140 師弟勝利の7月(下)
人生は生涯 闘争なり!
常勝不敗の「この道」を走り抜け
この一生
勝ちぬけ悔いなく
「大阪大会」が終わると、参加した友は、三類の強敵に憤怒するとともに、歓喜しながら帰っていかれた。
誠に誠に、逞しき美しき学会精神である。
私は、皆が風邪をひかないように、必死で題目を唱えた。そして、この方々を、一生涯、護り抜くことを決意した。
この日、母に抱かれていた子や、おなかにいた子のなかに、後に関西の創価学園の一期生として入学してくれた少女も多くいた。
この「園子(そのこ)」(女子学園生の愛称)たちも、今や立派に育って、常勝関西をはじめ、各地で新時代の幕を開いてくれている。
「正義の怒りに燃える女性の勇気、心の奥底からの魂の自由の叫びほど、人びとの心を強く突き動かすものはありません」──わが親友であるアルゼンチンの知性エスキベル博士の、女性への感嘆であった。
そして、この母たちの心を、後継の青年たちが厳然と受け継いでくれている。
「常勝関西」と聞けば、私の心は、いつも晴れ晴れとする。
わが関西青年部の代表は、この五十周年の「7・17」を、中之島の中央公会堂で、威風も堂々と飾ってくれた。中部の青年部も同じ心だ。
フランスの文豪ロマン・ロランは言った。
「われわれの腕(かいな)によって開拓された勝利の道をわれわれの息子たちが前進していく。ぼくらの苦労が未来を救ったのだ」
◇
激戦に
また激戦を
勝ち越えて
連続勝利を
同志と築けり
出獄後、私は、苦難を共にした関西の同志に、励ましの言葉を贈った。
「百折不撓(ひゃくせつふとう)の精進を共々誓うのみ。人生は生涯闘争なり」
「お互いに大いなる人間革命をなしゆく機会です。最後の勝利者が真の勝利者である。一人起てる時に強き者が真の勇者である」
「大阪大会」から十日余りが過ぎた七月二十九日、私は公職選挙法違反の容疑で起訴された。
釈放された身ではあったが、「刑事被告人」となったのである。
当然ながら、「起訴」即「有罪」ではない。「被告人」即「犯罪者」ではない。
ましてや、私は、容疑とされる選挙違反など一切関与していない。
起訴は無実の罪を押しっけた「冤罪(えんざい)」であり、でっち上げの虚構なのである。
だが、日本の刑事裁判においては、いったん起訴されれば、有罪率は実に九九パーセントに及ぶと、巷間言われている。
担当の弁護士までもが、全くの無実と知りながら、「有罪は覚悟してください」などと言い出すありさまであった。
しかし──牧口先生、戸田先生の弟子として、断じて勝たねばならない! いな、断じて勝ってみせる! いな、断じて勝つ!
私の一念は微動だにしなかった。
「真実は勝利します」──私が対談した欧州統合の父クーデツホーフ・カレルギー伯爵も心の師と仰いだ、チェコの哲人政治家マサリクの大信念である。
この日、七月二十九日は、国家権力を背景にした宗教弾圧の嵐に立ち向かい、若獅子が正義と真実の完全勝利を誓った日である。
初代と二代の仇討ちに、第三代が挑み起(た)った日なのだ。
そのような心の深き不惜身命の弟子が躍り出ることを、私は待っている。
一人でもよい。その一人は百万人に通ずるからだ。
いな、一千万人に通ずるからだ。
◇
負けるなと
また勝ちゆけと
祈るらむ
師弟の道は
不敗の道かと
わが師が衰弱しゆく身体で、力を振り絞りながら、今世の広宣流布の最後の指揮を執られていた昭和三十三年の三月五日、私は裁判に出廷するため、先生に大阪行きのご挨拶をした。
先生は、しみじみと言われた。
「大作......君は罪を一身に背負おうとした。本当に人の良い男だな。
でも、だからこそ安心だな、学会も」
「裁判は容易ならざる戦いになるだろう。いつまでも、君を悩ませることになるかもしれぬ。しかし最後は勝つ!
金は金だ。いくら泥にまみれさせようとも、その輝きは失せるものか!
真実は、必ず明らかになる。堂々と、堂々と、男らしく戦え!」
◇
仏法は
勝負なりせば
断固して
全てに勝ち抜け
健康長者で
これは、わが埼玉の同志に贈った和歌である。
日蓮大聖人は、生きて帰られないと言われていた流罪地の佐渡で、厳として明言なされた。
「私、日蓮も、たとえ鎌倉殿(北条時宗)が赦免しないと言われようとも、諸天善神等に申しつけて、鎌倉に帰りましょう」(御書一三四三ページ)
そして、足かけ四年に及ぶ佐渡流罪を勝ち抜かれて、広布の主戦場たる鎌倉へ──今日の神奈川の天地へ凱旋なされ、仏法勝負の鑑(かがみ)を示してくださったのだ。
「仏法と申すは道理なり道理と申すは主に勝つ物なり」(同一一六九ページ)
ここに仰せの「主」とは、一切の権力の象徴である。
いかなる戦いも、仏法の正義に徹して戦い抜くならば、諸天を動かし、最後は絶対に勝利を飾ることができる。
執念の祈りと行動で勝つ!
これが「法華経の兵法」だ。
昭和三十七年の一月二十五日、四年半にわたった裁判の判決公判を迎えた。
勝てば、そのまま、会長。負ければ、法律に基づいて、公民権を停止され、会長職も辞せざるを得ない──。
法廷に、田中勇雄裁判長の凛とした芦が響きわたった。
「池田大作は無罪!」
◇
「要するに、戦闘のまっただなかに、彪大な努力を尽して、われわれは生まれかわり、新しくなりかわらなくてはならぬ」
入獄と出獄から、五十年。
勝利の判決より、四十五年。
正義ゆえに迫害された。
そして正義ゆえに、断固として勝った。
この破邪顕正の勝利の血脈を、今、わが本門の池田門下が受け継いでくれている。
それは、最高幹部ではない。青年部である。
ゆえに、私は幸福だ。
かつて、戸田先生の前で、朗読したホイットマンの詩を、わが弟子に贈りたい。
「おお、僚友よ、ぴったりと寄りたまえ! おお、最後には君とわたしと、わたしたち二人だけなのだ」
「おお、今こそわたしは勝利を得る──そして君もまた同様に」
有り難き
偉大な弟子の
君たちが
師弟勝利の
誓いを歴史に
真のわが弟子、万歳!
(随時、掲載いたします)