

この世で

最強無敵の力とは

いったい何か!

それは

師弟が不二となった

正義の師子吼である!

それは

異体を同心とする

鉄桶の団結である!

それは

不可能を可能とする

法華経の兵法である!

そのすべてが

我らにはある。

それゆえに

我らは絶対に負けない。

断固として

最後は快勝で飾りゆくのだ。

彩の国に

「世界の模範」と光る

さいたま特区の真友(しんゆう)よ!

「地域で勝利」を広げゆく

川口 戸田の同志よ!

「全てに先駆」しゆく

川越 坂戸(さかど)の家族よ!

「常勝不敗」の誉れ高き

越谷(こしがや) 三郷(みさと)の仲間よ!

「新生埼玉の原点」と輝く

上尾(あげお) 熊谷(くまがや) 秩父ちちぶ)の宝友よ!

「世界第一の人材城」を築く

所沢(ところざわ) 狭山(さやま)の盟友よ!

「求道と団結」のスクラム

春日部(かすかべ) 久喜(くき) 羽生の闘士よ!

「勇気の前進」を貫きゆく

志木(しき) ふじみ野の連帯よ!

戸田先生は

埼玉の門下に叫ばれた。

「三類の強敵が出現してこそ

 広宣流布はできる。

 ゆえに

 わが弟子よ

 いかなる強敵も恐れるな!

 私と共に喜べ!

 私と共に敢然と戦え!」

我らは

いかなる苦難も恐れない。

いかなる戦闘も惜しまない。

広宣流布のために

労多きことを

今生の無上の名誉として

朗らかに

今日も明日も戦う!

この勇猛なる精進こそ

大関東精神だ。

我らの不撓不屈の

輝く敢闘精神だ。

敢闘──

その心を

ビクトル・ユゴーは叫んだ。

「断じて事をおこなう、

 進歩が得られるのは

 それによってなのだ」

「大胆不敵な行動が

 歴史を目もくらむばかりに

 輝かせるのであり、

 それは

 人間の最も偉大な光の

一つなである」

おお関東!

勝利と完勝の大関東!

正義の青年群が

勇み躍り出る大関東!

「自分さえよければ」などと

狭くちっぽけな了見は

我らの大関東にはない!

いずこの天地をも

わが主戦場としながら

全首都圏が勝つのだ!

全日本を勝たせるのだ!

大聖人は断言された。

日蓮が一類は

 異体同心なれば

 人人すくなく候へども.

 大事を成じて

 一定法華経

 ひろまりなんと覚へ候」

汝自身の勝利から

地域の勝利へ!

埼玉の勝利へ!

関東の勝利へ!

日本の勝利へ!

そして

世界の勝利へ!

心を

わが正義のなすままに

我々は進もうではないか!

善の大行進を

続けようではないか!

本来

師弟は不二である。

その法理を心に秘めて

「異体同心」の

大勝利の歴史が

輝き残るのだ。

君たちよ!

あなたたちよ!

永遠不滅なる

勝利の人生のため

栄光の生命のために

今日も

私と共に

戦ってくれ給え!

そして

私と共に

師子奮迅の力で

金剛不壊の大功徳の生命を

創り飾ってくれ給え!

       二〇〇七年六月二十七日 学会本部・師弟会館にて     桂冠詩人